221 ニューロンドン
転移した先は、ラグナのはるか上空だ。空気は薄くて呼吸はできない。凍てつく寒さで服が凍り付いていく。……だが何も問題ない。改めて俺はニンゲンじゃないと思い知りながら、暗くなった北極方面を見てみる。
『何か見える?』
『何もなさ過ぎですね。北極の部分に何も感じません。まるで暗い穴が空いたように見えます』
俺もクロノスと同じ考えだ。視覚的には地球と似た感じの北極だが、ここは異世界。本来あるはずの魔力の動きがない。
『魔力の可視化を強めてくれる?』
『了解です』
『……変わらないね』
『そうですね。魔力が動いてない範囲だけでも、相当広いです』
『わかった。ありがとね』
『いえいえ。どういたしまして』
とりあえず行ってみよう。俺は北極方面へ転移した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
北極圏に到着したら、ほぼ透明な障壁があると分かった。しかもでかい。この障壁のおかげで外の魔力と隔絶され、中の魔力が見えないようになっていたのだ。
周囲は暗くなっているけど月明かりのおかげで見通しはいい。ここは白い氷に閉ざされ、環境に適応したもののみが生きていける世界。濡れタオルを振り回せば、すぐに凍ってしまう寒さだ。
体温を調整しながらドーム状になった巨大障壁の上に立ち、中を覗き込む。
障壁は一枚だけではなく、多層構造になっていた。内側の障壁、これは……、メタマテリアルの布が使われているな。今見えている障壁内部の光景は偽物で、周囲の風景と同化するように調整されていた。
つまりここには、地球の技術が使われている。
姿を消して、調べてみよう。浮遊魔法を使ってドーム型障壁の周囲を見て回っていると、出入り口らしき門が見えた。門というか砦かな?
寒さ対策でもこもこに着込んだ兵士が、砦の外を警戒している。全てヒト族で固められた、物々しい警備体制だ。こんな極寒の地で、何かに攻撃されることはあるのだろうか。樹木限界を超えた高緯度。砦の外はただの雪原なのに。
あの砦は障壁から生えているように見える。障壁があの砦を寸分違わず避けているので、そう見えるだけだが。
あそこが出入り口の一つだろう。他にも出入り口があるのかどうか探していると、魔力が空気を震わせるような感覚がした。そこへ急行すると、幻想的な光景が見られた。
「クジラ? いや、でかすぎじゃね?」
思わず呟いてしまった。雪原からジャンプする、半透明のクジラ。全長は五百メートル近くあって、竜神オルズを凌いでいる。こんなにでかい生き物は初めて見た。いや――生き物なのか、あれは。
半透明なクジラたちは一頭だけではなく、群れをなして砦に突っ込んでいく。雪原から飛び出した巨大な影は、空中でしばらく静止したかと思うと、重力に引かれて砦に落下していく。その衝撃は地面を揺らし、雪片を巻き上げた。
ここは決して海ではなく、雪原の下には永久凍土がある氷の世界。なのにあのクジラたちは、まるで海を泳ぐように移動していく。
――ドン
――ドン
――――ドドン
何頭も何頭も砦にぶつかって、大きな音が響く。
砦はかなり造りが頑丈なようで、クジラたちの体当たりでもびくともしない。それどころか反撃が始まった。砦から大きな魔導砲が火を吹き、高エネルギーの光がクジラたちを貫いていく。
クジラたちは雪原に潜ってしまい、何ごともなかったように静まり返った。しかしそのあと、雪原が赤く染まっていく。クジラたちは死んだのだろうか。それともまだ生きているのだろうか。
『今のクジラ、何だと思う?』
『精霊だと思います。私も初めて見たので、魔力の動きや姿形からの推論ですが』
クジラの精霊か……。半透明なシロナガスクジラという感じだった。その精霊が巨大ドームの入り口に攻撃していた。
真っ先に頭に浮かんだのは、この巨大ドームがクジラの精霊から住処を奪った、という安易な考えだ。いやいや。ここでどっちが良いとか悪いとか考えてる場合じゃないっての。
何にしても今はこのドームの中を探るべきだろう。
さて、鬼が出るか仏が出るか。俺はドームの中に転移した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
……なんだこりゃ?
身体が動かない。息もできない。真っ暗闇。あと、冷たい。
『我らはユライ。そなたはいま障壁の中へ入ろうとしたな』
突然聞こえてきた念話。さっきのクジラの一頭からのようだ。というか、ここがどこなのか分かった。永久凍土の中だ。
俺の転移魔法を邪魔したばかりでなく、座標まで狂わせるとは。
『返事をしろ。我が名はルベルト。ユライの長老である』
少し苛立つ感情の念話へ変わった。
『はい。どんな用件でしょうか? 俺はソータっていいます』
『ふむ……。見越したとおり、全く慌てておらぬな。そなたは我らの戦いを見てどう感じた?』
『すいません。急いでるんで結論から言ってもらえると有り難いんですが』
煽るような言い方だけど煽ってない。ほんとに急いでるし。相手がどう捉えるかは知らん。
『……不敬なやつじゃ。では結論を申す。ソータに我らの姫御子フィアを救出してもらいたいのじゃ』
『報酬は? 俺冒険者なんで、タダ働きというわけにもいかないんです。あと冒険者ギルドを通してもらわないと、依頼を受けることはできません』
『……貴様』
『貴様? 精霊だかなんだか知らないけど、俺の行動を突然制限したことを侘びるのが先じゃねえの? そんなクソ失礼なやつのお願いなんて、誰が聞きたいと思う?』
『……』
『んじゃ、また縁があれば』
俺は永久凍土の中から転移した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
よし、今度は干渉されなかった。ご免なさいのひと言すら言えないなんて、どんだけ偉そうなんだよ。初対面ならなおさらだろボケが。
さて、気持ちを切り替えよう。というか何だこれ……?
俺はドーム内部の上空へ転移し、浮遊魔法で浮いている状態だ。外の暗くて寒い世界と違い、ここは明るくて暖かい。眼下に広がるは歴史とモダニズムが調和するロンドンの街だった。
ビッグ・ベンやウェストミンスター宮殿などの歴史的な建造物。ロンドン・アイやザ・シャードなどの近代的な建造物。何もかもロンドンだ。
転移魔法をユライに邪魔されて、実はロンドンの上空でしたってオチを考えて空を見上げる。
うーむ。ここの時間はどうなってんだ? 外はもう暗闇なのに。青い空に白い雲。輝く太陽は、さんさんと街を照らしていた。
ただし、俺が見ている光景は、ナノマテリアルの布に映し出された動画だ。それに、この空間の魔力の濃さは異常だ。今まで感じたことのないほど、魔力に満ちている。
ここは間違いなく異世界だ。いつの間にこんな場所ができたんだろう……? 急にできるわけないし、もしかしてずっと前から存在していたのか? 北極に来るのは初めてだから分からないけど……。
推測だけでは事実が分からない。とりあえず地上を調べよう。路地裏へ転移して、表通りに出る。
通りを歩いているのは地球人だった。デーモンでもバンパイアでもなく、まごうことなきニンゲンだった。そこに混じって歩いているのは、ヒューマノイドくらいだ。獣人やドワーフやエルフはいない。
キオスクにあるタブロイド紙に大きな見出しがあり、この街――ニューロンドンが現在拡張中であると書かれていた。オックスフォードストリートを歩いてみると、自動車に、二階建てバス、全て電力で稼働していた。以前観光で来たときと変わらない風景だ。
ここが異世界だとほぼ確定だが、ロンドンを丸ごとこっちに持ってきたような、とてつもない違和感がある。
しばらく散策していると、結構見られていることに気付いた。ここがロンドンなら、アジア人がひとりで歩いていても別に何ともないはずなのに。
……あ、俺の服装か。ファーギにもらった黒いコートを着ているものの、その下は革製の防具がついたものだ。オックスフォードストリートで、こんな格好は目立つ。コスプレパフォーマーの振りでもするか……?
いやいや面倒だし、やめておこう。俺は路地裏に入って、魔導バッグをあさる。
「よし、あった!」
六義園でいただいた普段着だ。ここも少し人通りがあるので、もう少し細い道を探そう。そうやって彷徨っていると、背後から呼び止められた。
「おーい、あんた! 冒険者ギルドはこっちだぞー!」
冒険者ギルド? しかも今の言葉は英語だった。どういうことだ? そう思って振り返ると、俺と同じような格好をした若者が手を振っていた。
「なんだ、行かないのかい? 僕は今日、試験なんだぞー」
しらんがな。なんて思っていると、その男は笑顔で駆け寄ってきた。
茶色い髪の毛に青い瞳、典型的なロンドンっ子だ。世界中から人が集まる多様性のある都市なので、オープンマインドで寛容な人が多い。
「いやあ、ちょっと迷っちゃって」
とりあえず話を合わせておく。
「僕はヒュー・ストローマ。まだ大学生だけどよろしくね」
「ソータ・イタガキ。よろしく」
握手を求められたのでいちおう応じる。うん。こりゃロンドンっ子でも、人なつっこい方だな。
「それじゃあ行こうか。僕が案内するよ」
「ありがとう。助かったよ」
俺がこの格好なので、冒険者ギルドに行くと勘違いしている。でも、ここは話を合わせて情報収集だ。ヒューと俺は冒険者ギルドに向かいながら、色々おしゃべりする。
冒険者は異世界の魔物退治で、かなり高額な報酬をもらえるそうで、いま話題のバイトだという。依頼先へ行って魔物を退治する簡単な仕事ということで、ロンドンっ子の中で人気みたいだ。
試験に受かれば冒険者証がもらえて、依頼を受けられる。この街の周囲は寒いから、転移魔法陣で遠方に行くという。
怪しさ満点なんですけど……。
CERNの上空にゲートが開いて、もう九ヶ月経っている。俺はここ三ヵ月間、東奔西走しつつ頑張ってきたが、異世界全てをカバーできているわけじゃない。
世界の国々は独自に地球滅亡から逃れようとしている。もちろんイギリスもだ。ヒューの話によると、イギリスは昔から実在する死神と手を組んでいたらしい。
イギリス政府は、地球温暖化が止まらなかった場合のプランBを用意していたのだ。
それがこの、異世界のニューロンドン。地球に同じ名前の都市がたくさんあるのはさておき、だいぶん前から街づくりを行なっていたらしい。こちらに移住してくる人びとが時差を感じないように、ロンドンと同じ時間に合わせるという手の込みよう。
日本だって明治時代からライムトン王国と国交があったくらいだ。今さら驚くような話ではない。
ヒューの言葉に、おそらく嘘はない。
けれど、そのソースが信用できない。
ヒューによると、この街の建設者は、魔術結社実在する死神のマリア・フリーマンだそうだ。
やっとしっぽをつかんだ気がする。同時に、昔からこの街を作っていたという話も信憑性がなくなる。そもそもロンドンって街を、そう簡単に造れるわけないだろ。
俺はここに、じーちゃんを助けに来たんだ。巨大ゲートはどこにあるのか分からないけれど、異世界人が大勢来ているという、スライの情報は正しかった。
この巨大ゲートはどうやって維持しているのだろう。この濃い魔力はどこから発生しているのだろう。どうしてこの街の人びとは、平和そうにしているのだろう。
どうしても違和感が付きまとう。
ヒューは歩きながら指先に火花を散らし、魔法が上達したと自慢している。こんなに魔力が濃い空間なのに、ライターの火ほどだ。
冒険者ギルドの試験に合格しようが不合格だろうが、ヒューはこの先長生きできる気がしない。この世界の魔物を甘く見てはいけない。
彼とは今日限りだろう。でも、何とかしてあげたい気もする……。教え込む時間はないし。何か効果的な方法があれば。
『ソータ。あなたはスキルを付与できる超越者ですよね?』
『忘れてるわけじゃないよ? 目を背けてるだけだ……。あっ、そういうことか』
『そういうことです』
ペチャクチャ話しているヒューを見つめて、彼にスキルが備わるように願う。
スキル〝身体強化〟
スキル〝剛力〟
スキル〝加熱〟
スキル〝超加速〟
スキル〝瞬間移動〟
スキル〝能封殺〟
スキル〝魔封殺〟
これくらいスキルがあれば、そう簡単には死なないだろう。ヒューのポケットに、こっそり転移リングを忍ばせておく。使い方は直感で分かるはずだ。
『……やり過ぎですよ』
クロノスの呆れた声が聞こえてくる。別にいいじゃないか。ヒューが死なないようにスキルを付与したんだから。
「ようやく着いたね! ここがロンドン冒険者ギルド、ハイド・パーク支所だよ」
ヒューは俺の前に立ち、両手を広げる。彼の後ろには、ハイド・パーク内に建つ立派な冒険者ギルドが見えていた。




