243 しつこいデーモン
「おいしそうね……勇者を喰らってやるわ!」
妖艶で邪悪な笑顔を浮かべるラギニ。彼女は唾液を滴らせ、その次の瞬間、彼女はふたりに向かって猛烈なスピードで飛びかかった。
「おや? あたしのスキル〝闇の咆哮〟が効いてないわ……」
佐々木と竹内のいた場所は、まるで幻影のように空っぽだった。ラギニは一瞬の疑念を抱きつつ、両手を左右に広げた。
――ガガン!
彼女の両手に瞬時に冥導障壁が形成され、佐々木と竹内の左右からの急襲を見事に防いだ。
「ちっ、すばしっこいわね」
舌打ちをするラギニ。反撃する隙もなく、勇者たちの姿は再び消え失せた。
今度は前後からの攻撃が繰り出される。しかし、ラギニは冷静に冥導障壁を張り、前後からの同時攻撃をも防ぎ切った。
次は左右、その次は前後。攻撃のパターンは変わらない。それでも、ラギニは一切の攻撃を防ぎ続けた。
「ちょっと、あなたたち。勇者ごときに、あたしは倒せないわよ?」
ラギニは攻撃を完璧に見切っている。それでも佐々木と竹内の単調な攻撃が続く。
「このままでは面白くないわね」
いつまでも続く一方的な攻撃に、ラギニの顔に苛立ちが浮かび始めた。
「いい加減にしなさい!!」
スキル〝闇の咆哮〟の轟音が空間を揺らした。同時に、ガラスが割れるような高音が響いた。
ラギニは瞬時にその方向を確認。神威障壁が割れ、消えゆくところだった。
「あら、もう対策されちゃったのかしら」
余裕の表情は崩れず、しかし声には隠せない苛立ちが漂っていた。
「まあ、ドラゴン形態なら、あなたたちは瞬殺よ」
そう言い放つと、ラギニの体は黒いドラゴンへと変貌を遂げた。大きな羽を広げ、突風を巻き起こしながら茶色い空に舞い上がった。
黒いドラゴンの喉が膨らみ、炎が口から噴き出された。周囲の乾燥した枯れ木は瞬く間に炎に包まれた。
「待ってたぜ」
空中に突如として現れた竹内。彼はドラゴンを六面のグランウォールで完全に封じ込めた。
「――――!」
ラギニは慌てふためくが、その声はグランウォールによって完全に遮断されている。
「これで転移も不可能だ。佐々木、頼む」
竹内の合図で、佐々木も空中に姿を現した。その瞳は高速で動き、メガネで何かを計算しているようだった。
「準備完了だ。離れるぞ」
佐々木の声で、ふたりは転移魔法を使った。
彼らの姿が消え去ると、上空を舞うドローンから神秘的な白い光が放たれた。
無数の光束が一点、グランウォールへと集約され、そのエネルギーは加熱を始めた。
黒から赤へ、そして赤から白へと色彩が変わり、温度は急激に上昇していった。
その熱はすでに岩石を溶かすほどの力を持っていたが、竹内の創り出したグランウォールは色が変わっただけで形に変化はなかった。ただ真っ白に輝く立方体が、空中に静かに浮かんでいるだけだった。
中にいるラギニは、この状況で生き延びる可能性はほぼ無いだろう。
それでも白い光の放射は止まることなく、加熱が続いた。
ついにその時が来た。グランウォールが不安定に揺れ動き、プラズマ状態へと変貌を遂げた。その形はぐにゃりとねじれ、突如として空から落下した。その間にも、グランウォールの崩壊は止まらず、地面に触れる直前で消失した。
ラギニはグランウォールごと冥界で消滅した。
浮遊魔法で茶色い空に浮かぶ、佐々木と竹内はそう判断した。
しかし彼女は火を吹き、枯れた森を燃やした。それはとてつもない勢いで燃え広がってゆく。立ち昇る炎と白煙が茶色い空へ舞い上がっていた。その光景は、北部にあるデーモンの街からも見えていたようだ。
「どうしよう」
「潰しとくわ」
困った顔の佐々木に、軽い言葉を返す竹内。
北部から迫ってくるデーモンは、まだ遠い。彼らからは蟻の大群のように見えていることだろう。
そのデーモンの大群に黒い影がかかった。
彼らが何ごとかと立ち止まったときには、もう遅かった。一辺十キロメートルの巨大立方体が、デーモンたちを押し潰した。
だが、それで全滅したわけでは無い。範囲から漏れているデーモンたちは怒り狂い、火災が起きている方を目指した。
「竹内くん、大丈夫かい?」
「あ、ああ平気だ」
魔力を使いすぎたのか、竹内は青ざめた顔をして気分が悪そうだ。彼は魔導バッグからヒュギエイアの水を取りだし、一気にあおる。効果は一瞬で現われ、竹内の顔色がよくなった。
「ねえ竹内くん」
「なんだ。もう戻るぞ」
「そうなんだけどさ。僕が渡した神威結晶、なんで使わなかったんだい? その力を使えば、魔力切れの心配は無くなるのにさ」
それを聞いてハッとする竹内。どうやら神威結晶のことを忘れていたようだ。
「……さて、脳筋くん、現世に戻るよ。デーモンが来ちゃうとまた面倒だし」
そう言って佐々木はゲートを開いてくぐっていった。
「あっ!? おい佐々木!! 脳筋って俺の事かよ!!」
もう一度ハッとした佐々木は、慌ててゲートをくぐっていった。
ゲートが閉じた後も、森の炎はおさまる気配は無い。ラギニが滅んだ場所を中心に延焼していく。
現場に到着したデーモンたちは、まず周囲の索敵を行ない、誰もいないことを確認した。そして冥導の水魔法を使って消火をはじめる。到着したデーモンの数はかなり多い。
森林火災はあっという間に消火されていく。浮遊魔法で空から消火しているデーモンもいて、必死に水魔法を放っていた。
そんな中、女性の声が響いた。
「あいつら、バカだねえ……」
黒いタールが地面から染み出て、ヒトの形を取る。それはレブラン十二柱の序列八位、ラギニであった。
ヒトの形をした黒い生命体――ラギニ――は大声を張り上げる。それはスキルではなく、消火活動をするデーモンへ向けての言葉だった。
「あたしはレブラン十二柱の序列八位、ラギニ! 聞け、お前たち! この火災はこの表側、つまりマラフ共和国側にいる勇者二名によって引き起こされた人災だ!!」
消火が終わったデーモンたちはラギニの言葉に耳を傾け、怒りの声を上げる。万のデーモンが足を踏み鳴らし、地響きのような音が響き渡る。それを満足げに見て、彼女は続ける。
「あたしについてこい! ホムンクルスをたくさん用意してある!」
ラギニはそう言って、北にあるデーモンの街へ進み始めた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
俺は姿を消した状態で、首都トレビの上空から街を眺めていた。アジア人風の顔立ちの人びとは、ほとんどが魔力を感じない。ヴェネノルンの血を飲んでいることは違いないだろう。スライが言っていたホムンクルスとは、彼らのことだ。
レブラン十二柱の序列九位のビガンテは、同じ顔をしたホムンクルスだった。それはこの世界の神々に見つからないように偽装しているって事なんだろう。
懲りないね。デーモンも。
この街は百万人都市。その半分がホムンクルスに変わっているのに、街の人びとは何故気づかない。まずそれを確かめるため、姿を消したまま街に降り立った。
ミッシーたちを救出したタウンハウスだ。ホムンクルスがあれだけ魔法をぶっ放していて、なんで人が集まってこない。俺は周囲の家屋を覗いて回る事にした。
しばらくすると、周囲の住人に共通点があることに気づいた。
各家庭に必ずひとり、魔力を感じない人物――ホムンクルス――がいる。そのホムンクルスは、特に何をするわけでも無く、普段通りの生活をしているように見える。
しかし、家族たちは別だ。ホムンクルスに怯えながら、ぎこちない笑顔を見せている。
うーん。あのホムンクルスの中身がデーモンだとすると、何らかの方法で家族を脅しているのかもしれない。一見平和な家庭に見えるが、そうではない。デーモンというニンゲンを喰う存在が家の中にいるのだ。その恐怖は想像を絶するものがあるだろう。
どんな状況なのか確かめるため、俺は路地裏へ入って姿を現す。素知らぬ顔で通りに出て、鉢植えの花を手入れしているおばあさんに声をかけた。
「こんにちは~」
「あら、あなたもかしら?」
おお? 何言ってんだ、このおばあさん。彼女から魔力を感じないので間違いないと思うが。
「ええ、そうです」
とりあえず話を合わせておく。
「行き先が分からないのかしら? 地図があるから、あげるわ。中に入っていきなさい」
何を言っているのかさっぱり分からん。けど、招かれたのなら、行ってみよう。おばあさんから情報を得るチャンスだし。
「はい。おじゃまします」
ここはタウンハウスが並んで建っている区画だ。通りから階段を上がれば、すぐに玄関がある。中は集合住宅のようになっていて、それぞれのドアが個人の所有物になっている。
おばあさんは自宅のドアを開け、俺を招き入れた。
中はわりと広い。床も壁も木材で、随分昔からあるように見える。カウチもテーブルもアンティーク並みに古そうだ。
「どうぞ、座ってお待ちください」
おばあさんはそう言って、奥の部屋へ進んでいった。俺はカウチに座り、周囲の気配を探る。隣の部屋に三人いるな。その内のひとりが、この部屋へ入ってきた。
「いらっしゃいませ」
ぺこりとお辞儀をする女性。彼女が出てきたドアから、小さな子どもがふたり、怯えた顔でこちらを見ている。この三人からは魔力を感じるので、ホムンクルスでは無い。
奥のテーブルには、五つの席がある。旦那さんは仕事で出ているってことかな。
「突然すいません。知らない人が入ってきて驚いたでしょ。すぐに出ていくので……」
「え、あなたは――」
消え入る声は、こう言った。「あなたはデーモンではないのですか」と。
「はい。そんな恐ろしい存在ではありません」
とりあえず話を合わせてみたものの、何をもって俺がデーモンだと思い、何をもってそうではないと分かったのか。
「そ、それなら、助けてもらえませんか?」
不用心すぎる。突然来た赤の他人に、そんな事お願いする訳がない。……いや、そうせざるを得ないほど、差し迫った状況ということか。
「いいですよ。けど、そのまえに理由を教えて下さい――」
そう言うと奥さんは俺の前に座って話し始めた。
彼女が俺をデーモンだと勘違いしたのは、近所に潜むデーモンが情報交換に来たと思ったからだそうだ。ちょくちょくあるそうで、アジア人風の顔立ちの俺から魔力を感じないし、デーモンで間違いないと確信したらしい。
では何故、俺がデーモンでは無いと分かったのかというと、すぐに出て行くという俺の言葉があったからみたいだ。デーモンが情報交換にくると、高圧的な態度を取ったり、彼女たち親子にしばらく外出しろと言ってくるのが常だそうだ。
それに、俺の姿が冒険者っぽいので、とっさにお願いしてしまったという。
「分かりました。では、おばあさんが、デーモンだと知っているわけですね」
「はい。それで私たちは、デーモンを見て見ぬ振りをしろと言われています――――」
そうすれば喰わないでおくと。
蓋を開けてみれば、単純な話だった。
おばあさんは、ただ脅していただけ。彼女たち親子の命を楯にして。それはこの街全体に及んでいるのだろう。住宅街で冥導の魔法を乱射しても、誰も集まってこない。それは各家庭にいるデーモンが、行かないように指示していただけだった。
「なるほど。……奥さんは、どうしたいんですか? 助けるにしても、どこまでの話なのか」
彼女と子どもふたりを助け出すのは簡単だ。では、仕事に出ている旦那さんは? この家だけ助けるのか? 近所の人々は? 色々な考えが頭を巡る。
「お願いします。うちの母はもう、あのデーモンに殺されています。焼き殺して――」
奥さんの言葉は途中で止まり、視線は俺の背後へ移動した。
「誰を焼き殺すんだい?」
肩越しに見ると、奥の部屋からおばあさんが出てくるところだった。それと同時におばあさんの身体が縦に割れて、中から灰色のデーモンが姿を現した。
そして冥導が渦巻きはじめる。
俺は、こっそり覗いている子どもたちのドアを念動力でそっと閉める。これからやることはちょっと刺激が強いから見せられない。
「もう一度聞く。誰を焼き――――」
神威を使った獄舎の炎で、デーモンを焼いた。
障壁の中だけを焼くので、火事の心配は無い。
おばあさんは下っ端デーモンだったようだ。炎が障壁の六面体の中で激しく燃え盛ると、一声も上げる暇もなく、瞬く間に灰に変わってしまった。
「さて、どうやって街の人たちを助けましょうか」
奥さんに問いかけると、あんぐり口を開いて動かなくなっていた。
デーモンとはいえ、彼女の母親の形をしたホムンクルスを燃やし尽くした。少しでも嫌な思いをさせたのなら、しっかり謝罪せねば。魔法が放たれる前だったとか言い訳せずに。
口を開けたままの奥さんは、スリープモードのヒューマノイドみたいに動かない。
どうしようかと思っていると、ようやくスイッチが入った。
「あ、あのっ! ありがとうございました!!」
奥さんは立ち上がって一礼し、顔を上げると涙がボロボロこぼれていた。ああ、問答無用で滅ぼしたのは早まったようだ。
「あの、すいません!! これはうれし泣きですっ!!」
そういった奥さんは涙をこぼしながら晴れやかな笑顔を見せた。話を聞くと、一秒でも早くおばあさんを滅ぼして欲しかったそうだ。
結果的によかったが、早まったことに変わりは無い。今後気を付けよう。
またしても奥のドアから、子どもふたりが覗いている。
君たちのママは、俺が泣かせたんだけど、俺が理由じゃ無いからね。心の中で言い訳していると、子どもふたりは部屋の中へ入ってきた。
「おじさんありがと」
「おっちゃんあいあと」
年端もいかない兄弟。下の子はまだ上手く喋れない年齢だった。それなのに、おばあさんがデーモンだと気づいていた。彼らは見知らぬ俺にしがみ付いて泣き始め、何度も何度もありがとうを繰り返していた。




