247 エンペドクレス
首都トレビはいま大事な局面を迎えているというのに、こんなことに付き合っていられない。首謀者のひとり、アルバートは拘束したが、肝心のラギニの行方が分かっていない。そして、ここが多世界解釈における別の世界だとすれば、イビルアイが解除されている。
さっさと転移して戻ろう。
お。……転移魔法が使えない。空間魔法を制限されたときと同じ感覚がした。んじゃゲート魔法と思って試すも、結果は同じ。瞬間移動も使えない。
それに、身体が重く感じるのは何でだ。瞬きをするのもおっくうなくらい、極度の疲労を感じる。
そうこうしていると、広場に二本の角が生えた象が姿を現した。転移してきたような感じでは無く、魔法で生成されたような不思議な現れ方だ。なんというか、神様力の無駄遣いな気がする。
象は俺を得物として見据え、砂を巻き上げて一気に走り始めた。
そんな突進してきてもねえ。
念動力で握り潰そうとしたが、何の手応えもないことに気付いた。
拙いな。これも制限された気がする。
ふと気付くと、象の角が突き刺さる寸前だった。
でも象の突進だ。身体がだるくても、角は簡単に避けることができた。
駆け抜けていく象の尻をファイアボールで吹き飛ばそうとすると、これまた不発。
身体強化も使えない。スキルも制限されてしまった。
スキル、魔力、神威、冥導、闇脈、すべて潰された。
このせいで身体が重く感じているのだろう。
残るはアイテールのみ。何の縛りプレイなんだよ。試されている気がするけど、神様たちの意図は分からない。
確かなのは、象が俺の命を奪おうとしていること。
『蒼天を使ってください』
いやいやクロノス、蒼天ってなによ。確かに空は青いけどさ。
象は急反転し、砂塵を巻き上げながら迫ってきている。
すると象の目が赤く輝いた。
「うおっと!?」
危ねえ。ギリで避けたけど、今のは危なかった。
象の目からビームとかあり得ないっしょ……。
反則だと言っても取り合ってくれないだろう。審判なんていないし。
観客席の神々は、目からビームで大いに沸いている。
うん。でもこの世界での身体の使い方が分かってきた。
そして、象の動きも。
こいつは、観客席にビームが飛ばないよう、斜め下に撃ってきた。
勝機はある。
目からビームを避けながら、象の視線を上に向けさせるため、長い鼻に掴まって頭の上に飛び乗った。
象の目はしっかりと俺を捉えているが、神々への攻撃にならぬよう、目からビームを放ってこない。
俺を振り落とそうと、頭を激しく振り回してきたが、ワイヤーのように硬い体毛にしっかり掴まって耐える。
一瞬の隙を突いて右の拳を振り上げ、象の目玉を突いた。
激痛に耐えられなかったのだろう。飛び上がって痛がる象から離れて様子を見る。
隙だらけだ。きめの細かい砂を投げ付けて、もう片方の目も潰す。
これで目からビームと視界を奪った。
けど、ここからとどめを刺すすべはない。
観客席からブーイングが聞こえてくる。
神様たち、お行儀が悪いですよ。
てか、また身体の使い方が分かったうえに、身体が少し軽くなる。
何だこの感覚。
象は視界が無くなって矢鱈滅多に暴れている。
俺はその右前脚にローキックを放った。
ニンゲンが象の脚を蹴ったくらいで、本来なんら影響はないだろう。
しかし、身体の使い方が分かってきたことで、かなり強烈な蹴りを食らわせることができた。象の脚の骨が折れる感覚がした。
しかし、そこまでのようだ。象の姿は、泡となって消え去った。
……ここはダンジョンなのか? いや、まだ分からん。
そしてまたしてもブーイング。神様たちは何を求めているのか。
そんなことを考えていると、円形闘技場に声が響き渡った。
『皆さん! お分かりいただけましたか?』
女神アスクレピウスの声、というか全方位へ向けた念話だ。効率のいい使い方するなー。スクー・グスローの念話攻撃より全然いい。
『あたしのソータは、大したことありません!』
いきなりディスられた。
『よって、制限の解除を求めます!!』
はあ? これって魔法やスキルの制限を解除するため、わざわざ裁判みたいなことやってたってこと?
『その通りです、ソータ。神々の約定により、裁判が行なわれることを明かすわけにいきませんでした』
今度は直接念話が届いた。他に聞かせたくないってことか。というか、女神アスクレピウスまで、相当離れているけど、それでも俺の心の声を読んじゃうんだ……。
かなわないなー。
『空間魔法での召還だけは譲れん!』
雷のような全方位念話が脳内に響く。今のはだれ? 念話はどこで喋っているのか分からないのが難点だ。声さえ知っていれば、誰かくらいは分かるんだが。
竜神オルズの姿が見えた。あいつ俺を指さして笑ってやがる。俺をアイテール化した、女神カリストの姿も発見。精霊から神様に昇格したみたいだな。
観客席のチェックをしていると、神々の念話が入り混じって騒がしくなっていく。俺の魔法とスキルを解除する解除しないで言い争っているのだ。仕舞いには、口喧嘩のような念話が飛び交いはじめ、収拾がつかなくなっていった。
よく分からんけど、分かったこともある。
神様たちって、めちゃくちゃ俗っぽいもんだと。
あー、首都トレビが気になってしょうがない。
念話の口喧嘩は厄介だ。耳を塞いでも聞こえるんだから。
闘技場のまん中で立ち尽くしていると、知っている魔物が生成された。ベナマオ大森林で見た、コイルサーペントだ。だが、まえ見たときよりはるかに大きい。全長五十メートルはありそうだ。
そいつはチロチロと舌を出し、つぶらな瞳で俺を見ている。縦に裂けた瞳から神威を感じることができた。身体がだいぶん慣れてきたようだ。
キマイラと象からは、魔力とか全く感じなかったからな。明らかに魔法で生成された、擬似的な生物だというのに。
コイルサーペントは、砂地の上を滑るように動き出した。狙いは俺だ。その動きは素早いが、目で追えないほどではない。
あ、砂に潜りやがった。
細かい砂の粒子が噴き上がって、アイテールの風に舞う。
拙いな。足元から口を開けて飛び出してきたら、簡単にのみ込まれてしまう。それほどにコイルサーペントは大きかった。
コイルサーペントは地下十メートルあたりで大きな口を開け、砂を飲み込みながら上昇してきた。その速さは少し前の俺なら対処できなかっただろう。
走って逃げようとすると、久し振りに周りの時間が遅延した。
俺を中心に半径二十メートルほどの砂が、ゆっくりと盛り上がってくる。左右に少しだけ見えているのは、コイルサーペントの鼻とあごの先っぽだ。
その頃にはすでに、俺の体内にある魔力を感じ取ることができていた。噴火したように魔力が増えていく。
浮遊魔法を使ってみると成功。俺は上空へ逃げた。そのときには時間の感覚が戻っていた。しかしコイルサーペントは、砂の中からものすごい勢いで上昇してくる。
だからといって食われてやる趣味はない。
拳に魔力を集中させ、コイルサーペントの顔面に渾身の一撃を放った。
ゆっくり倒れていくコイルサーペントを見ながら、前にもこんな事があったと思い出す。頭部はへこみ、そこから焼けていく。黒い焦げはどんどん広がっていき、コイルサーペントの形をした炭が出来上がった。
前より強烈だな。あのときは確か、川まで逃げていったし。
そんな様子を見学していた神様たちは静まり返っている。
『おめでとう、ソータ!!』
全方位の念話が聞こえてきた。これはオルズの声だ。さっき見た場所へ顔を向けると、オルズひとりだけ立って拍手をしていた。
『なんだよ、おめでとうって』
オルズに直接念話を飛ばす。
『これでお前が神へ昇華したと、誰もが認めざるを得ない』
『神になったつもりはないんだけどな』
『お前、身体がアイテール化してるだろ? それは普通にあり得ない事なんだ。ニンゲンなら身体も精神も耐えられず、死んでしまう』
『はあ? マジで?』
『マジマジ』
『クッソ、女神カリストは、俺を殺すつもりだったのか!』
『そうとも言い切れないな』
『何で?』
『詳しい状況は知らん。しかし、お前の言い草から察するに、大精霊カリストの神域へ招かれたんだろ? そんときアイテール化された。合ってるかこれで?』
『うん、そんな感じだった』
『大精霊カリストは、神へ昇華する前に大きな実績を残した。それは神の候補を創り出したこと。それはお前のことだ。なに、カリストもバカじゃない。ソータはたぶん死なない、そう思ってアイテール化したんだろうよ』
『ほーん……。って、いちかばちかの賭けじゃねえか! おまけに成功したから実績って、俺はカリストのダシかよ!』
『まあ、そんなにカリカリすんなって。今から審判が下る――――』
あ、念話切りやがった。
ふと気付けば、観客席の神々は立ち上がって拍手喝采だった。すると高い位置にある貴賓席から、ひとりの神が空を舞った。
――――ズドン
その神は俺の前に砂を巻き上げて着地して、ぎろりと睨み付ける。
「我はエンペドクレスだ。神界へようこそ」
男神かな。きれいな顔なのに、野太い声で話しかけられた。さっき、雷のような念話を放った神だ。
エンペドクレスの瞳は、深遠なる宇宙の闇を思わせる漆黒に、微細な金色の線が織り込まれていた。その目は、圧倒的な存在感と威厳を感じさせ、同時に未知の知識と叡智を秘めているかのように感じた。
肌は青白く、その色合いは月明かりに照らされた氷河を彷彿とさせ、時間と空間、そして自然の要素を超越した存在であることを示しているように見える。
髪の色は変幻自在なのか、七つの色が次々に入れ替わっている。
「初めまして、ソータ・イタガキです。いまいち状況が分かってませんが……」
応じると、エンペドクレスの威圧的な眼差しが、ふと和らいだ。
「確かにそうだな。しかしソータよ、お前のように色々な手順を飛び越えて神へ到ったものは初めてだ。我らも手探りで対処している。そこは理解してくれ」
「はい……」
目の前にいるだけで、跪きそうになる。これが神の力なのか。
七色の髪の毛の上には煌々とした冠を戴き、その冠には宇宙の法則を象徴するかのような神秘的な記号が刻まれている。
ローブは流れるようなシルクと金糸で織られ、その動きに呼応して色彩と形状が絶え間なく変化する、神秘的な衣装だった。
「神に到ったと言われても、実感がわかない。そんな顔だな」
「その通りです」
「まあ、何とかなるだろう。ソータ・イタガキ、お前の好きにするがよい」
「えっ、それはどういう――」
『ソータ・イタガキのスキルと魔法の制限を解除する。しかし、空間魔法を使った召還だけは禁ずる!』
全方位の念話が雷のように響き渡る。同時に観客席が沸いた。またしても拍手喝采だ。
これは、俺が神になったことを受け入れられている、ということかな?
『これにて閉廷する。これより防衛戦の準備に入る!』
は? 防衛戦?
「心配するな。お前を元の世界へ戻そう。再会を楽しみにしている」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「うおっ!?」
視界が切り替わると、空から落ちるところだった。慌てて浮遊魔法で落下を止めた。
「あっらー、もしかしてさ、いま呼ばれてたのかい?」
頭上から佐々木の声が聞こえてくる。そういえば神の間に呼ばれるとか言ってたな。
あれ? 時間も経ってないぽい。ここを離れる前に見た、スチールゴーレムたちの位置が変わっていないのだ。
「ソータ、赦してもらえたか?」
今度は竹内の声がする。話しにくいから、浮遊魔法で上昇していく。
「竹内さんと佐々木さんは、知ってるようですね。あれはいったい何なんですか?」
「あれはね――」
佐々木が説明してくれた。
彼ら勇者は、女神ルサルカの加護を受けている存在で、これまで数々のデーモンを倒してきた。それはもう、この世界の人びとが嫉妬するほど、圧倒的な力をもって。
そんなある日、佐々木は神々が並び座る、石造の法廷へ召喚されたそうだ。そこで佐々木は力を使いすぎると、世界の法則が変わってしまうので、控えるようにと警告を受けたらしい。
それは佐々木だけではなく、勇者たちは順番に法廷へ呼び出されたらしい。一様に力を使いすぎるなという警告があったみたいだ。
俺が呼び出された場所と違う。
それと、とても残念だけど、神々がこの世界にあまり関心を持っていないことも分かった。それは磯江良美のような存在が野放しになっていることで明らかだ。
勇者や俺みたいに、ばかすか魔法を使っていると、世界の法則が捻じ曲がると言って注意されるけど、その他の善悪に関しては何も言ってこないらしい。ただし、大物のデーモンなどは厳しく取り締まっている。それこそ全力を以て叩き潰すらしい。
神の御心は気まぐれなのか。
「どうしたんだい、そんな顔して」
「あ、いや、神々が魔法やスキルを制限してくるなら、デーモンとかも魔法を制限すればいいのにって思ったんですよ」
「ああ、僕たちは僕たちで、その話を何度も繰り返してきたさ……」
「……何度も? つまり結論が出ないと」
「そうそう。盗人にも三分の理。というか、神様たちは手が回らないんじゃないかな。長いこと二つの陣営に分れて争ってるみたいだし」
「そんなこと言ってましたね。防衛戦はじめるとか」
「神と神の戦いだからね。でも、いずれ声がかかるかもしれない。エンペドクレスに会ったんだろう、ソータくんも」
「ええ、会いました。でも、佐々木さんたちと違って、円形闘技場みたいな場所で、魔法生物みたいなやつと戦わされました」
そういうと佐々木と竹内は顔を見合わせた。彼らが呼ばれた場所と違うからだ。でも同じ裁判だから、場所が違うこともあるだろう。
「女神ルサルカにはお目にかかれたかい?」
佐々木は慌てた様子で話しかけてきた。
「いえいえ、すり鉢状の円形闘技場に、神様たちがたくさんいたので、知ってる神様くらいしか分かりませんでした」
そう言うと佐々木は考え込んでしまった。
「ソータ、蒼天は感じたか?」
竹内がクロノスと同じ事を聞いてきた。
「なんですかそれ? 青空ならありましたよ?」
「違う。魔力や神威みたいなやつだ。神の力の根源とでも言えば分かりやすいか。別の言い方をすれば、アイテールってやつだ。それは普段静かにしているんだが、たまに揺らぐことがある。そしてアイテールの風が吹くようなら、重大なことが神界で起きている」
蒼天ってそういう意味か。いつもなら、クロノスが教えてくれるんだけど、神界でひと言喋っただけだ。調子悪いのかな?
――――自己暗示はもうやめよう。目を逸らすのはやめよう。
蒼天は素粒子だ。その本質がおぼろげながら見えてきた。むしろ蒼天を使った魔法も使えるはずだ。
お前は神へ到った、なんて言われて「ニンゲンでは無いお前は」って言われた気がしたんだよな。
心を奮い立たせ、気持ちを切り替えよう。
「円形闘技場では蒼天の風が吹いてました」
「それ本当かい!」
俺と竹内の会話に、佐々木が割り込んできた。それも必死な顔で。
「顔、近いですよ」
「あっ、ごめんごめん」
「蒼天の風が吹けば、重大なことが起きるってなんです?」
俺がその事を口走ってから、佐々木は慌てはじめた。竹内も緊張した面持ちに変わっている。
「長きにわたり対立してきた神々が、ついに全面戦争へと踏み出したのかもしれない。最後に女神ルサルカから呼ばれたのは、もう五年前になる。そのときそう言ってたんだ」
すごい真面目な顔で勇者佐々木は訴えてくる。
けど、そう言われても、いまいちピンとこない。神様の戦争なんて想像もできないし。とりあえず話を聞いてみよう。そう思って佐々木に話の先を促した。




