214 ターニングポイント3
リリスと隣り合って座った途端、周囲の男性から俺に向けて殺気が漂い、女性たちはリリスに嫉妬の目を向けた。リリスがいくら美人だからといっても、こんな反応では話にならない。
俺は居心地の悪さを感じ、ベンチから立ち上がり、リリスについてくるように合図した。この場から早く離れないと、まともに話ができない。そう考えて俺は歩き出した。
しかし、そう簡単にはいかなかった。自分の彼女を置き去りにして、俺たちをつけてくるやつがいる。
「お前さ……、実はバカなんじゃね?」
「貴様、誰に向かって言っている」
「お前だよ、お前!」
「お前って言うな」
「うっさいわ! その変な色気みたいなの消せないのか?」
「ふっ、貴様も私の虜になったか」
「……この場で滅ぼしてやろうか?」
「まあ落ち着け。その腑抜けた顔は何とかならないのか?」
「腑抜けた顔? ……おーん? 喧嘩ならいつでも買うぞこら」
「強がっても無駄だ。貴様は人格における存在証明、つまりアイデンティティーを見失ってないか? 人生で最も重要なことは、自分自身である勇気を持つことだ」
くそっ……。バンパイアのくせに芯食ったこと言いやがって。
「何年生きてるのか知らんけど、バンパイアのお前に何がわか――うわっ!?」
突然の重力の変化と景色の変わり目。華やかな街並みは一瞬で朽ち果てた廃墟に変わった。
「ソータ、長生きしてるからこそ分かるのだ」
リリスは微笑んだ。
――死者の都へ引きずり込まれてしまったらしい。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「リリス。いったい何がしたいんだ」
「貴様はあまりにも現状を理解していないからな。少し教えてやろうと思って来た。ついてこい」
前に来た死者の都と少し違う赤黒い世界。フワリと浮いたリリスは、次の瞬間ものすごい速さで上昇していった。
俺と喧嘩しに来とかじゃなさそうだな。とりあえず浮遊魔法でリリスのあとをついて行く。
かなりの高度まで上昇し、ピタリと止まってリリスは言った。
「ここから何が見える」
「死者の都と、地球に向かって伸びてる闇脈の竜巻?」
「……死者の都は、何と似ている」
「さあ? もとの世界の百年後みたいな感じだな」
「察しが悪いな……。ここはもとの世界だが、もとの世界でもある。きっちり説明しておこう――」
死者の都は、俺たちが住んでいた地球から百年後の姿だった。地球の温暖化は止まらず荒廃していき、結局人類は滅亡した。
滅んだ地球に残ったのは、魔力や闇脈、それに冥導だった。
リリスはこの世界に、いったん人類を避難させる、あるいは永住させる計画を立てた。それを実行するために、地球の裏社会を牛耳っている魔術結社実在する死神と手を組んだ。
「おいこらリリス、ちょっと待て。ここは本当に死者の都なのか? 前に俺が見た死者の都とは違うのか? おかしな点がてんこ盛りなんだが――」
死者の都が百年後の地球だとすると、いろいろ矛盾する。
死者の都にも、ブライトン大陸、ハマン大陸、ドラゴン大陸、そういった大陸が存在している。もちろんその形は、地球のそれと明らかに違っている。ここが百年後の地球と言うには無理があるって話だ。
それに建物だ。異世界の建物が経年劣化して残っているので、死者の都は地球の百年後の姿では無い。
「そう思うのは当然だ。私も最初は貴様と同じ考えだった。しかし天空の星々を見ろ。地球のそれと少し違っているのが分かるか?」
そう言われて暗い夜空を見上げる。
「星座? 同じじゃないの? そういや、死者の都の星も地球と同じだな。異世界、地球、死者の都、三つの世界の星空が同じってことか――」
俺は異世界にきてすぐ、星座が地球と同じだと分かって混乱した。今はもう気にしてなかったが、三カ所の世界が同じ星座だとは考えにくい。
しかし、あのとき立てた仮説であれば、説明がつく。
多世界解釈だ。
量子の重ね合わせ状態が干渉性を失うことで、異なる世界へ分岐していく。
地球とは別に、異世界や死者の都があったとしても矛盾しない。
ただし、死者の都は、百年後の地球ではない。
そんなの地形を見りゃ一発でわかる。
「はあぁ……。貴様は専門外のことはアホだな。天体物理学は知らんのか――」
地球のヒッパルコスとガイアという、ふたつの人工衛星は、恒星の位置や運動を高精度で観測していた。そのデータをもとに、地球から見える星空を、数十万年先の未来まで予測できる。
百年後の星座がどうなっているのかくらい、ハセさんに聞けば、すぐ分かるそうだ。
つかリリスとハセさん、知り合いなんだ……。
まあそれは置いといて。
「だから死者の都は百年後の地球だって? 星座の件は多世界解釈で説明できる。だけど、地形が違いすぎるだろ。異世界と死者の都は、ほぼ同じ。地球とはまるで違う。だろ?」
「貴様の言う多世界解釈には、時間の概念や可能性が抜けてないか? たとえば地球と似た異世界。たとえば百年後の地球。たとえば異世界と百年後の地球が入り混じった世界。そんな世界が存在してもおかしくない。それが多世界解釈における死者の都だ」
この世界で発生している闇脈の竜巻は自然現象だそうだ。あれが地球へ闇脈を送り込んでいる。そのせいでこの世界は過去、多世界解釈における死者の都へ変貌した。
「……やっと理解出来たよ。でもさ、また別の疑問が出てくるな」
「何だそれは」
「地球、異世界、百年後の地球と混ざった異世界、この三つが同時に存在していると理解した。それなら、冥界は何だ? あれも同時に存在している、多世界解釈における別の世界なのか?」
「そう言うことだ」
ベナマオ大森林にあったエルフの里、女帝フラウィアが逃げ込んだシェルター。あれは魔法で空間を拡張した世界だから全然違う。
「んじゃさ、女神カリストの白い空間と、女神アスクレピウスの神殿は? あとクロウリーの草原はなんだ? あれも多世界解釈で説明はつくけど、蒼天とか訳分からん素粒子が――」
「おい貴様! どうやって神界へ行った!!」
「うおぃ! あんまり近づくなクソバンパイア!!」
ほぼ瞬間移動の速さで、リリスは俺の目の前に飛んできた。びっくりして思わずバランス崩したし。
「私は人類を救うことと、死者の都の神を討つこと、このふたつをやり遂げなければならない。ひとつ目は達成間近、ふたつ目は目処すら立っていない。神の世界へ行く方法を教えろ!! 情報は渡しただろう。対価を寄越せ!」
「そう言われましても……。行き方知らないし」
「本当か?」
「ほんとほんと。あと、俺に〝魂の鎖〟を使うな。そういうの効かないし」
無理やりにでも聞きたかったみたいだけど、ほんとに知らないからなあ。
がっくり肩を落としたリリスは、改めて俺に向き直った。
「見せたいものがある。ついてこい」
現在地点は死者の都におけるアトレイアの上空だ。
リリスは俺に構わず南へ向かって飛び始め、慌てて俺もついていく。彼女はどんどん速度を上げて、音速を超えた。左手に小魔大陸が見えてしばらくすると、大魔大陸が見えてきた。
眼下には大魔大陸の街が広がっている。死者の都なのに、多くの人びとの気配を魔石の明かりが温かく包んでいた。とても賑やかで平和な空気を感じる。
「どうだ! 改築して使わせてもらってるぞ!」
空中で停止したリリスはドヤ顔を見せる。
「……」
俺は異世界の大魔大陸に街を造っている最中だ。と言ってもゴーレムに任せっきりだが。
ただ、あのゴーレムたちは、俺の脳神経を模倣した魔法陣を使っているから、地震や火事に対応できる高耐久な建物やインフラを構築しているはずだ。
それこそ百年経っても大丈夫、なくらいの物を。
だから死者の都でも朽ちず、今でも使えるのだろう。
「その顔は、ようやく気付いたみたいだな。私は貴様の造った街の裏、つまり死者の都に、ヨーロッパの人びとを避難させている」
「へえ……。ヨーロッパの人びとって言ったな。ニンゲンだけじゃないのか?」
「当たり前だ。ニンゲン以外にも、バンパイア、人狼、精霊、妖精、悪魔、様々な者たちが、避難してきている」
「……そっか」
俺は眉をひそめ、慎重に言葉を選んだ。
「それで問題はないのか?」
「貴様の言う、問題とはなんだ? ニンゲンはこれまで、魔素の存在すら知らなかっただろう? 我々のような人外は、ニンゲンと戦い、そして協力してきた。反りの合わない魔女もいるがな。貴様たちはただただ、知らなかっただけだ。魔素と同じようにな」
リリスの口調には、明らかな優越感が滲んでいた。俺はイラッとしながらも、冷静さを保とうと努めた。
「ちゃんと答えろよ。お前らがヨーロッパの人たちに危害を加える事はないのか?」
「これまで通りだ。心配するな」
こいつ……ハッキリ言わねえな。危害を加えないと言えば嘘になるから、言質を取らせない気だ。これまで通りってことは、人外たちは人類に対して危害を加えていた。それは表沙汰になっていない。そう言うことなんだろう。
「大魔大陸の街には、悪魔ネイト・バイモン・フラッシュたちが入植しているって知ってるよな。獣人とかが主になってるはずだけど、そっちとは話ついてんのか?」
「もちろんだ」
「仲良くやってくれよ?」
俺は深く息を吐き、次の質問に移った。
「それといくつか質問がある」
「なんだ。答えてやらんでもない」
「……魔女シビル・ゴードンとは、どんな関係だ?」
「ビジネスパートナーだ」
「魔女マリア・フリーマンとは?」
リリスの表情が一瞬曇った。
「……敵だ」
「アダムとは?」
「……何故その名前を知っている」
リリスの声には、明らかな警戒感が混じった。
「あんたの弟子に聞いたんだよ」
「……まあいい。アダムはこの世界の神の一柱だ。私の創造主でもある」
「で?」
「なんだ」
「なんでアダムを討つ気なんだと聞いている」
リリスは一瞬躊躇したように見えた。
「はぁ……。ヨシミか、バラしたのは。奴は、バンパイアウィルス、勇者としての力、ヴェネノルンの血、この三つで、強力なバンパイアになっている。そのせいか、自分の力に酔って暴走しがちだ。しかし、貴様が封じ込めたのだろう?」
こいつまた話を逸らしやがった。俺は粘り強く質問を続けた。
「ヨシミを慕っている勇者が、ヨシミを封じ込めていた勇者を殺害したからな。今逃走中だよ」
「……情けない。なんという間抜けなんだ貴様は」
「もとはと言えば、お前がヨシミをバンパイア化したからだろうが」
俺の声には怒りが滲んでいた。
「何度も話を逸らさないでさっさと答えろ。アダムとはなんで敵対している。アダムはなんで地球人の入植を阻んでいるんだ」
リリスは一瞬ためらったように見えたが、やがて重い口を開いた。
「この世界の神々が争っているからだ。アダム・ハーディングとディース・パテルが組んでいることまでは把握している。やつらはこの世界を我がものとするために動いている。私が地球の人びとをこの世界に入植させると、ニンゲンの戦力が増える。それを嫌がっている」
「はぁ? 神様ってもっとこう、どっしりと構えてるもんじゃないの?」
「貴様は神話を読んだことがないのか?」
「あるけど、ありゃ創作物だろ? 浮気したり親子で殺し合ったり裏切ったり、戦争したり。……まさか実話じゃ無いよな?」
「創作されている部分はあるが、神話の内容は概ね事実だ。天地創造とかまでは知らないがな」
「つまりなんだ? 神様たちはニンゲンみたいにバッチバチに争ってるってこと?」
あ、そういえば女神カリストは、昇格がどうとかいってたな。
「その通り。神々は戦争の真っ最中だ。だが、その情報が中々入ってこない」
俺は頭を抱えた。状況が複雑すぎて、頭が痛くなってきた。
「神様が急に俗っぽくなったな……。でも教えてくれてありがとな」
少し落ち着いて、次の質問に移った。
「ついでにルイーズと子爵エミリア・スターダストの居場所を教えろ。あとマリア・フリーマンの居場所も」
「知っていたら、私自ら滅ぼしてるわ。だが、三人ともマラフ共和国近辺に潜伏しているとみて間違いないだろう」
「へぇ……。そこまで知ってるのなら、調べられるんじゃないの?」
「我々バンパイアは、マリア・フリーマン率いる魔女と争っていると言っただろう。安易に近付けない」
「ふーん……。んじゃヨシミを何とかしろ」
リリスが安易に近付けないってことは、マリア・フリーマンの一派がそれだけの力を持っているということだ。
「こっちも忙しいんだ。勇者どもに任せるがよい。それともう一度言おう。貴様は自分自身である勇気を持て。……では、また会おう」
「あ……」
リリスは転移魔法で消えた。
今のは逃げたな。絶対逃げた気がする。
あー、まだ聞きたいこと山盛りあったんだけどな。
ヴェネノルンの血とか、エリス・バークワースの行方とか。
また会おうって言ってたから、つぎ聞きまくろう。よし、そうしよう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
自分を納得させながらゲートを開いてアトレイアの街に戻ると、街はオレンジ色の炎と黒煙に包まれていた。建物が次々と崩れ落ち、悲鳴と叫び声が響き渡る。
俺は愕然としながら、すぐさま状況を把握しようと動き出した。一体何が起きたのか、そしてどう対処すべきか、頭の中で素早く考えを巡らせた。




