251 竹内とヘルミ
「長い一日だったな」
「よくあることだろ」
佐々木と竹内は空から駐屯地を俯瞰しながら、そう言った。軍師ヘルミが逃げ込んだ場所だ。
ここは海岸に近い。湿り気のある潮風が吹き抜けていく。夕日が沈む空はオレンジ色に染まり、駐屯地の建物や空艇が赤く染まる。
周りには緑の草原と赤い屋根の民家が散らばり、漁港も見えた。海は穏やかで、波が岸に寄せては引いていく。水平線の向こうには流刑島の影がぼんやりと浮かんでいた。
そんな風景を眺めながら佐々木は口を開いた。
「スターダスト商会みたいに、雑に攻められないね」
佐々木の言葉に当然だという顔で竹内は答えた。
「駐屯地のニンゲンはティアラ社とグラック商会の私兵だからな。周辺には民間人も住んでいる。ヘルミはよく考えて逃げ込んだものだ。――――さすが俺の元軍師だ」
神の目とグランウォールが封じられてしまった。彼らは苦笑しながらも、デーモンやバンパイア以外に被害が及ばないようにと、留意しているのだ。
ふたりは顔を見合わせて、地上へ降下していった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「おいっ! 何だキサマらは!」
駐屯地の兵のひとりが、敷地内に降り立った佐々木と竹内に警告する。すると他の兵士も声を上げた。
「あの装備見たことがある! あいつらデレノア王国軍の勇者だっ!!」
「片方はダンジョンから出てきて暴れてたやつだぞ!!」
白銀の鎧に、黒髪のヒト族。彼らは一目で勇者だと気付いた。
駐屯地の兵たちは物資の搬入で大忙しだったが、外敵の侵入に即応した。警報が鳴り響くと、フル装備の兵たちが大勢集まってきた。
「勇者が敵対視されてるねぇ……」
佐々木はジト目で竹内を見た。
「ははっ、たぶんヘルミの〝精神誘導〟で操られてるとき、俺たちもこんな感じだったんだろうよ」
覚えてません、と言いたげな竹内を見て、佐々木はため息をつきながら言った。
「んじゃ始めようか」
佐々木が魔導銃を構えると、青い稲妻がほとばしった。その光は不規則に動きながら、枝分かれし、兵士たちを感電させる。彼の攻撃は、一瞬で数十名の兵の意識を奪い去った。
竹内は戦鎚を使わず、衝撃波を放っている。それも兵士たちの意識を奪うだけのレベルで留めているようだ。
ふたりとも兵からの攻撃は、障壁で防いでいく。彼らは長年デーモンと戦ってきた勇者たちだ。商人に毛が生えたような民兵など、赤子の手をひねるようなものだった。
佐々木と竹内は次々と現われる兵士の意識を奪いつつ、建物の中へ入ってゆく。すると佐々木が立ち止まり、メガネを操作した。
「あのライフル、何だろう。データベースにないけど」
飾り気のない事務的なエントランスホールで、大勢の兵士がライフルを構えていた。狙いはもちろん佐々木と竹内だ。
「あのライフルからは魔力じゃなくて、冥導を感じるな」
竹内も立ち止まって首を傾げた。
「あれには冥導結晶が使われてる! 竹内くん、いったん退避するぞ!」
佐々木の忠告と同時に、兵士の構えたライフルから、光を吸収する真っ黒な線が発射された。
勇者のふたりは障壁を張って素早く外へ脱出する。彼らは転がりながら物陰へ姿を隠した。
「ぐっ……」
竹内は被弾していた。障壁には穴が空いていて、竹内の腹部と背中から大量に出血している。彼はすぐにヒュギエイアの水を取りだして、一気に飲み干す。
すぐに回復した竹内は愚痴る。
「なんだよ冥導結晶って。神威結晶なら知ってるが、そんなの聞いたことねえぞ」
「高位のデーモンが創り出せるやつさ。竹内くん、これで魔法を使うんだ」
佐々木は手のひらを上に向け、スキル〝創造〟を発動させた。瞬く間にビー玉大の冥導結晶が現れる。真っ黒すぎて球体には見えず円に見えるほどだ。
ふたりはいったん障壁を解除し、竹内は冥導結晶を受け取った。
「お前なー、こういうの創れるなら、先に言うなり渡すなり、なんかあるだろうが」
竹内は佐々木を軽く睨んだ。
「その黒いビー玉で、僕らの魔力総量を上回るんだ。神威結晶も似たようなもんだけど、そうそう簡単に拡散するわけにもいかないからね」
しれっと言い放つ佐々木。それを聞いた竹内は、またかという顔をする。
佐々木は眉間にしわを寄せ、何かを思案しているようだった。スキル〝創造〟は、佐々木の想像したものが創造できるという、ぶっ壊れスキルだ。
土火風水、四つの属性魔法において、土と水は実質、物質を創造していることと同義である。ロックバレット、ウオーターボール、基本の魔法からしてそうである。
佐々木のスキル〝創造〟は、これらの物質創造系における、最上位のもの。
その佐々木は、親友の中村を殺害された。今回は竹内に危害を加えられた。彼の目は激しい怒りに燃えていた。
――――ドスン
駐屯地の入り口付近に、巨大な自動追尾連射砲が出現した。砲台の上に、ガトリングガンのような砲身がある。各種センサーは建物内の兵を捕らえ、連続で火を吹いた。
動力源はどうやら神威結晶のようである。白く発光するエネルギー弾が、一本のロープのように繋がって飛来してゆく。建物内の兵士たちはひとたまりもなかった。
私兵たちを数秒のうちに全滅させ、それでも足りないのか、自動追尾連射砲は建物に向けて発砲し始めた。
神威の砲弾は、建物を穴だらけにし容赦なく破壊していく。
その弾道は少し上を向いている。たまに建物を貫通していくエネルギー弾は、全て空へ向かっていた。佐々木は、周囲への影響がないように配慮しているのだ。
そんな佐々木を見て、竹内も能力を解放した。流れ弾ひとつ外へ漏らさないように、駐屯地をすべてグランウォールで囲ってしまう。ついでとばかりに、ぶ厚い板状のグランウォールが、駐屯地の上に覆い被さった。空艇で逃げることを防ぐためだ。
透明なグランウォールを使用しているため、外からの夕日が差し込んでいて視界に問題はない。そこでふたりは一息ついた。
駐屯地の建物は半壊し、発着場の空艇も全て破壊されていた。大きな格納庫では火災が発生している。
「あーあ。みーんな死んじゃったかな」
自分でやっておきながら、佐々木は呆れ声を出す。自動追尾連射砲は光の粒になって消えていった。
「そうでも無さそうだ」
グランウォールを維持したまま、竹内は視線を移した。その先にはスーツ姿の男が、ふたり立っていた。彼らは半壊した建物を背にして、口の端から牙が覗く獰猛な笑みを浮かべている。
すると彼らの背後の建物が激しく燃え上がった。石造りの建物が真っ赤に染まっていき、あっという間に溶け始めるほどの高温だ。
佐々木はそれを見て、ウンザリした顔で言った。
「こいつらって、ティアラ社とグラック商会の代表かなあ?」
竹内もウンザリ顔で応じた。
「さあな。でも、とんでもなく強そうだとは分かる。ヘルミを追ってる場合じゃねえな」
勇者のふたりは、身構えながらバンパイアのふたりと向き合った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「冗談じゃないわ! 佐々木がキレるなんて」
軍師ヘルミはスキル〝霧散遁甲〟で、グランウォールの外へ脱出していた。
彼女は実体化し、透明なグランウォールで囲まれた駐屯地へ目をやった。広大な敷地を囲って蓋をした密閉空間では、炎が嵐のように吹き荒れていた。そんな状態で酸素が持つわけも無く、炎は徐々に収まっていく。
駐屯地はいま一酸化炭素など有毒ガスが発生して、ニンゲンが生きていける状態ではないだろう。
ヘルミは状況を見極めながら、次の一手を迷っていた。
「このまま逃走すると、また追い付かれてしまうわ」
地獄のような駐屯地の状況を見て、逆に好機だと思ったのだろう。ヘルミはもう一度霧と化して、グランウォールをすり抜けて駐屯地へ舞い戻った。
その中は熱風が吹き荒れ、天井の方で炎が渦巻いている。
「こんなことするのは、クリストファーかグラックのどちらかよね」
彼らはヴェネノルンの血を飲んだバンパイアである。ヘルミと同じく、通常の肺呼吸は必要としない。故に、闇脈を使って火を起したのだろう。
ヘルミは霧のまま駐屯地を移動していく。すると驚愕の光景が目に飛び込んできた。
クリストファーとグラック、ふたりのバンパイアが勇者ふたりを圧倒していたのだ。司令室があった建物は炎に包まれ、いまにも崩れ落ちそうになっている。しかしその建物から、赤黒い溶岩が連続で射出されている。それらは全て、勇者のふたりを狙っていた。
溶岩の大きさはニンゲンと同じくらいの縦長で、粘性のあるもの。勇者ふたりは器用に避けているが、ふたりのバンパイアに近付けないでいた。
『どお? いけそう?』
ヘルミの念話が、クリストファーとグラックへ届く。
『何としても勇者のふたりを倒します』
クリストファーの返事を聞いて、ヘルミは満足げな顔で姿を現した。彼らは、スキル〝魂の鎖〟で完全に支配されている。ヘルミの言いなりになっている状態だ。
『お逃げになってください、ヘルミ様』
グラックの念話にヘルミが応じた。
『少し加勢するわ』
彼らの戦いを上空から見下ろすヘルミに念話が届く。とはいえグランウォールで囲まれた閉鎖空間だ。そんなに高い位置にいるわけではない。
佐々木と竹内はヘルミの気配を察知して顔を向けた。
「らしくないわね、勇者竹内」
その言葉と同時にヘルミはスキル〝メンタルショック〟を使用した。彼女の瞳が赤く染まると、佐々木と竹内、両名の動きが一瞬だけ止まる。
そのスキルは、対象人物に過去の辛い記憶を見せるというものだ。効果時間は相手の力量によって変わる。歴戦の強者である勇者たちには、一瞬だけしか効果がなかった。
しかしヘルミはニヤリと笑みを浮かべた。その一瞬を突いて、クリストファーとグラックが左右へ回り込んだ。彼らは勇者ふたりを闇脈魔法で挟撃し始める。
溶けた建物からはいまだに溶岩が飛来している。
三方向からの攻撃で防戦一方となる勇者のふたり。竹内はグランウォールを使用し、正面からの溶岩を防ぐことで精一杯だ。佐々木は左右から飛来する闇脈のファイアボールを障壁で防ぐだけとなっていた。
空に浮かぶヘルミへ意識を向けている暇もないようだ。彼女はそんな勇者たちを見て目を閉じた。闇脈に集中しているようだ。
しばらくすると彼女は目を開き、地上で防戦中の勇者へ語りかける。
「さようなら、勇者竹内」
ヘルミは少しばかり悲しげな顔で、闇脈魔法を使った。その魔法は広範囲に渡って深い穴を出現させた。底は暗闇になっており、どれだけ深いのか分からない。
佐々木も竹内も急に足場がなくなったことで、浮遊魔法を使うタイミングが遅れた。彼らが穴に落ちた次の瞬間、地面は元の姿へ戻る。そして、元から何もなかったように静けさを取り戻した。
そこには佐々木も竹内もいない。クリストファーとグラック、ふたりのバンパイアの姿も暗い穴に呑み込まれた。
しばらくすると融解した建物から発射される溶岩がとまり、竹内のグランウォールが解除された。駐屯地に渦巻いていた黒煙や有毒ガスは、風に吹かれて流されてゆく。
「大地の深い場所にはマグマが流れているわ。これで完璧ね」
ヘルミは自分の作戦に満足げな表情を浮かべ、ホッと一息ついた。
奈落は、広範囲の地形変化を引き起こし、対象を深い穴に落とす。
穴に何かが落ちた瞬間、地面は元の姿に戻る。これにより、落ちた者は穴から脱出できない。
対象物は穴の底は大地の深く、マグマが流れる危険な場所へ落とされてしまう。勇者だろうがバンパイアだろうが、生きて帰ることは難しいだろう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ヘルミはその場を後にし、スキル〝影渡り〟で海岸沿いを東へ移動していった。
日が沈んで辺りが暗くなってゆくと、ヘルミの姿も見えなくなる。
駐屯地から遙か遠くへ逃げ切ったところで、ヘルミはようやく姿を現した。
「ここから先は砂漠。ドワーフ軍に見つからないようにしなきゃ……」
月明かりが照らす砂漠は、砂の一粒まで柔らかい光を跳ね返している。そこを黒い影が移動していけば目立つことこの上ない。マラフ共和国から陸路でスタイン王国を目指すなら、ミゼルファート帝国を通り抜ける必要がある。
ヘルミは眉間にしわを寄せ、決意に満ちた表情でスキル〝影渡り〟を発動した。
そこに突然、暗い影が落ちてきた。
ヘルミは直感的に危険を察知した。夜空から落ちてくる巨大な黒い立方体が、闇脈魔法で形成されたグランウォールだと。
彼女はスキル〝霧散遁甲〟を使って逃げようと試みる。
「ああ……さすがね、勇者竹内。闇脈のグランウォールだと避けきれないわ」
空から落下してくる闇脈のグランウォールは、あまりにも巨大であった。その身を霧に変えても関係無いとばかりにヘルミを押し潰した。




