200 損な役回り
耳をつんざく爆音と床を揺るがす衝撃に襲われ、俺はよろめいた。思わず透明化を解除しそうになったが、必死に集中して維持した。外を見ると、真っ赤な炎が空を焦がし、黒煙が渦巻いている。それは一瞬で消え去り、障壁の向こうには焼け野原のような光景が広がっていた。
子爵エミリア・スターダストと騎士ミランダも驚愕している。つまり、このバンパイアたちも何が起きたのか知らないということだ。
俺は外を確認せねばと思い、バンパイアのふたりを、闇脈の障壁に閉じ込めた。彼女たちは、ふたりきりで話していると思っていたので、障壁の中で悲鳴を上げた。俺はまだ姿を見せていないから、彼女たちは何が起きたのかも理解できていないだろう。
「ぶわっ!?」
スターダスト商会を覆っていた障壁を解除すると、熱波に襲われて身体が灼かれそうになった。俺も急いで障壁を張ったが、透明化が解除されてしまった。
ミランダはじっと俺を見つめ、不審者を発見したような顔をした。彼女は俺から目を離さず、隣にいるセレスティアに問いかけた。
「……何でしょう、この方は?」
「……彼は最近、帝都ドミティラを荒らしている冒険者です。名前は確か、ソータ・イタガキ……」
セレスティアがミランダに応じた。俺は帝都ドミティラでこっそり動いていたつもりだけれど、なかなか上手くいかないな。
――――バリッ
あ、こいつら、閉じ込めた闇脈障壁を破りやがった。赤いガラスのような破片が飛び散って消えていく。もう一度障壁に閉じ込めようとすると、ふたりは霧と化して姿を消した。
くそっ……。気配を探っても、まるで雲を掴むような感触がする。仕方がない。奴らを滅ぼすのはまた今度にしよう。
スターダスト商会から出ると、黒焦げの更地が広がっていた。あるはずの建物は無くなり、ずっと遠くまで見通せる。もちろん歩いているニンゲンなんて誰もいない。
こんな光景、実際に見たことないけど、写真や動画でなら見たことがある。
『放射線とか何か感じる?』
『いえ、この世界の平均的な放射線量に留まっています。核兵器ではありません』
クロノスがそう言うからには、この事態は加圧魔石砲か、あるいは……魔石電子励起爆薬だろう。あれはシビル・ゴードンに使用を禁止するよう口うるさく伝えたし、製造も禁止したはずだ。
そうか、この空気感、思い出したぞ。獣人自治区で、魔石電子励起爆薬が爆発したときと同じものだ。
シビル・ゴードンを締め上げて、何がどうなっているのか吐かせなきゃ……。
いや、それは後回しだ。いまは犠牲者を――――
『ダメです』
『……』
『もう一度言います。死んだニンゲンを蘇らせたらダメです。女神アスクレピウスに、固く禁じられましたよね。次は冥界の神ディース・パテルが降臨し、地上を滅ぼすと』
『分かってるよ……』
クロノスは脳内でざらついた声を発し、俺はため息をついた。そんな事が出来るのは、アイテール化してクロノスと一体化しているからだ。彼女は俺の心を読んでいる。だから、何も隠せない。
彼女は俺に残された最後の良心かもしれない。だから逆らわないでおこう。
とりあえず、ニンゲンを蘇らせるという禁忌を犯さなければ大丈夫だ。
うん、そうしよう。
俺は帝都ドミティラのはるか上空にヒュギエイアの水を打ち上げて、雨を降らせる。これでギリギリ生き残っている人々は、完治するはずだ。腕がもげていようとも、脚が潰れていても、新しく生え替わる。
誰だか分からないが、こんな非人道的な兵器――魔石電子励起爆薬――を使うなんて、許すことはできない。……しかし、それは俺の感情だ。いまの感情に従って行動すれば、ただの私的制裁になってしまう。
だけど……、俺は女帝フラウィアから指名依頼を受けている。バンパイアたちが何を企んでいるか、帝都ドミティラの状況を探れと。
そのついでに、帝都の人々を救ったことにすればいい。
でも、本当にそれでいいのか? 俺は何をしているんだ?
ふと我に返って驚愕した。俺にはまだ人間の感情が残っている。だからこそ、この絡み合った事態を理解したい。そう思った。
少し情報を整理しよう。
リリス一派の始祖、リリア・ノクスとエドワード・シャドウフレイムは行方知れず。奴らが土着バンパイアと敵対しているのは明らかだ。なのでいまは放っておこう。
問題は、取り逃がしたふたりのバンパイア。
子爵のエミリア・スターダスト。
騎士のミランダ。
女帝フラウィアに成りすましている、始祖のエレナ・ヴァレンタイン。
大将軍ルキウスに成りすましている謎のバンパイア。
この四人を探っていこう。
ルキア・クラウディア・オクタウィアと、セレスティア・ムーンは放置っと。あいつらには時間停止魔法陣を使ったままだし。
「よし、いこうか」
『はい』
クロノスの声に安堵感を覚えつつ、俺はゲートをくぐった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ドミティラ・アウグスタ宮殿は、大騒ぎになっていた。ここから離れた場所にある繁華街で、大爆発が起きたからだ。宮殿の窓ガラスは全て割れてしまい、大勢の怪我人が出ている。
衛兵は治療魔法や回復魔法を駆使して、怪我人を治療していた。
立ち昇るキノコ雲は雨を降らせ、緑の庭が黒に染まる。まるで墨汁のような雨だった。
宮殿の奥にある女帝フラウィアの執務室。ここは無傷だ。様々な魔法陣が張り巡らされ、そんじょそこらの爆風で窓が割れることはない。
「フラウィア陛下、少々お伝えしたいことが」
ノックと共にそんな声が聞こえてきた。
「入れ」
女帝フラウィアが返事をすると、大将軍ルキウスが入ってきた。閉じると魔法陣が浮かび上がり、ドアがロックされた。
執務室は出入りが制限され、一部の者しか入室できなくなっている。それは、執務室に置かれたふたつのオブジェクトが原因である。
まったく見分けが付かない大司祭ルキアがふたつ置いてあった。
片方は、スキル〝変貌術〟を使ったセレスティア・ムーン。
もう片方は、本物の大司祭ルキア・クラウディア・オクタウィアである。
「で、何の用だ?」
大将軍ルキウスは、女帝フラウィアの机の前でひざまずいて答えた。
「はっ! ソータ・イタガキの居場所が分かり、攻撃を仕掛けましたが――」
「分かっている。失敗したのだろう? それより何だあの爆発は……」
女帝フラウィアは言葉を遮って先を促す。
「あれは、スターダスト商会から仕入れた新型爆弾でしたが、少々威力が強すぎたようで……」
大将軍ルキウスの言葉を聞いて、女帝フラウィアが机を叩く。
とたんに執務室に静寂が訪れた。
部屋の内壁に沿うように、赤い障壁が重ねて貼られていた。
女帝フラウィアは、声が外に漏れないようにしたのだ。彼女は周囲を確認して口を開く。
「始祖レオナルド・ヴァレンタインが滅び、その騎士である、エル・メアが余の元へ転がり込んできた。仇討ちをさせてほしいと言って。貴様はそいつのことを知っているか?」
「……はい。俺のことです」
「貴様は、騎士だから力不足。ぜひヴェネノルンの血を与えて下さいと、懇願したな」
「……はい。その通りでございます」
「それでこの結果か? ニンゲンなんぞ我らバンパイアにとって、食料に過ぎない。いくら死んでも構わない。しかし、食物連鎖の頂点たる我らが、大勢滅んでしまった!! 貴様のせいで!!」
女帝フラウィアは激怒して、騎士エル・メアに怒鳴りつけた。大勢の同胞を失った彼女の怒りは天井知らずだった。
「何か言え!! 子爵のエミリア・スターダストとは、接触禁止だと命じたはずだ!! あいつが持ち込んだヴェネノルンの血はまだしも、他の商品は危険すぎると何度も言ったであろうが!!」
髪を振り乱しながら怒り狂う女帝フラウィア。怒髪天を衝くとはこのことだ。彼女の髪は逆立ち、エル・メアに牙をむいて威嚇した。
ひざまずいて何も言わない騎士エル・メア。
大将軍ルキウスに変身したままで、ぴくりとも動いていない。
「……なっ!? これは!!」
女帝フラウィアは何かに気づいて声を上げた。眼下のエル・メアは、室内にあるふたつのオブジェクトと同じく、時間が停止していたのだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ドミティラ・アウグスタ宮殿に到着すると、俺は大将軍ルキウスを見つけた。当然だけど、見つからないように姿を消したまま、彼の後をつけた。
そして執務室に辿り着いた。ここは闇脈魔法で空間が歪められ、正しい進み方をしないと到着できない仕組みになっていた。
さっき探したとき見つからなかったのはこのせいだった。
大将軍ルキウスの名は、エル・メアで騎士。本来なら下っ端バンパイアだが、話は聞かせてもらった。こいつらが摂取しているヴェネノルンの血は、予想以上にバンパイアを強化している。
いくら強くても、いくら強力でも、時間停止魔法陣で動かなくなったら関係ないけどね。
とりあえず、女帝フラウィアと一緒に、五枚重ねの障壁の中に入る。その上で、透明化を解除した。
「……ソータ・イタガキ。きさまどうやってここに」
「はい! 質問するのはこっち。ガタガタぬかすと滅ぼすぞ?」
あの爆発でどれだけのニンゲンが死んだのか分からない。しかし、それを引き起こしたのは、騎士のエル・メアだと分かった。
ヴェネノルンの血や、魔石電子励起爆薬の入手先は、スターダスト商会。さっき逃げられた、子爵エミリア・スターダストからだ。
後悔先に立たず。あのとき逃したのは大失敗だった。
そして目の前にいる女帝フラウィアは、ナイトメア・タワーで見た、始祖エレナ・ヴァレンタインである。
エル・メアとの会話から、彼女が子爵エミリア・スターダストとの接触を禁止していることが分かった。
「な、何を聞きたいぃぃ……」
俺は魔力の使用効率を下げ、障壁内を神威で満たす。すると、エレナが倒れて弱々しい声を発した。スキル〝変貌術〟の維持もできなくなり、元のバンパイアの姿に戻っていく。
このままだと闇のバンパイアは、聖なる素粒子、神威に当てられて滅んでしまう。なので、魔力の使用効率を元に戻して問いかけた。
「魔石電子励起爆薬の入手先を吐け」
「……聞いていたのでは?」
「ああ、聞いてたさ。仕入れ先は、本物のエミリアと入れ替わった子爵エミリア・スターダストだろ? 俺が聞いてんのはそこじゃねえ。エミリアは、どこから魔石電子励起爆薬を仕入れてんだって聞いてるんだよクソボケが」
「ひっ!? い、言います。言いますから!!」
「なんて言いつつ、闇脈魔法を使いそうになってんじゃん」
エレナの闇脈が動いたので、能封殺魔法陣と魔封殺魔法陣で、スキルと魔法を封じた。油断も隙もねえな……。
もういちど魔力の使用効率を下げて、身体から神威を滲ませる。この聖なる素粒子は、バンパイアのような存在にとっては猛毒と化する。二度目は多めに神威を滲ませたので、今度は本気で観念したようだ。
始祖エレナ・ヴァレンタインは、洗いざらい話し始めた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
皇族専用シェルター内にあるドミティラ・アウグスタ城。そこでは厳重な警備体制が敷かれていた。
城壁の上に木製ゴーレムがひしめき合っており、その間に教師たちが配置されている。
バンパイアの大群に襲われた後だ。このようになるのも当然だ。
「見張りを交代しよう」
尖塔の階段を上がってきた大将軍ルキウスが、双眼鏡を覗き込む教師に声をかけた。
「いえ! 大丈夫です! ルキウス閣下は城内でお休みになってください。見張りは我々の仕事ですからっ!」
「そ、そうか……」
トップのニンゲンが現場に出てくると、邪魔者扱いされる。まさにそんな場面だった。日の沈まないシェルターに入ってこられるものは少ない。バンパイアの大群に攻められたのは、予想外の出来事だった。
大将軍ルキウスが落胆して階段を降りようとしたそのとき、見張りの教師から声が掛かった。
「あっ! 不審者……、ではなく、冒険者のソータ・イタガキです。ゲートから出てきて、えーと? ルキウス閣下の人形? かな? なんかそれっぽいのを抱えてます!」
城の外に現われたソータ。彼は時間停止魔法陣で動きを止めた、始祖エレナ・ヴァレンタインと騎士エル・メアを両脇に抱えていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
情報を聞き終えたので、あとは女帝フラウィアに報告だ。城の中に突然行くと、話がこじれそうなので、城外にゲートを繋げた。執務室にあった大司祭ルキアのオブジェクトふたつは、魔導バッグに仕舞っている。
城壁に立つ木製ゴーレムが俺に敬礼をしている。完全に味方認定されてホッとする。しかし、教師の連中は俺を呼び止めた。
「とまれっ!! 何者だ貴様!!」
こっちが正しい対処だろう。バンパイアは他の人とそっくりに化けるからな。
「指名依頼の報告に来ました。フラウィア陛下にお目通り願います」
そう言って、始祖エレナ・ヴァレンタインと騎士エル・メアを投げ飛ばす。地面を転がっていき、城壁の近くで止まった。
片方は彼らが知らないバンパイア。しかしもう片方は彼らがよく知る、大将軍ルキウスの姿である。時間が停止しているのでぴくりとも動かない。けれど、教師の皆さんは大騒ぎとなった。
ルキウス卿になんてことするんだと言って。
本物の大将軍ルキウスは、ここにいるはずだけど、何処かでかけてるのかな? なんて思っていると、城門が開いて馬型ゴーレムにまたがった大将軍ルキウスが飛び出してきた。
おいおい……。俺をはね飛ばす勢いで、一直線に俺に向かってくるし。
馬型ゴーレムは横滑りしながら俺の前に停まった。
「ご苦労! 大義であった!」
ニカッと笑う大将軍ルキウス。彼の人柄は嫌いではない。大将軍という立場にいるのも、そんな人となりが関係しているのだろう。
「ルキウス閣下っ!!」
遅れてきた教師の皆さん。完全武装である。
「大丈夫。こいつは本物だ! 俺には分かる!!」
馬上で胸を張る大将軍ルキウス。なんなのその根拠の無い自信は。まあ、本物だからいいんだけど。
一時的とはいえ、教師の連中は、大将軍ルキウスの指揮下にある。彼の言葉で、俺は偽物扱いされずに済んだ。
城の中にゲートを繋げなくてよかった……。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
俺は謁見の間に通され、女帝フラウィアの前でお辞儀をした。教師のひとりが、作法がなってないと文句を言ってきたが、そんなの知るわけない。
正面の女帝フラウィアは、豪勢な椅子に座り、両脇に皇子と皇女を立たせている。
「よい。皆の者、楽にしてくれ。それではソータ、説明してくれぬか……」
俺の前には時間停止魔法陣で動きが止まった物体が四個転がっている。別に死んでいるわけではなく、ただ時間が停止しているだけだ。
ひとつ目は始祖エレナ・ヴァレンタイン。
ふたつ目は騎士エル・メア。こいつは、大将軍ルキウスに変身したままの状態だ。
そして、大司祭ルキア・クラウディア・オクタウィアがふたつ。合計四人分だ。
これが謎のままなんだけど、片方がバンパイアで、片方が本物だ。ややこしいことに、どちらもバンパイアなのだ。それは両方とも口から牙が生えていることで明らかだ。
でも見当は付いている。神威結晶を握りしめたまま時間が止まっている方から、神に似た気配を感じる。俺がこれまで、女神や竜神と会ってきたから言える事なんだけど。
精霊がついているという可能性もあるけど、それは重要ではない。バンパイアなら聖なる気配なんて感じるはずがない。だからこっちが本物の大司祭ルキアだと思う。
ただ、ここで彼女の時間停止を解除することはできない。万が一これがバンパイアだったら、女帝フラウィアに危害が及ぶ可能性がある。
一気に話し終えた。
女帝フラウィアは頭を抱えている。国の運営を司る首脳陣、五名のうち四名が死亡、あるいはバンパイア化、これでは国の運営に支障をきたす重大な危機だ。続く人材もいるだろうが、引き継ぎもせずに交代となれば、現場が混乱するだろう。
俺が心配することじゃないけどね。
とりあえず四個のヒト型オブジェクトはそのままにすることとなった。教師の皆さんが運び出していく。どうやらギルマスのタクルスと同じ場所に保管するみたいだ。
「ソータよ、ここからが本題だ。帝都ドミティラはどうなっていた?」
謁見の間で、女帝フラウィアの声が静かに響いた。
俺は話すのをためらった。
教師の皆さん、大将軍ルキウス、彼らは帝都ドミティラで起きた大爆発のことを知っている。知っているのに女帝フラウィアに教えていない。
わかるよ。心労かけたくないもんね。だから俺に話させたいんだよね。
ため息が出そう。
「フラウィア陛下、実はですね――――」
俺はため息交じりの声で話し始めた。




