210 グウィリム・アン・ヴィスコンティ伯爵
アトレイアの街は不思議に感じた。といってもこれは俺の主観で、街の人々にとっては日常の風景なのだろう。
石畳は平らに造られ、車道と歩道はきちんと区別されている。これくらいなら、これまで何度も見てきたが、二輪ゴーレム、四輪ゴーレム、地球的な表現にすれば、バイクと自動車が行き交っているのだ。
それでいて馬型ゴーレムが曳く馬車に、本物の馬が曳く馬車も混在している。俺の固定観念が邪魔をして、奇妙な風景として映る。
俺たちは今、ワンボックスカーに似たゴーレムに乗っている。運転しているのはファーギ。同乗者は俺とミッシー、佐々木と竹内、それと軍師のヘルミ。六人でスターダスト商会の倉庫を目指しているところだ。
街中のスターダスト商会は、竹内やこの街の冒険者たちが調査済みで、何も問題がないと確認されている。さっき前を通ったけど、百貨店のような造りで大いに賑わっていた。
城壁を通過すると速度が増した。押し固められた砂利道の埃を巻き上げながら颯爽と走り抜けていく。
竹内はそれでも不満なようで、ファーギに向かってせっつく。
「もっと急いでくれ」
当然だが、街中ではそんなに速度を出せない。しかし、アトレイアの街を出れば事情は変わる。人通りがほとんどなく、速度制限など存在しないからだ。
「お……? ワシにそういうこと言う?」
竹内に遅いと言われて、ファーギは少しムキになった。更に速度が上がり、荒れ地の中の一本道を走り抜けていく。その道は森の中へも続いていて、しばらくすると脇道が見えてきた。
「うおおい! 速すぎんだろ、そこ左な!」
「早めに言え!!」
竹内の指示が遅かったので、ファーギは急ハンドルを切った。ドリフトをしながらも、上手いこと脇道に入り、ファーギは更に速度を上げた。
こんなに急いでいるのは、竹内とダブルブッキングした冒険者たちが心配だからだ。黒髪の集団をみたという情報があるので、バンパイアに変貌した勇者たちがいる可能性が高い。
ファーギの声で前を向く。
「あれはどうする?」
スターダスト商会の倉庫入り口は、大きな門で閉ざされていた。このワゴン型ゴーレムで強行突破なんてできない。そんなことして、スターダスト商会に何もありませんでした、なんてことになったら大問題だ。
「冒険者ギルドの依頼書を見せて、正式に通ればいい。断れば強行突破できる」
そんなことを言ってくる竹内。強行突破する気満々だ。
「そうだな。とりあえず門番に依頼書を見せよう」
ミッシーの言葉に俺たちは頷いた。
「おはようございます」
門の前で停車し、ファーギが依頼書を見せる。スターダスト商会でバンパイアらしき人物を見たので調査して欲しいという内容だ。
それを見た門番は渋い顔をして言った。
「バンパイアなんているわけがないだろ。とっとと帰れ」
ファーギはムキになって言い返す。
「おいおい、これは冒険者ギルドの正式な依頼書だぞ?」
だが、門番はそれを上回る言葉を使ってきた。
「知るか。帰らないなら領主様に連絡して、軍を送ってもらう。お前たち全員犯罪者になって、冒険者証もなくなるぞ?」
「こっちは正式な依頼書があるんだ! 門番なら鑑定スキルくらい持ってるだろ! 調べてみろ!」
何だかダメっぽいなー。こりゃ強行突破か? なんて思っていると、奥にある倉庫の壁が内側から爆発した。
それと同時に、ワゴン型ゴーレムが急発進、門を突き破り敷地内へ侵入した。俺たちは全員ワゴン型ゴーレムから降りて、倉庫の中へ駆け込む。今の爆発のおかげで、強行突破の件はあとから何とでも言えるようになった。
倉庫の中から逃げ出してくる作業員たち。彼らから闇脈は感じない。
俺は佐々木に目配せをする。
俺たちは中に入ったら二手に分かれる予定だ。
佐々木、竹内、軍師ヘルミ。
俺、ミッシー、ファーギ。
意思の疎通がしやすい形で分けた。
「行くぞ!」
竹内の声で彼らは右の方――爆発が起きた場所へ向かって駆け出した。
俺たちは正面の奥を目指す。こう動くのも、全員が同じ目的ではないからだ。
佐々木たちは、山田奈津子や、他にバンパイア化している勇者を探す。
俺たちは、子爵エミリア・スターダスト、あるいはルイーズ・アン・ヴィスコンティ伯爵夫人を探し出すこと。
たまたま場所が同じだったから、一緒に行動したとも言える。
「というかこの倉庫、アホみたいに広いな。ワシら三人固まって動くより、個別で探そうか」
ファーギの提案はもっともだ。俺たちなら各個撃破される心配もないし、念話で会話することもできる。万が一何かあっても、助けを呼べるからな。
「そうしよう」
ミッシーはその言葉を残して、姿が消えた。スキル〝同化〟を使ったのだろう。
ファーギはペラッとしたフード付きマントをかぶると姿が消えた。何だこれ? 初めて見たけど、またなんか作ってやがる。たぶんバンダースナッチをステルス化しているメタマテリアルを使っているんだと思う。
「じゃ、あとでな」
ファーギはそう言って走り去った。
さてと。このうっすらと漂う闇脈。バンパイアがいることは確かだ。
俺は壁に近寄って、火災報知器ボタンを押した。けたたましい音が鳴り始め、五分待ってリアムに連絡する。
「どお?」
『んー、いまマイアとニーナに手伝ってもらって探してるっすけど、倉庫から出てくるバンパイアはいないっすね。避難してくるのはニンゲンばかりっす』
「そっか。あんがとね」
『いえいえ! 無事を祈ってるっす。帰ってきたらみんなで――』
リアムはまたフラグを立てようとしたので、魔導通信を切った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
四つある倉庫の一つで、片ひざをついてうやうやしく頭を下げている男がいた。
「ユハ・トルバネン様、お加減はいかがでしょうか」
ルイーズ・アン・ヴィスコンティ伯爵夫人の姿をした女性――ユハ・トルバネンは、頭を下げている男――グウィリム・アン・ヴィスコンティ伯爵を一瞥した。
彼女の長く豊かな黒髪、深いブルーの瞳、白く柔らかな肌、全て元通り。違っているのは、黒い革製のつなぎを着衣しているところ。魔法陣の刺繍がされ、戦闘に特化した作りとなっていた。
「随分時間がかかりましたね……」
「はっ、申し訳ありません。ユハ・トルバネン様とホムンクルスの同調に手こずりまして……まだ完全ではありません」
「たしかにそうですわね……首都トレビ近郊に、スターダスト商会の軍事施設があったわね。そこで再調整してもらいますわ」
周りには誰もいない。ここは倉庫の中に作られた錬金術の施設で、ホムンクルスの作成を行っている場所だ。横長の容器が複数設置され、培養液で満たされている。その中には、完成していないヒト型ホムンクルスが入っていた。
「あなたはデレノア王国の伯爵です。アトレイアの街で素性がバレないように動いてください。それと、子どもたちはどうしていますか?」
「はっ。現在侵入者の排除に当たっております」
「……あなたは、わたくしの指示が分かっていないようですね。レオンとエリザはもう社交界で顔見せが終わっています。異国の地であろうと、顔を覚えているものもいるはず。まさか末っ子のリリーまで動員してませんよね?」
ユハ・トルバネンにそう言われ、ひざまずいたままのヴィスコンティ伯爵は、顔に玉のような汗を浮かべていた。
「まあいいでしょう。あなたは伯爵家を守るための行動を取りなさい。わたくしは行くところがありますので」
「はっ、わかりました」
ヴィスコンティ伯爵は、床に頭をこすり付けて平伏する。それを見たルイーズは天井を見上げる。
「ベルマリー、ソフィー、行きますよ」
何もなかった天井に、ふたりの女バンパイアが現れた。彼女たちは姿を消して天井に張り付いていたようだ。
「はーい」
ベルマリーは猫のようにしなやかな動きで着地。
「どこ行くんですかー」
ソフィーはクルリと一回転。見事に着地を決めた。
「マラフ共和国の首都トレビに向かいます」
そんなふたりに笑顔で答えるルイーズ。彼女たちはヴィスコンティ伯爵家の侍女長と侍女。本物のルイーズに仕えていたが、ユハ・トルバネンによってバンパイア化されていた。
ユハ・トルバネンは、スキル〝変貌術〟を使って本物のルイーズと同じ姿になっていたため、バンパイアに変貌しても、ベルマリーとソフィーは彼女にとても懐いていた。
そのふたりが元気よく返事をする。
「わっかりましたー」
「楽しみですー」
ルイーズは笑顔のまま霧と化し、ベルマリーとソフィーも同じく霧と化した。
錬金術の施設にひとり残された子爵グウィリム・アン・ヴィスコンティ。彼の握りしめた拳は、血の気がなくなり白くなっていた。
「……分かっている。あいつは妻ではない。しかし――このヴェネノルンの血のせいで私の本能までが歪められている! ……逆らえない。ユハ・トルバネンには」
そのとき、火災警報器の音がけたたましく鳴り始めた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
バンパイアハンターのレイブン・ハートは焦りを隠せなかった。突如現れた子どもの姿をしたバンパイア三人組によって、仲間たちは次々と倒されてしまったのだ。リーダーもやられてしまい、三十人いた仲間たちは半数に減ってしまった。
「くっ!?」
レイブンはレオンと呼ばれたバンパイアの爪を、ギリギリでかわす。しかし、すぐに背後から攻撃される。レイブンは振り向かずに避けて、床に転がった。
バンパイアの三人は、壁のようになった荷物を蹴り飛ばしながら、通路を縦横無尽に飛び回っている。狙われるのは飛び道具を持っている者だ。そのためレイブンは、バンパイアから執拗な攻撃を受けていた。魔導ライフルを構える暇も無かった。
「全員撤退だっ! 生き残ることだけ考えろ!!」
先ほどまでの楽勝ムードは一変し、全滅必至の状況となっていた。
――ズドン
仲間のひとりが爆裂火球を使った。その衝撃波でレイブンは吹き飛ばされてゆく。
床に転がったレイブンはかぶりを振りながら確認する。仲間の爆裂火球は、どうやら倉庫の壁を狙ったようだ。大きな穴が開いている。しかし、そこを塞ぐように、リリーと呼ばれた子どものバンパイアがちんまり立っている。
逃さない。そんな表情で。
その間にも仲間は次々と倒されていく。生き残りはすでに十人を切っていた。
「くそっ! 俺の娘くらいの年でバンパイアかよっ!!」
レイブンは、エリザと呼ばれたバンパイアの爪を受け止める。
「ニンゲンと同じにしないで? おじさん!」
レイブンの言葉に苛立ったのか、エリザは両手の爪を振り回す。子どもが暴れているような攻撃は、周囲の荷物を切り裂いていく。レイブンは後ろに下がるしかなかった。
「ぬおっ!?」
後ずさりするレイブンは、倒れた仲間につまずいてバランスを崩した。
それを見たエリザはニンマリと笑みを浮かべ、刃物のような爪を振りかぶった。
その爪がレイブンの首に届こうとしたとき、そこに透明な壁が現れた。
――ガキィン
金属音と共に、エリザの爪がはじき飛ばされる。彼女は異変を察知したのか、霧となって消えてしまった。
「大丈夫か!?」
九死に一生を得たレイブンは、声の主へと顔を向ける。
「ちっ!」
レイブンは、竹内の姿を見て礼を言うどころか、舌打ちをした。なぜならレイブンは、ついさっき竹内と大喧嘩して、冒険者ギルドからたたき出されたばかりだからだ。
「おいこら。テメエ礼の一つも言えないのか? ああ?」
竹内は語気を強める。彼は土魔法グランウォールで、エリザの爪を防いだのだ。
「……すまん。助かったよ」
喧嘩したとはいえ、命を助けてもらったのだ。レイブンは素直に礼を言った。そして彼は、周囲が静かになっていることに気付く。
「こんにちは。佐々木優希です。危なかったですね」
「はあ? 勇者ササキが何でここに? タケウチのクソ勇者とヘルミのせいで、俺たちはデレノア王国に帰れねえってのに」
正確にはヨシミのせいだが、竹内はデレノア王国の将軍である。竹内は上からの命令に従っただけだが、レイブン――バンパイアハンターにとってはまるで関係の無い話である。
ヘルミは、傷を負った冒険者たちに回復魔法と治療魔法を使っている。生き残った冒険者は八人となっていた。
「僕にも都合があるので。それより、どんな状況か教えてもらいたいんですが」
レイブンにぴしゃりと言い放つ佐々木。その瞳は怒りの炎に染まっている。
「そ、そうか。しかし今のバンパイアは何だ? 子どもの姿だったが、アホみたいに強かったぜ? それと、黒髪の集団はいねえ。冒険者ギルドの情報、間違ってんじゃねえの?」
ひとまずこの場は話せるくらいまで落ち着いた。生き残った冒険者たちも話しに加わり、佐々木たちとの情報交換を始めた。
「お、手はず通りだな」
竹内が倉庫の天井を見やる。
けたたましく鳴り響く警報音は、倉庫内にいる一般のニンゲンを逃すための策。ニンゲンで無いものが外に出れば、バンダースナッチが攻撃することになっている。
「レイブン」
「あ?」
竹内の呼びかけに、レイブンは雑に返す。
「さっきのバンパイアな。俺は前に見たことがあるんだが、そのときはニンゲンだった。あれ、ヴィスコンティ伯爵家の子どもたちだぞ。強かったのはたぶん、ヴェネノルンの血ってのを飲んでるからだ」
「……マジかよ。ってことは、伯爵家はもう」
「ルイーズ・アン・ヴィスコンティ伯爵夫人がバンパイアになっているのは確定してる。グウィリム・アン・ヴィスコンティ伯爵はどうか分からんが、子どもがああならおそらくは……」
「そりゃあ残念な話だが、仲間をやられちまったからな。ただで済ます気は無いぜ?」
「ああ、あんたはそう言うと思ってたよ。佐々木、いいか?」
竹内は佐々木に向き直り、手招きをする。
近付いてきた佐々木は魔導バッグを開いて逆さにした。
「うおっ!? なんだこれ!」
ゴロゴロと出てきた円筒形の金属。表面に小さな穴がたくさんあり、指で引っこ抜くピンがついている。
「これは閃光発音筒で、神威の閃光と爆音。こっちは催涙手榴弾で、唐辛子成分をガス状にして吹き出す。どっちも、ピンをぬいて五つ数えたら、軽い爆発が起きて、周囲に被害が出る。バンパイアは五感が鋭いでしょ。倒すにしても逃げるにしても、これでバンパイアの動きは止まるよ。ただね、これで僕らが被害を受けちゃ本末転倒。で、これも渡しとくね」
佐々木は目出し帽とゴーグルを取り出す。
「これで、閃光と音、それと唐辛子成分を防げる。バンパイアはのたうち回って苦しみ、僕たちはそいつらを踏みつけることが出来るってわけさ」
どや、と声が聞こえそうな顔をする佐々木。
勇者がえげつないものを持ち出したことでドン引きしている冒険者たち。竹内とヘルミも同じく引いていた。
そのときだ。倉庫の外で大爆発が起きた。




