232 大悪魔
アスタロトと向かい合っていると、ふたりの震える声が聞こえてきた。
「ヒ、ヒュー、あれって悪魔のアスタロト?」
「さささ、さあ……? でも、伝承のとおりの姿だ」
「にににに、逃げた方がよくない?」
「そうしよう!」
「そこのバンパイアとニンゲン、我の話を聞け」
爆音のような大声が響き渡る。逃げようとしたヒューと妹のエリーに言ったのだ。あまりの大声で、ふたりの身体が硬直する。
「すいません、アスタロトさん。近所迷惑なので、声を絞ってもらっていいですか?」
「むっ、我としたことが、済まないことをした」
おお? 話が通じる奴でよかった。アスタロトは炎を纏ったままドラゴンから飛び降り、俺たちの前に歩いてきた。黒いドラゴンが透き通ったと思った途端、何もなかったように消えてしまった。
「俺の名前を呼ばれたようですが、どんな用件ですか?」
「うむ。巨大ゲートの通過条件が緩和されて、こちらの世界に来たのだ。この異世界を案内せい」
いや、面倒くさいやつだった。悪意は感じないけれど、ヒトの形をした炎の固まりだ。こんなやつ連れ歩いたら、軍がすっ飛んでくるだろう。
「その前に、ちょっと聞いてもいいですか?」
「何でも聞くがよい」
「えーっと、では――」
ヒューとエリーは名前を聞いて、その姿が伝承通りという結論を出した。まずそこを確認すると、本当に地球の悪魔だった。自称だけど。
巨大ゲートの通過条件が緩和されたのは、理由が分からないという。これまで大悪魔が通れないようフィルターのようなものがあったが、アスタロトはそれが突然消えたというのだ。
『お前か』
蝕へ念話を飛ばす。心当たりはこいつしかいない。
『へへっ、ビックリした? 事前に知りたければ、ダンジョンマスターになれば――』
『断る』
何だこの強引な勧誘は。蝕との念話を打ち切って、アスタロトの話を聞いていく。
アスタロトは、リリス・アップルビーと協力関係にあり、ニューロンドンへ行く機会を探っていたそうだ。
地球側のゲートは、ストーンヘンジにあるらしい。今ではイギリス軍が周囲を警戒し、許可がないとネズミ一匹通れないという。
そんなところをどうやって通ってきたのだろうか? そう考えていると、炎の固まりアスタロトは、ニンゲンの姿へ変化した。
彼の髪は黒く短く切り揃えられており、額に一本の白髪が目立っている。黒いスーツに白いシャツと赤いネクタイを着こなす、イギリス紳士が俺の前に立っていた。
牙を剥いていたバンパイアも、スーツとドレスの美男美女へ変わった。
こいつ悪魔なのに、スキル〝変貌術〟を使うのか。
……そういえば俺も使えるんだった。ヒトのことは言えないか。アスタロトは悪魔だけど。
「では、案内してもらおうか」
「やかましいわっ!」
結局案内しろと言われて、思わずツッコむ。
「リリスに言われて来たんだが?」
「それでもダメ。ここのダンジョンコア蝕に案内してもらえばいい」
というか、リリスは何で俺の居場所を知っている。……あー、この街にもリリスの手下がいるってことか。アスタロトの周りにいるバンパイア、彼らは公園を歩いて接近してきたから、多分そうだろう。
リリスは、マリア・フリーマンのせいで、マラフ共和国に近付けないと言っていた。リリスの手下たちは、蝕のおかげでニューロンドンに潜入できていた。そう考えるのが妥当だろう。
『おいこら蝕。アスタロトを押しつけるな』
『あはは。やっぱダメかな?』
『ダメ』
『残念』
『諦めろ』
蝕との会話が終わると、アスタロトの動きが止まった。たぶん蝕から念話が入っているはず。しばらくするとアスタロトは首を縦に振って、何も言わずハイド・パークから出て行った。バンパイアたちは、俺たちに何故か丁寧にお辞儀をして、アスタロトを追いかけていく。
いったい何だったんだよ。
「……」
「……」
ヒューとエリーは石膏のように固まっている。ヒト型の光る発光体、悪魔アスタロト、バンパイアの集団、これらを見て驚きのあまりってとこかな。
「なあ、ふたりとも」
「……」
「……」
ヒューもエリーも、眼だけ動かして俺を見る。器用なことするなあ。
「とりあえずさ、マリア・フリーマンの派閥からは抜けること。悪魔アスタロトをここに呼んだのは俺じゃないけど、蝕に面倒をみてもらう」
「そ、それはどういう……?」
「あ、あたしたち悪魔に殺されちゃうの?」
ああ、そういうイメージか。
「おそらくアスタロトは、蝕の口車に乗せられ、マリア・フリーマンの派閥を排除するために、馬車馬のように働かされるはずだ」
「本当に?」
「あたしたちの生活が変わったりしない?」
「俺は昨日この街に来たばかりで、どんな体制なのか理解していない。だけど、イギリス政府が絡んでいるのなら、蝕と交渉して、悪くならないように努力するんじゃないかな」
「……あ、やっぱり」
「エミリア様……、ううん違う。エミリアは、ソータくんが異世界を荒らし回っている逆賊の日本人だと言ってたの。それでね……、ソータくんはホムンクルスだって言ってたよ? ほんとなの?」
プロパガンダが始まったか。いや、この場合アジテーションだな。
「ほんとなのって言われてもなあ……。街はニンゲンにそっくりなヒューマノイドが歩いている。ニンゲンは病気や怪我を治すために、サイボーグ化する時代だ。そこに魔術が現われた。ホムンクルスがいたとしてもおかしくはない。だから『俺はニンゲンだ』と証明するすべはない」
「否定しないんですか?」
エリーは食い下がってくる。実際俺はニンゲンじゃないから、何とか話を変えたいのだが。なんて考えていると、ヒューの擁護が入った。
「さっきさ、エリーの爆裂火球を食らっても、ソータくんは怪我ひとつないんだ。その時点で、ソータくんが、とてつもない魔術が使えると分かっただろ?」
「……うん」
「ホムンクルスでもニンゲンでもいいじゃない。エリーはちゃんと謝りなさい」
「……ソータくんごめんなさい」
もっと問い詰められると思っていたけど、兄妹で話がついてしまった。
「うん。全然平気だから気にしないで。それより、ふたりともマリア・フリーマンの派閥から抜けてね。エリーは……、ちょっと待って」
ふたりから少し離れて、念話を飛ばしてみる。
『リリス』
『……ソータ。どうやって私に念話を』
『まあいいじゃん。そんな事より、ちょっとお願いがあるんだ。俺がニューロンドンにいることは知ってるよね。そこにいるヒューと妹のエリーの面倒を見てくれない? あ、家名はストローマ』
『ストローマ家……いいだろう。貸しだぞ』
『あ、おいっ!』
念話が切れた。話早くていいけど、貸しってなんだよ。
まあいいか。
「ヒュー、エリー、ふたりともリリス・アップルビーの派閥に入るんだ。話はつけといたからさ」
「え、どうやって?」
不審な顔をするヒュー。エリーは声こそ出してないが、じっとりした目で俺を見ている。
『念話だよ念話。これでリリスの幹部と連絡を取った』
「わっ!? いまの何?」
「頭の中にソータくんの声が聞こえた!」
『その感覚に集中してみて』
ヒューとエリーは念話に興味津々。俺はふたりにスキル〝念話〟を付与した。
『あ、このスキルはいつの間に!?』
『えっ、ヒュー、どういうこと?』
ヒューには、〝スキル認知〟と〝スキル制御〟を付与しているから、すぐに理解したようだ。ヒューは、ああでもないこうでもないと説明を始め、エリーはしばらくしてやっと理解できた。
ヒューだけだとちょっと不公平感があるので、エリーにも〝スキル認知〟と〝スキル制御〟を付与した。そこで完全に理解したのだろう。ハッとしたエリーは念話を使って聞いてきた。
『こういうこと?』
『そういうこと。そのスキルでリリス派閥の幹部に連絡したんだ。だから安心して……、いや、少し警戒して、リリス・アップルビーの派閥に入るといいよ』
あいつはちょっと何考えてるか分かんないから、百パーセントは信用できない。できても九十九パーセントだけど、このままヒューたちを放り出せば、マリア・フリーマンの残党に狙われるだろう。
どちらが安全かと考えると、リリス・アップルビーの庇護下に入った方がいい。
ふたりの兄妹はそれどころではないみたいだ。念話が使えるようになったと、大喜びしている。ヒュー、妹がまた問題起こすかもしれないけど、頑張って。
「ソータくん」
「改まった顔でどうしたヒュー」
「いや、ちょっとでも疑ってしまって申し訳ないと思ってさ。今日は本当にご免なさい」
そう言ってヒューは深々と頭を下げた。それを見て、エリーも一緒に頭を下げる。本当に気にしてないから、そんなことしなくていいのに。でもこういう事をちゃんとできるって、偉いと思う。
頭を下げるって、なかなかできないからな。
「よし! ヒュー、エリー、昨日打ち上げできなかったからさ、今から行こう!」
「え、まだ朝なんだけど」
「いいじゃんヒュー。ソータくん、おごってくれるんだよね?」
「ああ、もちろん。というか、いいお店知ってる?」
「うん、知ってる」
「やったー! ヒューどこ行くの?」
「エリーはノンアルコールな」
「え、今日はいいでしょー!」
「ダメなもんはダメ」
兄妹でわちゃわちゃし始めた。こういうの見ると、俺も兄妹が欲しかったなと思う。じーちゃんの姿が頭をよぎったけれど、もう少し彼らと一緒にいよう。
行き先は決まった。結局この時間からアルコールを出すお店は、冒険者ギルドの近くにしかないそうだ。歩いてすぐなので、俺たち三人はお店に向かって歩き始めた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
目の前に白く美しい石造りの教会がある。ここがヒューの案内したお店だ。中を改造して、レストランにしたらしい。
教会と聞けば、厳かで荘厳なイメージを思い浮かべるが、その内部に足を踏み入れると、まるで別世界に迷い込んだかのようだった。
カウンターには色とりどりの食材や年代物のワインが並び、その奥には、さまざまな国の料理を提供するキッチンがずらりと並んでいた。ピザやパスタ、寿司やアイスクリームなど、好きなものが全部揃っていた。
朝食の品揃えじゃないな。なんて思いながら高い天井を見上げる。教会の天井には、美しいステンドグラスの窓があって、虹彩を帯びた光が差し込んでいた。
「虫だ虫! 何でこんなもんが入ってるんだ!!」
食事中の客が大声を出し、ホールスタッフに文句を言い始めた。
せっかくいい店だと思ったのに、こういう客がいるだけでげんなりだ。ヒューもエリーも微妙な顔で店の中を歩いて行く。
「いらっしゃいませ。お騒がせして、申し訳ありません。こちらへどうぞ」
別のホールスタッフが俺たちを案内していく。四人テーブルに案内され、俺たちは席につく。メニューを見ている間にも、例の客は虫が入っているとごねていた。
「ここさあ、実はミシュランガイドに載ってる店なんだ……。衛生面には特に気を付けてると思うんだけどねえ……」
しれっと言い放つヒュー。この野郎、俺のおごりだからって、高級店に来やがった……。いや、今はそこじゃないか。あの客のごね方は常軌を逸している。対応しているホールスタッフは涙目になって対応しているが、誰も助けに入ろうとしない。
ヒューとエリーの視線が俺に刺さる。何とかして、と言いたいのだろうけど、何もしないよ? こんなところでしゃしゃっても、いい結果になると限らない。義憤に駆られて行動し、周りの客に迷惑がかかれば本末転倒。店の者に任せるのが一番だ。
――――ズドン
いや、やっぱしゃしゃってしまった。というかホールスタッフと、そのまわりの客に障壁を張っただけだ。そうしたのは、虫を見つけた客がいきなり魔法をぶっ放したからだ。
個人個人に障壁を張ったから皆さん無事だけれど、テーブルとその上の料理が木っ端微塵になって飛び散った。爆発の規模から、ファイアボールではなく爆裂火球だとわかる。
障壁張ってなかったら、死人が出てたぞ。
「……ううっ」
エリーはさっき俺に爆裂火球を使ったので、それを思い出して下を向いている。ヒューは何か言いたげな顔で俺を見ているが、おそらく障壁の件だろう。
だけどここで名乗り出る気はない。俺は障壁を張っただけ。誰も傷つけてない。悪いことひとつもしてないからね!
店内は悲鳴と怒号が入り混じって、半分パニック状態だ。
爆裂火球を放った虫を見つけた客は唖然とした顔で席に座ったままだ。まるで意図せず魔法を放ってしまったような顔をしている。
違和感がある。
魔法は意識しなければ発動しない。いや、彼らの場合は魔術になるのか。どっちでもいいけど、基本的に魔法を使うために、呪文の詠唱が必要になる。俺のまわりに無詠唱で魔法を使うものばかりなので失念しがちだが、本来はそうなのだ。
あの客の魔力量はかなり多い。
ん?
そう思って気づいた。
ヒューやエリーの魔力が増えていることに。それどころか、この店にいる客、全員が魔力の保有量が多い。
「うっ……。うわあああああああああああっ!!」
虫を見つけた客が絶叫し、また爆裂火球を放った。




