241 序列八位
首都トレビには、商人たちが本社を構える区画がある。そこにはひときわ大きな建物がそびえ立っていた。
アルフェイ商会、ティアラ社、グラック商会の合同社屋だ。白い大理石に覆われ、その表面には様々な魔法陣が精緻に刻まれている。四階の最上階に位置する社長室では、男性三名と女性一名が顔を突き合わせ、緊迫した会議が行なわれていた。
アルフェイ商会代表、アルバート・アルフェイ。
ティアラ社代表、クリストファー・ティアラ。
グラック商会代表、グラック・ダン。
そこには三大商会のトップたちが一堂に会していた。彼らは普段は競争相手であり、互いに敵対していたが、今は共通の利益と恐怖によって結びつけられている。
その恐怖とは、彼らの前に座っている美しい女性だった。彼女こそが冥界で名高いレブラン十二柱の序列八位、ラギニである。彼女は黒と紫のローブ姿で、波打つ黒髪と赤い瞳が印象的だった。
彼女はホムンクルス製造に必要な資材や情報を三大商会から強引に引き出し、この地で大量生産している。デーモンの圧倒的な力で三大商会を脅迫し、協力させているのだ。
「低能なあなたたちには、本当にガッカリだわ。ミゼルファート帝国に喧嘩を売るような真似をするなんて」
ラギニは妖艶な笑みを浮かべて赤い唇を開く。赤い瞳は炎のように輝き、三人の男を視線で射抜くかのように鋭かった。
マラフ共和国の正規軍が、ドワーフのルピナス社が治める街、ラグナを攻撃した。
それが原因で、ミゼルファート帝国から宣戦布告を受けた。
「申し訳ありません。軽率な行動でした」
代表して、アルバートは頭を深く下げた。彼はラギニに対して、恐怖と敬服の念を抱いている。ラギニはデーモン界で高い地位にあるだけでなく、強大な力も持っていた。彼女はドラゴン形態に変身でき、その炎の吐息や闇の渦は一瞬で街を焼き尽くすほど強力なのだ。
「まあいいわ。クリストファーとグラックは、スタイン王国へ援軍を送りなさい。あなたたちで指揮を執るように」
唐突な命令に目を丸くするふたり。現在ミゼルファート帝国から宣戦布告を受け、応戦の準備をしている最中だというのに。
「そんなに驚いてどうしたの? あなたたちは悪魔に魂を売ったことを忘れているの?」
デーモンがそんな事を言うと、シャレにならない。しかし彼ら三人は、それに等しい行為を行なっている。
首都トレビの住民をデーモンに差し出し、ヴェネノルンの血を受け取っているのだ。
冥界へ送られた街の住人は、デーモンの食料となる。
それだけだと、首都トレビの人口が減るだけとなる。
それを解決するため、という口実の下、ラギニはホムンクルスを大量生産した。
そのホムンクルスは、消えた街の住人の脳神経を模倣した魔法陣が使われ、元の人物と見分けがつかない。
ホムンクルスは冥界のデーモンたちが憑依する、打ってつけの素材と化していたのだ。
ホムンクルスはヴェネノルンの血を飲んだバンパイアに変貌しているので、闇脈は元より冥導の使用効率が百パーセントとなる。身体から溢れる冥導は消えて、周囲の人々に気づかれることはない。
一番のメリットは、冥界から軍団を呼び寄せても、この世界の神々に見つからないという点である。
黙り込んだ三人に、ピクリと眉を動かすラギニ。
「ティアラ社とグラック商会には、冥導ライフルを支給しているのよ? 返事は?」
ラギニは冷たく刺すような声で、ふたりの返事を促す。
「ま、待ってください。今は戦の準備中で、クリストファーとグラックに抜けられると困ります」
そう言ったのは、アルフェイ商会のアルバート。顔は青ざめ額に汗が浮かび、怯えながらも必死に声を絞り出していた。
「何を言ってるのかしら? この街にはすでに五十万の兵がいるのよ?」
その言葉に、三大商会の代表者たちは息を呑んだ。
「マリア・フリーマンとエミリア・スターダストが我らに協力してくれたおかげで、これだけの戦力が整ったわ。でもね、スタイン王国の兵が足りていないのよ。これはもう決定事項よ。クリストファーとグラックは、自らの兵を率いてスタイン王国へ行きなさい。ゲートは開いてあげるから」
ラギニは妖艶に足を組み替えて、三人を見つめる。「反論は許さない」と言いたげな表情で。
「わ、わかりました……」
アルバートが返事をすると、クリストファーとグラックも後に続いた。
それを見たラギニは満足げに頷き、転移魔法で姿を消した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
首都トレビから程ない場所に、スターダスト商会の軍事基地がある。広大な森の中にぽっかり穴が空いたような地だ。ここはかつて、竹内率いるデレノア王国軍が攻め込んだ基地でもある――。
とはいえ十日と少し前の出来事だ。戦闘で受けたダメージは色濃く残っており、竹内の土魔法グランウォールは、ありとあらゆる場所を押し潰していた。
現在そこを修復中の者たちがいる。デレノア王国軍の元兵士だ。大将軍竹内は戦闘を放棄し、突如軍を解散した。その事で彼らは捕虜となっていたのだ。彼らは自分たちの運命に不安を抱きつつも、命令に従って懸命に働いていた。
基地の中心にある要塞は、かすり傷ひとつない。空艇の発着場も無事である。主要な施設に被害が出ていないのは「竹内が軍師ヘルミに操られていたからだ」という噂が流れていた。
そんな捕虜たちをよそに、要塞の司令室では着々と戦の準備が進められていた。
「スターダスト商会の全力をもって、ミゼルファート帝国軍を打ち破るわよ!!」
檄を飛ばしているのは、子爵エミリア・スターダストだ。彼女は自信に満ちた声で、司令室の人員に指示を出している。
司令室の人員は、彼女自らが咬んだ騎士が集められている。現場に出ているのは、騎士が咬んだ一般だった。
この基地は、マラフ共和国スターダスト商会の本社でもあるので、社長であるエミリアが指揮を執っていた。
司令室のモニターに映る一般は、日の光を浴びても何ともない。この基地のバンパイアは、全員ヴェネノルンの血を飲んでいるのだ。それは聖獣と呼ばれる伝説の生き物であり、その血はバンパイアやデーモンを強化する効能がある。
別のモニターには、大型空艇へ乗り込む兵士が映し出されていた。彼らはデーモン憑きのホムンクルスで、相当な人数がいる。全ての兵が完全装備で、スターダスト商会の潤沢な資金を象徴しているかのようだった。
「さすがね、子爵エミリア・スターダスト」
エミリアは、背後から聞こえた声に振り向いた。そこには黒と紫のローブを羽織ったラギニが立っていた。彼女は妖艶な笑みを湛え、エミリアをまっすぐ見つめる。
「はっ。ありがとうございます」
ラギニにひざまずくエミリア。レブラン十二柱の序列八位の大物とはいえ、バンパイアがデーモンにひざまずくという珍しい光景だ。エミリアは本来、マリア・フリーマンの部下である。
しかし、マリア・フリーマンも本来はバンパイアではなく魔女だ。バンパイアやデーモンといった隔てはないのだろうか?
エミリア・スターダストは、聖獣ヴェネノルンを発見した。彼女はその血を飲んだことで、リリス・アップルビーの血脈から解放された存在だ。しかしながら彼女には後ろ盾がなかった。そこに付け込んだのがマリア・フリーマンだった。
魔女とバンパイアの奇妙な主従関係は、そこから始まっていた。
ただ、デーモンから、マリア・フリーマンの一派は下にみられている。それはマリア・フリーマンが冥界を訪れ、デーモンに助力を請うたことが原因だった。
そのためエミリアは、レブラン十二柱の序列八位という、高位のデーモンには平伏せざるを得なかった。
それでもエミリアは納得していないようだ。下を向いた彼女の顔は、怒りに染まっているのだから。
「あの空艇は、ミゼルファート帝国軍を討ちにいったのよね?」
ラギニはエミリアに目もくれず、モニターを見ながら軽い口調で問いかけた。
「はい。そうでございます」
エミリアの返事はいつもと違い、歯ぎしりをするような声だった。顔は上げずにまだ下を向いている。
司令室に緊迫した空気が漂う。ここは子爵エミリアの子、騎士が大勢いるのだから。エミリアを雑に扱うラギニに対し、牙を剥く者までいる。
すると突然司令室のドアが開き、ルイーズが入ってきた。
彼女はソータと戦ったとき、スキル〝魂の転移〟で、自身の身体を捨て去った。そして彼女は予定通り、魂をホムンクルスの中へ移動させていた。
その姿は、以前と全く変わらない。彼女はその美しい美貌で毒を吐いた。
「あらあら。デーモン臭いと思ったら、違ってましたね。ハエが紛れ込んでいるようなので、わたくしが駆除いたしましょうか?」
ルイーズは、ラギニを痛烈にディスり、高笑いをする。
「あ?」
「はい。なんでございましょう?」
レブラン十二柱の序列八位と、始祖が睨み合う。
その場の空気が一瞬で張り詰め、一触即発の状況となった。
「おふたりとも、おやめください! これから戦が始まるんですよ!」
声を上げたのは、エミリアだ。彼女はスターダスト商会を、大きくふとらせた商人でもある。この状況は誰も得しないことだと判断し、自身のプライドを捨てて止めに入った。
エミリアの声が大きすぎたのか、ルイーズとラギニは驚いた顔で動きを止めた。いままさに闇脈魔法と冥導魔法が放たれる直前だった。
ふたりの争いは直前で止まったものの、ルイーズは無言で司令室を出て行った。煽ったのは彼女の方だが、それを咎める者は誰もいない。
それは、バンパイアを見下した態度を取るラギニにも、責任の一端があるからだ。
完全にアウェーとなった司令室で、ラギニは微笑んだ。
「あなたたちって、ほんと上下関係にうるさいわよね。一万年くらい生きてみなさい。上下関係とか関係なくなるわよ?」
そう言ったラギニは、笑みを浮かべたままエミリアの席に座った。
エミリアは立ち尽くしていた。自分の席に座られてしまったからではない。
ホムンクルスとして甦ったルイーズは、見た目は変わらないものの、性格が非常に短気になっていたのだ。
ホムンクルスと魂の同調が、上手く行かなかったのかもしれない。彼女はそう考え、ルイーズの後を追った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
一方で、憤懣するごとく肩を怒らせ、ルイーズは基地の外を歩いていた。向かう先は砦の外。森に入って気晴らしでもするつもりだろうか。
基地を修復中の捕虜たちは、彼女の美貌に見とれていた。
その中で誰かが声を上げた。
「お、おい、あのヒト。ルイーズ・アン・ヴィスコンティ伯爵夫人だよな?」
「はあ? こんなとこに居るわけないだろ。ここはマラフ共和国だぞ」
「いや、まえに見たことあるんだけどな……」
「見間違いだよ見間違い」
「……そうかなー?」
真昼の暑い中、汗水たらして作業する者たちは、彼らの会話を聞いて手を止める。すると彼らを監視しているゴーレムたちが駆け寄ってきて、剣を振り上げた。
「ああ、分かった分かった。真面目に仕事するよ! 無給だけどな!!」
剣を向けられた捕虜は、そんな事を言いながら作業へ戻っていった。どうやら、いつもの事のようだ。
するとそこに駆け付けてきた者がもうひとり。エミリア・スターダストである。彼女は必死な形相でルイーズを追いかけていった。
「なんだありゃ?」
「この基地の大将だろ?」
「いや、それくらい知ってるし。なんで護衛も連れず、ひとりでいるんだと思ってさ」
「そういやそうだな……。今のべっぴんさん追いかけてったよな」
「だから今のはルイーズ・アン・ヴィスコンティ伯爵夫人だってば」
「いる訳ねえつってんだろうが!」
などと会話が盛り上がっていると、また監視ゴーレムが駆け寄ってくる。木製の身体だが、非常に動きが速くて高性能。彼らは面倒くさそうな顔で作業へ戻っていった。
ルイーズとエミリアが基地を出て行ってしばらくすると、先ほどの捕虜が再び声を上げた。
「あ~、これいつまで続くんだよ~。ルイーズ夫人美人だったなー」
なんて言いながら、のそのそ作業を続ける捕虜。
すると彼らの視界が真っ白に染まった。
「ぐああっ!! 目がっ! 目があぁっ!!」
「両手で目を押さえろ、ボケが」
近くで作業していた捕虜が声をかける。
昼の明るい中、それよりも明るい光が天から降ってきた。周囲が真っ白に染まると同時に、光の柱が砦に突き刺さる。石造の砦には自動で障壁が張られたが、簡単に突き破られていた。
砦の上部が加熱され赤く染まっていく。組まれた石が溶け始め、砦の中央部分が陥没していった。小さな爆発音は、何かが誘爆したせいだろう。
ほんの数秒で、砦は赤い水飴のようになってしまった。
それだけではなかった。
天から降ってくる光の柱は、次々に基地内の施設を融解させていく。発着場にたくさん並んでいる空艇も、みるみるうちに数を減らしていった。
「おいおい、こりゃ勇者佐々木の神の目だよな!?」
捕虜たちは近くに援軍が来ていると確信し、歓声を上げた。
「おいこら木偶の坊! 今まで世話になったな!!」
捕虜のひとりが、スコップで木製ゴーレムの首をはね飛ばした。別の捕虜は、巨大なハンマーで木製ゴーレムの頭をたたき割った。基地の周囲を囲うように配置されている捕虜たちには、神の目の影響は及ばず、彼らは思う存分暴れ始めた。




