208 勇者の行方
ミッシーとファーギの活躍で、エスペリア港町は一時の平穏を取り戻した。
俺は、古い建物や風情ある通りに目を奪われながら、町を散策中である。家に隠れていた人々も、徐々に姿を現し始め、道端に並ぶ商店も少しずつ営業を再開していた。
しかし、バンパイアの襲撃が残した傷跡は深刻だった。町を治めていた城主や家臣は全滅し、冒険者ギルドも壊滅状態に陥った。港の倉庫街は半分以上が火災で焼失し、甚大な被害を受けた。
今回の事件は勇者関連のものだったので、損害はすべて国が補償するという。勇者召喚を行った国としては当然のことだろう。こういうところをしっかりケアしないと、勇者は悪者にされてしまう。
この世界に召喚されて三十年。勇者中村は幸せな人生を送ったのだろうか。
すでに始まっている港の復旧作業を見つめながら、俺は静かに黙祷を捧げた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
上空のバンダースナッチへ戻り、ブリーフィングルームを見渡す。
メリル、アイミー、ハスミン、ジェス、四人とも普段と変わらぬ様子でくつろいでいた。ただ、彼らの身体から魔力とは別のもの――闇脈を感じる。
「んだよ、おっさん!」
早速アイミーに睨まれる。バンパイアになった彼女たちの経過観察をしていると分かっているのだろう。
「ソータ様……。私たちはいったいどうなるのでしょうか」
メリルは心配でたまらない様子だ。そう感じるのは当然だろう。これまでバンパイアは滅ぼす対象としてみていたのだから。
「ヒュギエイアの水を飲んでいれば大丈夫」
と断言しておこう。でなければ、いつまでもブリーフィングルームに閉じ込めておかなければならない。
それに、マイアとニーナはバンパイアに対する憎しみが強すぎる。彼女たちがドワーフの四人に手を出さないように、俺は四人とも大丈夫だと断言しなければならない。そうすれば、少なくともマイアとニーナは納得してくれるだろう。
『ソータ』
『おん?』
クロノスから話しかけてくるのは珍しい。どうしたんだろう。
『メリルたち四人はダンピールになっています。噛まれたわけでも無く、ヴェネノルンの血を飲んでいますので、リリス・アップルビーを頂点とする、バンパイアの序列には入りません』
『ダンピール……。半分ニンゲンで半分バンパイアっていうあれか』
『そうです』
『そりゃ物語に出てくるやつ……。いや、バンパイアもそうか』
異世界だけでなく地球にもバンパイアは存在していた。まあ、それはどうでもいいか。
『そうですね。ただ、ダンピールはバンパイアのいいとこ取りをしている存在なので、長い目で見れば彼女たちにとってプラスになるでしょう』
『そんなもんかね~』
メリルたちドワーフの四人がバンパイアの序列に入らないということは、ヴェネノルンの血を飲ませた子爵ジュリアン・シャドウハートの下位にあたる騎士ではないということだ。もう滅んだみたいだけど。
もちろんルイーズなんて関係ない。
つまり、リリス・アップルビーに、どうこうされることはない。
「ふむ……」
「ふむ、じゃねえだろっ! さっさとここから出せ!」
「ぐおっ!?」
スタスタと近付いて、ハスミンが俺の脛を蹴った。めちゃくちゃ痛いけど我慢だ。これ以上不機嫌になる前に伝えておこう。
「とりあえず聞いてくれ。四人ともいま半分ニンゲン、半分バンパイア、そんな状態のダンピールだ。血への渇望はヒュギエイアの水でなんとかなる。それと、闇脈が身体を巡っているのはわかる? それでバンパイアの闇脈魔法が使えるようになって、身体能力も上がっているはず――――」
推測を交えながら、ドワーフ四人のいまの状況と、これからどうして生きていけばいいのか、簡単に説明し終えた。
「つまり、ヒュギエイアの水飲んでれば、これまで通りってことですよね?」
ジェスが尋ねてきたから頷いておいた。敬語を使ってくるとは驚きだ。余程心配なのだろう。
「ヒュギエイアの水は、肌身離さず持ち歩くようにして欲しい。本当ならもっと時間をかけて経過観察しなきゃいけないけど、大丈夫。自由にしていいよ」
そう言ったことでホッとした雰囲気になった。
『よかったっすね!』
機内放送でリアムの声がする。こいつ盗み聞きしてやがったな。
メリルたちドワーフの四人はニコニコしながら、ブリーフィングルームを出ていく。これから夕食の支度をするそうだ。こうやって見るとダンピールになったとか、全然関係なさそうだ。
これまで通り、仲間として接していこう。
一息ついていると、佐々木がブリーフィングルームに入ってきた。彼は王都ハイラムへ戻らず、俺たちと同行するという。ちゃんと断ったけど、どうしても中村の仇を討ちたいと言って聞かない。
俺と佐々木がああでもないこうでもないと、言葉の応酬を繰り広げていると、マイアとニーナが割って入ってきた。彼女たちも両親をバンパイアに殺害されているので、佐々木の気持ちが分かると言って。
そう言われると俺も引くしか無くなった。
「ソータくん、この空艇は、マラフ共和国のアトレイアに向かっているんだよね?」
「はい。あ、でももうすぐ日が暮れるから、今日は空中で泊まって、明日の朝にアトレイアに着く予定です。食事も風呂も部屋も用意してあるから、心配しないでください」
アトレイア港まで百キロ程度の距離なので、すぐに着くのだが、昨日同様に、時間に余裕を持って行動するべきとミッシーが言い張った。ファーギもリアムも追随し、またしても俺の強行軍は却下された。
最近パーティー内での立場が下がってきている気がする。意見が通らないリーダーって、もうリーダーじゃないだろう。
「へぇ……。この空艇、空間が拡張されてるし、神威結晶を動力にしてるよね。ドワーフ製だと思うけど、だいぶ改造されてるし、ファーギさんやリアムさんが手を加えたのかな?」
「俺に下賜された空艇なんですけどね! あいつらが勝手に改造してるんですよ……」
「あははっ! あとで見学してもいいかな?」
「どぞどぞ」
それから色々話した。話題は異世界の話から現代日本の話題にまで及んだ。けっこうな時間話し込んでいると、ミッシーが夕食の準備ができたと声をかけてきた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
海と森に囲まれたマラフ共和国南西部のアトレイア港は、城壁で守られた人口十万人の都市だ。商業と交流の拠点として、港には様々な国の船が往来する。
デレノア王国側のエスペリア港と比べると、こちらの方が断然賑わっていた。軍事的な緊景などものともせず栄えているのは、スターダスト商会の大きな支店があるからでもある。
なにも取引相手はデレノア王国だけではない。ここから出ている船は、ハマン大陸の、ルーベス帝国、ガレイア連合国、ロニクス共和国、アリウス部族連合国と交易しているのだ。
そのため、朝から夕方まで、魚や果物、香辛料や工芸品などを取引する市場が賑わっていた。
道端には木造やレンガ造りの家々が並び、窓辺には花が飾られている。家からは焼き上がったパンや煮込んだスープの匂いが漂い、子供たちやペットの動物たちが元気に遊んでいた。
城壁内は平和であった。
いや、概ね平和であった。
街を治める領主は軍隊を持っているが、街のトラブルや犯罪には関与しなかった。この街の秩序と安全は冒険者たちが担っており、軍隊は外敵から街を守る役割を果たしていた。この街はそういう役割分担で成り立っていたのだ。
しかし、冒険者たちは気性が荒く、ギルド内でも頻繁に喧嘩をしていた。
今朝もそうだ。冒険者ギルドで起きた殴り合いは留まるところを知らず、外から観戦している街の住人たちは歓声を上げていた。
屈強な五人の冒険者が、入り口のドアを破壊して石畳に放り出された。
中から怒声が聞こえる。
「誰が盗賊だごるあああああ!!」
冒険者ギルドから盗賊然とした男が現れた。細身だが、しなやかな筋肉と高身長で、強者のオーラを放っている。その男が五人の冒険者を外に投げ飛ばしたらしい。
彼の背後から慌てた声が聞こえてくる。
「ツヨシさんっ、喧嘩しちゃダメですって!」
「ヘルミは黙ってろ!! こいつらは、俺の仕事を横取りしやがったんだぞ!!」
勇者竹内剛志と、その軍師ヘルミだ。
彼らは軍を率いてマラフ共和国へ攻め込む予定だった。しかし移動に使ったダンジョンが分断され、兵站部隊と切り離された。やむなくマラフ共和国に上陸したが、そこで待ち構えていた敵軍に襲われた。
彼らは辛くも窮地を脱したが、補給が途絶えれば軍は持たない。勇者竹内はすぐさま軍を解体し、部下たちを解放した。
竹内はデレノア王国の将軍という肩書きを隠すため、高価な鎧は捨てて、安物の革よろいに着替えた。
彼がこの街にいる理由は、デレノア王国へ戻るためである。しかし、自らが起こした軍事行動により、マラフ共和国とデレノア王国は国交が断絶状態。
竹内はアトレイアの街で冒険者として身を隠しつつ、デレノア王国へ帰るためにエスペリア港への船便を探していた。
「横取りだと? お前らが先に横取りしたんだろうが!!」
冒険者ギルドから投げ出された冒険者が怒鳴り返した。殴られまくったせいで顔がボコボコに腫れ上がっている。仲間の四人が立ち上がって、剣を抜いた。
見物していたアトレイアの住人たちは、刃物が出てきたのを見て慌てて逃げ出した。殴り合いならともかく、刃物が飛び交うと死者が出るかもしれない。そんな危険に巻き込まれたくないと思ったのだろう。喧嘩に興味を持っていた人々も、急いでその場を離れた。
冒険者ギルドの前には、竹内とヘルミ、そして冒険者五人だけが残った。
「すみません、少しお話しできますか?」
逃げる人々の間から、ひとりだけ近づいてくる者がいた。勇者佐々木だ。彼は竹内には目もくれず、顔を腫らした冒険者たちに金貨の入った袋を手渡した。
「これで怒りを収めてくれないかな……。足りなかったらもうちょっと出すよ」
佐々木は柔らかい口調だが、全身から怒りの気配を噴き上がらせ、反論は許さないと物語っていた。
それに気づいた冒険者たちは、素直に金を受け取って逃げるように立ち去った。
「ソータくん……。彼が僕の同級生、竹内剛志くん。竹内、こっちは僕たちを助けてくれた板垣颯太くんと、ミッシーさん、ファーギさんだ」
佐々木は日本語で、ソータたちを紹介した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
俺たちは情報収集のために、冒険者ギルドへと向かっていた。
メリルたちドワーフの四人は念のため、バンダースナッチでお留守番。でも、マイアとニーナが心配だと言って残ってしまった。
それで、俺たち四人で行動していたんだけど、勇者竹内が起こした大喧嘩に出くわした。
佐々木はこの場は任せてと言って進み出て、丸く収めてしまった。いつもの優しい感じは一ミリも無くなり、反論すればぶっ飛ばすくらいの迫力を持って、冒険者五人を追い払った。
「おいこらツヨシ……。ギルドの修理代はお前の報酬から差っ引くからな」
「げっ!? そりゃねえぜギルマスっ!」
「やかましいわ。お前この街に来て、何回喧嘩してんだ。いい加減にしないと、冒険者証取り上げるぞ?」
竹内はギルドの奥から出てきたマスターに叱られている。
「ああ、そうそう君たち、すまないね。見苦しい喧嘩を収めてくれて助かったよ。俺はここのギルマス、ジョセフだ」
ヒト族のおじさんだ。黒髪で背が低い。その身のこなしに隙はなく、まるで影のように薄い。まだ現役っぽい雰囲気だ。
ジョセフの言葉に佐々木が応じた。
「お気になさらず。……彼は友人でして」
竹内も佐々木も、当然だけど日本人顔。俺もだけどね。だから佐々木の、友人という言葉には説得力があった。ギルマス――ジョセフはすぐに俺たちを冒険者だと認識し、ギルドの中に招いた。
冒険者ギルドの中は惨状だった。壁には穴が開き、床にはガラスの破片が散らばっていた。竹内の一撃で、大勢の冒険者が吹き飛ばされたからだろう。
竹内は鋭い目つきで周囲を睨みつけている。おかげで、誰も近づこうとしない。
佐々木はそんな竹内を放っておき、ギルマスに話しかけた。
「すみません、ジョセフさん。修理代はこちらです」
彼はそう言って、金貨の入った袋を差し出した。ジョセフはそれを受け取ると、満面の笑顔になった。しかし、その笑顔はどこか作り物のように見えた。黒髪の日本人顔が三人いるので、デレノア王国の勇者だと勘付いたのかもしれない。俺は勇者じゃないけど。
「ああ、ありがとうね。助かるよ。これからツヨシに説教だろ? 突き当たりの右の応接室を使っていいぞ」
ジョセフはそう言って、壊れたカウンターを引き剥がす。あとは勝手にしろってことか。俺たち四人と、竹内とヘルミ、六人で奥の部屋に入った。
――――ゴツッ
部屋に入るや否や、佐々木が竹内をぶん殴った。骨と骨がぶつかる鈍い音が響き渡る。殺風景な部屋の中で、竹内は吹っ飛ばされて壁に叩きつけられた。
「竹内くんさ、将軍まで登り詰めてるんだよね? ヨシミ先生の指示が怪しいと思わなかったの? ねえ、何で鵜呑みにしちゃったの? ちゃんと答えてよ。マラフ共和国に渡ってさ、なんで戦闘しちゃったの? バカじゃない? それにさ、僕たち勇者に連絡もしないでさ、なんでこんなとこで喧嘩してるの? ねえねえ、バカじゃないの? 返事してよ」
佐々木の一撃は、竹内の意識を刈り取った。壁際に崩れ落ちた竹内の胸ぐらを掴んで、それでも佐々木は問い詰める。その声は意識の無い竹内には届いていない。佐々木はそんなこと分かっているはずだ。それでも執拗に竹内を問い詰め続ける。
ミッシーとファーギは何も言わない。ヘルミは勇者同士の争いを見て泣き出してしまった。
俺が見た感じ、佐々木はいつも飄々としていた。あまり感情を表に出すことはなかったけど今は違う。その怒りは竹内に向けられているようだが、本当はそうじゃない。佐々木は中村を失ったことで自分を責めているんだ。
「佐々木さん……。もうやめましょう。竹内さんからも話を聞きましょうよ」
「分かってるよ。分かってるけどさ、納得できないんだ。気持ちが整理できないし、整理したくもないんだ!! どうして中村くんが死ななきゃいけなかったんだよ!!」
佐々木の哀しみは深く切ない叫びとなって現れた。その声には後悔と悔しさが混ざっていて、俺は心を揺り動かされた。
だけど……。申し訳ないけど、あまり時間をかけられないんだ。俺は竹内に回復魔法と治療魔法をかけて、意識を回復させた。




