198 思い上がり
ソータの姿が見えなくなっても、女帝フラウィアは、そのことに気付かなかった。今はそれどころではなかったのだろう。
バンパイアと教師の戦いが、このドミティラ・アウグスタ宮殿の敷地内の森で繰り広げられている。教師の奇襲で始まった戦いは、バンパイアたちを後退させていくほど激烈を極めた。
爆発した馬車の残骸から女帝フラウィアが現れた。傷一つ無いどころか、豪華なドレスに焦げ一つ付いていない。
「いったん中に入れ!!」
彼女の声で、ルーベス帝国軍が後退していく。勾留施設の塀をくぐり、集中砲火を何とか避けるためだ。
しばらくすると配置が変わった。
勾留施設の中に帝国軍。
施設を囲む壁の上に教師。
ルーベス帝国軍はおよそ二百名で、教師たちはおよそ五百名だ。
数で言えば教師たちが上だ。位置取りも完璧。それにも関わらず、塀の中の軍隊の反撃は次第に激しさを増していった。多脚ゴーレムによる魔石砲は、塀と共に教師を吹き飛ばす。
「おいっ!! あれを見ろ!!」
指揮官らしき教師が叫んだ。彼の指差す方向には、赤い液体が入った瓶を一気に飲み干す兵士の姿があった。
血だ。
血を飲んだ軍人は、恍惚とした表情になって口角を上げる。するとそこから鋭い牙が現れた。
「クソがっ!! こいつら、やっぱりバンパイアだったぞ!!」
別の教師が叫ぶ。どうやら彼らは、ここにいるルーベス帝国軍が、バンパイアであると疑っていたようだ。
軍人たちは次々と血を飲み始め、バンパイアとしての能力を解放していく。朝日が差す時間だというのに、兵士たちは平然としている。それはバンパイアたちが、上位のバンパイアであることを意味していた。
「教師など恐れるなっ! きさまらは軍人だったんだろう! 始祖である余の子、子爵として、存分に暴れてよい!! これは女帝フラウィアの命である!!」
そう宣言した女帝フラウィアは、高らかに笑い始めた。
子爵たちは、それぞれが強大な力を持っている。彼らは多脚ゴーレムを駆り、教師たちに攻撃を始める。
巨大な八本脚の上部に魔導砲がせり上がり、教師たちに向けて火を吹いた。
子爵は素早く動き回る四本脚を巧みに操り、教師たちに魔導銃を放っていく。
その威力は圧倒的で、教師たちは、防戦一方に追い込まれた。
しかし、教師たちは決して屈することなく、確実に防御していた。
回り込んできた子爵たちが、教師たちの側面から襲いかかった。彼らの長い爪は、教師の障壁を簡単に切り裂いた。彼らの闇脈魔法は、教師の障壁を簡単に破壊した。
スキルを使って、目にも留まらぬ動きを見せる子爵たち。闇脈魔法も併用し、爆裂魔法を放つ。大爆発と共に教師の十名が命を落とした。
「ここだと狙い撃ちになる! いったん森に入る!!」
教師の指揮官は、拡声魔法で全体に指示を出した。死人こそ出ていないが、このままだとただの的。指揮官はそう判断したのだろう。
戦闘の舞台は、森の奥へと移動した。
密生した木々の間には八本脚は入り込めなかったが、十機の四本脚と、子爵たちは、教師を追い詰めていった。
しかし、子爵たちはすぐ異常に気づいた。
使っていたスキルが強制的に解かれ、放った魔法が消滅したのだ。
子爵たちは、少し速く動けるだけの、魔法が使えないバンパイアに成り下がってしまった。
「よし! スキル〝能封殺〟と〝魔封殺〟が効いてるぞ。反撃のチャンスだ!!」
指揮官の声で、魔法や魔導銃が飛び交う。それらはバンパイアに次々と命中していった。
「ぐああっ!?」
ひとりのバンパイアが灰に変わった。そこにすかさず聖水がかけられた。かけたのはもちろん教師。彼らが森へ入ったのは、逃げるためではなかった。
連携して戦うことを得意とする教師は、決して一人で動かない。彼らは五名程度の班に分かれ、それらが複数で連携していた。
対して最近バンパイアになったばかりの兵士たちは、子爵の力に溺れ、そして過信していた。
単独で森を動き回って、大勢の教師に狩られる。まるで雑魚だ。教師は連携することで、バンパイアを圧倒していた。
次々と数を減らしていくバンパイア。森の中では完全に、教師優勢となっていた。
しかしそのとき、森の中を極太の光線が突き抜けていった。
その光線は大木を切り倒しながら、横に移動していく。
幸いにも、教師たちは、それを全て避けていた。
同時に雨が降り始めた。
「魔導砲かっ! 全員散開っ!!」
指揮官の拡声魔法は、森中に響きわたる。八本足の魔導砲が、森の木をまとめて切り倒したおかげで、見通しがよくなっていた。狙い撃ちにされるのを避けるための散開だった。
バンパイアはそれを狙ったのだろう。個々で動き始めた教師に襲いかかる。
素早い動きで教師に近付き、長い爪を振り下ろす。
教師の障壁が斬られ、爪が届こうとしたその時。
――――ズドン
バンパイアは衝撃波で吹き飛んで、灰に変わった。
「い、いったい何が……」
死を覚悟した教師は、いま何が起きたのか理解できていなかった。彼は驚きと疑問で、周囲を見わたす。
――――ズドン
――――ズドン
周りでも同じ現象が起きていた。魔力の動きがなく、誰もいない場所から突然発生する衝撃波を見て、教師はひとり、首を傾げる。
散開して単独行動中の教師たち。彼らに襲いかかるバンパイアが、次々と吹き飛ばされて灰に変わってゆく。
雨はさらに激しく降り出した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
こっそり彼らの戦いを見て、俺はどっちも救えないかと考えていた。
それで時間がかかってしまったが、確信が持てたところで介入した。子爵になった兵士たちは、ヴェネノルンの血を飲んでいる。
抗体カクテル治療薬を降らせてみたが、子爵になった兵士たちはニンゲンに戻らなかった。
それでようやく、決心が付いた。彼らを殺すと。
当たり前だ。全員を救えるわけがない。手の届く範囲でしか動けないし、それでも救えないこともある。
今回は、ルーベス帝国の軍人がバンパイアになってしまった。彼らにも家族がいたはずだ。恋人や妻や子どもがいたかもしれない。それを思うと……。
自分で降らせた雨でずぶ濡れになっていると、誰かが俺の名前を呼んだ。
「お前がソータ・イタガキか……。助かったぜ。礼を言わせてくれ」
手を差し出してくる教師の指揮官。握手を交わして、彼は続けた。
「バンパイアは全滅したようだな。一部の軍部がバンパイア化しているという情報は入っていたが、まさかフラウィア陛下が偽者だとは思わなかった」
少し白髪の目立つ黒髪の男性だ。真面目そうな顔つきをしている。
「そんな顔するなよ。バンパイアになったら殺す。これが基本だろ」
何を言ってるんだ、この指揮官。そんな顔って何だよ……。
「おお、こわいこわい。そんなに睨むなって。まあ、なんつうかさ、あんたはいま、俺の息子が泣いたときと同じ顔してるんだよ。だからちょっと心配しただけさ。バンパイアは殺す。単純に考えようぜ」
「……」
「とにかく助かった。今回の騒動が収まったら、叙勲されると思うぞ。それと、陛下の偽物と、大将軍ルキウスは逃げちまった。あいつら霧になると本当に手に負えなくなるからなあ。じゃあ、またな」
指揮官はそう言って、集まってきた教師に話しかけていく。大勢の死者が出たから、ケアも大変だろう。辺りの気配にバンパイアのものは無い。これで一安心としよう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
憲兵たちが瓦礫となった教会を調べている最中、ドミティラ・アウグスタ宮殿の敷地で起きた爆発音は、街の人びとを再び不安にさせていた。昨晩は教会が破壊され、大きな爆音が鳴り響いたというのに、立て続けに何か悪いことが起きている。
教会の跡地には、多くの野次馬が集まっていた。みな口々に、フラウィア陛下がご乱心なさったと噂話をしている。そこから少し離れた場所に、見目麗しい男女が佇んでいた。
三将の二、リリア・ノクスと、三将の三、エドワード・シャドウフレイムである。
「六炎影から、連絡はありましたか?」
リリアはエドワードに問う。彼らは始祖で、子爵の部下を率いている。ただし、リリアの部下十二刃はソータがニンゲンに戻し、月に送り届けた。
三将の一、マルコ・ブラッドベインと八咬鬼は全員灰に変わった。
帝都ドミティラに残っているリリス一派は、このふたりと六炎影、合わせてたった八人になってしまった。
エドワードは六炎影のひとりに言及する。
「いえ、まだですね。アレックスはまだ、ソータ・イタガキに接触できていないです。昨晩インスラ地区と、そこにある瓦礫の近くで目撃されてますが……」
「まったくもう、リリス様は何を考えてらっしゃるのでしょうか……。ソータ・イタガキと和解せよだなんて」
「リリア、その考えは危険です。我らはリリス様の子。疑ってはなりません。ソータ・イタガキが我々バンパイアに敵意を持つようになった決定的な要因は、あなたがソル・エクセクトルを使ったからです」
「疑ってるわけではありません。ソータ・イタガキは、我らの邪魔になることは明らかです。やつを排除するのは当然です」
リリアの語気が荒くなり、周囲の人たちが振り返る。それに気づいた彼らは、いそいそとその場を離れていった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
当てもなく歩いているように見えたリリア・ノクスとエドワード・シャドウフレイム。ふたりは、目抜き通りの大店へ入って行った。外見はまるで百貨店。これも地球人の影響だろうか。
まだ朝早いのに、店内は大変賑わっている。始祖の二人は店の奥へ進んでいき、突如闇脈魔法を使った。
真っ黒な刃を飛ばす闇刃が、客を切り裂いていく。噴き出した血は、赤い霧となって三将の二、リリア・ノクスの口へ吸い込まれていった。
三将の三、エドワード・シャドウフレイムは、闇爆発砲を放った。闇の砲弾は客の中で爆発し、大勢が肉塊へ変わった。
騒然となる店内で、リリアは呟く。
「ここには一般しかいないですね。上階へ向かいましょう」
斬り刻まれ爆破され、命が消えた一般の肉体がサラサラと灰に変わってゆく。彼らの闇脈魔法は、一階のフロアの客をひとり残らず殺害した。
「リリス様の指示とは言え、同族を殺すというのはいい気がしませんね」
「エドワード? あなたさっき、リリス様を疑ってはいけないと言ったばかりですよ?」
「わかっております。リリス様の指示通り、ここにいるバンパイアは皆殺しにしますよ。我らが同胞、マルコ・ブラッドベインは、この地のバンパイアに討たれたのですから」
始祖のふたりは、リリスから指示を受けて行動している。それに、マルコ・ブラッドベインが、レオナルド・ヴァレンタインによって討たれたことも知っていた。
「しかし、そのレオナルドというバンパイアは、ソータ・イタガキに討たれてしまいました」
そういったリリアの口から歯ぎしりの音がする。彼女はどうしてもソータのことが気に入らないみたいだ。
ふたりの始祖は階段を駆け上がり、各階にいる客を皆殺しにしていく。その凄惨な光景の中には、ひとりもニンゲンが含まれていない。彼らはこの大店が、バンパイアの巣窟だと知っていたのだ。
最上階に辿り着いたとき、ふたりとも全身が真っ赤に染まっていた。エドワードは血が滴る足でドアを蹴破った。そこは大店の主人がいる部屋だった。ふたりは素早く中に入り、周りを確認した。
女性の子爵が一人、窓から差し込む日の光を背中に受けて、広い部屋の奥で机に向かっていた。他に誰もいないにもかかわらず、彼女はまったく動揺していない。部屋に入ってきた二人を見て、その子爵は冷静な口調で声をかけた。
「うるさいわねえ。どれだけ殺しても、ニンゲンは尽きないんだからね? 無駄よ、無駄無駄」
子爵は下の階でバンパイアが次々と倒されても、まるで関心がないようだ。白い肌に青い瞳、金髪をポニーテールに結んでいる。豊満で華麗な体つきに青いドレスをまとっていた。
「あなたが始祖セレスティア・ムーンの子、エミリア・スターダストですね」
リリアの問いに、エミリアは素直に答えた。
「そうです。あなたたちが帝都ドミティラに来てから、平和が乱されています。リリス様の理想の国を作る。この目的の妨げになっていることに気づいていないのですか?」
「ふむ? あなたはセレスティアがどうなったのか知らないんですか?」
「ふふ……。そんな回りくどい言い方で、私が動じると思っているの? セレスティア様は、超越されて、より高い次元に到達しているのですから、何がどうなるわけもありません。いったい何が言いたいのですか?」
エミリアはそう言って、始祖の二人を見比べる。返事がないことを確認して、エミリアは続けた。
「あなたたちは時代遅れのバンパイアですね。それじゃあ永遠に、ニンゲンに敵わないでしょう。ヴェネノルンの血を取り入れなければ、我々バンパイアは必ず滅びます」
だんだんと自分に酔ったような口調に変わっていくエミリア。彼女のその様子を見て、エドワードが口を開いた。
「リリア、彼女は本当に知らないようです」
「そうですね……。少しでも動揺してもらおうと思ったのですが……」
リリアはそう言って、腰を落として構える。口から鋭い牙が出て、目が赤く光った。エドワードも同じように、戦闘体勢を取る。
彼ら二人は始祖。格下である子爵のエミリア・スターダストに対して、本気で挑むつもりらしい。
彼らは知っているのだ。ヴェネノルンの血が、バンパイアをどれほど強くするのかを。
それに比べて子爵エミリア・スターダストは、机に座ったままだ。彼女は構えた二人を見下すよう笑顔を見せた。
「あなた方が下の階で殺したバンパイア。その中には騎士もいましたが、ヴェネノルンの血を飲んでいません。故に、あなたたちでも簡単に倒せた。――――これが何を意味するかわかりますか?」
突然爆発が起こった。
その爆発は、エミリアが放った闇脈魔法。
始祖の二人は障壁を張ったが、爆風で吹き飛ばされた。壁を破り、窓を割り、ふたりとも建物から飛び出していった。
「ふう……、バカですねあいつら。セレスティア様は強いのです。どうにもならないくらいに。でも、困りましたね。あの雑魚バンパイアを始末しなきゃいけないけど……。〝変貌術〟を使っていると能力が低下したままですし、このままだと、あたしがバンパイアだと街の人びとにバレちゃいます」
机に向かったまま、気怠げな表情を浮かべるエミリア。彼女の執務室はめちゃくちゃに破壊され、左右の壁がなくなり、外から日の光が差し込んでいた。奥の壁は何枚もなくなって、最後の壁にふたつの穴が開いていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
俺はあのあと姿を消して、ドミティラ・アウグスタ宮殿を調べ回った。もちろん女帝フラウィアと大将軍ルキウスを探すためだ。
だが、結果は不発に終わった。教師の指揮官の言葉通り、姿を消したバンパイアを追跡することは不可能だったのだ。前回、リリス・アップルビーとイソエ・ヨシミを追ったときは、空から見下ろしていたから簡単だったが。
しょうがないので冒険者ギルドに寄って朝食を食べてるところだ。
「ぶほっ!!」
すぐ近くで大爆発が起きた。日本人が持ち込んだというゴボ天うどんが、思わず鼻から飛び出るほどの爆音だった。
周囲の冒険者たちも色々な反応で驚いている。俺と同じく、鼻からうどんを出した奴もいる。
慌てて外に出ると、目抜き通りはすでに大混乱だった。人びとが逃げ惑い、道路の上には石が散乱している。大きなものから小さなものまで様々だ。
「おいっ! スターダスト商会の上だっ!!」
聞いたことない名前だ。彼が指した方向を見ると、百貨店に似た建物の屋上付近から黒煙が立ち昇っていた。二十階建てくらいの高さなので、風があっという間に黒煙を吹き飛ばしていく。
冒険者たちも通りの人びとも、息を呑んで見守っている。誰も助けに行こうとしないのは、軍の到着を待っているからだ。この国には日本のように消防署があるわけではない。
火災や救急搬送の対処は、全て軍が受け持っている。なんなら警察機構も、全て軍で行なっているくらいだ。権力の一極集中なんて当たり前。だってここ帝国だし。
そうこうしているうちに、大勢の衛兵が駆け付けた。
飛んできた石で怪我をしているエルフや、逃げるときに足をもつれさせて転んだヒトを、オークやヒト族の衛兵が治療を施す。病院へ行くまでも無い。回復魔法や治療魔法が得意な衛兵が、その場で治していた。
地球ではあり得ない光景だ。
もう慣れたけど。
なんて余裕こいていると、ものすごく濃い闇脈を感じた。
その闇脈は、スターダスト商会の屋上付近から炎のように立ち上がっていた。




