230 暴露
眼下には赤黒く広大なマグマの渦が広がっていた。その熱は想像を絶する猛烈さだった。
障壁を張ってなかったら、空気に焼かれて死んでいただろう。
浮遊魔法を使わなければ、マグマに落ちて焼け死んでいたに違いない。
しかし、太陽の中心に送り込まれた経験と比べれば、これは取るに足らない熱さだった。
この空間はおそらく、惑星の内部にあるものだ。巨大なマグマの渦から、魔力が吹き出し、この空間を満たしている。遙か遠くにも同じような渦が見える。おそらくこの空間が八芒星の巨大ゲートだ。
熱気で歪んで見えるが、天井に大きな人工物が見える。耐熱仕様のタイルが丸く貼り付けられ、かなり広範囲に広がっていた。あの中でイギリスの人々を出迎えているのだろう。
そして、この空間自体が、蝕のマスタールームだ……。
ダンジョン攻略のために入ってきたとて、常人なら焼け死ぬオチだ。悪質とまでは言わないが、ひどいマスタールームだ。魔女マリア・フリーマンが徒党を組んで挑んだ意味が分かったよ。
『どうだい』
スッと現れた蝕。ただの水晶なので表情は分からないが、念話の声はドヤっている風に聞こえた。
『てめえ! 殺す気か!!』
『これくらいで君が死ぬわけない。そんなことより、あそこを見て』
あそこと言われても、蝕は水晶だ。視線を動かすとか身振り手振りとか指を差すとかできないだろう。あそこがどこなのかさっぱり分からない。
『ああ、ごめん。一点だけ魔力が無くなっているところが分かるかい?』
そう言われて探ってみると、確かにある。
――――クジラの形をした黒い結晶が、マグマの上に浮かんでいた。
クロノスが話しかけてきた。こっちは念話でなく脳内で話すから、蝕に聞かれる心配はない。
『浮遊魔法陣を確認しました。解析します……。解析が終了。魔術の魔法陣ですが、魔力を使っているので、さして違いはありません。改善して最適化しました。これ以降ソータも使えます』
『あのマグマの上に魔法陣が……? いつもありがとう』
俺と同じように風魔法、いや風魔術で魔法陣を作っているのか。
『どういたしまして~』
クロノスと話していると、蝕がじっとこちらを見ている気がした。水晶なのに。
『あれがユライの姫御子、フィアか……』
『おおっ!? よく知ってるね。あれはマリア・フリーマンの八芒星魔術、精霊結晶で、あんな姿になってるんだ』
八芒星魔術……? 魔術結社実在する死神らしい名前だ。
『んで、あれを取り除いてほしいと?』
『そうそう。あのせいで、特定のニンゲン――マリア・フリーマンの配下に魔力が伝わるように、経路が歪められているんだ。歪めているのはユライの力なんだけど、僕があれを排除すると壊しちゃうからね』
ほう。ヒューがライターの火程度しか出せなかったのは、このせいか。
『で、俺に丸投げってことかな』
『まあまあ、そう言わずにさ』
ここで蝕に恩を売っておくのもいいかもしれない。ユライの長老の望み通りになるが、あいつは恩を感じないだろう。
『じゃあ行くぞ』
『うわっ!?』
集団転移魔法を使って、俺と蝕は姫御子フィアの近くへ移動した。姫御子と言うから可愛いものだと思っていたが、でかすぎる。
外の雪原にいたユライは、全長五百メートルくらいだったが、姫御子フィアは千メートルを超えていそうだ。
この空間が広すぎて、スケール感が狂っていたみたいだ。
とりあえず、俺と蝕、姫御子フィア、まとめて障壁で包み込む。その瞬間、姫御子フィアの精霊結晶をスキル〝魔封殺〟で解除した。
黒い結晶になったクジラが、半透明なユライへ戻っていく。
『――――お前たちか。わらわを閉じ込めたのは』
ぐおおっ!? 頭が割れる!? 念話の音量でかすぎ!!
『痛覚を停止。念話の音量を調整します』
けれどクロノスがすぐに対処してくれた。
ひとまずヒュギエイアの水を飲んで回復する。近くにいる蝕は何ともなさそうだ。
『閉じ込めていたのは俺たちじゃない。その念話少しだけ音量下げてくれないか?』
『わらわの問いに答えろ! お前たちがここに閉じ込めた――』
話にならないので、姫御子フィアを転移魔法で外の雪原に飛ばした。ユライって、みんなあんなのばかりなのかな。
『……おかしな魔法の使い方するね、きみは』
『やかましいわ!』
『あははっ。でも助かったよ。これで地球人たちも、そこそこの魔術が使えるようになるからさ』
『蝕、ちょっと聞きたいんだけど、ユライがああなるって知ってたろ?』
『ははっ、君なら上手くやれると思ってね』
『いちいち試すような真似は勘弁してくれない?』
『そうさ。僕は君を試していた。分かりやすかったよね』
『いやいや、あれだけ質問されたら、何かの面接かなと思うだろ』
『そうだね。君は合格だ。このダンジョンのマスター権限を与えよう』
『断る』
『え? またまたー』
『いやマジでいらない。蝕は地球人を迎え入れると決めたんだろ? 俺はここに留まるつもりはないから、任せるよ。イギリス政府の人たちと話し合って進めてほしい』
『そっか……。残念だよ。君ならいいマスターになれると思ったんだけどね』
『ダンジョン内の魔術結社実在する死神たちはどうするつもり?』
『こっちで何とかしておくよ。心配しないで』
『そうか。悪いけど頼むよ』
『任せなさーい』
それからしばらく、渦巻くマグマの八芒星の上で浮いたまま、世間話をした。蝕との話はとても有意義なものだ。この世界の成り立ちから、デーモンやバンパイアや魔女といった、ニンゲンに敵対する勢力の情報をもらって別れた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ニューロンドンは、ナノマテリアルの布が朝を告げていた。どんより曇った雨模様。そろそろ降り出しそうな空。紳士淑女の皆さんは傘を持ち歩いていた。
それに混じって歩く俺は、衆目を集めていた。肩の上にスクー・グスローのような妖精が座っているからだ。それはもちろん蝕だ。彼はどうやら、ニューロンドンの人々に情報公開するらしい。
耳もとから念話が届く。
『じゃあ行ってくるよ』
『ああ。頑張ってね』
そう言うと、肩の上の蝕は姿を消した。
次の瞬間、雲が消えて青い空が広がった。青空はもちろん、障壁内部に貼られたナノマテリアルの布だ。
そしてロンドンの空に、白く輝く妖精が映し出された。
『あー、ロンドンの皆さん、おはようございます。僕はこのドームを維持している、蝕。地下にあるダンジョンコアだよ。今日は少しお知らせがあって――』
突然の天候変化と、街の人々全員に届く念話。
蝕が安全に配慮したようだ。電気自動車は自動的に止まり、上空のドローンは安全に着陸した。街ゆく人々やヒューマノイドは空を見上げた。
自己紹介を終えた蝕は、地球の人々を迎え入れると宣言。
今回は魔術結社実在する死神とイギリス政府の依頼で、この街を造り上げたと話した。
そのなかで、魔術結社実在する死神の内部情報が暴露された。
魔術結社実在する死神には、四つの派閥がある。
一つ、魔女シビル・ゴードン率いる主流派。
二つ、リリス・アップルビー率いる穏健派。
三つ、米国ビッグフット社のネイト・バイモン・フラッシュ率いる穏健派。
四つ、魔女マリア・フリーマン率いる過激派。
これらの中で、唯一人類に危害を加えているのは、マリア・フリーマン率いる過激派で、ヒトをバンパイアに変え、使い捨ての兵力にしていると話した。
そこで蝕の念話が途切れた。
立ち止まって念話を聞いていた人々は不安な表情になり、中にはうずくまって泣き出すものも現れた。ふざけるなと怒り出す者もいれば、対話して解決しようと言い出す者もいる。
人それぞれの思いが爆発したところで、念話が再開された。
『君たちの思いはわかった。僕はね、地球の人々を受け入れると決めたんだ。だからさ、マリア・フリーマンに属する過激派と敵対することにした。僕は君たちがこれまで通りの生活が送れるように努力する。そこでちょっとお願いがあるんだ――』
そのお願いは、地球を探してほしいというものだった。
人類に残された時間はあまりない。それでも探してほしいというのだ。
まったく、突然何を言い出すのか。
いまの地球は、ヒューマノイドが街を歩き回り、人工知能が人々のサポートをする世界だ。神を信じていない人たちが、地球という女神を信じるわけがないだろう。
「クトニエって、地球のこと?」
「ギリシャ神話では、ガイアって呼ばれてなかった?」
「キリスト教の創世記にあるだろ、はじめに神は天と地を創造されたって」
「ギリシャ神話なら、神はカオス、天がゼウス、地がガイアだな」
「つまりガイアを探せってこと?」
「だな」
「一度地球に戻って、探してみる?」
「そうしよう。でも、どうやって探すの?」
「さあ?」
そんな話が周囲から聞こえてくる。いくらなんでも詳しすぎじゃないか。
たまたま神学校の生徒だったのかもしれない。そう思って、ロンドンの街を歩いてみると、同じような話をそこら中で聞くことができた。
イギリスの人々は、こういった神話や宗教の知識に元々造詣が深いようだ。国にキリスト教が入ってきた経緯や、聖書の創世記とギリシャ神話の共通点など、様々な議論を聞くことができた。
ああ、なるほど。蝕は、この地の人々が知識を持っていると知っていた。だから話した。そして協力を願い出た。
その目的はおそらく、地球に地球温暖化を止めてもらうことだ。
それができれば一番いいだろう。だが、地球が人類を見限っていた場合、どうすることもできない。地球に残った人類は滅びるしかない。
俺の行動方針に変わりはないか。
近いうち、ドラゴン大陸に行って、進捗状況を確かめた方がいいな。大魔大陸はビッグフットのCEO、悪魔ネイト・バイモン・フラッシュに任せておけばいい。
とりあえず冒険者ギルドに行って、どんな対応をしているのか見てみよう。マリア・フリーマンの一派がいれば、叩いておかねば。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ロンドン冒険者ギルドのハイド・パーク支所は、大騒ぎだった。
ガイアを探すため、地球にも冒険者ギルドを創設すべきだという話で揉めている。
俺は反対だ。各国が手を回しているところに、冒険者ギルドのルールを持ち込まれたら、混乱するのは必至だ。
ラウンジで言い合っている冒険者たちを眺めていると、声がかかった。
「えらいことになったね、ソータくん」
「そうだね、ヒュー。あの白いの、何だろうな?」
カウンターの上にあるテレビに、実況中継するリポーターが映っている。もちろん空に浮かんだ蝕のことだ。おや、空艇が飛んでる。
イギリス製なのか、この世界で購入したのか分からないが、完全に戦闘用の小型空艇だ。
「あれすごいよね。この世界の技術と地球の技術の産物だってさ」
ヒューが言っているのは、小型空艇のことだ。ちょうどいいから聞いてみよう。
「へえ……。俺あんまり詳しくないんだ。どこで作られてるの?」
「えっ、ちょっと待って。本当に知らないの?」
「ああ、知らない」
俺の返事を聞いて、ヒューの目がスッと細くなった。まずいな。何か失言したっぽい。
「ニューロンドンは一応マラフ共和国の領土内だからね。魔術結社実在する死神が架け橋になって、イギリスとマラフ共和国が同盟を結んだって、大々的に報じられてたでしょ。そのときマラフ共和国とイギリスの技術で、新型空艇を作ったんだよ」
「あはは。ごめんごめん、そのニュース知らなかった」
ニューロンドンに来たのは昨日だ。冒険者ギルドで情報収集しようと思っていたが、キオスクのタブロイド紙やテレビも役立つはずだ。電話も繋がるのに、もろもろ失念していたとは、完全に俺の不注意だ。
マラフ共和国とイギリス政府の共同開発で空艇を作っていたとなると、聞いていたとおり相当前から繋がりがあったはずだ。戦闘機の開発なんて一、二年でできるものではないだろう。
「冒険者は情報が命。ソータくん、僕の先輩なのに、そんなんじゃダメだよ」
「返す言葉もない……」
微妙な空気になってしまった。そこからしばらく話していたが、ヒューのよそよそしい態度は元に戻らなかった。こういうときはあまり無理して取り繕わない方がいい。
そろそろ行かなければと告げ、俺は冒険者ギルドを後にした。
まだ蝕の話が続いている。脳内に響く念話は、軽く意識すると消えるように調整されているみたいだ。おかげで念話が邪魔になることはない。
俺はハイド・パークに入って、どんどん奥へ進んでいく。
それは背後からこっそりとつけてくる、ヒューと妹のエリーを誘い込むための策だった。




