235 アスタロトの息がくさい
上空へ転移して浮遊魔法を使う。街の形はニューロンドンと同じで、冥界の特徴である冥導に満ちた世界だった。
地上ではアスタロトが、メフィストが入った障壁をボコボコに殴りつけている。おそらく割れないだろうから、少しこのままにしておこう。
俺はもう一度転移して、地上から三十キロメートルほどの空で静止する。ここから地上を見ると、巨大なニューロンドンは、ナノマテリアルのせいで視覚的には見えなくなる。ボロボロなのに、ちゃんと稼働しているとは驚きだ。
ゲートを開いて、異世界と冥界の形を見比べる。
眼下に広がる冥界の海岸線、ゲートから見る異世界の海岸線、全く同じものだ。
エリス・バークワースは、この世界――冥界で戦力を集めていると聞いている。それなら、デーモンが暮らす国や街もあるはずだ。そこを探せばいいということか。
今はそれくらい分かれば十分だ。目下の目標はメフィストからの情報を得ること。
俺は地上に向けて転移した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
黒い巨大なドラゴンが火を吹き、障壁を攻撃していた。さっきアスタロトと一緒に現れ、透明になって消えたやつだ。冥界にも呼べるということは、アスタロトは召喚魔法を使っているのだろう。
当の悪魔アスタロトは腕を組んで仁王立ち。球状の障壁がいつ壊れるのか見守っていた。
「アスタロト」
「遅かったな。何をやっていた」
「うん。異世界と冥界の地形の違いを見てきたんだ」
「ほう……。それでどうだった?」
「異世界と冥界は、ほぼ同じ地形だったよ」
そう言うと、アスタロトはスーツ姿の紳士へ戻り、首を傾げる。少し先では黒いドラゴンが大暴れしているというのに。
「ここは地球の冥界とは別物、ということか?」
地球の冥界は、地球と同じ地形だった。アラスカで確認済みだ。
「たぶんね。異世界と、この冥界の地形が同じというだけで、確証はないけど」
「ふははははははは!! この冥界では暴れ放題だということか!!」
アスタロトの姿がまた炎の状態へ変化し、魔力の炎が噴き上がった。俺は瞬間移動でアスタロトから距離を取る。あの場に留まれば、焼け死んでしまう。
アスタロトの近くに、人の形をした黒い物体が八体現れた。
『ソータ、お前は、メフィストを逃さないように、強固な障壁を張っているのだな? 解除すれば逃げられると思って』
お、念話も使えるのか。割と器用だ。
『そうだよ。てか、八体のデーモンは何だ? 事と次第によっちゃ滅ぼすことになるけど――』
『まあ、そう焦るな。これは我の部下たちで、メフィストを制圧するためとか、もろもろで呼び出したのだ。ちょっと障壁を解除してくれ』
部下? 八体のデーモンで、メフィストを制圧できるということか。どっちにしてもこのままじゃ、メフィストと話せないし、アスタロトの提案に乗ってみよう。
アスタロトがあごをしゃくると、黒いドラゴンが消えた。そのあと八体の悪魔が障壁を取り囲んだ。
万が一にでも、逃さないようにしなければ。俺も魔法が使えるように構え、障壁を解除した。
「本当にバカだねぇ。俺をどうにかできるとでも思ってんの――――」
――――ズドン
ゆらゆら揺れる不定形の影。メフィストは何かに押し潰されるように、地面に叩きつけられた。その衝撃で、石畳がめくり上がって飛び散る。
周囲の黒いデーモンは、器用に石塊を避けていた。
今感じたのは、冥導だ。八体のデーモンの誰かが冥導魔法を使ったのだ。
ヒッグス粒子を操るメフィストを魔法で押し潰すとは……。実はすごいデーモンかな?
『異世界のデーモンは大したことないな。ソータ、これでメフィストから話が聞けるぞ』
アスタロトはスーツ姿の紳士に戻って、何事もなかったかのように話しかけてきた。自信満々の態度。大悪魔と呼ばれるだけの風格を感じる。脳筋だけど。メフィストは地面に押さえつけられて動けないでいる。何か魔法を使おうとしても、取り囲んだ八体のデーモンによって全て遮られていた。
瞬間移動でアスタロトの傍らに立つ。
「あの八体のデーモンはなに? 部下とか言ってたけど」
メフィストに話を聞くのが先だが、アスタロトの部下についても知っておいた方がいい。簡単には教えてくれないだろうけど。
「ああ、彼らは我が束ねる四十の軍団の長たちだ。それぞれが強い力を持つデーモンだから、……安心しろ」
安心できるわけがないだろ! とは突っ込まないでおく。教えてくれると言うので聞いてみる。
第一軍団の、ウンブラエ。四十の軍団をまとめている。
影を操り、影から物体を生成する。
第二十七軍団のヴォラトゥス。
重力を操作する魔法を使う。メフィストを地面に押しつけているのは、このデーモンらしい。
第四十軍団のヴォルテクス。
空間そのものを歪ませ、ポータルを作成して瞬時に場所を移動する。また、敵を別の次元に閉じ込めることもできるそうだ。これはメフィストを始末するために呼んだらしい。
第三軍団アエテリス。
空気の流れを制御し、窒息や圧力変化を引き起こす。
第四軍団イグニスス。
火を操り、熱エネルギーを吸収または放出する。
第五軍団アクアエット。
水の状態を変え、水圧を制御する。
第六軍団テラモール。
磁場を操り、地震で地形を変える。
第七軍団ヴェントゥルス。
風を操り、気象を制御する。
それぞれに特化した能力を持ち、彼らは軍団長として部下を持っているそうだ。
メフィストから話を聞くだけなら、第二十七軍団のヴォラトゥスだけでいい。そのあと始末するなら、第四十軍団のヴォルテクスが必要だ。他の六体は、何で呼んだんだと聞くと、この冥界の環境を作り変えると言う。
ただの脳筋悪魔かと思っていたが、ちゃんと先のこと考えていてビックリした。
「ふははははははは!! メフィストよ、貴様の命は風前の灯だ。我の問いに答えたら解放してやろう!!」
何でそこで笑うんだよ。と思っていたら、スタスタとメフィストの元へ歩み寄り、声をかけた。急に真面目な声を出すアスタロト。低く響くその声は、地獄の底から聞こえる怨嗟のようであった。
「おいメフィスト」
「……」
緩急の激しいアスタロトを見て、メフィストのチャラい声は途絶えた。透明な何かに抑えつけられて、ゆらゆら動く影――メフィストから恐れの感情が見て取れる。
「お前は、こっちのデーモンだよな」
「……」
「……な?」
「……は、はい」
おおー。やるなアスタロト。怖い雰囲気を出しただけで、メフィストの口調が変わった。
メフィストはアスタロトに対し、完全に怖じ気づいてしまったようだ。
アスタロトは質問を続ける。
デーモンなのに何故、冒険者ギルドの責任者として、ニンゲンの振りをしていたのか。どうやって冥導を隠していたのか。彼はこの二点を聞いた。
メフィストは素直に答えていく。
この世界では、大物のデーモンが現れると、神々によって討たれる。ニンゲンを喰らいつくし、滅ぼしてしまうからだ。それでも肉を喰らう衝動に抗えず、デーモンは基本的に冥界から異世界へ出たがっている。これが大前提としてある。
数十日前、マリア・フリーマンが冥界へ訪れ、メフィストに接触してきたそうだ。聖獣ヴェネノルンの血を飲めば、溢れる冥導が隠せると言って。
それは異世界の神々に見つからないことを意味する。メフィストはその話に飛びついた。彼は冥界で自由に過ごしていたが、暗くて陰気臭い世界が嫌いだったのだ。
メフィストは、ヴェネノルンの血を飲んだあと、しばらく冒険者ギルドに務めて、ニンゲンの振る舞いを身につけろと指示を受けた。ヴェネノルンの血の効果は凄まじく、冥導が漏れ出ることが無くなり、冒険者ギルドのニンゲンに疑われることもなく、彼は無難に過ごしていた。
しかし先ほど、マリア・フリーマンから念話が入って、メフィストはもう神々に見付かることは無くなった。これからは自由にしてもいい、そう言われたそうだ。
そのときメフィストは、何かが消えてなくなった気がしたという。それが何かは分からないが、これで自由にニンゲンを喰らうことができる。そう思ったらしい。
そこからまず、近くにいた冒険者ギルドの職員を丸呑みにした。その状況を見たギルド職員はメフィストを討ち滅ぼそうとした。しかし冒険者ギルド職員は全て地球から来たニンゲンである。バンパイアに変貌していたとしても。
彼らはメフィストがデーモンだとは知らずに、次から次に襲いかかり、全て返り討ちに遭った。つまり全員喰われたのだ。
それに気づいた冒険者たちが、魔術で攻撃を始めたが、メフィストクラスのデーモンにかなうわけがない。ほとんどの冒険者が喰われてしまった。
その際、ファイアボールなどの魔術が内装に引火して火事が発生した。
そんな流れだったようだ。
「ふははははははは!! お前は陽動のため、使い捨てのコマにされたな。マリア・フリーマンは、もうこの街にはいない!」
アスタロトはそう言って、急に真面目な顔になる。それと同時に八体のデーモンが各々で障壁を張ってその場から飛び退いた。
アスタロトが口を大きく開けると、緑色の吐息が吹き出した。
「な、なんだそれは!?」
それを見たメフィストが慌てふためく。緑色の吐息は、激しく揺らめく黒い影――メフィストへゆっくり近づいていく。
何かヤバそうなので、俺も障壁を張っておこう。
隣にいるアスタロトは、暴れるメフィストの声に答えるつもりはなさそうだ。
緑色の吐息がメフィストに接触するや否や、黒い影が腐食したように崩れていく。絶叫をあげるメフィストは、いまだに抑えつけられて動けない。
『スキル〝腐敗の息〟を確認しました。解析します。……改善し最適化が完了しました。これ以降ソータにも使えます』
『……スキル名から何となく想像できるけど、どんなのか教えてくれない?』
『はい。スキル〝腐敗の息〟は、緑色の煙が噴出し、その煙に触れたものは急速に腐り始めます。例えば、人間や動物は皮膚がただれて内臓が溶け出す、木や草は枯れて黒くなる、金属は錆びて穴が開く、岩はぼろぼろに崩れるなどの効果があります。この能力は、口から出た煙が消えるまで持続します』
『おっかないわ! てかアスタロトの口がくさいのは、このスキルのせいかも……』
『多分そうですね。試しに使ってみますか?』
『メフィストに? するわけないだろ!』
このスキルのせいで口がくさくなったらどうしてくれんだ。
クロノスと喋ってる間にもメフィストは腐っていく。もう声も出せないみたいだ。黒い影が液状に変化して、ボタボタと地面に落ちて白煙を上げる。それから少し経つと、地面に広がる黒いタールのようになってしまった。
それで終わりではなかった。黒いタールの腐食反応は続いており、徐々に小さくなっていく。そしてそこには何もなかったかのように消え去ってしまった。
メフィストから、もうちょっと話を聞きたかったが仕方がない。
「各軍団長に告ぐ。配下の軍団を呼び寄せ、この地を地球と同じ冥界に作り変えよ。この地をデーモンの橋頭堡とする」
アスタロトは堂々と宣言した。この地の環境を作り変えると。冥界も惑星だ。そう簡単に出来ないだろう。冥界には他のデーモンもいるのだから。
冥導が渦巻き、突風が吹く。上空に巨大な雨雲が現れ、土砂降りになった。そんな中、廃墟の街中で、爆発したように炎が噴き上がった。そして、地震が起きた。
八体のデーモンがその能力を使っている。とは言っても冥導魔法だ。クロノスが解析しないのはそのせいだ。
地震が酷くなっていき、立っていられなくなる。浮遊魔法で上昇して、廃墟のロンドンがどうなるのか確かめよう。
土砂降りのせいで、干からびたテムズ川に水が流れはじめた。廃墟の街から、川に水が流れ込んで、あっという間に増水してしまった。地震はまだ続いている。揺れが大きくなりあらゆる建物が倒壊していく。爆発もまだ続いていて、渦巻く冥導の風が強くなる。
これが天変地異か。
なんて思っていると、眼下に広がる街が突然陥没した。かなり広範囲だ。おそらくドーム内部全ての地盤が、数百メートル近く落下した。ニンゲンは誰もいないので、その点心配する必要はない。
しかし、アスタロトと八体のデーモンはどうなった。
そう思って彼らを探していると、声が掛かった。
「我の仕事は済んだ。あとはお前の仕事だ」
そう言ったのは、すぐ隣に現れたアスタロトだ。どうやら地上から転移してきたようだ。八体のデーモンも近くに浮かんでいる。
「俺の仕事って? 何も聞いてないんだけど?」
「ふははははははは!! 眼下をよく見ろ! 冥界の蝕が怒ってるぞ! ふははははははは!!」
「はあ? ……ああ、そういうことか」
こっちとあっちが表裏一体の多世界だとすれば、冥界に蝕がいてもおかしくはない。
「ほれ、攻撃が始まったぞ」
くさい息を吐きながら、のほほんというアスタロト。
天変地異が収まり、一瞬で風景が変わった。黒くて光沢があり、凹凸のない地面に。
『やってくれたねぇ。お前たちは冥界を破壊する気かい?』
聞こえてきた念話は、蝕と同じ声。つまり冥界の蝕からだった。
「ふははははははは!! こっちの蝕は、だいぶん怒っているな。さてソータ。これより我の力だけではどうにもならぬ。お前の仕事をしろ」
そう言ったアスタロトは、配下のデーモンを引き連れて、地上へ向けて急降下。スキル〝腐敗の息〟を使って、黒い地面を腐敗させはじめた。
つまり冥界の蝕を攻略しろってことか。
異世界の蝕と同じダンジョンコアなら、冥界の冥導を調整する古のダンジョン。まともに戦うなら手ごわいだろう。
冥界を探るために、ここを橋頭堡にすると言ってたな。僭越ながら俺も介入させてもらおう。
俺はアスタロトを追って急降下をはじめた。




