211 ヴェネノルンの箱
アトレイアの街上空に、バンダースナッチが浮かんでいる。肉眼では確認できないほどの高度にあった。その船内ではリアムが指揮を執り、マイアとニーナが地上の様子を観察していた。
彼らの目の前には、たくさんのモニターが並んで、そこには地上の映像が鮮明に映し出されていた。スターダスト商会の倉庫から逃げ出す従業員たちの姿だ。彼らはその中にバンパイアが混じっていないかを確認するため、モニターに集中していた。
「ブライアン!? 何でこんなとこに!! ……逃げてる? 逃すかっ!!」
大声を上げたマイアが、操作パネルのスイッチを押した。
「ちょ!? 何やってるっすか、マイア!!」
リアムは慌ててとめたが遅かった。バンダースナッチの爆弾倉が開き、竹の形をした神威神柱が投下された。
これは以前、ファーギが暗黒晶石で製造したもので、空洞の部分に抗体カクテル治療薬が入っている。しかし、使い道がなくなって、リアムが中身を変えていた。
バラバラと落ちていく神威神柱は誘導魔法陣によって、ブライアン・ハーヴェイ目がけて加速する。
「ああもうっ! あれは中身換えてるっす!」
「ええっ!? 何に変えてるの?」
「中は魔石爆弾っす! 魔石の粉末をぎゅうぎゅうに詰めてるから、なかなかの爆発に――」
――ズドーン
上空のバンダースナッチにまで音が聞こえてきた。加圧魔石砲ほどではないが、相当激しい爆発が起きた。
「あああっ!! あ? あれ?」
モニターを見ているリアムの顔が七変化する。絶望、驚き、呆け。顔だけ見ていれば面白い。
「障壁で爆発を上に逃がしたみたいね」
ニーナが冷静な声で入ってきた。
地上を映すモニターには、通常の障壁とは違う形――円柱状の障壁が張られていた。そのおかげで周囲に被害は出ていない。上に向かって爆発のエネルギーが放出されていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
邪悪な気配を感じた俺は、すぐさま追いかけた。デーモンは絶対に許さん。そう思って、倉庫の外に転移すると、バンダースナッチから神威神柱が落ちてくるところだった。
リアムの野郎、早まったな。
いや、いまは周囲の被害を抑える事が先決だ。ドーム状に障壁を張れば、万が一内圧に耐えられなかった場合、大きな被害が出てしまう。安全策として円筒状の障壁を張ってみた。一枚じゃ心許ないので、魔力、神威、冥導、闇脈の四枚重ねで挑んだ。
結果は上々、まるで地上から大砲を撃ったような現象を観測。森の中だったから、文字通り木っ端微塵になった木の破片が空へ飛び散っていく。
そして、デーモンの気配も消えてしまった。
死んだのかどうか不明だ。デーモンであれば、姿さえ見れば強引に召喚できるんだけど、確認しようがない。粉塵が舞い上がって、土砂や木の欠片が、雨のように降ってくる。
脳内に魔導通信の音がしたので出てみると、リアムが頓珍漢なことをいってきた。
『ソータさんっすか今の障壁!?』
『そうだけど、お前か! 神威神柱落としたのは!!』
『違うっす! マイアっす!』
『……そっか。すまん、疑って』
『それはいいっすけど、逃げたデーモンどうするっすか?』
『俺からは気配が察知できない。そっちから姿が見えるか?』
『いや、見えないっす。でも逃げた奴はブライアンって獣人っす!』
『……ほーん。そりゃあ確かか?』
『マイアが見たって言ってるんで』
マイアは獣人自治区に潜入していたスパイ。ブライアンとも面識があった。彼女がブライアンだというのなら間違いないだろう。というかあいつ、ほんとに逃げ足速いな……。
『わかった。あとはこっちで何とかする。リアムは引き続き、上空からの監視を頼む』
『了解っす!』
通信を切って、召喚魔法を使う。呼び出すのはもちろんブライアンだ。
……あれ?
「ふんっ!」
……あれ? 気張ってみたけど、雲をつかむような感触がする。召喚魔法といっても、空間魔法、使役魔法、契約魔法、この三つをあわせて使うものだ。
実際に呼び出すのは空間魔法。
以前は竜神オルズや、山盛りのデーモンを空間魔法で召喚した。
なのにどうして出来ないんだ……?
『ソータ』
心配そうな声音でクロノスが話しかけてきた。
『あのときは、この世界の神々が助力したのではないでしょうか? この世界に入ってきたデーモンを帰すために』
『あのときって……、あれか。ニンゲンに取り憑いているバイモンを引っ剥がし、障壁内のデーモンをまとめて引き剥がしたときのだよね?』
『そうです。あのときは神々の怒りを感じ、大気が震えるほど拙い状況でした』
『でも今回は違った。だからそうなのか? 魔法に神の意志が存在するとか、ありえなくね? やっぱおかしい。空間魔法でブライアンを召喚できないのは何故だ……。魔法に神の意志が介在するのなら、奴が悪さしていなかったから、この世界の神々は魔法で召喚するのを許さなかったってことか?』
『可能性はありますね。魔法の効果に介入できるなんて、神の存在くらいしか考えられませんし、ソータは割とイレギュラーな魔法の使い方をするので……。もしかすると、神々から要注意人物としてマークされてるのかもしれません』
『脅かすなよ』
『脅かしてません。推論を述べただけです。それに、魔法陣はクロウリーが管理しているので、魔法を管理している神がいる可能性もあります』
『……あー、そうだったな!』
ヤバい魔法が多いから、自重しているつもりだった。でも神様から見たらそうではなかったのかもしれない。今度ゆっくり考えよう。
害にならなければ、ブライアンくらいどうでもいい。もう一度倉庫内でバンパイア捜しだ。奴らはどこに隠れているのだろう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
黒髪の男女ふたりが、台車に乗せた巨大な木箱を運んでいた。木箱にはいくつも魔法陣が描かれて、中身が大切なものだと示している。
物陰からその様子をうかがっているファーギ。メタマテリアルの外套のおかげで、その姿は見えない。
「浜田くん? さっきのいたずらかなー?」
「火災警報? さあ? 野口さんはどう思う?」
ファーギには彼らに見覚えがあった。ルイーズ・アン・ヴィスコンティ伯爵夫人の屋敷を襲撃して、ソータが何らかの力で動きを止めた勇者たち。
浜田大和、野口春子、そのふたりである。ただ、以前見たときは四十代の壮齢だったのに、まるで十代後半の若々しい姿に変わっていた。
「ここってスターダスト商会だよ? いたずらするニンゲンなんていないんじゃ? そのせいで、これ運ばなくっちゃいけなくなったんだけど、この中身知ってる?」
「さあ? 野口さんは何か聞いてんの?」
滲み出る闇脈。このふたりはバンパイアだ。そう思いながらファーギはあとをつけていく。
――ドーン
「うわっ、何の爆発? 入り口近くの方かな?」
浜田が驚く。その音は遠く離れた場所から聞こえてきた。この倉庫は、ソータがいる場所とは違うようだ。
「急いで運ぼう」
野口の声で、ふたりは台車を押す速度を上げた。
しばらく進んでいくと、彼らは倉庫の出口に到着した。ここに来るまで、誰ともすれ違わなかった。ソータの火災警報でニンゲンは全て避難しているのだろう。
台車を押しながら、彼らは外へ出て行く。
「あら。それはもう運ばなくていいわ」
彼らに声をかけたのは子爵エミリア・スターダスト。この商会の代表者だ。
「えっ! あ、そうなんですか……」
浜田は一瞬だけエミリアを睨み、すぐに下を向いた。
「ちょっと? その態度はなに?」
エミリアは浜田の機微を見逃さなかった。
「いやあ、あはは……」
「笑って誤魔化しても分かってるわよ。あなたたちはルイーズ様の子、子爵で勇者。あたしはただの子爵。言いたいことはその態度で分かるわ」
極めて平坦な声で話すエミリア。彼女は勇者のバンパイアが増えてから、常に不機嫌であった。下を向いてしまった浜田。それを見た野口はあからさまにエミリアを睨み付けた。
エミリアはそれを柳に風と受け流し、話を続けた。
「あなたたちが運んでいるのは、聖獣ヴェネノルンよ。魔法陣が描かれているのは、中身を守るためだけじゃなくて、暴れさせないため。あなたたちが他のバンパイアと違うのは、この聖獣のおかげなの。分かってますか?」
エミリアは木箱に手をかけると、軽々と持ち上げた。彼女の力は凄まじい。
「ヴェネノルンの血は、飲めば飲むほどバンパイアの力が強くなります。ただのニンゲンが飲んでバンパイア化してしまうくらいに。ただし、錬金術で加工したヴェネノルンの血でなければ効果がありません。あなたたちは、ヴェネノルンの血を作っているのが誰か知っていますよね」
エミリアは木箱を持ち上げたまま睨み付ける。浜田と野口はそれを見て冷や汗を流した。
「ふんっ。あなたたちがどんな立場なのか理解しなさい」
エミリアはそう言い残して立ち去った。
一連のやり取りをコッソリ見ていたファーギ。彼は今回の標的である子爵エミリア・スターダストを見つけた。本来ならば彼女を追って始末しなければならない。
しかし木箱の中身が聖獣ヴェネノルンだと分かったファーギは、エミリアを追うか木箱を追うか迷ってしまった。その逡巡がエミリアの姿を見失うという結果に繋がった。
「運ばなくていいって、戻しとけってことだよね……?」
浜田はエミリアが立ち去った方を睨みながら言う。
「感じ悪いわね、エミリアって。でも戻しておきましょ。またグチグチ言われちゃかなわないわ」
野口の言葉で、彼らは引き返し始めた。
ファーギはエミリアを諦め、浜田と野口を追い始めた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
この森の中にある倉庫は広大だ。四つの棟に分かれており、ミッシーはソータたちと遠く離れてしまっていた。彼女が潜入したのはソータやファーギとは違う、別の倉庫。
ミッシーはスキル〝同化〟で姿を消しながら、バンパイア化した勇者たちを観察していた。彼らは倉庫の片隅にある事務机の前で話し合っている。
「結果的にヨシミ先生を助けることに成功したわ。それでもういいでしょ? あたしたち、もう六人しか残ってないのよ? ルイーズ様について行くのが筋よ」
若々しい姿となった山田奈津子が力説している。彼女の前には、同じく若々しい姿の勇者三人が立っていた。
仕切りなどない倉庫の片隅に、事務机と椅子が置かれている。ここは本来、倉庫の作業員が書類整理で使う簡単な場所だ。
「僕たちはヨシミ先生と付き合い長いから、言いたいことは分かる。あの清濁併せのむ懐の深さに、僕たちは共感したんだ。だからついてきたんだよ。それなのに、僕たちをバンパイア化したルイーズについてくってのは、違うと思うんだ」
バンパイアは様々な手段で、上下関係をハッキリさせようとする。主たる手段は、自分の血を与えることで、バンパイアウィルスに感染させる血の契約という行為だ。血を与えられた者は、血を与えた者を上位者として認識し、命令に従うようになる。
しかしここでの会話は、上位者、つまりルイーズに反抗するような言葉が出ていた。
姿を消して話を聞いているミッシーは、上位者に反抗するバンパイアがいるのかと疑問に思った。
「そもそもの話だけどさ、ルイーズは誰にバンパイア化されたの? あいつ始祖なのに、真祖のリリス・アップルビーに従ってないじゃない」
別の女子勇者が山田に食って掛かる。
「……」
山田は黙ってしまった。明確な答えを持っていないのだろう。
ミッシーも同じく、何故ルイーズがリリスに従っていないのか疑問を持っている。ルイーズ・アン・ヴィスコンティ伯爵夫人。つまりユハ・トルバネンは何故、魔女マリア・フリーマンに従っているのか。
――ドーン
遠くから爆音が聞こえ、四人の勇者は身構えた。
「さっきの火災警報といい、今の爆音といい、何かが起きてるのは確かね。浜田くんと野口さん、ふたりと合流しよう。そのあとルイーズ様に指示をもらうわよ!」
山田は焦った声で言った。彼女は魔導通信機で浜田と連絡を取り、合流地点に集まることを伝える。三人の勇者はそれに従って、急いで倉庫から出て行った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ファーギとミッシーから、ほぼ同時に念話が聞こえてきた。ビックリするんだよなー、念話って。着信音が鳴ればいいのに。
ミッシーは山田奈津子率いる勇者たちを発見したみたいだ。冒険者ギルドに上がっていた情報は正しかったことになる。
ファーギは子爵エミリア・スターダストを発見したが、見失ったらしい。聖獣ヴェネノルンが入った木箱が気になったからと言って、申し訳なさそうにしていたが、気にしないでいいと伝えた。
エミリアなんて木っ端バンパイアより、バンパイアを変異させ強化する聖獣ヴェネノルンの方がはるかに重要度は高い。
女帝フラウィアからの依頼、子爵エミリア・スターダストを討て、というのを後回しにしてでも確認しておきたい。
「と言うわけだ」
ミッシーとファーギと合流して、俺の考えを伝えた。
俺たちは倉庫を出て、山田奈津子たちが集まった場所へ向かった。彼女たちの居場所は、ミッシーとファーギが確認していたので、すぐに見つけることができた。別の倉庫だ。
そこは他の倉庫と同じく天井が高い。けれど一部が二層式になっているロフトタイプの倉庫だった。彼女たちは大きな木箱をそこへ移動し、話し合いを始めた。
なので俺たちは三人とも姿を消して、集まった勇者たちを観察することにした。
「それで結局さ、あなたたちはどうしたいの? ルイーズ様について行かないってこと?」
山田は少し怒っている。たしかこいつ、ヴィスコンティ伯爵家で拘束した奴だよな。めちゃくちゃ若返ってるのは、バンパイア化したからだろう。
「山田、この箱の中にヴェネノルンが入ってるんだ。これ殺って、生き血を飲んじゃおう。それからもう一度考えればいいと思うよ?」
「は? 浜田くん、なにバカなこと言ってんの? ヴェネノルンの血は錬金術で加工しなきゃ飲め――」
山田は浜田の言葉に驚いて言った。彼女はヴェネノルンの血についてあまり知らないのだ。
「大丈夫だよ。ちゃんと調べてるからさ。ヴェネノルンの血は、リリス・アップルビーの呪縛から解き放つ作用があるんだ。飲んだ血の量に応じて、バンパイアの能力が上がるのは知ってるよね。生き血をニンゲンが飲むとバンパイア化するし。錬金術で加工した血って言っても、ただ効果を薄めてるだけなんだ」
浜田は自信満々に言った。
「そ、それじゃあ、あたしの中にある、リリス様やルイーズ様への想いは……」
山田は不安そうに言った。
「ヴェネノルンの血を飲めば消える。俺たちは自由に生きて、永遠の命を得ることが出来る。勇者なんてくそ食らえだ」
浜田は言いきった。
「そんなの信じられないわ!」
山田は大声を出して浜田を睨み付ける。
そこに野口が補足の説明を始めた。
「実はね、わたしと浜田くんは、ヴェネノルンの血を直接飲んだの」
「うそ、ヴェネノルンは厳重に管理されてるのに、そんな事どうやって!?」
「それがね。ロイス・クレイトンってバンパイアに教えてもらったの。彼からもらったこれ――」
野口はポケットから小瓶を出す。
中身はヴェネノルンの血。
ルーベス帝国の兵士が飲んでいたものと同じか。
もういいだろう。俺は彼ら六人に時間停止魔法陣を使った。
時間が止まった彼らを確認して、俺は姿を現す。情報はもう十分得た。
「この件、ロイス・クレイトンが絡んでるのか。あいつもしぶといな。何がしたいんだ?」
俺は時間が止まってカチコチの山田の額をペチペチ叩く。
「ソータが異世界から来てすぐ、ロイスって奴隷商に捕まったというあれか?」
ミッシーも姿を現し、ニヤニヤしながら俺に言う。
「ああそうだ。というか、ルーベス帝国でも、同じ小瓶を見た。あの兵士たちはヴェネノルンの血を飲んでバンパイア化してたし、メリルたちがダンピールになった件もある」
するとファーギも姿を現した。
「何にせよ、子爵エミリア・スターダストを探そうか。そこのヴェネノルンが入った箱はどうする?」
「バンダースナッチへ移動させておこうか」
俺はバンダースナッチにゲートをつなげ、勇者六人とヴェネノルンが入った木箱を投げ込んだ。




