242 捕虜救出
執拗に繰り返される神の目の攻撃は、ハマン大陸のデーモン討伐を彷彿させるものがあった。スターダスト商会本社は、そのような苛烈な攻撃を想定していなかった。ゆえに簡単に壊滅した。
暴れ回っていた捕虜たちが木製ゴーレムを破壊し終わるころ、彼らは基地の入り口にふたりの人影がいることに気づく。
「あのメガネ……。やっぱ勇者佐々木か。でもよ、竹内はどの面下げて来てんだ?」
「あいつが勝手に軍を解散して逃げたってマジか?」
「噂だからなぁ……」
捕虜たちが集まってきて、ボソボソと囁く。
佐々木と竹内は集まってきた彼らの前で、無言のまま立ち止まった。基地の周りに配置されている捕虜たちも、木製ゴーレムを制圧して駆け寄ってきている。
しばらくすると佐々木と竹内の前に、二千名近い捕虜が集まった。
そうなっても話さない勇者のふたりを見て、捕虜たちの声が大きくなっていく。
「さっきの神の目は、対デーモン用の出力で使った。全員点呼しろ。減っていたら、そいつはデーモンかバンパイアだから気にするな!」
佐々木の拡声魔法が響き渡る。それは軍人に対する命令だ。元軍人たちはゆっくりと確認を始めた。
しばらくすると、年輩の男が歩み出て報告した。
「大丈夫です。捕虜になったものは全員無事です」
未だやまぬ熱気の中、今度は勇者竹内が大声を出した。
「この基地までどうやって来たのか覚えている奴はいるか!! 覚えてない奴は、軍師ヘルミからスキル〝精神誘導〟で操られていたはずだ」
そこまで言って竹内は言葉を切る。元兵士たちを見回して、彼らの様子を確かめているのだ。
佐々木の言葉を聞いてしばらくすると、元兵士たちから声が上がり始めた。
「ダンジョンから出て、どうやってここまで来たのか覚えてねえ」
彼らは口々にそう言い始めた。
「スキル〝精神誘導〟は対象の人物を意のままに操る厄介なものだが、気づけば効果が解ける。記憶が飛んでると気づいたやつら、全員挙手しろ」
なんと、元兵士たち全員が手を挙げた。
そんな彼らをみて、竹内と佐々木は驚きを隠せないでいた。
元兵士たちも、記憶が丸っと無いことで困惑している。
軍師ヘルミのスキル〝精神誘導〟は、非常に強力なものだと分かった。そこで佐々木が話し始めた。
「この場所は僕たちも知らなかった。けれど、神の目で首都トレビ付近を探していたとき、偶然見つけたんだ。君たち元兵士がいると分かって救出を優先した」
「いやいや……。俺たちが全員外にいたからよかったものの、そうじゃなかったら死人が出てましたよ?」
真っ赤に溶けた元砦を見ながら、先ほど報告した元兵士が抗議する。
「はは。神の目を舐めてもらっちゃ困るね。魔力をいっさい感じないのは、ソータくん、あるいはヴェネノルンの血を飲んだデーモンかバンパイアだよ。君たちからは魔力を感知できるからね。間違うわけがない」
ソータって誰よ、などと聞こえてきたが、佐々木の神の目で、ちゃんと確認して攻撃していたことが分かって、元兵士たちはホッとしていた。
それに、竹内だけでなく、元兵士たちも操られていたと分かった。彼らは昨日より晴れやかな顔になっている。そこに竹内の大声が響く。
「勇者岡田には連絡済みだ。デレノア王国軍として復帰するもよし、別の仕事を始めるもよし、とにかく家族や友人に、お前たちの顔を見せてやれ。ゲートを開くから今すぐ退避しろ!!」
その声と同時に、巨大なゲートが開いた。その先には、王都ハイラムのエルミナス城が見えていた。ここからデレノア王国まで相当な距離があるにもかかわらず、平気な顔でゲートを開いた竹内。元兵士たちはお礼を言いながら敬礼し、駆け足でゲートをくぐっていった。
それでも二千人近い人数だ。元兵士たちが全員退避するまで、しばらく行列が続いた。
「さて、最低でも三体は生き延びているね。どっちを追う?」
元兵士たちがゲートをくぐり終えると、佐々木はいつもの雰囲気とは違う声を発した。佐々木は魔道具のメガネで、何か操作している。
佐々木の魔道具の性能に少々呆れつつ、竹内は確認する。
「神の目で直接見てんのか?」
「そうそう。二体はだいぶん遠くまで逃げてるけど、あとの一体はまだこの敷地内にいるよ」
「んじゃ近い方からやるか。場所はどの辺だ?」
「あの辺りかな。だいぶん弱ってるから、もう一発神の目を喰らわせようか」
佐々木が指さしたのは元砦。今は赤黒い溶岩に変わっている。そこにヒトの形をした何かが緩慢に動いていた。
「あの状態でよく生き残ってんな……。上位のデーモンかバンパイアだな。軍師ヘルミの情報を知ってるかも」
「そうだね。それと山田奈津子を子爵にした情報屋のルイーズ・アン・ヴィスコンティ伯爵夫人のことも知っているかも」
佐々木は親友の中村を、山田奈津子に殺害されている。その山田はソータが時間停止させたままで手が出せない。それならばと、佐々木は山田をバンパイアにしたルイーズを討つ気でいるのだ。
「うおっと!?」
竹内は土魔法グランウォールを使った。透明なアクリル板のような大きな壁が現われると、そこで何かが爆発した。
「今のは冥導魔法だね。使ったのはあれかな」
驚きもせずにグランウォールの先を見つめている佐々木。その視線は、ヒトの形をした溶岩へ向いている。
「あいつから魔力も冥導も感じないよな」
同じく驚きもせず返事をする竹内。
「ヴェネノルンの血を飲んだデーモンってことだね。弱ってるうちに叩いて、情報を聞き出そう」
佐々木はそう結論を出した。悠長の話しているふたりだが、グランウォールで何度も爆発が起きている。ヒト型の溶岩の放つ冥導魔法は、尽きることなく続いていた。
竹内はグランウォールを維持したまま、水魔法を曲射した。大きな水の塊がグランウォールを飛び越え、ヒト型の溶岩に命中した。その瞬間ものすごい蒸気が噴き上がって湯気が立ち込めた。
元砦周辺は真っ白な湯気に覆われ、視界が数メートル先まで遮られた。
「竹内くん……」
「いやあ、すまん」
視界が悪くなりすぎだと佐々木が咎めると、竹内は頭をかいて謝った。
そのときだ。人成らざるものの咆哮が響き渡った。その咆哮はスキルだったのか、佐々木と竹内の身体が硬直して動かなくなった。
「なん……だ……これ」
竹内は困惑した声を出す。
「たぶん……咆哮系の……スキル」
佐々木は知っていたようだ。
そして彼らの視線の先に、大きな翼で湯気を吹き飛ばした真っ黒なドラゴンが姿を現した。
佐々木と竹内は、全身に鉛を詰められたかのように身体を動かせなかった。しかし佐々木の眼球は目まぐるしく動き始めた。
次の瞬間、神の目の光の柱が、黒いドラゴンを貫いた。
絶叫をあげるドラゴンに、追い打ちとばかりに、竹内のグランウォールが落ちてきた。それは、これまでのものとは違う形で、とてつもなく長い円柱だった。
黒いドラゴンの身体は、グランウォールの円柱によって完全に押しつぶされた。
神の目で大地が融解し、そこに透明な円柱が突き刺さった。まるで天変地異のような光景だ。
佐々木と竹内は顔を見合わせ、しかめっ面を浮かべた。
「とっさに滅ぼしちゃったね」
佐々木のガッカリした声に、竹内がもっとしかめっ面になって応じる。
「そう簡単には終わらなさそうだぞ」
その声でハッとする佐々木。融解した大地に、何者かの気配がすると気づいたのだ。
佐々木と竹内は、溶けた大地の方へ目をやって息を呑む。
円柱型のグランウォールと融解した大地の間から、黒いタール状のものが滲み出てくるところだった。それはあっという間にヒトの形へ変化し、狂ったように笑いはじめた。
「ぎゃははははははははは!!」
佐々木たちからみて正面にいる黒いタール。間には竹内のグランウォールあるにもかかわらず、その笑い声は全方位から聞こえていた。
「うっ……」
「また……か」
佐々木と竹内の身体が硬直する。
動けなくなったふたりのそばに、黒いタール状のデーモンが突然現われた。
「ふふふ……。かわいいわね。あたしはレブラン十二柱の序列八位、ラギニよ。よろしくねぇ」
ラギニはそう言って、佐々木に覆い被さった。
「にげろ……佐々木」
竹内がそう言っても、遅かった。彼らの硬直した身体は、思うように動かない。彼は佐々木を助けようとしたが、足がもつれて転倒してしまった。
ラギニはデーモン特有の憑依を行なっている。ドロドロに溶けた黒いタール状のものが佐々木の表面を覆っていく。
「く……そが」
竹内は倒れたまま動けなくなり、悔しそうな声を出した。もう佐々木は助からない。彼がそう思ったとき、ラギニが風船のように膨らんではじけ飛んだ。
そこには障壁を張った佐々木が立っていた。彼はゆっくりと動いて、魔導バッグからヒュギエイアの水の入った小瓶を取り出す。ゆっくりとそれを飲み干したところで、身体の硬直が治ったようだ。
「ソータくんの障壁の張り方を真似てみたんだけど、上手く行ったみたいだね」
佐々木はそう言いながら、ヒュギエイアの水を竹内にぶっ掛けた。
「サンキュー佐々木。というかお前ほんと器用だな。何をどうしたんだよ」
ヒュギエイアの水のおかげで、竹内はすぐに回復して立ち上がった。
「神威結晶だよ。この結晶の力を、魔力のように使ってみて」
佐々木が竹内にビー玉大の神威結晶を手渡した。
「スキル〝創造〟で創造したのか?」
竹内の問いに佐々木は頷く。それを見た竹内は頷き、障壁を張った。
「それがソータくんの使う神威障壁さ。バンダースナッチの障壁にも使われてるやつで、魔法にも応用できるからね」
「お前、ソータくんソータくん言ってるけど、神の目とか神威煌刃は神威結晶使ってるだろ? 名前そのまんまだし」
「あちゃー、バレちゃった」
「いいおっさんが、そんな言い方してもかわいくねえんだよ。でも、まあ、その、助かったよ」
ふたりして緩い会話をしているが、周囲の警戒は怠っていない。互いの死角を補い合い、鋭い視線を飛ばしている。
「おかしいね。レブラン十二柱はこれくらいでやられちゃう存在じゃないのに」
そういった佐々木は、チラリと竹内をみた。
「ダメージは受けてるはずなんだよな……。お前の神の目を食らってるわけだし」
「そうだけどさ、なんか怪しくない?」
「だよな。いったん引くか。転移して距離を――――」
竹内の言葉は途中で途切れ、ふたりとも落下する感覚がした。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
彼らふたりは浮遊魔法でふわりと降り立つ。そこは冥界だった。
「遅かったみたいだねえ……。油断した」
頭をかく佐々木。竹内は周囲を見回して返事をする。
「前触れ無しで冥界に落ちたか。この世界、ダリいんだよな」
周囲の光景は様変わりしていた。竹内のグランウォールは消えて、融解した大地は黒く冷え固まっている。周囲の森は枯れ果て、茶色く濁った空が広がっていた。
もちろんはじけ飛んだ黒いタールはどこにもない。
「大丈夫か佐々木」
「何が?」
「神の目はここじゃ使えないだろ?」
「そうだね。……でも」
佐々木が魔導バッグを開くと、中から手のひら大のドローンが、わんさと飛び立っていく。その数は百を超えていた。
王都ハイラムの上空を警戒するドローンと同じものだが、中身が少し変わっていた。動力源が全て神威結晶に置き換えられている。
「やっぱ勇者の中で、お前が一番のチートだよ……」
呆れた声を出す竹内。そんなの気にせず、メガネを操作する佐々木。
「ふーん。やっぱアキラくんの言うとおりだったね」
佐々木の目は、メガネに焦点が合っている。
「何だよさっきから。何の話をしてんだ?」
「ねえ、アキラくんがね、冥界にはデーモンの街があるとか言っていたの、覚えてない?」
「覚えてねえ」
「……まあいいけどさ。いま飛ばしたドローンの映像でみると、ここから北に街があるとわかった。現世だと首都トレビ辺りかな。デーモンうじゃうじゃいるよ……」
「マジか……。刺激しないようにしないと。いや、その前に出るぞ佐々木」
竹内は冥界から現世へ戻ろうと言っているのだ。
「ああ、分かった」
佐々木の了承する返事と共に、別の声が聞こえてきた。
「逃げられるとでも思っているの? 甘いわね」
転移してきたひとりの美女。黒髪に赤い瞳。黒と紫のローブを羽織ったラギニだ。
「さっきのデーモンと同じ気配。あんたラギニかい?」
佐々木は緩い声で聞いているが、すでに彼らは神威障壁を張っていた。
「面白いわね。さっきの攻撃は見たことがあるわ。あなたたち、デレノア王国の勇者でしょ。名乗りなさい」
「断る」
そう言った竹内は、背中の戦鎚を引き抜いた。同じように佐々木も魔導銃を取りだした。
「障壁を張ったままじゃ攻撃できないわよ?」
ラギニはクスクスと笑う。そして、彼女はまた狂ったように笑いはじめた。
次の瞬間、佐々木と竹内の神威障壁は、シャボン玉のように簡単に割れてしまった。




