223 ドラコ・アンド・クラウン
ヒューが案内したパブは、ロンドン冒険者ギルド、ハイド・パーク支所の裏にあった。冒険者たちが打ち上げに行きやすいように、わざと近くに建てられたそうだ。
赤いレンガと白い壁が美しく映える建物で、看板にはドラコ・アンド・クラウンという店名と、赤いドラゴンと金色の王冠が描かれていた。なんとなく英国の伝統と冒険者の気概が感じられる。入口には火の魔術で灯されたランタンがぶら下がっていた。
店に入ると、木の内装で広々とした空間が目に飛び込んでくる。バーカウンターでは様々な種類のビールや酒類が提供されており、昼間なのにほぼ満席で賑わっていた。ヒューが自信を持って連れてきただけあって、とても雰囲気のいい店だ。
俺とヒューはカウンター席に並んで座った。
「いらっしゃいませ。何になさいますか?」
バーテンダーの男性が声をかけてきた。
「えっとー。エールをふたつと、サンデーローストをひとつ下さい」
ヒューは何度も来ているのだろう。メニューも見ずに注文した。
「かしこまりました。しばらくお待ちください」
バーテンダーの男性は礼儀正しく一礼して、オーダーを通しに行った。
流石イギリスジェントルマンと思いつつ、振り向かずに背後の気配を探る。あれかなー、鑑定してきたのは。仕事ほっぽり出してくるなんて、どうかと思うよ。――受付嬢さん。
ただし、まだ顔の確認ができていない。振り向けば気づいているとバレてしまう。まだ冒険者ギルドの受付嬢と同じ気配というだけなので、確証は無いのだ。
「ヒュー、ちょっとトイレに行ってくる」
「え、ああ、うん、エールはすぐ来ると思うから急いでね」
「大丈夫、すぐ戻るから」
このタイミングで席を立つのはあまりよくないけど、仕方がない。俺が気付いていると思われないように、混み合う店内を通り抜けてトイレに入る。お店が広いだけあって、トイレも広い。しかも掃除が行き届いていて、すごく清潔に保たれていた。
……釣れた。受付嬢の気配が近づいてきたので、不審に思われないように手を洗い始める。
男性用トイレなので、どうやって入ってくるのかと考えていると、ノックもせず当たり前のように入ってきた。
「ここは男性用トイレ――。ああ、いや、すみません」
入ってきたのは男性だった。スーツ姿の紳士で、杖を持っている。今となってはあまり見かけない杖ファッションだが、そうではない。その杖から強い魔力を感じる。何かの魔道具だろう。
「やあ。君はいったい何者かね?」
直球で聞いてきたな。でも分かりやすくて好きだよ、そういうの。
「それはこっちのセリフだ。受付嬢がなんで男に――」
口に出して気付いた。こいつは、スキル〝変貌術〟を使って姿を変えているのだと。つまりこの紳士はバンパイアだ。しかし闇脈を感じない。
つまりヴェネノルンの血を飲んだバンパイアだ。
「おや……? 私がなぜ受付嬢だと思ったのかな?」
「俺も冒険者だ。気配のひとつやふたつ間違えるはずがない。と思ってたけど、人違いだったみたいだ。済まない」
俺はそう言って頭を下げた。
「そうかい。それならば、私のスキル〝鑑定〟が通用しなかった訳を聞かせてくれないかな?」
直球が過ぎるな。
「さあ? 身に覚えが無いですね」
「……言うつもりは無い。そういうことかね?」
「いえいえ、何のことだか、さっぱり分からないだけですよ」
「ふっ、ならば力ずくで――」
バンパイアの紳士は、話が性急すぎる。闇脈が動いたと思ったら、爆裂火球が飛んできた。
――――ズドン
俺は店の外に転移して難を逃れた。時間を止めてもよかったけれど、穴が開いたドラコ・アンド・クラウンの壁付近にニンゲンはいなかった。怪我人は出ないと思ったのと、この事態を招いたバンパイアの紳士がどんな行動を取るのか見てみたいと思った。
店の中は大騒ぎになっている。素知らぬ顔で店内へ戻ると、すでにバンパイアの紳士が取り押さえられていた。この店って、冒険者だらけなんだよな。
ただ、バンパイアはこんな場合、スキル〝霧散遁甲〟で逃げるはずだ。
そうしてないという事は、何か理由があるのかな。あるいは、スキルが使えないくらい、ランクの低いバンパイアなのか。
「ソータくん、外に出てたの?」
話しかけてきたのはヒュー。トイレに行ったのに外から入ってくれば、さすがに怪しいか。
「うん、ちょっと迷っちゃってさ」
「あはは、ソータくんよく迷うね」
「あーうん。そだね。ごめんごめん」
そういや、ヒューが初めて話しかけてきたときも、そんな言い訳したっけ。嘘ばっかりついてるな俺……。罪悪感を感じつつも、ヒューは俺が何者か知らない方がいいと思った。
バンパイアの紳士は〝変貌術〟で姿を変えているはずなので、〝能封殺〟を使ってみた。……変化無し。つまり、今の姿が本物ってことか。
するとさっきのバーテンダーが客の前に出てきて、声を張り上げた。
「みなさん、お騒がせしました! 警察がもうすぐ到着しますので、今日はこの辺で失礼します! 本当に申し訳ありませんでした。お会計は当店が負担しますので、またのご来店をお待ちしています!」
俺は自分が引き起こした事態に責任を感じていた。怪我人が出なかったからといって、安心できるわけがない。この店には多大な損害が出ているのだ。だから、こっそりとカウンターの裏に回り、金貨の入った革袋を置いておいた。少しでも店の手助けになればと思った。偽善かもしれない。けれどこれくらいしておかないと。
ヒューは俺の行動を見て変な顔したくらいで、何をしたのかまでは分かっていない。
「マスター! お店が再開したらまた来るからなー!」
「めちゃくちゃ飲んで、たくさん金を落としていくから心配すんな!」
「お前そんな事言って、喧嘩ばっかりしてんだろうが!」
「んだとごらぁっ!!」
バーテンダーの男性は、店の経営者だったようだ。ぞろぞろ出ていく客に温かい声をかけられながら、深い深いお辞儀をしていた。
「……」
俺も何か言いたいけど、言葉が出ない。ルーベス帝国では割と上手くいったソロ活動。しかし今回はいきなりの大失敗。これはちょっと気を引き締めていかなければ……。
「ほら、ソータくん。僕たちもお店から出るよ」
「あ、ああ」
マスターは客を全員帰してしまった。警察が到着すれば、客に事情聴取が始まる。客の時間を無駄にしないためだ。店内には警察を待つ従業員だけが残った。彼はどこまでもお客さん思いで、敬服するばかりだ。
ヒューと店を出て一息つく。地球のロンドンにあるハイド・パークと変わりない風景だ。人々だってそうだ。ロンドンっ子に人情溢れるパブの店主。俺が旅行に行ったときと変わりない。
「――――ソータくん!」
「へっ!?」
「ボーッとしてどうしたの?」
「ごめん、ちょっと考え事を……」
「だよね……。あんな事件、ニューロンドンでは初めてかも」
「そうなんだ」
「あ、そうそう。僕これから授業だった! 今日は乾杯できなかったけど、また明日どこかで会わない? あーっ、そういえばソータくんってさ、どこに住んでるの?」
ヤバい。何も考えてなかった。
「ノッティング・ヒルのほう……かな?」
「うっわっ、お金持ちなんだ!?」
「いやいや、お金持ちじゃないよ」
「またまたー。んじゃさ、スマホかSNS交換しとかない?」
「……ああ、いいよ」
SNSはやってない。だから日本政府から貸与されたスマホの番号を教えておく。というかここ、電波も飛んでるのか。
「ヒュー! 大丈夫だった?」
番号を交換し終わったところで、女性の声が聞こえた。そちらに顔を向けると、かわいい女の子が駆けてくるところだった。ドラコ・アンド・クラウンからは、煙が上がっているので、ヒューの彼女さんが心配してやって来たのかな?
「やあ、エリー。僕は大丈夫。それに怪我人は誰もいないよ。あ、そうそう、こっちは僕の友人でソータくん。ソータくん、こっちは僕の妹でエリー」
「あ、妹さん? ども、ソータ・イタガキです。ソータって呼んで下さい」
よく見りゃ似てるな。ヒューと同じように、エリーも明るい笑顔を浮かべている。
「初めまして、エリー・ストローマです。兄が付きまとって困ってたんでしょ? ほんとにもう、この人は! ソータさんは、大学のご友人ですか? やや、その格好はもしかして、冒険者! あたしも試験受けたいんですけど、なかなか時間が取れなくて、ずっと行けてないんです。すっごい稼げるって聞いたんですけど、ソータさんはどれくらい稼いでます? あっ、ご免なさい。初対面の方にいきなり失礼でしたね。それじゃあ、どちらにお住まいなんですか? あたしたちは――――」
すんごい喋る子だな……。途中から耳が聞き取るのを拒否してしまった。エリーの言葉の洪水に、思わず目が泳ぎそうになる。
「ほらほらエリー、ソータくん困ってるじゃないか」
「あっ!? ごめんなさい」
「気にしなくていいよ」
俺たちは三人で少し話をして、また会うことになった。でも、約束はしなかった。ごめんなヒュー。俺にはどうしてもやらなければならないことがあるんだ。
去って行くふたりを見送りながら手を振る。ヒューとエリーは満面の笑みで手を振り返してきた。胸がチクリと痛む。すごい罪悪感だ。不義理なことをしている感が拭えない。
「一期一会か……。死ぬなよヒュー」
彼らとは逆の方向――ノッティング・ヒル方面へ向かう。いちおうこっちに住んでいることになってるし。……というか、友人につく嘘って、こんなに罪悪感があるんだな。敵だと思った相手には嘘八百並べるのに、なぜか友人には罪悪感が湧いてくる。当然っちゃ当然か……。
ハイド・パークは広いし、木々も多い。さすが王立公園だ。しばらくすると人影は少なくなり、緑豊かな自然の中を歩くことになった。
……うーん。素でロンドンだと勘違いするほどの再現度。ここはイギリスではなく、異世界に建造された別の街だ。ロンドンを模しているだけで、本物ではない。
……しかし、この木々や芝生は本物だ。空気の匂いも、風の感触も、まるで地球のロンドンそのものだ。
ここに来て数時間だが、結構な情報を得ることが出来た。
ベンチに座って、目を閉じて集中。周囲の気配を探っていく。ハイド・パークから外に範囲を広げると、大勢の気配が感じられた。さっき取り押さえられたバンパイアの気配。あいつは魔法を使うまで闇脈を感じなかった。
おそらくヴェネノルンの血を飲んでいる。それであの程度なら、そもそもの能力が低い一般だったのだろう。
ハイド・パーク支所の方は、職員一同、総じて魔力が高いことに変わりはなく、冒険者たちもそこそこの魔力を持っている。
得に変わったことは無いから、気配を探る範囲を広げていく。
「うおっ!?」
びっくりして声が出た。結構な大声だったので周りを見渡す。
……誰もいない。人がいなくてよかった。冷や汗が背中を伝う。
気配を察知するときは、円ではなく球で探っていく。でないと、その気配がどこにあるのか座標がハッキリ分からないからだ。
今回声が出たのは、気配を探っていた球の下の方に、ざらりとする気配があったからだ。半径五百メートルくらい範囲を広げていたので、それくらい深い地下に気配があったことになる。
久々に毛が逆立つ思いをした。だが、もう少し探ろう。好奇心と警戒心が入り混じる。
範囲をどんどん広げていく。ロンドンの気配を出来るだけ感じないようにして、地下へ意識を向ける。
……なんだこれ? 人の気配だと思っていたのは、巨大な魔力の渦だった。まん中にひとつ。それを囲むように八つの魔力が渦巻いている。それは、魔力の線で繋がっていて、八芒星の形をしていた。
とてつもない魔力が渦巻いている。星の魔力。そう言っても違和感はない。ドーム内の魔力が濃いのは、オクタグラムの影響だろう。
……この街を魔女マリア・フリーマンが造ったのなら、何らかの形でこの魔力を利用したはず。地下を調べた方がいいな。
しかしどうやって調べよう。下水道の深さではない。五百メートル以上の地下だ。
何か良い案はないかを思いを巡らせつつ、俺はベンチから立ちあがった。頭上では鳥がさえずり、風が木々を揺らす。平和な光景とは裏腹に、地下に潜む謎が俺の心を掻き立てた。




