248 冥導転換
眼下のデーモンどもは、スチールゴーレムに任せよう。彼らに念話を送って、対処できない大物がいれば、連絡するように伝えておく。イビルアイはもう意味を成さない。持続するのもしんどいので、いったん消しておこう。
俺、佐々木、竹内の三人は空中に浮いたままだ。
佐々木はいったん咳払いをして、話し始めた。
勇者たちは、彼らに加護を与えた女神ルサルカと何度も会っているらしい。そのたびに、神界の話を聞くほど仲がいいという。ただ、ここ五年間ほど音沙汰がなかったみたいだ。
最後に女神ルサルカと会ったとき、神界を支える蒼天が不安定になりつつあると聞いていた。風が吹くだけで重大なことが起こりうる。そのような状況になれば、神々の戦争が始まっているかもしれない。そのように言われたみたいだ。
佐々木は神妙な面持ちで言う。
「五年前に聞いた話では、エンペドクレスの陣営と、ディース・パテル陣営、このふたつが争っていたんだ」
「ディース・パテルって、冥界の神ですよね」
一応確認すると、ふたりとも頷く。
「どっちにしても、神界の話だ。俺たちには関係がない」
竹内のぶっきらぼうな言葉には、何の迷いもない。確かに、その通りだ。だが、気になる点が残る。
地球と異世界、それぞれには魔力と神威が対応している。
死者の都には、魔力と闇脈。
冥界では、魔力と冥導。
そして神界には、魔力と蒼天。
このように、各世界には異なる素粒子が対応している。
多世界解釈によれば、分岐する世界が近ければ、似たような特性を持つ。地球と異世界は、その一例だ。野良ゲートを通じて繋がっているほど、距離が近い。
異世界は、冥界や死者の都に類似している。リリス・アップルビーによれば、いろいろ混じり合った世界らしいが。
そういえば、地球にも冥界が存在していた。こっちは、地球に近い性質を持つ。
しかし、神界だけは異質だ。その世界の物質はすべて蒼天で構成され、さらには蒼天を用いて魔法生命体を生成するという、極端な特性を持つ。極めつけは、他人の魔法やスキルを制限できるという、出鱈目な力だ。
それこそが神である、と言い切ればそれまでだが。
しかし、なぜ神界の住人が他の世界に干渉してくるのか?
女神アスクレピウス、女神カリスト、女神ルサルカ、竜神オルズ、エンペドクレス、魔法陣の神クロウリー、鍛冶の神ヘファイス。そして、アダム・ハーディングやディース・パテルなど、知ってる名前だけでも多数。
単純に見えて複雑だ。神々の力は確かに偉大だが、それが他の世界の住人を洗脳している可能性もある。
実際、女神アスクレピウス、女神カリスト、女神ルサルカは、異世界の三大宗教の中心だ。
垣間見える答えがつかめない。何とももどかしい。
「何となく考えてることは分かるけどさ、答えは出ないと思うよ」
「俺たちは三十年考え続けても、答えは出てない」
佐々木と竹内の声に、我に返る。深く考え込んでいたようだ。
「そうですね。ヒントはあるけれど、答えが見つからない。そんな感じです」
「ははっ、僕らも同じ道を歩んできたよ。考えすぎると、竹内くんみたいになるから気をつけてね?」
「あ? 何のことだ?」
佐々木は、明らかに空気を和ませようとしている。俺も頭を切り替えて、現実を直視しよう。神界の事象に頭を悩ませても、時間の無駄だ。
「仲がいいですね。それはともかく、レブラン十二柱の序列八位、ラギニを探しましょう。それと、相談があります――」
俺は続けた。ミッシー、ファーギ、マイア、ニーナの四人が呪いによって目を覚まさない状態で、現在ドワーフ軍の旗艦イノセントヴィクティムで治療中だと。
佐々木と竹内は、「心配するな」と励ました。呪いには多種多様なものがあるが、解呪の方法もまた多い。錬金術で作った薬、魔法、スキルなど、治すための多くの手段がある。
「ただ、呪いの元凶を討たないと、根本的な解決にはならないこともあるんだ。解呪しても目を覚ますことがない場合、それが原因さ。ソータくんの話からすると、ラギニかビガンテ、この二体が怪しいね。でも、呪いをかける方は細心の注意を払い、慎重な行動を取るからね。ラギニとビガンテを隠れ蓑にしている第三者が存在する可能性を排除しないようにしなきゃ」
佐々木はこれまでの経験から、そのように推測した。さすがだ。
「確かに。お前が呪われたときも、大変だったからな」
竹内は、過去の出来事に思いを馳せた。
「昔話はこの辺にしよう。今は違う状況だ。ソータくん、僕はレブラン十二柱の一体を神の目で倒した。ビガンテとラギニ、どっちか分かるかい?」
「ビガンテです。序列九位と言っていました」
俺の言葉に、竹内は獰猛な笑みを浮かべた。
「ならば、ラギニを倒せば、この街は一安心。お前の仲間たちも目を覚ますかもな」
その言葉に、佐々木も意を決したように頷く。
「それではソータくん、三人で連絡を取り合いながら、ラギニを探そう」
佐々木の穏やかな声に導かれ、空に浮かぶ俺たちは、それぞれ別の方向へと散っていった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ソータがイビルアイを消した瞬間、首都トレビの軍事施設には数多のデーモンが出現した。その瞬間を待っていたように。
発着場に停泊していた巨大空艇は、すべて神の目によって壊滅。飛行可能な空艇は一切残っていない。
そのため、デーモンたちは空からの攻撃を避けるべく、広大な格納庫に身を隠していた。空間魔法で拡張されたそこでは、約一万体ものデーモンが集結していた。
「我らデーモンの進出を阻む者がいるのよ。あの忌々しい勇者たち! イビルアイの使用者も、間違いなく彼らだわ! だからこそ、今回は軍団長クラスの皆様にお集まりいただいたの!」
ラギニは妖艶な笑みを浮かべながら、拡声魔法を活用してその言葉を広めた。彼女は冥界から帰還し、強大なデーモン軍を異世界へ招いていたのだ。その場にいる灰色の軍団は、ほぼ全員が一騎当千の戦士。
ラギニは勇者二人の特徴を詳述し、彼らを何が何でも討伐するよう強く促していた。その灰色のデーモンたちは、一様に黒い装備で身を固めていた。これはラギニが事前に計画していたものではなく、急きょ考えたものだ。
彼女の演説は、若干言い訳がましい要素を含んでいる。いまの状況は彼女にとっても予想外だった。そんな中で、一体のデーモンが質問を投げかけた。
「レブラン十二柱ラギニ様、我々のホムンクルスが未完成なのに、なぜ計画を前倒しにしたのですか? また、我々はスタイン王国への派兵を予定していたはずですが?」
「その点については、許可を得ていますわ」
「誰からですか? 我々は序列五位、ピコ様の配下であると認識していますが」
「……黙って私に従いなさい」
ラギニの態度が一変した。彼女は殺気を纏い、これ以上の質疑応答を許さないという姿勢を見せた。その様子を察したデーモンたちは、言葉を濁すしかなかった。
その後、ラギニは得意げに続けた。
「私が描いた冥導転換魔法陣によって、この街全体がその効果範囲に収まっているの。何も心配する必要はないわ」
灰色のデーモンたちは、その言葉によってラギニの力量を改めて認識した。冥導転換は冥導の固有魔法陣であり、イビルアイに匹敵する高難度の魔法陣である。
その効果は、指定範囲内の魔力をすべて冥導に転換するものである。
ざわめいていた灰色の軍団は、次第にその声調を変え、ラギニを讃えるものへ変わってゆく。やがて歓声に変わり、その声は格納庫全体に響き渡った。
それを確認したラギニは、満足そうに頷き、冥導転換魔法陣を起動させた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ホムンクルス工場に到着すると、スチールゴーレムたちはすでに施設の制圧を完了させていた。ラギニが先に来ると予想していたが、その気配は感じられなかった。
スチールゴーレムからの念話で「これからどうする?」と問われたので、周囲を警戒しながら待機するよう指示を出した。スチールゴーレムは自律行動が可能だから、放っておいても平気だろう。
首都トレビに戻る途中、突如として魔力が冥導に変わった。何だこれ。まるで素粒子が別の素粒子に変わったかのような感覚だ。危うく落下しそうになったが、神威を使用した浮遊魔法に切り替えた。
『大丈夫かい、ソータくん』
佐々木から念話が入った。
『平気です。魔素が消えるなんて異常ですよね?』
その直後、竹内から念話が届いた。
『いつつ……。急に魔素が消えて紐なしバンジーをやっちまった』
『竹内くん、さっき神威結晶を渡したよね?』
佐々木は苦笑しながら、竹内を揶揄するように言った。
『あ、そうだった。神威で浮遊魔法使えばいいんだったな!』
『本当に、頭大丈夫?』
『うっさいわっ!』
念話が三者三様に交錯する。佐々木と竹内の会話から、魔力が冥導へ変換したのが、俺の体調のせいでは無いと分かった。が、魔素が冥導へ変貌したとすれば、本当に異常事態だ。
佐々木は神威結晶を生成できる。それは人工衛星神の目からも明らかだ。そして、神威を使いこなしている。そのため、魔力が消失しても、神威に切り替えて浮遊魔法を使用できた。
一方で、竹内は神威結晶を持っているにも関わらず、魔力の喪失に対する対応が遅れた。もしかすると、単に忘れていたのかもしれない。
そんなことを考えている最中、首都トレビのスチールゴーレムから念話が届いた。街の人々が一斉に意識を失っているという。人間だけでなく、ホムンクルスも同様に意識を失っているらしい。
『佐々木さん、竹内さん、そっちで何が起きてます?』
俺は現在、ホムンクルス工場を出発して首都トレビに向かっている。
『申し訳ない、僕のミスだ。この街に存在していた冥導転換魔法陣を見落としていた。そのせいで街の人々が魔力を失って倒れている』
『俺が落ちる前、街の道路を使って描かれた巨大な魔法陣が一瞬光った。そのタイミングで魔力が冥導に変わったみてえだ』
『怪しいですね……。もう一度イビルアイを使います』
冥導といえばデーモンだ。人々の魔力を冥導に変えるとか、悪い予感しかしない。
首都トレビの上空に、直径五十キロメートルのイビルアイを出現させる。
これでさっきと同じく、デーモンを吸い込んで――おっ!?
地上からイビルアイに向けて、様々な冥導魔法が発せられた。土、火、風、水の四大元素が渦を巻くように混ざり合い、イビルアイに激しく衝突した。
巨大な眼球――イビルアイは形を歪ませ、縦に伸びたり横に広がったりして、弾けるように消えてしまった。途端にごっそりと冥導が減る。
もう一度イビルアイを使ったが、同じ結果となった。
これって完全に対策されてるな。
『ソータくん、イビルアイはいいから、スチールゴーレム作れないかい? 街の人々がデーモンに襲われてる!』
佐々木の緊迫した念話で、俺は浮遊魔法の速度を上げた。
『すまねえソータ。ふたりじゃちと手が回らねえ! ――うおっと! ラギニと遭遇した。これから街の外に誘導してこいつを叩く!』
竹内はそう言って念話を切った。すぐさま郊外の方で巨大なグランウォールが現われた。あそこでラギニとの激しい戦闘が幕を開けたようだ。
四の五の言ってる暇はない。首都トレビの上空に到着して、俺は追加で一万のスチールゴーレムを創り出した。




