236 冥界のダンジョンコア
アスタロトと八体のデーモンは、冥界の蝕が作り出した漆黒の大地で猛り狂っていた。そのおかげで、攻撃を受けている大地に、大きなヒビ割れが生じた。
大地に降り立ち、気配を探るために目を閉じる。
デーモンの気配を排除し、それ以外の気配を探っていく。半径百メートルでは何も感じない。半径千メートルでも同様だった。
蝕は、もっと深いところにいる。俺は一気に気配を探る範囲を広げた。
ざらりとする不快な気配。これは冥界の魔力の渦だろう。これで異世界と冥界がほぼ同じ造りだと確信した。
「おーい、アスタロト! ちょっと行ってくる!」
「よーし、お前が蝕を倒して戻ったら、宴会だ! 生きて帰ってこい、楽しみにしてるぞ!!」
余計なフラグ立てやがって。そう心の中で呟きながら、魔力の渦が渦巻く空間――ダンジョンマスタールームへと転移した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
転移するとすぐクロノスの声がした。
『デストロイモードへ変更します』
真っ暗で灼熱の空間だ。焼け死ぬ前に障壁を張り、周囲の気配を探る。異世界の方で見たマスタールームは、溶岩の明かりで視界が確保できていたが、ここは違っていた。
デストロイモードになっているからなのか、暗闇でも何とか視界が確保できる。眼下に見えるのは、黒いマグマ。超巨大な渦が冥導を吹き出している。
察するに、ここの渦も八芒星になっているはずだ。
『色々仕掛けを用意してたんだけど、全部すっ飛ばしてマスタールームへ来るとはね。君は何者なんだい?』
冥界の蝕から念話が届く。それと同時に目の前に黒いヒト型の物体が現れた。ニューロンドンで見た白いヒト型の蝕とは真逆の姿だ。
『俺はソータ・イタガキ。ちょっと訳ありでね。蝕、お前を攻略させてもらうよ』
『蝕? 君は何を言っているんだい? 僕の名は淵だよ? というか僕を攻略するって、なかなか笑わせてくれるね』
あー、勘違いしてた。名前が違って当然だよな。
すると突然背後に冥導を感じた。
それは俺の後頭部を狙って飛来してきた。お辞儀するようにしてかわす。
――ズドン
俺の前に浮かんでいた淵に、黒い炎が当たって爆発した。アホだなーこいつ。木っ端微塵になって、黒い破片が落ちていく。
『冥導魔法を確認しました。解析中……。これは魔力のファイアボールが冥導に置き換わっただけのものです。ソータなら既に使用可能です』
『あんがとね』
『どういたしまして~』
そうなるとこいつには神威が有効だな。ただ、今ので淵の気配が消えた。この空間は真っ暗で見通しが悪い上に、広大な地下空間だ。一度見失うと探すのが大変だ。
いつもは魔力を可視化しているけど、今回は冥導を可視化してみる。
お……?
かすんだように見えるのは、この空間の冥導が濃いせいだ。だが、前よりよく見える。眼下に渦巻くマグマから吹き出す冥導や、遥か遠くで吹き出す冥導などがよく見える。
しかし注目すべきはそこではない。渦巻く黒いマグマの下に、大きな冥導の塊があった。この空間はダンジョンマスタールームだが、あの冥導の塊は、さしずめダンジョンコアの定位置と言ったところか。
俺は魔力、神威、冥導、闇脈、四種の素粒子で障壁を張って、転移した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
転移した先は、身動きすら困難なほど濃密な闇脈に満ちていた。視界は霞み、まるで真っ白な世界に放り込まれたかのようだった。
視力をいったん普段のものへ切り替えると、部屋の内部がどうなっているのか分かった。そんなに広くない。六畳一間くらいの空間で、床も天井も壁も、全て黒光りするダンジョンの素材だ。部屋の中心には、真っ黒な八芒星が浮かんでいた。
ダンジョンコア、淵本体だ。
お? 鏡かと思ったらフェッチが現れた。しかも三体も。全員俺と同じ姿格好だ。
面倒だな。こいつらはダンジョン内部で使った俺の能力を模倣してくる。ファーギから聞いたとき、もし遭遇したら、俺ならどう対処するのか考えていた。
――パン
両手を叩くと同時に、足元に時間遅延魔法陣を貼って、この部屋全体の時間の流れを遅くする。時間遅延の効果が及ぶのは、俺以外だ。
淵とフェッチからすれば、俺の動きが急に速くなったように見えるはず。
さて、これが通用するかどうか。
獄舎の炎で三体のフェッチを焼き尽くす。
次の瞬間、ゆっくりとフェッチが現れる。
ふたたび獄舎の炎で焼き尽くす。
これを何度も何度も繰り返した。
そしてとうとうフェッチが現れなくなった。
次はどう出る淵。
――ズドン
突然衝撃を感じた。障壁にヒビが入ったので、もう一度張り直す。淵も冥導を百パーセントの効率で操っているのだろう。その攻撃は、前触れすら感じさせなかった。
『どうした淵。さっきのおちょくるような喋り方で何か言ったらどうだ?』
――――ズドン
「ぶおっ!?」
障壁ごと横に吹き飛ばされた。黒い壁にめり込み、転がり落ちる。
数カ所骨折したけど、液状生体分子がすぐに治してくれた。ふむー。ヒュギエイアの水を出すまでもないってことか。デストロイモード、すごいな。
『淵、あんた俺と会話する気はないってのか?』
――ドン
今度は攻撃を防いだ。こりゃ魔法じゃないな。どっちかというと、念動力に近いものだ。
今の攻撃は俺の念動力で受け止めた。グイグイ押してくる力は、魔法では再現できない。手のひらで押されている感覚がする。
念動力を増強し、押し返す。同時に冥導の風魔法を駆使して魔封殺魔法陣と能封殺魔法陣を放った。
すると宙に浮いていた淵は、糸が切れたように落下していく。俺はそれを滑り込んでキャッチした。
ダンジョンコアを傷つけるのは、ダンジョン攻略の失敗を意味する。割ってしまったら、ダンジョンが崩壊してしまうからな。これでとりあえず一安心。
『ふふっ……。ようやく障壁の中に入れたよ。油断したね、ソータ・イタガキ』
ようやく聞こえてきた淵の念話は、俺を嘲笑うものだった。
俺はダンジョンコアを割らないように、障壁を解除してキャッチしているからしょうがない。
『あ、あれ? ねえ君、僕に何かした?』
淵の動揺した念話が耳に飛び込んできた。
『さあ? どっちにしても淵、あんたはもう詰みだ、俺はいつでもダンジョンコアを割ることができる』
冥導の魔封殺魔法陣と能封殺魔法陣は、淵の能力を封じることに成功していた。今はもう、ただの黒い水晶だ。喋るけど。
『くっ! どうして僕にちょっかいをかけるんだい? 君は冥界の住民ではないだろう?』
はい、冥界に住民がいると分かった。
『それで? 何か問題があるのかな?』
『大ありさ! 僕が冥界の冥導を管理してるんだ。君のようなよそ者がダンジョンマスターになったら、何をされるか分かったもんじゃないからね!』
はい、蝕と同じ役割だと分かった。
『では、負けを認めないってことか。俺に攻略されたことを受け入れず、割られてもいい。そういう事だな?』
『そんなことしたら、冥界の冥導が乱れてめちゃくちゃになる。デーモンたちの管理体制が揺らいでしまう。本当に困るから、僕を割るのはやめてくれないかな?』
はい、新たな情報だ。これは聞いておかねば。
『淵が居なくなれば、冥界の冥導が乱れることは分かる。けど、管理体制ってなんだ?』
『冥界はレブラン十二柱によって統治されているんだけどさ、いまは代替わりして混乱中なんだ。それに加えて冥導が乱れたらこの世界がめちゃくちゃになる』
レブラン十二柱はだいぶん倒したもんな。代替わりしたってことは、新しいデーモンが繰り上がったのだろうか。
『大変だな。俺がチャチャ入れなければ、冥界は安定するってことか?』
『そうさ。だからお願いだから、このままそっとしておいてくれないかな?』
『さて、どうしようかな。俺には俺の事情があるんだよ』
『な、なにさ』
『冥界のデーモンが、地上に現れている』
『えっ?』
この反応は本当に知らなかったのか、知らなかった振りをしているのか。
『冥界を荒らさないでくれというのなら、地上を荒らすデーモンを引っ込めてくれないかな? こっちは既に迷惑してんだよ』
『それは本当かい?』
『さっきここの地上部分で戦いがあったの気づいてないのか? メフィストってデーモンは冥界の住人だろ? 地上で迷惑かけてたから冥界まで追いかけて滅ぼしたよ。やったの俺じゃないけどさ』
『僕は寝てたからね。そんなこと知らないよ』
『寝てたから知らないとか、無責任すぎねえか? あと残念なお知らせだ。レブラン十二柱を倒しまくってるのは俺だ』
『……本当に?』
『証明する手段はない。だけどさ、淵がフェッチを作り出していたのなら、俺にどれくらいの能力があるのか分かるだろ?』
『たしかにそうだ。……分かった。降参だ。――ただし! 冥導を乱さないこと。それと、地上へ行ってるデーモンを保護して――』
『あー、そこは俺が判断する。ニンゲンを喰うデーモンは全て滅ぼす。なんなら、冥界全てのデーモンを滅ぼしてもいい』
『くっ!』
『でもそれじゃ、いいデーモンも巻き添えになっちゃうよな。だから妥協案を出す』
『な、なに』
『このダンジョンの地上部分を、俺の世界――地球の悪魔に使わせろ』
『え、それだけ? ダンジョンマスターにならないの?』
『元からダンジョンの管理やってただろ? 俺は地球人だ。勝手の分からない世界で、俺のルールを押しつけてもいいの? 碌なことにならないぞ。それでもいいのか?』
『……』
『困るだろ? 淵は地球の悪魔を守ってくれるだけでいい。それでいいかな』
『うん! それでいいよ!』
真っ黒で艶のない水晶から、ホッとしたような安心したような感情が伝わってきた。これ毎度ながらなんなんだろうな。蝕や流刑島のアビソルスからも、感情が伝わってきた。
深く追究するようなことでもないし、彼らはそういう特殊な存在なのだと割り切ることにした。
『んじゃ、地上部分のドームを修繕して地上の街を造り直してくれ。あとはアスタロトってデーモンと連絡取って、連携して動くようにな』
『うん、わかった!』
ふう……。淵の幼さが幸いして、何とか収まったというところか。こんな世界だから、北極圏まで訪れるデーモンもいないのだろう。淵の返事は喜びの感情で満たされていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
地上へ戻ると既に街ができていた。そのせいか、アスタロトたちの攻撃はやんでいた。街並みはニューロンドンと瓜二つだが、もちろんニンゲンはいない。
――――ドン
炎の塊アスタロトが文字通り飛んできて、減速せずに着地した。めくれ上がった石畳は即座に元に戻っていく。淵が仕事してくれている。
「早かったなソータ! さすが我の見込んだ男だ! ふははははははは!!」
「とりあえず攻略は済んだ。ダンジョンコアの名前は淵だ。アスタロトに連絡が入るはずだ。後は上手くやってくれよ」
「ふははははははは!! 任せろ!!」
「なあ、アスタロト」
「なんだ」
「グレーター・ロンドン市長の指名依頼は、冒険者ギルドの制圧だった。結果的に冥界にまで来てしまったけど、何か聞いてる?」
「グレーターロンドン市長は、ニンゲンの振りした蝕だ。我はやつと会った瞬間気づいて、笑ってしまったぞ。ふははははははは!!」
「あー、そう……」
蝕も北極圏のダンジョンで、ニンゲンとの接触は少なかったはず。静かな生活はマリア・フリーマンの攻略によって終わった。それからそんなに時間は経っていないはずだが、なんとまあずる賢くなっちゃって。
蝕はおそらく、冥界のことも知っている。
上手いこと利用された感が強いけど、俺にも得るものがあった。
冥界には住人がいる。レブラン十二柱は再建中。枯れた世界に生きるデーモンたち。どうやって生きているのだろうか。エルフの里から冥界へ行ったときは、万単位のデーモンが襲ってきた。
俺はいずれ、この世界でも動かなくてはならない。エリス・バークワースがこの世界にいるのなら。
しかし今はまだだ。いったんニューロンドンへ戻ろう。
アスタロトに後を任せて俺はゲートをくぐった。




