250 ドワーフ軍降り立つ
佐々木は、軍師ヘルミがルーン魔術を得意とする魔術師だと明かした。その情報を口にするまでには相当な躊躇があったようだ。この情報はデレノア王国軍の機密で、彼にとっては重大な決断だった。
軍師ヘルミはバインドルーンを使った呪いで、これまで数多の敵を従わせてきたという。
第一段階と第二段階では、意識と苦痛のルーンを複合させて、意識の喪失を引き起こす。
第三段階は、苦痛と困難のルーンを組み合わせて、身体全体に激痛を引き起こす。
第四段階では、破壊と生命力のルーンを組み合わせて、生命を絶つ。
段階を踏むことで、周囲に脅威を知らしめる効果と、軍師ヘルミの都合の悪いことをすれば対象の人物が死んでしまうという脅しになる。
逆に考えれば、まだ第二段階ってことだ。
「佐々木さん。ミッシーたちが助からないってどういう事ですか?」
悪いのは佐々木じゃないと分かっている。それでも、何となく睨み付けるような格好になってしまった。佐々木は頭をかきながら、竹内に説明を任せる。
「軍師ヘルミに危害が及ぶようなことをすると、それがトリガーになって呪いが発動する。すでに第二段階まで進んでるから、もう後がない……」
竹内はミッシーたち四人へ顔を向け、重々しい表情で話を続けた。
第三段階へ移行すれば、激痛に身体が耐えられず、生命活動が停止する場合も多いらしい。そして、そのトリガーは幅広く設定されていて、フェイクも混じっているという。
俺たちの行動は、見えない糸で縛られているってことか。この状況の重圧が、急に肩に重くのしかかってくる。
「ソータ、今回はお前を脅してるって事だ」
軍師ヘルミを追っているのは竹内だというのに、見当違いも甚だしい。
「何で俺への脅しだと分かるんですか?」
苛つきながら竹内に詰め寄る。
「それだよ。お前が一番怒っているじゃねえか。だいたいヘルミの手口は、家族を狙うんだが、お前、こっちに家族なんていないだろ? 俺と佐々木も、こっちで家族を作ってないからな」
「いや、います」
「はあ?」
「祖父がこっちに来てるんですよ」
「居場所は?」
「たぶん、スタイン王国です」
「サンルカル王国と戦争やってるとこか。そんなに場所が遠いなら、近場の仲間が狙われるだろうよ」
「だから何で、軍師ヘルミが俺の行動を制限するって思うんですか?」
「分からねえか? 俺と佐々木は、ヘルミの呪いが通用しない。ファーギたちがどうなろうと、ヘルミを追う。じゃあ、お前はどうだ? これ以上変なトリガー引いて、第三段階に移行させたいのか? どこにトリガーがあるのか分からない以上、追えないだろ?」
確かに追えない。それに、俺を狙ってトリガーを仕込んでいたと、何となく分かる。
俺が序列九位のビガンテと交戦したあと、ミッシーたちは呪いで昏睡状態になった。そのあと序列八位のラギニを倒してミッシーたちは目を覚ましたものの、また昏睡状態だからな。
「分かりました。それなら俺は――」
佐々木は俺の言葉を遮って話し始める。
「ソータくんのパーティーはさ、アトレイアの領主、マリーナから依頼を受けてたよね。スターダスト商会のマラフ共和国本社は僕たちふたりで潰したから、この国ではもうダメだろうね。つまり、依頼達成だ」
続けて竹内が話す。
「ソータ、お前は子爵エミリア・スターダスト、始祖ルイーズ・アン・ヴィスコンティ、このふたりを追うんだ。その先に魔女マリア・フリーマンがいるだろうよ」
佐々木と竹内なら、軍師ヘルミのトリガーに引っかからないということか。
考え込もうとすると、今度は佐々木が話し始める。
「僕たちは軍師ヘルミと子爵リリー・アン・ヴィスコンティを追うことにする。始祖磯江良美は、岡田くんたちが追ってるはずだし」
ミッシーたちの呪いが進行しないように、役割分担するというわけだ。
「了解です。俺はエミリアとルイーズを追います」
ただなあ……。足取りがまったく分からない。じーちゃんを捜しにスタイン王国へ行きたいのはやまやまだけど、いまはこっちを優先しよう。
「それじゃあ少し打ち合わせをしようか。リアムくん、君も一緒にね」
佐々木は医務室で堂々と作戦会議を始めようとした。すると、ドワーフの医者が眉をひそめ、『イノセントヴィクティムの会議室を準備するから、さっさと出て行け』と怒鳴り始めた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
首都トレビの広場や通りでは、デーモンによって引き起こされた破壊の後片付けが粛々と行われていた。人々とホムンクルスが手を取り合い、瓦礫をかき集め、壊れた建物を修復している。その顔には、困難を乗り越えた安堵と希望が浮かんでいる。
そんな彼らに黒い影が差す。
「おい、何だあれ!」
空を見上げたひとりの男が声を上げる。
空を埋め尽くすほどの空艇がゆっくり進んでいた。ドワーフ軍である。巨大な空艇母艦から様々な空艇が出撃している。
ドワーフのミゼルファート帝国は、商業国家マラフ共和国を陥落させるべく、首都トレビの占領に乗り出したのだ。
この街にはもはや、権力者たちの姿はない。
ティアラ社代表のクリストファー・ティアラ。グラック商会代表のグラック・ダン。両名は私兵を率いてスタイン王国へ向かっている。
アルフェイ商会のアルバート・アルフェイは、イノセントヴィクティムで拘束中。
実質無政府状態で、マラフ共和国軍も反撃するだけの装備は破壊し尽くされていた。その破壊者は他でもなく、ソータと佐々木と竹内だ。
アルバートが早まってラグナを攻撃した結果がこれである。
空艇の発着場に、ドワーフ軍が次々に着陸してくる。
マラフ共和国軍は、指揮系統が乱れている状態で、ドワーフ軍に反撃することもなく投降していく。
ミゼルファート帝国によるマラフ共和国への宣戦布告は、まるで劇的な舞台の幕開けのように、戦闘を交えることなくたった一日で無血開城となった。この出来事は、多くの人々にとって衝撃的なものであり、マラフ共和国のその後の歴史に大きな影を落とすこととなる。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
首都トレビを走り抜ける影がふたつ。その速さに街の人びとは気付くこともない。その影は街を抜け、南の街道を進んでいく。
スキル〝影渡り〟である。
周りは麦畑で人影はない。首都トレビにデーモンが出没したという話はまたたく間に周辺地域へ拡散していた。そのため行商人や旅の者は、宿場町で足止めを食らっているのだ。
ふたつの影は、宿場町も通り過ぎて南下していく。
しばらくすると、影の速度が落ちていき、やがてふたりの女性へと変わった。
軍師ヘルミと、ヴィスコンティ家の末っ子リリーである。
「ヘルミねーちゃ。おなかすいた」
リリーは舌っ足らずな喋り方でヘルミに声をかける。まだ六歳で甘え盛りのバンパイアだ。その無邪気な声には、これから待ち受ける運命の残酷さが全く感じられない。ヘルミは何故、彼女を連れ歩いているのだろうか。
「次の宿場町で、食事にしましょうか」
ヘルミは疲れを隠すように、作り笑いを浮かべて答えた。その目には、計算と不安が入り混じっている。スキル〝影渡り〟で、リリーも一緒に移動して、お互いに疲れている。
「うん、わかった! ママにも早く会わせてね!」
リリーは屈託のない笑顔を見せる。その無邪気な表情の裏に、彼女の知らない真実が隠されていた。ママとはつまり、ルイーズのことである。本物のルイーズはもうこの世にいない。ユハ・トルバネンがスキル〝変貌術〟で本物と入れ替わっているのだが、リリーにとっては何も関係なさそうに見える。
それはユハ・トルバネンがリリーを噛んだことで、血の契約による上下関係が発生しているからだ。
「もちろんよリリー。でも、これだけは本当にお願い。あなたのママ、ルイーズ・アン・ヴィスコンティ伯爵夫人に、わたしの事を恩人だと言ってね」
「分かってるよー! ヘルミねーちゃ、あたしを助けたおんじん!」
六歳児であれば、もっと上手く話せる。ヴェネノルンの血を飲んだことで、リリーは舌っ足らずになるという副作用が出ているのだ。
「ふふっ、ありがとう。ユハ・トルバネンの指示で動いてたのに、使い捨てにされてたまるもんですか」
ヘルミはボソリと呟くと、リリーは耳ざとくその声を拾う。
「ヘルミねーちゃ、何か言った?」
「んーん。何も言ってないよ。さて、もうひとっ走りしましょうか! 次の宿場町で食事しましょ!」
ヘルミは、まさか聞かれてしまうとは思っていなかったのだろう。顔をひくつかせながら話題を変える。リリーは少し疑うような顔で見つめていたが、空腹のため食事を優先した。
ヘルミは疲れた身体にむち打って影に変化しようとすると、突然周囲が光に包まれた。
「あれ? ヘルミねーちゃ、どこに行ったの? うっ……。熱いっ! ヘルミねーちゃ!! 熱いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」
急激に光が強まり、リリーの身体は炎に包まれた。彼女の絶叫が響き渡る中、その小さな体は瞬く間に燃え上がり、あっという間に灰と化していった。その悲劇的な光景の中、軍師ヘルミの姿は既に消え失せていた。
「逃したみたいだね。軍師ヘルミは、スキル〝影渡り〟を使ってる。あいつもヴェネノルンの血を飲んだバンパイアで確定かなあ」
涼しい顔で着地した佐々木は、街道の先を見据える。たった今滅ぼした子どものバンパイアなど気にもとめていない様子だ。
「グランウォールで潰せば早えって言っただろうが!」
同じく着地した竹内が愚痴を言う。
「こらこら、周りは麦畑だって。竹内くんのグランウォールだと、農家の方たちに迷惑かけちゃうでしょ」
「……そりゃそうだけどよ」
佐々木から正論を言われ、竹内は口をへの字に曲げながら、渋々と頷いた。
「どうやら南へ向かってるね」
佐々木の視線はクルクル動き回り、メガネを操作している。神の目で軍師ヘルミの行く先を追っているのだ。
「さっさと追うぞ」
竹内の声で、ふたりは浮遊魔法を使った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
一方で、軍師ヘルミは、スキル〝影渡り〟で必死に逃走していた。街道をひたすら走り、野を越え山を越え南下していく。
そして彼女はたどり着いた。海岸近くの、ティアラ社とグラック商会の駐屯地へ。
この二社は、ラギニの強引な命令でスタイン王国へ向かっている最中だ。しかし、あまりにも急な命令で、彼らは準備不足だった。そのため、物資を補給している最中である。
広々とした発着場に、巨大空艇がたくさん見えている。当然ながら、兵士たちもたくさんいる。駐屯地の入り口は警備の兵士が立っていたが、軍師ヘルミのスキル〝魂の鎖〟で簡単に操り人形と化した。
スキル〝精神誘導〟を使用しないのは、秘匿性を考慮するつもりがないためだ。
駐屯地の真ん中には石造の建物と、大きな格納庫がある。軍師ヘルミは操った兵士に案内させて、そこへ入っていく。そして彼女は楽々と司令室に辿り着いた。
「こんにちは。クリストファー・ティアラとグラック・ダンはどこ?」
「は? お前はだれ――あ、ああ、いらっしゃい」
クリストファーの言葉は、まるで糸が切れた操り人形のように、途中で不自然に口調が変わった。ヘルミの目が鋭く光り、スキル〝精神誘導〟の効果が瞬時に現れたのだ。
「……奥へ案内します」
隣にいたグラックも、丁寧な言葉で応じる。
執務室へ入っていく三人を見て、司令室の一同は顔を見合わせる。言葉の応酬があまりにも奇妙だったからだ。
しばらくして執務室から出てきたのは、クリストファーとグラック。彼らは司令室のみんなに向けて指示を出した。
「レブラン十二柱のラギニが死んだ。首都トレビもドワーフに占領された。時間がない。これからすぐに出発する!」
クリストファーはそう言って、司令室を見回す。
「行き先はスタイン王国で変更は無し。ただし、ルイーズ・アン・ヴィスコンティという人物と接触することを最優先とする!」
グラックも指示を出して、部下たちを見回す。
ここにいる者たちは全員商人だが、軍人としての経験も積んでいる。急な命令の変更もは慣れている。ヘルミの出現を不審に思っていた者たちも、直属の上司からの命令に従うほかなかった。
司令室の皆があわてて動き始めたところ、けたたましい警報音が響き始めた。




