227 ターニングポイント4
『言ったでしょ。僕は君を見ていたんだって。それでこの無限の空間を見て確信したよ。原初の神カオスから生まれた、時の神クロノス。どうして君がソータくんと一緒にいるんだい?』
『なんでそんな事知ってるのかなー?』
ソータの発する声が女性のものへ変わった。
『おおっ、おもろっ! ねえねえ、いまクロノスに替わったでしょ?』
『ソータへ伝えるにはまだ早いです。黙っていれば、このダンジョンを破壊しないであげます』
『おーこわ。んじゃ、黙っとくからさ、代わりに何があったのか教えてよ』
蝕の声は興奮で弾んでいた。
『――約束ですよ』
抜け落ちた表情は無。ソータの顔は確かにそこにある。しかし、まるで黒い穴が空いたように見えていた。
『わ、わかった。絶対に言わない……』
怯える蝕は、それでもクロノスから話を聞こうとした。
それを不審に思ったのか、クロノスは問いかける。
『何があったのか教えてほしい。蝕、あなたは私にそう言いましたね。私は何を教えればいいのでしょうか? あなたは何を知っているのでしょうか?』
『あ、はは~。ごめんなさい。大事なところがすっぽ抜けてたね。君はカオスと戦って敗れたでしょ。そのあとさ、君はオゲノスの底に沈んでいたはずだよね。そこから逃げ出した後、どうやってソータくんに憑依したのかな~と思っただけ――』
そう言った蝕は、突如言葉を止めた。クロノスの様子を見て、これ以上聞けば拙いと思ったのだ。ソータの身体から、アイテールが吹き出して、この無限の空間が神域へと変化した。
『――ごめん。言いたくなかったら、僕はもう聞かない』
『それが賢明ね。ではこちらから質問するわ。あなたが口走った、私とカオスの戦い。オゲノスの底。この二点をどうやって知ったのか答えなさい』
クロノスの言葉には、強い意思が込められていた。蝕は断ることが出来ずに、話すしかなかった。
『実は僕……、マリア・フリーマンが持ってる日記をコッソリ読んだんだ――』
マリア・フリーマンは地球へ追放された後、異世界へ戻るために周到な準備を進めていた。神々を討つ。その目標を達成するために、地球のあらゆる神話を読み、異世界の神との関係を探っていた。
そんな中、彼女はギリシャの哲学者フェレキュデスが遺した書物、ペンテミュコスの存在を知る。その書物には宇宙の創造と神々の起源について、様々な記載がされていた。
いわゆる、フェレキュデスのカオス思想である。
しかし、現存しているものは断片的なものばかりであった。
マリアは一旦落胆したものの、ペンテミュコスの完全版を探すために再び奮起した。彼女はギリシャへと向かい、フェレキュデスの足跡を辿り、山岳地帯に隠されたアルケアノス図書館を発見した。
そこは時空間魔術で封印されていたが、マリアにとってそれは玩具に過ぎなかった。彼女はアルケアノス図書館へ入り、膨大な書物の中からペンテミュコスの完全版を発見した。
彼女はそこで、時を忘れてペンテミュコスを読みふける。
哲学者フェレキュデスは、クロノスを時の神とする通常のギリシア神話とは異なる解釈をしている。彼はクロノスという名前を「時」ではなく「水」に関連付けて、カオスから生じた原初の創造神とした。
また、クロノスをザースの父ではなく、姉弟とした。彼はこれらの変更によって、神話と哲学を結びつけることで、新しい世界観を作り出した。
断片的にしか伝わっていない彼の思想は、後世の哲学者や神話学者に影響を与えている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
カオスは、宇宙の始まりであり、すべての終わりでもあった。無限の水の流れの中に、彼は自らの姿を見出せなかった。孤独であり、不安であり、苦しみだった。
彼は、自分以外の何かを求めて、水の流れを操り、さまざまな形を作り出していく。
しかし、どれも彼の心を満たすことはできなかった。彼は悲しみに暮れ、自らの涙を流した。
その涙が水の流れに混じり、新たな生命を生み出した。
それがクロノスである。
クロノスは時を司る女神として、カオスから生まれた最初の子であった。
彼女はカオスの苦しみを感じ、彼に近づいて慰めようとした。しかし、カオスは彼女を見ても喜ばず、彼女を自分の一部としか思わず、一切の自由を与えなかった。カオスは彼女を水の流れに縛り付け、自分のそばに置いた。
クロノスはカオスに愛されていることを知っていたが、縛り付けられるのは違うと感じる。彼女は自分の力を試したくて、水の流れを変えたり、時を進めたり戻したりして遊んでいた。
しかし、カオスはそれを許さず、彼女の行動を制限し、自分の思い通りにしようとする。クロノスは彼に反抗し、水の流れから抜け出そうとした。
カオスはそれを阻止し、彼女を罰した。
こうして、カオスとクロノスの間に、争いが起きた。
クロノスは自分の力で水の流れを切り裂き、カオスから離れようとする。
カオスはそれに怒り、水の流れでクロノスを押し潰そうとする。
二人の神の戦いは激しさを増し、水の流れは荒れ狂ってゆく。
その衝撃で、水の流れからさらに新たな神々が生まれた。
それがザースと地球である。
ザースと地球は兄妹であり、恋人でもあった。
ザースは空気と雷を司る神として、地球は大地と生命を司る女神として、水の流れから飛び出す。
二人は互いに惹かれ合い、愛し合う。カオスとクロノスの戦いから逃れるために、高い空へと昇った二人は、空で初めて見た太陽や月や星々に感動し、それらを飾り物として身につけた。
やがて二人は結婚式を挙げることにした。ザースは地球に贈るために、世界の衣装を作った。
それは、空気や雷や火や光や色や音などから織り上げられた、美しい衣装であった。
ザースはその衣装を羽根のついた樫の木にかけ、地球に見せた。彼女はその衣装に感激し、ザースに抱きついた。
そして、ふたりはその衣装を大地にかけ、世界を作った。
幸せなふたりを尻目に、クロノスはカオスとの戦いに敗れ、地球にあるオゲノスという深い水の中に落とされていた。
オゲノスはカオスの支配下にあり、クロノスはそこから抜け出すことができない。
時の神としての力を失い、クロノスはカオスに対する恨みと悲しみを抱え、水の底で眠りについた。クロノスはその後、ザースによって解放されることは叶わなかった。
一方、カオスは自らの創造と失敗に苦悩していた。クロノスとの戦いが終わり、水の流れが静まり返ると、カオスは自らの行いに疑問を感じ始める。自分の子であるクロノスを罰し、オゲノスの深い水の中に閉じ込めたことを。
その行為が正しかったのか、カオス自身がわからなくなっていたのだ。
カオスは地球へ行き、水の底へと降りていった。彼はオゲノスの深い水の中で、ようやくクロノスの眠る場所をみつけた。
カオスはクロノスの姿を見つめ、その顔にはかつての力強さが失われ、ただ悲しみと絶望が残っていることに気付く。
カオスは自らの手でクロノスを閉じ込めたことに対する罪悪感に苛まれていった。
そして、カオスは決断した。クロノスを解放すると。しかし、それは単純なことではなかった。オゲノスはカオス自身が創り出した場所であり、一度閉じ込められた者はそこから抜け出すことができないという法則があった。
カオスは自らの力を集中させ、オゲノスの水の流れを操り始めた。水の流れが渦巻き、波立ち始めると、クロノスの眠る場所がゆっくりと開かれた。
しばらくすればクロノスは目を覚ます。
カオスは水の底から抜け出し、彷徨っていた。クロノスを解放したことで、自らの創造と失敗に対する罪悪感は和らいだが、それでもカオスの心は安定せず、新しい創造への道を探し続けた。
ペンテミュコスにはそう綴られていて、最後にはこう書かれていた。
――――我はカオス。フェレキュデスとして、この書物を遺す。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
『ふうん……。あのクソオヤジ、私のことをそんな風に思っていたのね。わざわざ人化してまで難解な書物を遺すとは……』
黒い闇の顔から一変、悲嘆に暮れるクロノス。ソータの顔は、まるで女神のように美しく変化し、涙を流していた。
『……』
一気に話し終えた蝕は、彼女の反応を窺うように沈黙した。
『……それはいいとして、カオスが地球からいなくなった訳は知っているかしら?』
『マリアの手記には、こう書いてありました――カオスはソラス陣営に加わったと』
『なあにソラスって?』
突如として笑顔を見せるクロノス。今泣いた烏がもう笑う状態で、精神が不安定そうに見える。まるで子どものような笑顔だ。
『えーと。本当に知らないんですか?』
『知るわけないでしょ? 私はこの世界に来てまだ三ヶ月ちょっとよ?』
『三ヶ月……? ああ、ロンドンの人たちが言う時間の単位ですね。ということは、こっちに来て百日くらい、といったところですか。……それだけ時間があったら、この世界の書物を読めば、神々がどれだけいるのかくらい簡単に分かりますよ? クロノス、君はこれまで何をやっていたのかな?』
今まで怯えていた蝕は、クロノスの幼児退行のような変化を見て、自信を取り戻したようだ。その口調は丁寧なものから、元の砕けたものへ変わっていた。
『それはいつか調べるとして、話を本題に戻しましょうか』
『本題? 君は何を言っているのかな?』
そこまで言った蝕は、クロノスの雰囲気が変わったことに気づいた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
『本題? はあ? おまえ何を言ってんの? 俺が復唱してやるから、自分で理解出来るか確かめてみろ。「――言ったでしょ。僕は君を見ていたんだって。それでさ、この無限の空間を見て確信したよ。原初の神カオスから生まれ本題? 君は何を言っているのかな?」蝕、お前はこう言ったんだぞ? 意味不明だぞ。もう少し分かりやすく説明してくれないか?』
『うわちゃーっ! 何でもない! 今のは忘れて!!』
あれ? 何で俺は泣いてるんだ……? 蝕の言動もおかしい。それに、なんか記憶が飛んだ気がする。
まあいいか。
『んで、どうすんの。ここで戦えば、地上のロンドンには影響はない。だけど、俺が蝕を割ってしまえば元も子もない。ダンジョンが崩壊して大勢が死んでしまう。それは避けたいからさ。――できれば降参してくんないかな?』
『はい。降参します』
えっ? 意外と簡単にいったな。次の魔法とか、その次の魔法とか、色々考えてきたのに。
まあいいか。会話ができるなら、いろいろと話を聞き出してみるとするか。何となく疲れた気がするが、きっと気のせいだろう。
『んじゃとりあえず――』
俺の言葉に蝕は素直に話し始めた。




