249 バインドルーン
小さな金属球の集合体であるスチールゴーレムと、漆黒の鎧に身を包んだ、灰色の肌をしたデーモンが街で激突している。互いに神威と冥導をぶつけ合い、周囲の建物を次々と砕きながら戦っていた。
これは以前見たデーモンとは別格だ。この強さは、エリスに取り憑いていたアリスに匹敵すると感じる。
俺はそのデーモンに立ち向かおうとして足を止めた。
街の人々があちこちで倒れていると気付いた。彼らの救助こそが最優先だ。
俺はヒュギエイアの水を連続で打ち上げ、首都トレビに雨を降らせようとする。しかし、地上から飛んでくる数千の冥導魔法によって水は打ち消されてしまう。その効果も失われてしまう。
それならばと、神威で再びヒュギエイアの水を生成して打ち上げた。だが、結果は変わらなかった。
完全に対策されている。ビガンテも手強かったが、ラギニも侮れないな。
周囲を見渡すと、スチールゴーレムが次第に劣勢になっていた。それもそのはず、デーモンが街の人々に取り憑こうとしており、スチールゴーレムはそれを阻止しながら戦っているからだ。すでに取り憑かれてしまった人もいる。
急いで空間魔法を使って、デーモンを引き剥がそうと試みる。
ハッとして思い出す。神々によって、空間魔法による召還が制限されていることを。
仕方がない。風魔法で巨大な時間停止魔法陣を作り、首都トレビに落とす。
これで最低限の状況悪化を食い止めた。
時間の止まった街は、空気の動きさえ感じられない。呼吸が必要ない身体にうんざりしながら、デーモンに取り憑かれた人びとを集めていく。
そしてデーモンを取り除こうとするが、方法が分からない。
空間魔法を制限されたことが悔やまれる。イビルアイを使ったとて、結果は変わらないだろう。
そもそも時間停止による状態の恒久化は、時間停止の解除によってのみ取り消せる。
佐々木と竹内、彼らデーモン専門家の知識と能力が必要だ。そのためには、冥導転換魔法陣を使っているラギニを討たなければならない。しかし、ラギニを探すのは容易ではないだろう。
それに時間が止まったことで、街の人びとへの被害は抑えられたが、魔素も気配も何も感じられなくなっている。時間をかけて探すしかない。時間は止まってるけど。
まずは空から探そう。俺は浮遊魔法で空へ舞い上がった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
勇者たちによって焼き払われた冥界の森で、ラギニはゲートの先を眺めていた。彼女が放ったデーモンたちは、金属球の集合体という不思議なゴーレムと戦っている。
「神の目と、グランウォールは見たことがあるわ。けど、あのゴーレムは知らない。他にも勇者か、それに匹敵する力の持ち主がいると踏んで正解のようね」
突如ゲートの先の風景がピタリと止まった。彼女はゲートを移動させて、上空から地上を見下ろす。
「あの黒髪の男。あいつが時間を止めたの……? 魔力も何も感じないのに、まさかそんな事が! ということはスキル! いや魔法かな?」
時間が止まった首都トレビで動くものがあれば、すぐに見つかるだろう。ラギニは空を飛ぶソータの姿を発見し、驚愕し慄いた。彼女は少し考え込み、そして決断した。
「あいつに憑ければ、時間を止めるスキルが使えるわね。ふっ、ふふふっ」
ラギニの笑顔には、赤く濡れた唇が不気味に映えていた。そして彼女はゲートの先にある空間に、魔封殺魔法陣を使用した。
ゲートの先の世界――首都トレビは、時間停止魔法陣が解除されて動き始めた。空を飛ぶソータは慌てて時間停止魔法陣を使うも、ラギニの魔封殺魔法陣ですぐに解除されてしまう。
何度か繰り返した後、ソータは時間停止を諦めたようだ。
それを見たラギニは、一層笑みを深めた。
ソータは地上のデーモンに見つかって、集中砲火を浴び始めたのだ。
ラギニはゲートを操作し、ソータの障壁内部に繋げた。そこにはソータの後頭部が見えている。彼女は衝撃波を放ち、彼の意識を一瞬で奪った。
「おや? 障壁が解除されないわね。……でも都合がいいわ」
ソータは障壁内部で、仰け反るように倒れている。本来なら障壁は解除されるはずだ。ただ、地上のデーモンが放つ、いく千もの冥導魔法を防いでいるのは、ラギニにとって都合がいい。
彼女はホムンクルスの身体を捨て去り、黒い粘体へ変化した。それはゲートから流れ込んでいき、ソータの頭から全身を飲み込むように覆い尽くした。
ラギニの念話がソータの脳内へ届く。
『身体を食べるのは後回し。あなた、起きて名乗りなさい。そしたら取り憑いたままにしてあげるかも』
『この身体には、私が憑いてるの。空いてる席はないわ』
しかし返ってきた返事は、既に誰かが憑いているというもの。しかもその声は女性のものだった。
それはもちろんクロノスの声だ。
『えっ!?』
ラギニの声には、驚きと共に恐怖の色が滲んでいた。そして彼女は、周囲の時間が止まっていることに気付いた。意識が無いのに誰が時間を止めたのか。ラギニはすぐに理解した。
『あなた、ヴェネノルンの血を飲んだでしょ? デーモン、バンパイア、どっち?』
ラギニは頓珍漢な質問をする。
『飲んでないわ。それに、どっちでもない』
クロノスは、自身の正体を明かす気はないようだ。
『あなた、一体何者なの?』
『随分余裕ね。あなた身体に異常を感じない?』
クロノスの声で、ラギニは少しだけ疲労感があることに気付く。それは加速度的に大きくなっていき、黒い粘体に様々な異常を起こし始めた。表面は乾燥しボロボロと崩れ落ち、粘体自体が固まっていく。
黒い粘体のラギニは慌ててソータの身体から離れ、その姿を灰色のデーモンへ戻した。しかしその姿になっても、ラギニの肌が乾燥して崩れ落ちていく。
「あ、あなた、何をしたの!?」
時間の止まった世界。時間の止まった障壁内。そこでラギニは絶叫した。
ふたりとも障壁の中で向かい合っている。ソータの口から女性の声が発せられた。
「あなたの時間を早めただけ。今のあなたは、意識だけ普通の時間軸で、身体だけが一秒で百万年くらい進んでいるわ」
「ま、待って! あたしはそんなに長生きできな――」
時間を早めたと言っても、別に動きが速くなっているわけではない。正しくは老化を早めたと言った方がいいだろう。ラギニは急に老け込んで言葉も発せないほど弱っていく。
その経過をじっと見ながら、クロノスは激励する。
「ほら、まだ十億年よ。まだ頑張れるんじゃない? ……あれ?」
ラギニの体は瞬く間に老い衰え、最後の息を吐き出すと共に、灰色の砂となって崩れ落ちた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
後頭部に一撃を食らったところまでは覚えている。しかし、そのあと時間が飛んだような感覚がした。おまけに何だこの砂山は。
『ラギニです。始末しました』
『うおおっ!? マジで? 俺、不意打ち食らったの?』
『食らいましたね~。ほんと情けない』
『いやあ、すまんすまん。でも助かったよ。またデストロイモードで対処したの?』
『そ、そんなところです』
クロノスがラギニを始末したという事は、ミッシーたちの呪いが解けたはず。
地上からデーモンの攻撃が続いているので、もう一度時間停止魔法陣を使う。よし、今度は解除されなかった。やはり時間停止を解除していたのはラギニだったようだ。
続けてイビルアイを使ってみた。吸い込む対象はもちろんデーモン。
うん……?
周囲の時間が止まっているので、出現したイビルアイも止まったままだ。そうだ、時間停止だと状態が変わらないんだったな。
時間遅延魔法陣へ切り替えると、人びとに憑いたデーモンが引っこ抜かれて、ゆーっくりと空中へ舞い上がっていく。
あとはもう楽勝だ。イビルアイに吸い上げられるデーモンを片っ端から滅ぼして回った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
イノセントヴィクティムへ戻ると、ミッシーたち四人は既に目を覚ましていた。
医務室のベッドに寝かされたままだが、元気は良さそう。すでにヒュギエイアの水を飲んで体調万全だった。
リアムも駆け付けていて、仲間たちが勢揃い。バンダースナッチへ移動しようと話していると、ドワーフの医者が経過観察が必要だと言い始めた。
「呪いは周到に準備されたものが多い。ひとつ解呪されても、次の呪いがどこかで発動するやも知れぬ」
医者の言葉を聞いたミッシーが口を開く。
「そういえば、私たちはどこで呪われたんだ?」
医務室に重苦しい沈黙が落ちた。俺は呪いに関してもだが、この世界の様々な知識が不足している。呪いと言われて思い浮かぶのは、わら人形に釘を打つとか、そんな事くらいだし。
以前この世界の学校に行けとか言われたけど、そんな暇はない。
ミッシーは反応のない俺たちを見て話を続ける。
「ソータ、誰を倒した? それで私たちの呪いが解呪されたとしても、それがただのトリガーだとすれば――――」
ミッシーはベッドの上で白目を剥いて意識を失った。ファーギ、マイア、ニーナ、三人も同じく、意識を失っていた。四人とも心音に変化は無い。命に関わるような事態ではなさそうだ。
「これは……」
あまりの出来事にドワーフの医者が声を上げる。俺とリアムは、言葉を失ったまま、動くことさえできなかった。
医者は絞り出すように言葉を続ける。
「これは、呪いがいくえかに張り巡らされているようです」
その言葉にリアムが食って掛かった。
「いくえかにって何すか? 呪いって、上級者でも二つ三つが限界っすよね!」
「それは一般的なニンゲンが呪いを使ったときの話です……」
「一般的なニンゲンじゃないって、ソータさんのことっすか?」
おいおいリアム。俺じゃないからな? 変な流れ弾を受けつつ、医者の話を聞いていく。
「違いますよリアムさん。ファーギのここを見て下さい」
吐息をたてるファーギの額に、うっすらと何かの文様が浮かんでいる。幾何学的であり文字のようにも見える不思議なものだ。
「何の模様っすか?」
「これはバインドルーン。大昔、カヴンとハッグが使っていた呪いの文様です」
魔女マリア・フリーマン。魔女シビル・ゴードン。この二派か。地球で見た魔女もルーン文字使ってたな。
そうなると、ミッシーたちの呪いは、レブラン十二柱のビガンテとラギニによるものでは無い。もっと前に呪いをかけられていた可能性が出てくる。佐々木の考えは最悪の結果で当たってしまった。
カヴンとハッグ。このどちらかが、ミッシーたちに呪いをかけたとするなら、いつだろうか。
「ソータくん、置いてけぼりは酷いなー」
「心配なのは分かるけどよ、ドワーフの旗艦へ向かうくらい言ってけっての!」
ドアを開けて入ってきたのは、佐々木と竹内だ。そういえば何も言ってなかったな。
彼らは俺にブチブチ文句を言いながら、ミッシーたちの姿を目にした途端、顔色が変わった。
「おいおい、これって軍師ヘルミが使ってた呪いじゃねえか! あの野郎いつの間に!!」
竹内はミッシー、ファーギ、マイア、ニーナと順番に額を確認して、渋柿を食ったような顔になった。
「済まねえ、ソータ!! 俺がヘルミを近づけちまった!!」
竹内は俺の前に駆け寄って土下座した。
「そんなことしないで下さい。軍師ヘルミを倒せば済む話ですよね」
「そっす! ヘルミを探して、打ちのめするっす」
俺とリアムの声に続くものはいない。竹内も佐々木も医者も、俺たちふたりから目を逸らした。
「ソータくん……。とても言いにくいんだけどさ。ファーギたち四人はもう助からない」
佐々木の言葉に、一瞬思考が停止した。その意味を理解できずに、ただ呆然と立ち尽くした。




