226 蝕
テセウスに倒された牛頭人と、目の前のスロー・ベルは、同一個体だと分かった。
スロー・ベルは迷宮に放置され、死を待つだけの状態。そこに現われたのは、迷宮の制作者、名工のダイダロス。スロー・ベルは彼に助け出されて生き延びていたそうだ。
嘘か本当かは分からないが、スロー・ベルが生に対して執着が強いことは分かった。
本人が同一個体というなら、そうなのだろう。その本人という前提が間違っている可能性もあるけど、考えすぎると思考の渦にはまるだけだ。
ひとまずスロー・ベルの話を全て聞いてから判断しよう。
「俺のじーちゃんはどこにいる。まだ生きているのか?」
「ぐぅぅぅ……。もう少し緩めてくれないか」
障壁内はヒッグス場になっていて、俺は魔法でその場の強さを操作できる。ヒッグス場が弱くなれば、スロー・ベルは質量を失って浮き上がる。ヒッグス場が強くなればスロー・ベルは重くなって動けなくなる。
このままだと話が長引くので、ヒッグス場を少し弱めた。
「ふはは。ヒョータは生きている。我々の協力者として」
急に何なんだ、こいつは。緩めた途端に立ち上がって高笑いか。おまけにじーちゃんが協力者だと? そんなハッタリで動揺するとでも思ってんのか?
「はいはい、分かったから、さっさと居場所を言え」
「スタイン王国」
「……ここには居ないのか」
「そうだ――」
スタイン王国は、確かサンルカル王国の南に位置する国だったな。テッド・サンルカルと佐山弘樹から、両国は戦争中だと聞いている。
「そんなところに俺のじーちゃんは何をしに?」
「そりゃあ、人類を迎え入れるためさ」
……このニヤけ面がいまいち信用できない。ドラコ・アンド・クラウンで見たときは、礼儀正しい客思いのマスターだと感じたんだけどな。
「んじゃ次だ。魔女マリア・フリーマンはどこにいる」
「このダンジョン、蝕の中に隠れてるな」
「……蝕? まあいい。それはこの世界の神々に見つからないようにか」
「そうだ。よく知ってるな。彼女はこの世界の神を討とうと考えているからな。見つかるわけにもいかないだろ?」
「ほーん。んじゃ次だ――」
牛頭人スロー・ベルが神話の時代から生きてこられたのは、こういう所なのかもしれない。味方を裏切ってでも、生き延びる。スロー・ベルがべらべら喋っている内容は、マリア・フリーマンの不利になる情報ばかりだ。
ただし、色々と話を聞き終えて、結局スロー・ベルの言葉は真偽不明。
全て嘘、全て本当、あるいは真実の中に嘘を混ぜ込んでいる。どれも可能性のある話だった。確かめようがないからな。仕方ないっちゃ仕方ない。
後は俺自身で検証していくしかない。
「よーし。んじゃ解放するからな。暴れるなよ?」
「本当か!?」
スロー・ベルは俺の言葉に目を輝かせる。
「ぐはっ!? 何をするっ!!」
障壁を解く前にヒッグス場を強くして動けなくさせる。
「そりゃあ、障壁解いた瞬間、またぶん殴られたら敵わないからな」
言い終わって障壁を解除する。と同時に、時間遅延魔法陣を飛ばした。
スロー・ベルのヒッグス粒子が消え、感じていた重みも消えたはず。しかし彼にはすでに時間遅延魔法陣が張り付いている。
スロー・ベルはゆーっくりと笑顔になり、スキル〝牛神の加護〟を使用。ゆーっくりと腰を落として、俺に殴りかかってきた。
魔法陣には強めの魔力を込めたので、いくら素早かろうとも、こうなるのも納得だ。
時間を止めてもよかったけれど。スロー・ベルがどうするか知りたかった。予想通りの動きになったけど。こうせざるを得ない理由もあるのだ。
スローベルの背後に回り込み、首の後ろを触って出っ張りを確認する。量子脳だ。そこはハリガネのように固い毛で覆われた、ブリキのように硬い肌だった。
俺は指先から細い火魔法を吹き出し、量子脳を傷つけないように切り取った。液状生体分子は諦めよう。複製はできないはずだし。
ようやくひとつ目の試作型量子脳が回収できた。時間停止すると、何も出来なくなるからな。
よかった。時間遅延魔法陣を使って、本当によかった。これでもう、こいつを心置きなく殺せる。
スロー・ベル目がけて空間圧縮魔法を使うと、彼の身体は瞬時に縮んでしまい、黒い点になった。それも一瞬だけで、すぐに何もなかったように消え去ってしまった。
この魔法は、スロー・ベルの質量を一時的に極端に圧縮する効果がある。しかし、彼の質量はチャンドラセカール限界に遠く及ばないため、超新星爆発やブラックホールの生成は起きない。この限界は、白色矮星の質量の上限で、太陽のくらいの質量で核融合反応が始まり、超新星爆発に至るとされているからだ。
それでも、このような極端な状態変化には未知のリスクが伴う。だから、クロノスに魔法の制御を頼んでおいて正解だ。失敗しましたご免なさいで済む魔法じゃないし。
それでも失敗する可能性は否めない。そのため無限空間魔法陣を使っておいた。
「ちょっと疲れたな」
久々に感じる疲労感。俺はヒュギエイアの水を作って、一息に飲み干した。
『なかなかやるね、君』
スッキリしたところで、脳内に響く念話。必ず接触があると思っていたダンジョンコア。スロー・ベルは蝕と言っていたな。
『まあね。さっきボコボコにやられたし。あと、盗まれたものも取り返せた』
俺の手は真っ赤に染まっていて、そこに小さなチップ――量子脳が乗っている。
『君はソータくん、それともクロノス、どっちかな?』
『何を言ってるのかな?』
ぬおおっ!? なんで知ってんだ、このダンジョンコア。
驚きを顔に出さないよう、必死に表情を作る。
『そんなに驚いたら、バレバレだね。君はソータくんだ。芝居が下手すぎる』
『やかましいわっ!!』
……しまった。思わずツッコんでしまった。
無限に広がる空間の中でさえ、ダンジョンコア蝕は俺の居場所を特定できた。
これは予想通りだ。規模からしてSランクダンジョンだと踏んでいたから。
『僕はね、君がこの街に入ったときからずっと見てたんだ』
『ほーん……。蝕は、マリア・フリーマンに攻略されたダンジョンコアだろ? ここで俺とちんたら話すなんて、マリア・フリーマン――ダンジョンマスターに反旗を翻す行為じゃないの?』
『そんなことないさ。僕は自由だからね』
おかしいな……。ダンジョンコアが俺を排除しに来る前提で、無限空間魔法陣を使ったというのに。ここならクロノスが魔法の制御に失敗しても、無限に拡張する空間がなんとかしてくれる。
思う存分ここで戦って、ダンジョンコア蝕を従わせる。割るとダンジョンが崩壊するから、それは避けなければならない。そう考えていた。
だけど、蝕は攻撃してくるどころか、会話を望んでいるように感じる。
『どうした。フェッチは出さないのか?』
煽ってみると、蝕は妙なことを口走り始めた。
『言ったでしょ。僕は君を見ていたんだって。それでさ、この無限の空間を見て確信したよ。原初の神カオスから生まれ――――』




