224 オクタグラム
この星が誕生した頃、北極点から吹き出す魔力が渦巻いて、自然と八芒星へ形が変化した。そこに生まれた小さなダンジョンは歴史とともに成長し、惑星の魔力を調整する役割を担っていた。
そのダンジョンは、マリア・フリーマンによって攻略され、彼女はダンジョンマスターとして居座っている。ダンジョン内部は彼女の意思で改変され、その影響は地上にまで及んでいた。
ニューロンドンは、マリア・フリーマンが指示して、ダンジョンが地上部分を造り上げていたのだった。
「マリアさま。ご報告がございます」
ダンジョンの一室でひざまずく男は牛頭人だ。彼は牛の頭と人間の体を持つ姿をしており、身長は約三メートル、体重は約三百キログラムという巨漢である。毛色は黒で、角は銀色に輝き、鎧を着込んで斧を身につけていた。
「あらスロー。リキッドナノマシンの作成方法が分かったの?」
白いテーブルに向かって座るマリアは、美しさの中にも威厳と冷徹さを兼ね備えた女性だった。頭全体を覆うつばの広い黒いハットから、チラリと青い瞳が覗く。その瞳は深い知性と野望を映していた。黒いローブの胸元には、八芒星のペンダントが揺れている。そのペンダントからは、とてつもない魔力が溢れ出していた。
「いえ、ヒョータは液状生体分子の作成法を本当に知らないようです。本日はその件ではなく、ニューロンドンにソータ・イタガキが現われたとの情報をお伝えに参りました」
マリアは牛頭人のスロー・ベルを見下ろし、冷徹な声を発した。
「ほう……。ついにヒョータの孫がやって来たのね。では捕獲したという報告かな?」
「いえ。申し訳ございません。ハイド・パーク支所の一般が先走りまして、少々騒ぎになってしまい……」
「取り逃がした……と?」
「はい。本当に申し訳ありません」
スローは、両膝をついて額を床に押しつけた。
「ほっといていいわ、あんな雑魚。それよりニューロンドンの地下にダンジョンがあるとバレてないわよね? そっちの方が厄介だわ」
「はい。万が一バレたとしても、マリア様の許可がなければ、ここには入れませんし」
「そういう事じゃないわ。ソータ・イタガキに知られれば、神々に伝わってしまう可能性があるの。そうしたらこんな地下に隠れてる意味が無くなっちゃうじゃない。はぁ……もう戻っていいわよ」
マリアはため息をつきながら、部屋から出て行けと言う。
「それもそうですね。失礼致しました」
平伏していたスローは立ち上がり、一礼をして部屋を出ていった。
静まり返った部屋の中で、マリアではない声が響く。
「僕が調べようか? 地上は僕の一部でもあるし」
「やめなさい蝕。ソータ・イタガキは、この世界の神々と通じている節があるの。あなたが暴れて、神々の目に留まったらどうするつもり?」
話しかけてきたのはダンジョンコア、蝕だ。部屋にはマリアしかいない。それなのに何処からともなく聞こえてくる声は、独特の質感を持って話を続ける。
「ははっ、面白いこと言うねマリア。僕はこの星が生まれたときから存在しているダンジョンだからね。神々が干渉してくることはないさ」
「……勝手な行動は許さないわ。私はこのダンジョンのマスターだと忘れないように」
「え~。マスター権限持ってるからって、ズルい言い方だな~」
「いいからもう引っ込んでなさい」
「……はーい」
ダンジョンマスターは、ダンジョンコアよりも上の位置づけとなる。ダンジョンコア蝕は不満げな声を残して、気配が途絶えた。
マリアは再びため息をひとつつ、引き出しから魔導通信機を取り出した。
「エミリア、私だ」
繋がった先は子爵エミリア・スターダスト。
『マリア様っ!? 突然どうなさったんですか?』
「こちらにソータ・イタガキが現われたの。そっちの状況を知りたいわ」
『ええっ、まさかっ!? やつの空艇が首都トレビに近づいていたので、攻撃して追い払いましたが……。まさかそちらへ向かうとは』
「こっちにはひとりで来ているみたいね。空艇がどこへ逃げたのか把握してる?」
『ラグナ方面です』
「そう……。そっちにソータのパーティが逃げ込んでるみたいね。ルイーズはまだ起きないの?」
『はい……。急にスキル〝魂の転移〟を使われたもので、ホムンクルスとの同調に手間取っていまして』
スターダスト商会の子爵エミリア・スターダストは、首都トレビにいた。そして彼女はルイーズの面倒を見ている。
マリアはエミリアに指示を出す。アルフェイ商会のアルバートに連絡を取り、マラフ共和国の軍を動かすようにと。標的はルピナス社が治めるラグナの街。そうすればニューロンドンにいるソータは、ラグナに戻らざるを得ないと言って。
ソータを雑魚と呼んでおきながら、徹底した念の入れようである。マリアの指示は他にも出た。デレノア王国とルーベス帝国で、もう一度バンパイアに騒ぎを起こさせろと。
それを聞いたエミリアは快諾。そこで通信が終わった。
もう一度ため息をつくマリア。彼女は千年前、デーモンを召喚し、獣人王国の女王キャスパリーグをたぶらかした張本人だ。
そのせいで、この世界の神々から怒りを買い、地球へ追放された。
しかし彼女は戻ってきた。ヒョータの発見した巨大ゲートのおかげで。
「ふふっ……。私は許さない。この世界の神々を。そしてそれを邪魔するものも同じ。全て破壊してやる」
ひとり呟くマリア。部屋の鏡に映ったマリアは、しわくちゃの老婆の姿だった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
うーん、何かがおかしい。この街の地下にダンジョンがあることまでは分かった。けれど、中に入れない。魔力の動きで、かなり広大なダンジョンがあることは分かっているのに。空き部屋っぽい場所に転移しようとすると、途端に座標が分からなくなる。
何かに邪魔されているんだろうけど、……まるでユライの長老ルベルトに邪魔されたときと同じ感覚だ。だけどルベルトの気配は全くない。邪魔しているのは別の何かだ。
ダンジョンが拒否しているのかもしれない。
ニューロンドンは、地下にある巨大八芒星からの魔力で充満している。それは、ドーム内の環境を保つためだ。ハイド・パークの緑や、街の人びとの陽気さを見れば一目瞭然だ。
つまり、マリア・フリーマンがこの街に関与していたとしても、住人に害を及ぼす意思はないのだろう。
この点が気になる。マリア・フリーマンを完全な悪と断定できない。彼女の真意は何なのだろう。
以前聞いた、神への復讐のために戻ってきたのだろうか。そのためだけに。
そうだとすると、千年以上の時を生き抜きながらも、怒りを忘れない彼女の執念深さが伺える。自らの過ちを認めないのか。自業自得だというのに。
色々考えているうちに、グリニッジ標準時は夕方にさしかかった。ドーム内部のメタマテリアルがオレンジ色に変化していく。赤く染まった雲は本物だ。これだけ魔力の濃い場所だから、雲くらい魔法陣ひとつで簡単に作れるだろう。
久しぶりにホテルに泊まることにしよう。ここが地球のロンドンと同じなら、ハイド・パークの周辺には、ホテルが山盛りあるはずだ。有名なパディントン駅も再現されていれば、見に行きたい。北側のホテルを探そう。
冒険者ギルドの一般バンパイアが襲撃してきたくらいだ。俺がのんびりとホテルに泊まっていれば、必ず何か仕掛けてくるはず。今回はパブで失敗したけど、周りに迷惑かけないよう慎重に対処しよう。そうしよう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
コマドリのさえずりが静寂を破る深夜、ソータが泊まるホテルの周りに、黒ずくめの男たち五名が忍び寄っていた。魔術の街灯も消えて、薄暗い通りではメタマテリアルの月明かりだけが頼りだった。そこに彼ら以外の人影はない。
足音も衣擦れの音も出さず、素早く移動していく姿は、プロのものだ。ソータの泊まるホテルは、二階建てで通りに面している。高級ホテルではなく、リーズナブルな価格帯のホテルだ。
彼らはどのようにしてソータの情報を入手したのだろうか。ソータの部屋に目がけて、魔術を使った。
「どうだ? 眠ったか?」
リーダーらしき男が、魔術を使った男に声をかける。
「すみません。手応えがありませ――」
返事をする男の声は最後まで続かなかった。身体がくの字に折れ曲がり、意識を失って倒れたのだ。残りの四人は何が起こったのか分からず、身構える。しかしそんな行動もむなしく、男たちは次々に意識を刈り取られてゆく。
「――くそっ! 何だこの影は!」
最後の男が見たのは、月明かりで出来た自分の影が起き上がり、殴りかかってくる場面だった。それは、彼らを待ち構えていた、ソータの影魔法である。しんと静まり返った通りに、スッと姿を現すソータ。
その顔は、周りに被害を出さなかったことで少し満足げであった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
スキル〝鑑定〟を使って俺を調べようとした者が、冒険者ギルドハイド・パーク支所の職員だったことは確定している。ニンゲンではなく、バンパイアだとも。
捕まったバンパイアはあの風体。警察の捜査で、あのバンパイアが冒険者ギルドの受付嬢に化けていたと分かるまで、それなりに時間がかかるはず。
バンパイア単独犯の可能性も残しつつ、組織犯の可能性を考えると、俺に対して次の手を打ってくるだろう。
今回の件があるからバンパイアは動かない。
冒険者へ依頼を出すと踏んでいた。冒険者は情報あってなんぼの商売だ。対象の行動を監視するなんて基本の基。
俺は素泊まりのホテルで風呂に入ってさっぱりしたあと、姿を消してホテルの前で待ち構えていただけだ。
彼らを影魔法で昏倒させたあと、念動力で全員つかんでハイド・パークへ転移した。
ヒュギエイアの水を振りかけ、全員を回復させた。彼らはニンゲン――ヒト族の冒険者だ。
「うっ……」
ひとり目を覚ました。他は眠っているので、彼に話を聞こう。
「あんた冒険者? 軍人? 何でもいいけど、依頼人が誰なのか吐いてもらおう。選択肢は無い。ずーっと痛い目に遭うか、正直に話して何ごともなく解放される、このどちらかだ」
マリーナ・アクアリウスの真似をしてみると、あら不思議。男はペラペラと喋り始めた。依頼主は魔術結社実在する死神のロンドン本部で、俺を捕獲して身柄を引き渡すというものだった。
依頼が誘拐で呆れる。冒険者ギルド経由ではなく、直接依頼だそうだ。
報酬が高額という事もあって、彼ら五人のパーティーは依頼に飛びついた。
しかし、気になることがある。この冒険者パーティーは、地球から移住してきた若者たち。ここ数ヵ月間で、様々な依頼をこなして好成績をあげているというが、冒険者ランクはCだった。
冒険者ランクが全てではない。だが、さすがに甘く見すぎではないだろうか。依頼者は、彼らが俺を誘拐できると本気で思っていたのだろうか。
もしくは、こうなる展開を予想し、俺が魔術結社実在する死神ロンドン本部に殴り込みに行くことを期待しているのか。
他にも様々なケースが予想されるが、何者かが俺にちょっかいをかけてきたことは確定だ。この冒険者たちにもう用はない。もう一度ヒュギエイアの水を振りかけて、その場を後にした。
とりあえず冒険者ギルドに寄って、俺の冒険者証を見せよう。この世界の冒険者証と同じだと分かっているので、無碍に出来ないはずだ。
ハイド・パークを歩いて冒険者ギルドに向かっていると、ドラコ・アンド・クラウンのネオンが目に入った。まだ明かりがついているので、店内に誰か残っているのだろう。
……どういうことだ? 穴が空いた壁は何もなかったかのように塞がっている。
元がどうだったか見ていないけど、レンガの質感や汚れ具合まで再現されている。この感じ、覚えてるぞ。
流刑島でダンジョンに潜ったとき、壊したものが元に戻るのを見た。それと同じだ。
ニューロンドンは、この地下にあるダンジョンコアが造ったものかもしれない。
そう考えると、いろいろな違和感が腑に落ちた。
思考を巡らせていると、パブのマスターが店から出てきた。彼は客を帰したあと、店に残って後片付けをしていたのだろう。
その彼は俺の方を向いて笑顔を浮かべる。
同時に、全身に鳥肌が立った。
マスターから魔力が噴き上がって、身長三メートルくらいの牛頭人へ姿が変わったのだ。
次の瞬間、顔面に強い衝撃を感じ、クロノスの声が途中まで聞こえた。
『スキル〝牛神の加護〟を確認し――』




