245 それはもう別人
首都トレビでは、各家庭に必ず一体以上のデーモンが住み着いていた。そして、その事を口外しないよう厳命されていた――さすれば家族の命を保証するという、偽りの条件の下に。
この状況は三大商会――特にアルフェイ商会を筆頭とする組織――が行なった大犯罪の結果である。
アルフェイ商会は誘拐を実行し、その後ラギニが脳神経模倣魔法陣を使ってホムンクルスを作成する。誘拐された者たちは冥界へと送られ、デーモンの食糧となる。
そして、ラギニが引き連れてきたデーモンは、完成したホムンクルスに憑依するのだ。
この一連の流れは、人々が気付かないように夜の闇に紛れ、細心の注意を払って行なわれた。
気がつけば、首都トレビの半分以上がデーモンに憑依されたホムンクルスで埋め尽くされていた。
「……せっかくの計画が」
冥界から様子を見に戻ったラギニは、呆然として呟いた。
獣人自治区での失敗を教訓に、この計画はラギニが主導していた。ホムンクルスにヴェネノルンの血を与えれば、レブラン十二柱が憑依しても冥導が漏れることはない。神々に見つかる危険性が無くなったのだ。
さらに驚くべきことに、ヴェネノルンの血を与えたホムンクルスの基本性能が大幅に向上していたのだ。デーモンが人間に取り憑くよりも、はるかに強力なデーモンが現世に現れることができるようになったのだ。
この発見の功績者はエミリア・スターダスト。現場では随分と見下していたというのに、彼女はラギニのお気に入りである。
だが今、ラギニの目の前に広がるのは信じられない光景だった。
巨大空艇の格納庫で、先ほどラギニが連れてきたホムンクルスからデーモンが消失していた。
デーモンが消え去れば、ホムンクルスは脳神経模倣魔法陣によって作られた人格で動く存在へと戻るのだ。
その人格が模倣であるとはいえ、この街の住人たちの人格である。ラギニが連れてきた民間人たちは、正気を取り戻し、慌てふためきながら基地を後にした。
それだけならまだしも、ホムンクルス化した正規兵たちからも、デーモンが消え去っている。そして、ホムンクルスとはいえども、デーモンに憑依されていた記憶は残っているようだ。
格納庫で立ち尽くすラギニへ、魔導ライフルが向けられていた。
「ふふっ……甘く見られたものね」
冥導のウインドカッターが、格納庫内の兵士すべてを切り裂いた。彼らは悲鳴をあげながら絶命していく。それはホムンクルスとは思えないほど人間らしく、生々しい叫び声だった。
ラギニは彼らを一瞥し、現状確認のため格納庫から外へ出てふたたび絶句した。しばらくすると枯れ枝が折れるような声で、深い失望と驚愕を込めて呟いた。
「イビルアイ……あんな巨大なもの見たことがないわ。まさかラコーダがっ!?」
ラコーダはレブラン十二柱の序列一位のデーモンだった。獣人自治区の戦以降、ラコーダは姿を消して行方不明になっている。そのためレブラン十二柱は再編成されていた。
上空のイビルアイはソータの魔法だが、ラギニはそんな事知るよしもない。何が起きているのか確認するため、ラギニは慌ててゲートを開き、その中へと飛び込んでいった。
その直後、閉じたゲートに神の目が突き刺さり、地面が融解していく。屋外へ出た途端、ラギニは佐々木に見つかっていたのだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
一方、首都トレビは大混乱に陥っていた。空に広がるイビルアイがデーモンを吸い込む光景は、まるで終末を予感させるものだった。その巨大な瞳が上空でゆっくりと回転するたび、ホムンクルスに憑依していたデーモンがひとつ、またひとつと消えていく。
さらに、街中で影魔法が暴れ回っている。明るい石畳の地面を黒い影が這いずり回るという異常事態に、人々は恐怖と混乱で目を丸くしていた。影が動くたびに、街ゆく人々は悲鳴を上げ、飛び退いていた。
しかし、この事態にも早々に適応する者がいた。それは、デーモンが抜け去った後のホムンクルスたちが、事情を説明し始めたからである。
私たちは、僕たちは、ホムンクルスだけど、元の人物の記憶を持っているんです。だから、受け入れて欲しい。
彼らは口々に訴えた。その言葉には切なさと誠実さが込められていた。
冒険者、屋台の店主、宿屋の女将。様々な立場のホムンクルスたちが、その事実を明かした。そして、その告白には深い悲しみと後悔が感じられた。本物の方は、すでに冥界に送られているからだ。
これまでデーモンに脅されて口を閉ざしていた人々は、様々な反応を見せた。しかし、概ね受け入れる方が多いように見えた。特に子どもたちは、ホムンクルスたちを受け入れやすかった。
次第に混乱が収まっていくと、灰色のデーモンが転移して街中に現れた。イビルアイから逃れてきたようだ。すると、周囲を這いずり回っていた黒い影が、デーモンに攻撃を始めた。黒い影は一瞬でデーモンを屠り、水をかけて立ち去っていく。その水は神秘的な輝きを放っていた。
影魔法を知らない人々も、それがデーモンを滅ぼすために動いていると理解した。そして、天から時折降る光は、柔らかく神秘に満ちていた。その光が地面に触れると、デーモンと共に地面が溶けていくが、その場には神々しい気配が漂い、人々を安心させた。
街の混乱は急速に解消されていき、人々の顔には少しずつ安堵の表情が浮かび始めていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
首都トレビのデーモンは、ほとんど全滅させた。さすがにしんどいな。あとは勇者ふたりに任せよう。
イビルアイを維持したまま、影魔法を消す。デストロイモードがあってよかった。どんな仕組みなのか知らないけど。これのおかげで乗り切れた気がする。クロノスが勝手に作った機能とはいえ、最近お世話になりっぱなしだ。
『どういたしまして』
心なしかクロノスの声が冷たい。こういう時は、あまり聞かない方がいい。なんで? どうして? なんて聞いてしまうと、状況が悪化するのが常だ。
『そんなに気を使わなくて結構です』
心を読むなっての。
とりあえず気持を切り替えよう。
転移して脱出してくるデーモンが割と多い。そこら中で神の目が光の柱を作っている。竹内は何やってんだろ。
彼らの支援をするため、スチールゴーレムを百体創り出した。中の神威結晶は、誰かが触れば分解して消えるように設定しておく。
俺の脳神経を模倣したスチールゴーレムから念話が届く。何すりゃいいのかと。
『この街の周囲を張り込んで、転移してきたデーモンを滅ぼしてくれ』
脱出しているデーモンは、何度もイビルアイに吸い込まれている。イビルアイの効果範囲が、この街限定だと気付いたデーモンは、簡単に逃走してしまうだろう。
分かりましたという旨の念話が返ってくると、彼らは次々に転移して消えていった。
「あ~、しんど」
あお向けに寝転ぶと、網目状の目玉が目に入る。何とも風情のない景色だ。たまにパラパラと吸い込まれているのは、転移を繰り返しているデーモンだ。
イビルアイの効果範囲だと、スキルも魔法も使えない。魔力の使用効率百パーセントの者だけが、かろうじて魔法が使える。闇の矢を使っていたビガンテは、冥導の使用効率百パーセントってことだ。
浮遊魔法で俺の視界を横切っていく佐々木と竹内も、使用効率百パーセントってことか……。いや、待てよ。彼らの魔力が感じられない。
ぐっと目を凝らしてみると、いつもと違う装備をつけていると分かった。あの白銀の鎧が彼らの魔力の使用効率を上げているのだろう。
このままちょっと寝てしまいたい気もするけど、そうはいかない。
「あの……」
ずっと俺の背後に立っていた気配が声をかけてきた。さっき話した奥さんだ。起き上がって振り向くと、お盆にお紅茶を乗せていた。ああ、申し訳ないことをした。目を閉じたまま集中していたので、そこまで気付かなかった。
「もうデーモンは大丈夫です。ただ、おばあさんに関してはもう――」
「はい。ちゃんと理解してますよ」
奥さんは俺に歩み寄り「一息ついてください」と言って、紅茶を差し出す。ちょうど喉も渇いていたし、ありがたくいただいた。
しばらくの沈黙の後、彼女はポツポツと話し始めた。デーモンが抜け出たホムンクルスはどうなるのかと。
正直言って分からない。
それまでいた人物と同じ顔、同じからだ、同じ記憶。それは作り物のホムンクルスだ。残された家族や友人が、ホムンクルスに対してどんな行動を取るのか。奥さんは、それが心配でたまらないという。
こればっかりは、時間が経たないと分からないことだ。今すぐどうにか出来る問題ではない。
そんな話をして、奥さんは屋上から立ち去っていった。相変わらずちびっ子たちが屋上のドアから覗いていたけど、今回は駆け寄ってくることは無かった。
うちのおばあさんも、ホムンクルスとして生かしておくことができたのに……。
ちびっ子たちからそんな声が聞こえた気がした。
行こう。俺はヒュギエイアの水を一口飲んで立ち上がった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
首都トレビの郊外に、アルフェイ商会のホムンクルス工場がある。とはいえ山間の僻地だ。百万人の大都市とはいえ、空艇で飛べばすぐに自然の中となる。
工場の周囲は緑豊かな森で囲まれ、民家はひとつも無い。それに、工場へ通じる道さえ見当たらない。完全に孤立した場所に工場は建てられていた。
広い敷地には多数の金属製ヒト型ゴーレムが配置され、厳重な警備体制が敷かれている。
そこに一機の小型空艇が着陸した。
中から出てきたのはアルフェイ商会の代表、アルバート・アルフェイだ。彼は近づいてきたゴーレムに指示を出し、駆け足で工場の中へ入っていく。
建物の外見も中身も、地球の工場を思い起こさせるほど現代的なものだ。アルバートは、幾重にも重ねられたセキュリティドアをくぐり抜け、ホムンクルスの生産工場へと足を踏み入れた。
そこは薄暗い空間だった。
円柱型の水槽に、小さなホムンクルスが入っている。頭を下に向けた屈位で、へそから金属のチューブが伸びていた。まるで子宮の中の胎児のようだ。
アルバートはその近くにあるパネルを操作し、明かりをつけた。
するとその空間がとてつもない広さだと分かる。円柱型の水槽が遙か遠くまで並んでおり、先は霞んで見えないほどだ。この工場は空間魔法で拡張しているのだ。
パネルの操作が終わると、何もない壁にドアが現われた。隠蔽魔法陣を解除したのだろう。彼はそのドアを開けて中へ入っていく。
「ふぅ……。無事だったか」
そこでようやくアルバートは一息ついた。彼の前には、工場と同じような円柱型の水槽がたくさん並んでいる。しかし数は十だけだ。
ただし、その中に入っているホムンクルスは、ぜんぶアルバートと同じ顔をしていた。
「こいつらの記憶をアップデートして、万が一に備えないとな」
「へえ、それどうやってやるの?」
ソータが姿を現して、アルバートの腕を掴んだ。




