225 牛神の加護
『スキル〝牛神の加護〟を確認しました。解析します――。申し訳ありません。神の加護は解析ができませんでした……。サバイバルモードへ変更します。……出力が不足しています。訂正。デストロイモードへ変更します』
ソータの顔面がひしゃげ、ハイド・パークの木々をへし折りながら水平に吹っ飛んでいく。意識を失った彼の身体を、クロノスが必死に制御する。
クロノスはヒュギエイアの水を使い、ソータの顔や身体の怪我を即座に回復させる。そして、浮遊魔法で急停止。
「今のは危なかったわ。しかしドラコ・アンド・クラウンのマスターが牛頭人だったとは……」
宙に浮いたまま、クロノスは思い返す。
「もしかして、ソータのお爺さまが言っていた牛頭人と同一個体かしら……?」
その言葉が終わるや否や、牛頭人が現れる。金属の鎧を着込み、背中に大きな斧を背負っている。その牛顔の毛並みは黒く、つやつやとしており、大きな瞳がぎろりとクロノスを睨み付けた。
「ほう……。それがソータの量子脳と液状生体分子の働きか。私の量子脳とは違って素晴らしい性能だな。脳と完全に同期している」
彼は嫉妬にまみれた言葉を発したあと、一息ついて続ける。
「殺すつもりで来たが、予定を変更しよう。私はスロー・ベル。お前は実験のために捕獲させてもらう」
クロノスの前に現れたスロー。彼は直前の考えを改めたのか、感嘆しながらも、感激しているようにも見えた。
「残念ですが、捕まるわけにはいきません」
クロノスはそう言って、転移魔法を使った。
――――ドン
クロノスの魔法が発動する直前、スローの拳が放たれた。その動きは閃光のように速く、ソータの身体は、またしてもパンチを食らってしまった。
しかし今度は吹き飛ぶことはなかった。クロノスは多数の影魔法を操り、彼らにパンチを受け止めさせていた。
それを見たスローは、さらに追撃をかける。怒涛のごとき連打が始まり、クロノスの影魔法の対処では間に合わなくなっていく。
スローの頭にある銀色の角から、魔力が吹き出した。
途端に身体が重く感じるクロノス。
その困惑した表情から、何が起きているのか理解出来ていないようだ。
スローは口角を上げ、連打の速度を上げていく。
影魔法はその衝撃に耐えられず、一体、また一体と姿を消していく。
クロノスは機を見て、何度も転移しようとしていたが、全てスローのパンチで邪魔されてしまう。
魔法もスキルも、実質使えない状態だ。かろうじて使えたのは、影魔法だけ。
これはスローの攻撃が始まる前に使っていただけで、偶然の産物である。
追い詰められたクロノスは、最後の手段に出た。
彼女はソータの脳内に、ソータの脳を模した脳神経模倣魔法陣を多数展開。圧倒的な反応速度を誇るスローに対抗するため、マルチタスクが出来るようにしたのだ。
その効果は目を見張るものがあった。
最後の影魔法が消え去ると同時に、クロノスの拳が、スローの鳩尾に突き刺さる。スローの鎧が拳の形に凹み、身体が浮き上がった。
「がはっ!?」
スローは吐血して膝をつく。
身長三メートルの巨漢でも、膝をつけば低くなる。
クロノスはその隙を逃さず、右の回し蹴りを放った。
「……あまい」
クロノスの足は、スローの手によってガッシリ掴まれていた。
スローの角からは、いまだに魔力が吹き出している。その魔力がクロノスの動きを遅くしているのは明らかだ。
彼女は右足を掴まれたまま、左足で地面から飛び上がり、その足で蹴りを放つ。しかしその蹴りまでも掴まれてしまい、クロノスは地面に落ちるしかなかった。
そのとき、クロノスの頬が緩んだ。
それはまさに、作戦が成功したというもの。
転移魔法が発動し、クロノスの姿は消えてなくなった。
「くそがっ!!」
怒りにまかせて地面を殴りつけるスロー。
そこに念話が届いた。
『せっかく手伝ってあげたのに、情けない……。これさ、マリアにバレたら叱られちゃうね』
『蝕、お前が私を焚き付けたのだろうが。バレて困るのはお互い様だ。お前が何とかして隠せ!』
念話でそう言い返したスローは、もう一度地面を殴りつけた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
寒むっ!? そう思って目が覚めた。
「うっわ、マジでさぶっ!? あれ? ここ外じゃん。つか、ドームの上……」
思いのほか寒かった。俺は仰向けで横になっていて、目には満天の星が写っていた。
体温を調整していると、脳内に情報が流れ込む感覚がした。
俺はスロー・ベルと名乗る牛頭人に襲撃され、意識を飛ばしてたって事ね。
『だいたい分かった。クロノス、ありがとうね。ってか、何がスローだよ。めちゃくちゃ速いじゃん』
『そうなんです。他にも手段はありましたが、この街の人々を傷つけるわけにはいかないので、何とか転移して逃げてきたところです』
うーん。クロノスの考察を、さらに掘り下げてみよう。
彼女は、じーちゃんに付きまとっている牛頭人とスロー・ベルが、同一個体ではないかと推測している。
スロー・ベルが、量子脳と液状生体分子を知っていたからだろう。
ギリシャ神話と、ダンテの『神曲』に、牛頭人は登場する。他にもあるかもしれないけれど。
問題は牛頭人を倒した、ギリシャ神話のテセウスが実在していたのかどうか確かめようがないということだ。彼の英雄譚は有名だけど、創作されているとみるのが妥当だ。
ただし、リリスが言っていた「神話は概ね事実」という考え方に、クロノスの牛頭人とスロー・ベルは同一個体、という考察を当てはめると、非常に興味深い。
テセウスはいかにして〝牛神の加護〟を使う牛頭人を倒したのか。
神話のテセウスはアリアドネから渡された短剣で牛頭人を倒している。
神の加護を持つような化け物を、そんじょそこらの短剣で倒せるはずがない……。テセウスがいくら強かったとしても。
八咬鬼だった、アルバ・ロンガの王、アスカニアス。彼は神話の人物だが、実在していた。だから、テセウスの英雄譚も実際にあった可能性があるってことだ。
スロー・ベルと名乗る牛頭人と、テセウスが倒した牛頭人は同じ個体? やっぱり矛盾するな。 仮に同じ個体だとすれば、神話のテセウスは牛頭人を倒せなかったことになる。
――――多世界解釈。歴史のどこかで分岐したか。
始祖リリア・ノクスは、神器ソル・エクセクトルを持っていた。
魔導バッグに手を突っ込み、柄のかけたオリハルコンの剣、神殺しを取り出す。これは以前、シビル・ゴードンから取り上げたものだ。
鍛冶の神ヘファイスが、他の神を殺すため冥導を使って打った剣だ。
リリス・アップルビーは、神々が戦争をしているとも言っていた。
これまでの断片的な情報が、うまく繋がらない。
まだ何かが欠けている気がする。神殺しを魔導バッグに戻し、よく考え直しても結論は出ない。
欠けている情報は、とりあえず牛頭人のスロー・ベルに聞いてみよう。
ただし、闇雲に突っ込んでいっても、結果は変わらないだろう。不意打ちを食らったとは言え、クロノスが俺の身体をデストロイモードで動かしても、スローの速さに追いつけていなかった。
それなのに、スロー・ベルは俺を実験体として持ち帰ろうとした。そのときの表情は、嫉妬心にまみれたものだった。
スロー・ベルの試作型量子脳は脳と完全に同調できておらず、十全に性能を発揮できていない。そのため、完全同期を果たしている俺を実験体にするつもりだったのだ。
液状生体分子は量子脳が操作する。同期が不完全なら、スロー・ベルのさっきの状態は素の戦闘能力だ。
スキル〝牛神の加護〟の性能を改めて思い知り、背筋が寒くなる。
けれど、俺は前に進む。中途半端には出来ない。
脳内の情報整理はあまりうまくいかなかったが、次の行動へ移ろう。
いつもゲートを開くとき、俺は流れるように探知魔法で座標を固定している。そのあと時空間魔法でゲートを開く。
今回は探知魔法を使って、スロー・ベルの居場所を探ってみよう。
やつの気配はハイド・パークには無く、地下に潜んでいた。ダンジョンへ戻ったのだろう。周囲にいくつか知らない気配が動いているから、ひとりでは無いということだ。
巨大ドームの上に留まり、じっとスロー・ベルの動きを探る。
個室かな? スロー・ベルは狭い空間をあちこち動き始めた。
『クロノス、頼みがある』
『はーい?』
『しばらくの間、魔法や魔法陣、それにスキルの制御に集中してほしい』
『了解しました~』
スロー・ベルの座標は探知魔法で分かっている。魔法陣をその座標へ転移させ、魔素、神威、冥導、蒼天、四つの素粒子を使った障壁で、スロー・ベルを閉じ込めた。そのうえで障壁の中に大量のヒッグス粒子を発生させた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
スロー・ベルは、ハイド・パークでの騒動を隠蔽するため、部下たちに厳重な指示を出したあと自室へ戻っていた。
その自室はダンジョンコア蝕が造り出したもので、様々な施設が整っている。パソコン、テレビ、ベッド、クローゼット、シャワールーム、トイレ。床にはふかふかの絨毯が敷かれ、大きなカウチと広いローテーブルも置かれていた。
スロー・ベルの身体が大きいため、部屋もそれに合わせて広く造られている。鎧を脱ぎ、斧を降ろす頃には、ドラコ・アンド・クラウンのマスターへと姿が変わっていた。
「ふう……」
スロー・ベルはカウチに座り、深いため息をついた。その顔には不安と焦燥が浮かんでいる。
「ソータ・イタガキ。殺したと思ったのに、あいつはいったい何者なのだ……。魔力は感じ取れないほど希薄で、ただの地球人と変わりない。それなのに、あれだけの魔法を使いこなし、体術も一流だとは」
彼はローテーブルに置かれていたタブレットを手に取り、複数のアプリの中から実在する死神をタップした。
様々な項目が表示される中、人物調査を選び、ソータ・イタガキの項目を開いた。
「……これはどういうことだ?」
ソータ・イタガキの項目には、実在する死神が調べた詳細な情報が記載されているはずだった。しかし、スロー・ベルが見た画面は、全ての項目が空白になっていた。
「……電波が届いてないのか」
ハッとしたスロー・ベル。彼は部屋を見わたす。座っているカウチと目の前のローテーブルに変わりはない。しかし、それ以外のものが何もなくなっていた。壁すらない状態で、果てが見えないほど彼の部屋は広がっていた。
白い床と白い天井だけが、ダンジョンが造った元の部屋であることを示していた。
「これは空間拡張――ぐはあっ!?」
スロー・ベルは座ったままの状態で、何かに押し潰されたように身体が折れ曲がった。すると彼の周りに障壁が形成されて閉じ込められた。
スロー・ベルは何が起こったのか分からない様子で、動きが取れないまま眼球だけで辺りを確認している。その表情には明らかな焦りが浮かんでいた。
彼の前に突如としてゲートが開いた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
いやー、座標が分かってれば、魔法や魔法陣は転移させ放題だな。たぶん使い方間違ってると思うけど。さっきスロー・ベルに遭遇したのは、運がよかったと考えよう。
俺はまず、無限空間魔法陣を転移させ、スロー・ベルの部屋を際限なく拡張した。無限に広がる空間で、外部との接触を完全に遮断したのだ。これなら念話も電話も届かない。
そして、ちょろちょろ動き回られる前に、ヒッグス粒子を転移させて動きを止めた。
そこから逃さないために、魔力、神威、冥導、闇脈、四つの障壁を転移させて閉じ込めた。
俺の前には苦しそうにうずくまったスロー・ベルがいる。その姿はさっきとは違い、ドラコ・アンド・クラウンのマスターへ変わっていた。
「よっ、いろいろ聞きたいことがある」
「ぐっ……、どうやってここへ。それに、その声は」
スロー・ベルが苦しそうに言葉を発した。喋れるはずもないのに、さすがだな。やっぱ基礎体力が違うのだろう。あと、意識が無いとき、クロノスはどんな声で喋ったのだろう。気になるけど……、とりあえずそれは後だ。
「聞くのはこっちだ。このダンジョンはSランクだと分かってる。しかし、ダンジョンはもう手出し出来ない。俺はいつでもお前を殺せる。ここまで理解出来たか?」
Sランクダンジョンであろうと、無限に広がる空間で、俺たちの位置を探ることはできない。いまのスロー・ベルは、俺の言うことを聞くしかないのだ。
コクコク頷くスロー・ベルを確認し、質問を再開した。




