237 擬態と演技
ハイド・パークの森の中にゲートを開いて戻ってきて正解だった。もし目撃されていたら、「何だその魔術は」と問い詰められかねない。
冒険者ギルドハイド・パーク支所に戻ってみると、火事はすでに鎮火していた。
消防の話を盗み聞きする。建物の半分が焼け落ちて、建て直しは避けられないという。それまではニューロンドンの他の支所を使うみたいだ。
野次馬が集まっている方へ移動すると、ヒューとエリーが駆け寄ってきた。
「大丈夫だった?」
「遺体がひとつも無いって騒ぎになってるわ」
「うん、平気。遺体がないのは……うーん、警察が調べるんじゃないかな」
遺体がひとつも見つからなかったのは、おそらくメフィストが喰ったからだろう。だが、これは今ヒューたちに話すべきことではない。グレーターロンドンの市長――蝕に報告すべき事項だ。
「昨日から大変だね……」
ヒューが心配そうな顔で俺を覗き込んでくる。
「だいたいいつもこんな感じで忙しいんだ」
そう言うとエリーが思い出したように口を開く。
「そういえばソータくん! Sランク冒険者だったのね! 冒険者証見せて見せて!!」
エリーの声が大きい。人混みから離れて、当てもなく歩き始める。
冒険者証を見せると、エリーは大喜び。ぶんどるように奪い取って、空に向かって透かしてみたり、手触りを確かめたり、物珍しそうに色々と確かめていた。
「ソータくんさ、僕たちお腹すいちゃってさ……」
ヒューはお腹を押さえて、腹ぺこポーズをとる。そういえば朝食が食べられなかったな。時間はもう昼前だ。
「ブランチにでも行こうか」
そう言うと、ヒューとエリーは笑顔で頷いた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
魔術の暴発があった家屋や店は、すでに蝕が直している。ニューロンドンの人びとも受け入れていたので、特に問題はない。しかし、冒険者ギルドハイド・パーク支所は何故直さないのだろう。
蝕は策士だ。何か思惑があるはず。
なんて考えながら三人で歩いていると、エリーがオープンテラスの店を発見した。魔術が暴発して朝一番で破壊されていた店だ。既にその痕跡は無く、普通に営業している。
ただし、カップルが多い。俺とヒューが通り過ぎようとすると、エリーが入りたいと言い始めた。
結局俺たちはその店に入ることになった。
今度こそ何事も無く食事ができた。その頃になると、ドームの内側に移し出された偽物の太陽はもう真上に上がっていた。
蝕の能力はすごいな。心地よい気温に、さわやかな風。朝ッパチから大事件があったものの、ニューロンドンの人びとは健やかに過ごしている。
この街は蝕に任せ、冥界は淵に任せる。
俺がダンジョンマスターになっても、ここに留まることはできないからな。
『遠隔操作もできますよ』
『だとしてもだ』
ぐぬぬ。クロノスの茶々で気が抜ける。
食後のコーヒーを飲んでいると、通りに黒塗りの車が停まった。四台も停まったので、通りの人びとから注目される。各車両から五人ものボディーガードが降りてきて、一台の車のドアを開ける。そこから降りてきたのは金髪碧眼のイケメン紳士だった。
スリムで高身長でとても目立つ。何だろうこの人と思っていると、まわりの女性が騒ぎ始めた。
「彼はエドワード・ヴォイドハート市長だね。こんな所に何しに……」
そこまで言ったヒューが俺を見る。エリーも俺を見ていた。彼らは俺が指名依頼を受けていると知っている。この場に市長が現れたのは、俺に関係があると思ったのだろう。
なるほどなーと思っていると、やっぱり声をかけられた。
「Sランク冒険者、ソータ・イタガキ。指名依頼をよくやり遂げてくれたね。今日は礼を言いに来たんだ」
エドワードはニコニコ笑顔で、俺たちのテーブルに向かって座る。俺はすかさず念話を飛ばした。
『おいこらてめぇ、いったい何のつもりだ。メフィストなんてデーモンの大物がいるとは聞いてねえぞ! あと冥界の淵ってダンジョンは何なんだよ!』
こいつ蝕のくせに、まるで本物のニンゲンだ。ロンドンな爽やかイケメンジェントルメン。それは周りの女性たちの態度を見れば分かる。突如現れた市長にくぎづけになっていた。
『ここで念話は怪しまれると思うよ?』
ニコニコ笑顔で念話を返してきやがった。しかし確かにそうだ。
「はじめまして。ソータ・イタガキです」
立ち上がってお辞儀をする。ヒューとエリーも慌てて俺に倣って挨拶をした。
目の前の金髪イケメンは、グレーターロンドンの市長。ドームの行政トップということになる。どうやってそのニンゲンになりきったのだろう。誰かの身体を操っているのか。色々疑問はつきないが、おとなしく話を聞いてみよう。
「さて、ニューロンドンの市民を代表して……」
エドワード・ヴォイドハートは立ち上がって握手を求めてきた。その動きが自然すぎて、思わず手を出してしまった。ガッシリと握手した場面を、カメラで撮られる。マスコミだ。どこから沸いて来たのか……。いやこれは最初から仕込んでいたんだろう。
エドワードを睨み付けようとした瞬間、念話が飛んできた。
『はい、笑顔笑顔。大々的に君のことを報じるからね。地球にも君の名が知れるようにさ』
連続でフラッシュが焚かれる。しばらく色んな角度から写真を撮られると、ようやくエドワードは手を離した。
「君はニューロンドンの英雄だ。これからもSランク冒険者として励んで欲しい」
そう言ってエドワードは黒塗りの車へ戻っていった。ボディガードの皆さん、何となく人外な気がするけど、確証は持てない。大丈夫か、ニューロンドン。
うーん。蝕が行政のトップとはいえ、議会もある。そう簡単には暴走できないはずだ。
「いやー、エドワード市長自ら挨拶に来るなんて、すごいねソータくん」
「なーんか、今の演技っぽく見えたわ」
手放しで喜んでいるヒューと、何か疑っているエリー。こう見えてもエリーはバンパイアなので、勘が鋭い。
「俺が冒険者だと知った上で、あんなことをやるんだ。宣伝に使う気だろうね」
さっきの報道陣はフラッシュを焚いて写真を撮っていた。でも、周りの人びとはスマホで写真を撮っていた。それはSNSに投稿されるだろう。
これで俺も一役有名人。
うおおお! 面倒くせえ!
ハセさんに連絡して、俺の画像全部消してもらおうか。
そういやハセさん、ホムンクルスになるとか言ってたけど、あのあとどうなったんだろう。
いや、今はこの場から離れた方がいい。エドワードが立ち去ってから、報道陣が集まってきて何か聞きたそうにしている。
「ヒュー、エリー、迷惑かけてごめんね」
俺たち三人はまだ立ちっぱなしだ。食後のコーヒーも冷めてしまっている。
「いやいや、気にしないでソータくん」
「私たちも慣れてるし」
……慣れてる?
「とりあえず場所を変えようか」
そう言うとヒューから意外な言葉が返ってきた。
「ああ、大丈夫だよソータくん。――――報道陣の皆さん。僕はいま友人と会食中です。ご遠慮願いたいのですが、よろしいでしょうか」
ヒューは身を翻し、カメラを構えた報道陣に向かって凛とした態度で宣言した。普段のユルユルした雰囲気が一変し、まるでイケメン王子様のような気品ある振る舞いを見せた。
「お、おい。ありゃストローマ卿じゃねえか?」
「ストローマ公爵家の長男が、何でこんな所に」
「やべえ! 逃げるぞ。お前ら顔を隠せ!!」
そんな事を言って、報道陣は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。ただし、一般の人びとは、より多く集まってきた。写真も撮られ放題の状態である。
「バカ兄貴……」
エリーがジト目になってヒューを見ている。
つまり、事情はこうだ。
ヒューとエリーは、ストローマ公爵家の子どもで、世襲貴族の一員。ヒューは報道陣を追い払うために家名を使ったが、一般の人から見ればそんなの関係ない。
ヒューもエリーも美男美女だ。周りに集まってきた人びとは、男女同比率くらいで俺たちを写真に収めていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
なんとか人混みを抜け出し、ヒューとエリーが手配したストローマ公爵家の車に滑り込むように乗り込んだ。乗ったのは黒塗りの大型バン。前後に護衛の車がいて、合計三台の車列になった。
大型バンの中は応接室のように改造されていて、三人でゆったりしたシートに座ることができた。
「屋敷へ向かいますか?」
運転席から聞こえた声にヒューが返事をする。
「いや、適当に流してください」
運転席には二名の男が座っていた。スーツ姿だが、盛り上がった筋肉は隠しようもない。彼らもボディガードなのだろうが、物々しい装備だ。まるで戦争に行く前の隊員だ。
報道陣がビビって逃げたのは、この辺りが関係しているのかもしれない。
しばらくすると、二人から頭を下げられた。身分を隠してごめんなさいと言われたが、俺は気にしていない。逆に、嘘ばかりついている俺の方が、謝りたい気持ちになった。
ただ、本当に申し訳ないが、俺がこの世界で何をやっているのか明かすことはできない。
黙ってしまった俺のせいで、車の中の空気は最悪だった。ほとんど揺れない大型バンは、当てもなくニューロンドンを彷徨うことになってしまった。
そんな中、スマホをいじり出したエリーが声を上げた。
「うわ~、もうSNSで拡散されてるわ」
エリーはそれをヒューに見せたあと、画面を俺に向けた。そこには「君はニューロンドンの英雄だ。これからもSランク冒険者として励んで欲しい」そう言っているエドワード・ヴォイドハート市長と握手する俺の姿が映っていた。
これは報道機関のアカウントではなく、一般人の個人アカウントだった。
こりゃもう止められないな。ハセさんに頼んで消してもらったら、逆に火がつくパターンだ。異世界のニューロンドンで英雄と言われた俺を勘ぐる輩が出てくる。
この件に関しては、静観するのが賢明だろう。
ただ、その動画のおかげで、俺たち三人の会話に花が咲いた。重苦しい空気は吹き飛び、三人でエドワード・ヴォイドハート市長の思惑を話し合う。
「この動画ってさ、ソータくんをニューロンドンに留まらせたいって言いたいんだよね?」
ヒューの言うとおりだ。これは俺の行動を既成事実化させ、世に発信するという常套手段だ。
「でも、ソータくんはニューロンドンだけじゃなくて、異世界全体で活動してるSランク冒険者だよね。そんな人を一カ所に留まらせることなんてできるの?」
エリーの疑問は当然だ。だが、一カ所に留まって活動する冒険者もいる。
「ヒューとエリーの言うとおりだ。エドワードは俺をニューロンドンに留まらせようと画策しているっぽい。けど、俺はやることがあるから、あまり長居はできない」
「そっかー」
「だよねー」
ガッカリするヒューとエリー。俺と出会ってまだ一日なのに、そんなに気にとめてくれることに驚いている。貴族という立場を隠していたのは、一般人としての友人を求めていたのかもしれない。
大型バンはあちこち行きながら、いつの間にかグリニッジ公園の近くを走っていた。
「ヒュー、停めてもらってもいいかな」
「…………ああ、わかった」
ヒューがボディガード兼運転手の人に声をかけると、適当な駐車場に大型バンが停まった。ここも割と木々が多くて、人目につかない場所が多い。こっそりゲートを開いて移動するにはもってこいの場所だ。
ドアを開けて車から降りると、背中から声が掛かった。
「行っちゃうのソータくん」
エリーは悲しそうな声で聞いてきた。
「ああ」
そう言うと、ヒューもエリーも分かってくれたみたいだ。車を降りてきた二人からハグされる。
「また来てね」
「私、人工血液で我慢するからね」
エリーの別れの言葉は、どうかと思ったけど、らしいっちゃらしいか。すごい直情的な性格だもんな。
辺りを見渡すと、人影は見えない。ヒューとエリー、ボディーガードたちの気配のみだ。
「んじゃ、またいつか」
そう言って俺はゲートを開いた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ニューロンドンを包み込む巨大障壁のてっぺんは、猛吹雪の極寒であった。
本来なら何も見えないところだが、魔力を可視化するとだいたい分かる。昨日はユライが砦にぶつかっていたけれど、今はそうではない。おそらく姫御子フィアを解放したからだろう。
ユライの長老ルベルト。意図せず彼の依頼を達成して、結果的にはよかったのだろう。
さて、確認も終わったし、砂漠の岩山ラグナに戻ろう。
ゲートを開こうとしてふと気づく。
魔力が激しく渦巻く場所を発見した。その場所を注意深く観察すると、ユライたちが何者かと激しく戦っている様子が見て取れた。あいつら尊大な態度だし気が短いし割と好戦的だよな。
しかし何と戦ってるんだろうか。
魔力を持つものなら形が分かるはずなのに、何も見えない。ユライたちは、目に見えない何かと戦っている。
……ああ。ヴェネノルンの血を飲んだ者たちか。あいつらは、魔力、冥導、闇脈、この三つが外に漏れ出ない。神威はまだ分からないけど。
つまりユライは、バンパイアかデーモンと戦っているってことか。
放ってはおけない。俺はそこに向けて転移した。
11章北極圏これにて閉幕。次話より12章七連合です。
まだまだ続きます。ここまで読んでいただきありがとうございます。




