254 サンルカル王国
陽が頭上に差し掛かる頃、バンダースナッチはサンルカル王国の領空に入った。王都パラメダの空艇発着場は、前回訪れたときとは打って変わって、混雑を極めていた。その影響でバンダースナッチは上空で待機中だ。
修道騎士団クインテットの新造艦、オプシディアンが多数飛び立っていく。全長五百メートルにも及ぶ黒曜石のような機体は、圧倒的な威圧感を放っていた。それらは船首を南へ向けている。おそらくスタイン王国との戦いの地へ赴くのだろう。
「かなり本腰を入れてんな」
思わず呟いた。振り返ると、マイアとニーナが表情を引き締めてうなずいていた。
「着陸しますっすよ」
リアムの声で全員が席につき、シートベルトを締めた。
操縦室には全員が揃っていた。呪いの後遺症から完全に回復したミッシー、ファーギ、マイア、ニーナの四人は、元気に満ち溢れている。
メリル、アイミー、ハスミン、ジェス、四人のダンピールは、以前とはだいぶ様変わりしている。外見ではない。彼女たちは血液バッグを片手に、赤い血液の流れる医療用チューブを口にしているのだ。どうやら血への渇望があるらしく、このように血を補給しなければ危険だそうだ。
しかし、血液バッグの入手先には驚かされた。これらはドワーフ軍から支給されたものだが、製造元は日本の人工血液だったのだ。
エグバート・バン・スミス皇帝は、松本総理と密かに会談し、国交を樹立していたらしい。
バンダースナッチが着陸したようだ。軽い振動が伝わってきた。
「冒険者ギルドへ向かうのよね?」
シートベルトを外しながらミッシーが話しかけてきた。
「うん。どうしたの?」
「ちょっと寄りたいところがある。あとで合流しよう」
「了解。気をつけてね」
ミッシーとの会話が終わると、マイアとニーナからも、一時的に別行動を取りたいと申し出があった。修道騎士団クインテット本部へ立ち寄りたいそうだ。
ついでとばかりに、ファーギとリアムがバンダースナッチの整備をしたいと言い出したので、二人に任せることにした。またなにか妙な機能を付けるんじゃないだろうか……。これまで整備と称して、改造を繰り返してきているからな。
というわけで、メリル、アイミー、ハスミン、ジェス、四人のダンピールを連れて、王都パラメダの冒険者ギルドへと向かうことになった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
冒険者ギルドの掲示板には、スタイン王国との戦争に参加する傭兵の募集用紙が所狭しと貼られていた。もちろん命がけの依頼だ。応募者はそれほど多くないと予想していたが、予想に反して多数の応募があるようだ。破格と言ってもいいほど、高額な報酬が設定されているからだろう。
書庫を使用させてもらうため、受付カウンターで冒険者証を提示する。受付のお姉さんはきれいな笑顔を見せ、書類を取り出した。俺の冒険者証を見た受付嬢はハッとした顔で話しかけてきた。
「えーと……。デレノア王国軍の勇者二名から申告がありまして、マラフ共和国のスターダスト商会が壊滅したというのは本当ですか?」
「えっ、ああ、マリーナ議員からの指名依頼ですよね。勇者佐々木と竹内が、スターダスト商会を壊滅させたようです」
「勇者のお二人からは、冒険者ソータの手柄だと報告書が提出されております。これで依頼達成ですね」
「あー、佐々木さんたち……気を使わなくてもいいのに」
「いえいえ、依頼を受けていたのはソータさんのパーティーです。勇者ふたりからの言質も取れてますので、報酬を振り込んでおきますね」
「あー、はい。ありがとうございます」
受付嬢は半ば強引に話を進めていく。ここでごねてもしょうがないので、報酬は受け取っておこう。今度会ったときに、佐々木と竹内にはお礼を言わなければ。
手続きが完了し、受付嬢に冒険者ギルドの資料室を使わせてほしいと頼む。彼女は快諾し、奥の部屋へと案内してくれた。
歴史を感じさせる書庫は、図書室かと思うほど広大で、司書までもが在席していた。
ただしパソコンがあるわけでもなく、俺たちは人海戦術で様々な資料を調べていく。主に調査したのは、スタイン王国のここ数年間の出来事だ。王都パラメダの冒険者が、どのような依頼で活動し、どのような結果になったのか、そういった資料を探し求めた。
マイアとニーナは、修道騎士団クインテットの一員だ。彼女たちから以前聞いた話だと、武力を持って地球から攻め込んでくる侵略者がいると言っていた。その地域は佐山、鳥垣、伊差川、弥山の四人が対処しているはず。
資料の中には彼らの名前も登場する。四人ともサンルカル王国の傭兵であり、Sランク冒険者だ。前線が維持できているのは彼らの尽力あってこそだろう。
あいつらは俺と同じ量子脳と液状生体分子を移植しているからな。おまけにカリストから精霊をもらっている。ぶんどったという話もあるが。
だからこそ、たった四人で前線を維持できているのも納得がいく。そこでふと思う。俺と同等以上の力量を持つ四人が、戦線を維持しているだけなのかと。
よくよく考えてみれば奇妙だ。
この世界に来て百日以上経つが、これまで様々な出来事に遭遇した。俺は何度か死んでいるけれど、その度に生き返っている。それでもだいたい圧倒的な力で問題解決ができている。
なのにあいつら四人は一体何をやっているのだ。
……地球からの侵略者はそれほどまでに強大だということか? おそらくは魔女マリア・フリーマン率いる実在する死神過激派だと思うのだが。
その辺りの詳細はどの資料を読んでも明らかにならない。佐山たち四人が奮闘し戦線を維持しているくらいしか書かれていない。
主戦場は、サンルカル王国の南部、スタイン王国との国境線だ。今回訪れる場所はその大平原になる。
ニューロンドンで得た情報は、じーちゃんがスタイン王国にいるというもの。それに、魔女マリア・フリーマンや、エミリア・スターダスト、ルイーズも、スタイン王国にいる可能性が高い。
そう考えると、やはり今回は一筋縄ではいかないだろう。
修道騎士団が把握していない小さな出来事でもいいから、デーモンやバンパイア、それに魔女、俺たちはこれらの情報を懸命に集めよう。
「おいおっさん」
アイミーの呼び方は相変わらずだ。しかし、その声音には敬意が込められている。素直に敬語を使えばいいのに、と思いながら顔を上げた。
俺はいま、キャレルデスクに向かって資料を読んでいるところだ。
「どうした?」
小声で話しかけられ、俺も釣られる。
「あの司書、なんかおかしくない?」
司書はこの場所から離れた位置にいる。入り口付近のカウンターでニンゲンの出入りを確認する仕事も兼ねているからだ。
「いや、特には何とも」
「おっさんにはそうかもしれないけど、あたしたちには殺気を向けてくるの。なぜだと思う?」
「あー、ダンピールだからかも」
メリル、アイミー、ハスミン、ジェスの四人は、ミゼルファート帝国で冒険者証を更新してきている。種族がドワーフではなく、ダンピールに変更されていたのだ。
ダンピールを冒険者ギルドが認めたということで、彼女たち四人は堂々と歩けるようになった。依頼も受けることができるし、Aランク冒険者という肩書きもそのままだった。
この書庫に入るときも、司書さんに冒険者証を見せているので問題はないはずだが……。やはり差別的な感情があるのだろうか。
「場所を変えよう」
俺は四人を呼び集めてそう告げた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
イーデン教の総本山、アスクラ大聖堂へやって来た。フェイル・レックス・デレノアと、妹のアリシア・デレノア・ブラックウッドを避難させるために連れてきて以来のことだ。
今日はちゃんと正面から中へ入った。神威が漂う神聖な空間に一歩足を踏み入れると、身が引き締まる感覚に襲われた。信者の方々がお祈りを捧げている。
「おいこらおっさん。ここに何があるってんだよ。まさか観光じゃねーだろうな」
「脛を蹴るな、ハスミン」
つま先で蹴るから、クロノスが痛覚を遮断してしまったじゃないか。
「ソータさん、ここにいったい何があるんでしょうか?」
メリルはドワーフの諜報機関、密蜂の一員だし、大人だ。ハスミンとは違って、ちゃんと会話ができる。
「この前来たとき、隣の塔に書庫が見えてたんだ。そこを使わせてもらえないかと思ってね」
話しながら進んでいると、小さな女の子に声をかけられた。
「いらっしゃいませ。お話が聞こえてきたのですが、アスクラ大聖堂の書庫を使いたいのですか?」
「……ずいぶんとしっかりした子だね。お母さんとはぐれちゃったのかな?」
俺は思わず、しゃがんで話しかけた。年の頃は小学校の低学年くらいだろうか。金髪ロングヘアに青い瞳のかわいらしい少女だ。顔立ちは優しく清楚で、神々しいオーラを放っていた。
……ん? 神々しい?
白いローブに身を包んだその姿は、まるで巡業でアスクラ大聖堂を訪れた聖職者のようだ。首にはアスクレピウスのシンボル、杖と蛇をあしらったペンダントをかけている。
「また逃げ出したんですか、ヘレナ様っ!?」
少女の背後、つまり俺の視線の先に現れた老婆が声を上げた。老婆の視線は、俺の前の女の子に固定されている。彼女は、こちらに向かって走り始めた。
「いやっ!」
女の子はそう叫び、俺の背後に隠れてしまった。
「ふう……。ダメですよヘレナ様、お祈りの時間です」
息を切らして駆け寄ってきた老婆は、俺を無視して背後の女の子に声をかけた。というか、女の子はヘレナって名前なのだろう。
「いーや! ソータくんと書庫に行くの!」
ヘレナはそんなことを言う。この子はなぜ俺の名前を知っているのだろう?
小さな手で、背中のコートをぎゅっと掴んでいるのが分かる。
その様子を見た老婆は、俺へ視線を移した。
「ヘレナ様? ソータくんって、誰のことを――あっ、あなたはもしや、ソータ・イタガキ様ですか!?」
「……そうです」
見知らぬ人物に俺の顔と名前が知られているとは。
有名人になりたいという気持ちは微塵もないので、少々面食らってしまった。
「ソータ様からもヘレナ様に言って下さい。ちゃんとお祈りしないと神託が受けられなりますよと」
そんなお願いする? この老婆とは全くの初対面のはずだが……。図々しいというよりは、それだけ切羽詰まっているということだろうか。
いや待てよ。ヘレナってどこかで聞いたような……。
「あっ! 思い出した!」
俺が大声を上げると、老婆は驚きの表情を浮かべ、後ろのヘレナからもびくっとした感触が伝わってきた。
確かこの女の子は、イーデン教の巫女だ。エルフの里で神託がどうのこうのってマイアが言っていた。
「ど、どうしたの?」
そう言ったヘレナは、俺の背中をつんつんと突っついてきた。
「初めまして。ソータ・イタガキです」
振り向きざま立ち上がって、ヘレナに一礼をする。この国の重要人物だ。いや、イーデン教の超重要人物だ。そんな子が、一般の人々がいる場に姿を現してもいいのだろうか?
ヘレナは俺とメリルたちの間に、ちんまりと立っている。
「初めましてじゃない! ソータくんとは前に会ってるよっ!」
ヘレナは何を言っているのだろう? 記憶力には自信があるぞ俺は。マイアから一度だけイーデン教の巫女がいると聞いたくらいで、会ったことなどない。
ここは大聖堂の内部で、衆目に晒されている状態だ。このまま立ち話をするわけにもいかない。俺は口を開いた。
「とりあえず場所を移しましょうか」
老婆の方へ視線を向けると、笑顔で頷いていた。礼拝に訪れた一般の方々にお辞儀をして、俺たちは老婆について行く。
俺たち五人は、アスクラ大聖堂の奥へと通された。そこは古びた小さな部屋で、地下へ続く階段があった。地下へ降りると、広大な書庫となっていた。俺が書庫だと思っていたのは、教典の販売所だったし……。ヘレナと会わなきゃここに来られなかったな。
「わたくしは、フィオナ・レティシア・シュヴァインベッカーと申します。イーデン教では大教皇などと言う大仰な呼び方をされることもあります」
老婆はそう名乗りながら、ゆっくりとこちらを見回した。
「えっ!?」
突如聞こえてきた驚愕の声。その声を上げた者が誰であろうとも、今の瞬間、それはどうでもよかった。
なぜなら、目の前にいた老婆が一瞬にして別人になってしまい、冒険者ギルドで見た司書が立っていたのだから。




