196 女神ルサルカの加護
俺が頭を踏み潰したことで、バンパイアは灰に変じた。それを木の下の風が舞い上げていく。放っておけばまた甦るので、ヒュギエイアの水で洗い流す。ニンゲンがひとり犠牲になっているようだ。何とかしてあげたいが……。
『やめてください。ここで生き返らせようものなら、その場面を大勢に目撃されてしまいます。彼の魂はヒュギエイアの水で浄化され、安らかな気持で昇華しました。ソータ、いまなすべきことは別にあるはずですよ』
『……ああ、その通りだな』
クロノスの忠告に従う。ヒュギエイアの水をぶちまけたせいで、辺りは水浸しだ。奇妙な植物や細菌が活性化しないことを祈ろう。
「あ、あなた様は?」
木の陰から顔を出した男に声をかけられた。おそらく部隊を率いるリーダー格の男だ。空から気配を探って、ここに百人以上のニンゲンがいることは把握している。
「冒険者のソータ・イタガキです。フラウィア陛下の命で、バンパイアの侵入経路を探っていました。そこにあるゲートで間違いないですか?」
「はい、間違いございません。我らは大法官マルキア様の部下だった教師です。軍とは別の武装組織となります。そして今回、ネロ皇子殿下、ユリア皇女殿下、お二人に指示を受けて、このシェルターにゲートを繋げたのですが……」
彼らのリーダーがハキハキと答えてくれる。イケオジで、歴戦の猛者という雰囲気だ。彼の口調から、俺が踏み潰したバンパイアが、大法官マルキアだったと分かる。そして彼らは、皇子と皇女が〝変貌術〟を使ったバンパイアだと気付いていなかった事も示唆している。
「了解しました。そろそろルキウス閣下がお見えになると思います」
女帝フラウィア、大将軍ルキウス、二人の名前を出して、怪しい者ではないとアピールすると、大成功。隠れていた教師がゾロゾロと姿を現した。全員かなりの達人のようだ。動きは洗練され隙がない。
「助かりました。まさかマルキア様がバンパイアになっているとは、思いもよりませんでした」
そう言ってきたのは、年配のイケオジ。彼は俺の足元に転がる遺体に目を向け、しゃがみ込む。腰に付けた魔導バッグを開くと、ふたつに分かれた遺体が吸い込まれていった。
帝都ドミティラに戻って埋葬するのだろう。
「お悔やみ申し上げます。間に合わず申し訳ありません」
そう言って退散しようとすると、呼び止められた。
「待ってくださいソータ殿。我らは教師です。戦いよって命を落としても、女神ルサルカの元に召されます。我々は、死を名誉と心得ております」
「……失礼いたしました」
悔やむべきではないと諭された。
しかし、神の元に召される、か。以前の俺なら、そんな訳あるかーとツッコんでたはず。
だがいまは違う。神は実在している。女神ルサルカには会ったことはないが、他の神には出会った。魂が召される場所も見た。この世界に来て、考え方が根底から変わってしまった。
集まってきた教師たちが黙とうを捧げる。俺も一緒に黙とうしていると、爪音が聞こえてきた。その方向から、殺気を放つ大将軍ルキウスの気配も感知する。
俺がここにいると、また勘違いされて牢に入れられるかもしれない。早々に立ち去ろう。
「おや? せっかくの手柄を」
退散するためにゲートを開くと、また呼び止められた。手柄なんて正直どうでもいい。
「ルキウス閣下に、事の顛末をお伝えください。フラウィア陛下からの依頼は達成しましたと。俺はもうひとつの依頼を果たしてきます」
バンパイアが侵入してきたゲートを閉じろと言われているけど、すでに教師の連中が閉じてしまった。なので依頼は完了している。残りは、帝都ドミティラがどうなっているのか確かめることだ。
「はい、承知いたしました。ご武運を!」
ゲートをくぐるとき、教師の皆さんが一斉に敬礼してきた。
こういうのって、なにか返さなきゃいけないんだっけ?
なんて考えつつ、何もしないままゲートをくぐった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
雨のやんだ帝都ドミティラは月明かりに照らされ、絵画のように美しく輝いていた。インスラ地区を除いて。
元々スラムで荒れた街並みだったが、今はそれどころではない。マルコとレオナルドの戦いで、広い範囲が焼け野原と化していた。
そこではいまだに戦闘が続いていた。
マルコの部下である八咬鬼。
大法官マルキアから指示を受けた教師たち。
彼らの戦いは激しく、そしてド派手だった。インスラ地区のあらゆる場所で火柱が上がっている。先ほどソータが雨を降らせ、辺りは湿り気に満ちているが、魔法の炎は簡単に木造家屋を燃やしていく。
叫び声が上がり、八咬鬼のひとりが灰に変じた。倒したのは複数人の教師である。彼らは散らばった灰に、女神ルサルカの聖水をかけ、甦らないようにしていた。
個々の能力では、ニンゲンの教師より、子爵の八咬鬼が遥かに上回っている。しかし、ハマン大陸の実戦で鍛え上げられた教師たちは、連携力で八咬鬼を翻弄し、何とか滅ぼすことに成功していた。
どうやらいまの八咬鬼は、最後のひとりだったのだろう。これで三将の一、マルコ・ブラッドベインの一派は全滅してしまったことになる。
教師たちが集結して整列を始めた。総勢二百近い人数である。周囲の火事はほったらかし。そして彼ら教師は、ひとりの人物に、ぼんやりとした目を向けた。
「こんな夜中に、ご苦労様でした」
そこに現れたのは宰相ユリウス。
教師たちは、大法官マルキアから、宰相ユリウスに従えと指示を受けているのだ。
整然と並んだ教師たちを眺め、宰相ユリウスは続ける。
「この地には、まだバンパイアが潜んでいます。私が掴んだ情報だと、彼らは、別の世界に隠れているそうです。……その名は、死者の都。あなたたちにはそこへ赴いてもらい、バンパイアの討伐を命じます」
宰相ユリウスは、スキル〝魂の鎖〟を使っているようだ。教師のみなが、彼の言葉にぼんやりとした表情で頷く。
「しかし問題がありまして……。死者の都への入り口が何処にあるのか不明なのです。インスラ地区にあるのは確定しているので、これから捜索を始めて下さい」
宰相ユリウスの声で、教師たちが動き出そうとしたそのとき、周囲の物音が消えた。風がやんだだけではなく、教師たちが不自然な格好で動きを止めていた。
足を踏み出そうとしていた者はバランスを崩し、地面に叩きつけられる。装備を点検するために背のうを下ろそうとしている者は、前屈みのまま倒れた。教師たちは全員、時間が止まっていたのだ。
突然、空から激しい雨が降り注いだ。それはまるで神の怒りのように、周囲の炎を次々と消し去っていく。
「――――なっ、何だこれは!?」
いつも落ち着き払って、スンとした表情の宰相ユリウスは、何が起きているのか分からずに慌てふためいていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「よっ! 土着バンパイアはあと何人居る?」
俺の声で宰相ユリウスは霧に変わった。彼はこの異常事態から逃れようとしたのだ。
「もう見飽きた」
すぐに冥導の赤い障壁で、霧を閉じ込める。
「貴様は、……冒険者のソータ・イタガキか! 何故こんな所に! いや、なんで貴様が闇脈魔法を使えるのだ!!」
レオナルドは逃げられないと察したのか、霧からもとの姿――バンパイアに戻った。
「質問してんのはこっちだボケ。あと何人、お前らの一味がこの街に潜り込んでるんだって聞いてんだクソボケが」
「くっ……」
「もうネタは分かってんだ。あんたたちはヴェネノルンの血を飲んで、調子に乗ってる。そう言う事だろ? さっさとほかのバンパイアの情報を吐け」
最低でもふたりのバンパイアは帝都に来ているはず。
ナイトメア・タワーでみた、エレナ・ヴァレンタインが、女帝フラウィア。
セレスティア・ムーンは大司祭ルキア。
ふたりのバンパイアは、ルーベス帝国の首脳陣と同じ姿で潜り込んでいる。
だが、それ以外にもいるはずだ。ルーベス帝国はバンパイアハンターがメシを食っていけるお国柄だからな。それだけバンパイアが多いという事だし、バンパイアに対抗できるニンゲンも多いという事だ。
それは王即専用シェルターに雪崩れ込んできたバンパイアたちを見れば分かる。あんな数、いままで何処に潜んでいたんだって話だし。
「あいたす!」
「いててっ!」
教師の時間停止を解除すると、そこら中から声が聞こえてくる。転んでしまった者が大勢いるので、しばらく様子を見る。彼らは俺に気付くと、驚きの声を上げた。
「あんた見たことがあるぞ。冒険者のソータ・イタガキだっけ!」
「いつの間に?」
「ユリウス閣下はどこへ?」
「いやいや、障壁に入ってるあの男はなんだ?」
「なんかさ、バンパイアっぽくね?」
わいわいガヤガヤ、色んな声が飛んでくる。そして彼らは最終的に、赤い障壁の中に居るバンパイアに目を留めた。
「あー、突然すみません。みなさんにかけられていた〝魂の鎖〟は〝能封殺〟で解除しました。少し確認したいんですが、記憶の齟齬や混濁は起きてませんか? 体調に異常がある方は名乗り出てくださーい」
と言ってみたものの、教師の皆さんに特に異常は見られない。そんな事より、何が起きているのか説明してほしいと言われてしまった。
「とりあえず、こいつを始末します」
レオナルドは何も喋らないだろう。障壁の中に、闇脈で炎を発生させた。
苦しませるつもりはないので、一気に火力を上げて、一瞬で焼き尽くした。真っ赤になった障壁の中に、ヒュギエイアの水を発生させて、討伐完了っと。赤い障壁の中は、灰色に濁った。
それを見ていた教師の皆さん。まだ状況が把握できず、納得もできていない。
一通りの説明を終わらせると、彼らは事の重大さが分かった。
彼らの長、大法官マルキアがバンパイア化して、すでに滅ぼされていると知ったからだ。おまけに障壁に閉じ込められていたバンパイアが、これまで宰相ユリウスに化けていたと分かり、教師の皆さん、めちゃくちゃ怒り始めた。
俺に対して。
何でよ、と言いたくなるのを我慢して、この街で起きていることを説明していく。それでもなかなか納得してくれないので、大将軍ルキウスと教師がいる森にゲートを繋げた。
「おっ、ソータ。もう済んだのか?」
俺があの場を離れて、さほど時間は経っていない。大将軍ルキウスは俺を見つけて、ゲート越しに話しかけてきた。
「いやいや、まだです。それよりこっちで行動していた教師の皆さんに、状況を説明してもらえますか?」
そう言うと大将軍ルキウスは、ゲートから顔を出して状況の確認を行なった。目視である程度理解したのだろう。ゲートから出てきて、彼はすぐに説明を始めた。
ゲートの先には、さっきのイケオジ率いる教師が控えている。こっちにいる教師たちは、それを確認してやっと話を聞き始めた。
「あっちでも話したんだが、貴様ら教師は、一時的に俺に従ってもらう。もう滅んだが、大法官マルキアがバンパイア化していたからな。指揮系統が乱れぬようにするため、一時的な措置だと思ってくれ」
執行官の教師は、分かりやすく言えば国家公務員という立場だ。国の重鎮、大将軍ルキウスの言葉で、彼らはすぐに臣下の礼を取った。
インスラ地区にいる教師は全て、ゲートをくぐっていく。彼らは、女帝フラウィアを守るために動くそうだ。
「ソータ、あとは頼むぞ」
「……了解です」
釈然としないままゲートを閉じる。あいつら全部俺に任せるつもりなのか? 焼け野原となったインスラ地区に、ひとり残されてしまった。
いや、帝都ドミティラにはしっかり軍が展開している。冒険者ギルドもバンパイアハンターを動員していると思うし、孤軍奮闘とはならないだろう。
さて、教会に行ってみるか……。ナイトメア・タワーで、ふたりのバンパイアが女帝フラウィアと大司祭ルキアの姿に変貌していた。
シェルターにいる女帝フラウィアは大丈夫だと思うけど、大司祭ルキアが心配だ。
俺は姿を消して浮遊魔法を使った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
深夜のアンジェルス教の教会は、静寂に包まれていた。月明かりが窓から差し込み、白い壁や祭壇を照らしている。
教会の中央には、大司祭ルキアが立っていた。彼女は白いローブに青い刺繍が施された祭服を身にまとい、胸元には水滴の形をした神威結晶が輝いていた。
白いベールをかけ、顔を見せぬようにして、静かに祈っている。
「女神ルサルカ様、わたしはあなたのご加護に感謝します。あなたのお力で、この世界に平和と豊穣をもたらしてください。あなたのお心で、この世界に愛と慈悲をもたらしてください。あなたのお声で、この世界に真実と正義をもたらしてください……」
彼女の声は穏やかで柔らかく、教会内に響き渡っていく。彼女は自分の信仰に満ち溢れており、何も恐れることはなかった。
しかしその時。
突然、教会の扉が勢いよく開かれ、風が吹き込んできた。扉から入ってきたのは、ひとりの女性。彼女は白い肌に緑色の瞳、金色の髪の毛をツインテールにしている。豊満で魅力的な体型をしており、ピンク色や水色のレースやリボンが飾られた服を着ていた。彼女は笑顔で教会に入ってきて、ルキアの方に歩いていく。
「やあ、ルキアちゃん」
彼女の声は明るくて甘く、教会内に不釣り合いなものだった。彼女はルキアの前に立ち止まり、手を振った。
「私はセレスティア・ムーン。あなたと入れ替わりに来たの」
彼女はそう言って、にっこりと笑った。その瞬間、セレスティアの姿が光に包まれ、大司祭ルキアと寸分違わぬ姿に変貌した。
自分と同じ姿になったセレスティアを見て、大司祭ルキアは驚愕する。
「あなたは……誰?」
ルキアは警戒しながら、胸の神威結晶を握りしめる。セレスティアと名乗った女性が、悪意を持っているのは明らかだった。
「え? 私はあなたの双子の妹よ。もう忘れちゃったの?」
セレスティアは不思議そうに首を傾げた。そして彼女は大司祭ルキアの反応に驚く。
「あなたは何を言っているのですか?」
スキル〝魂の鎖〟が通じていない。セレスティアはもう一度スキルを使い、大司祭ルキアに強力な暗示をかける。
「私たちは十年前、離れ離れになったんだよ。あなたはアンジェルス教に引き取られて、私は魔法学院に入学したの。覚えてるでしょ?」
セレスティアはそう言って、ルキアの手を取ろうとした。
「離れて……」
大司祭ルキアは言葉に詰まった。彼女は十年前のことを思い出したのだ。あの日、あの夜、あの事件……。虚飾の記憶を。
大司祭ルキアはその記憶を振り払おうとした。彼女はそのことを思い出したくなかった。何か違和感がある。彼女はそのことに気付いていた。
「嘘よ……、あなたはわたしの妹ではないです。私には妹などいない! あなたは何者ですか? 何の目的でここに来たの!!」
大司祭ルキアは強く否定し、セレスティアの手を払いのけた。
セレスティアは表情を変えず、何度も何度もスキル〝魂の鎖〟を使う。
「えー、そんな冷たいこと言わないでよ。私は本当にあなたの妹。私はあなたに会いたくて、ここまで来たのよ。あなたが恋しくて、寂しくて、泣いていたのよ」
セレスティアは悲しそうに、大司祭ルキアに訴えかける。彼女は涙を流しながら、大司祭ルキアに抱きつこうとした。
「嘘だ……」
大司祭ルキアは、セレスティアを突き飛ばす。彼女はセレスティアの涙に騙されなかった。
「あなたは演技をしているだけ。私をだまそうとしても無駄よ!! 今すぐこの教会から出て行きなさい。さもなければ、私は容赦しない!!」
ルキアはそう言って、神威結晶を掲げた。
しかし、その時だった。
突然、教会の壁が爆発し、破片が飛び散った。教会の中には、赤い炎と黒い煙が渦巻いていった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
女神ルサルカを信仰するアンジェルス教。帝都ドミティラの教会が崩れ落ちていく。堅牢な石造りの柱も壁も、簡単に壊れていた。魔法陣を駆使した頑丈な石造りの教会なのに。
そうなった原因は、大司祭ルキアの闇脈魔法である。
教会の崩壊に巻き込まれそうになった、大司祭ルキアとセレスティアは、浮遊魔法を使って空中に飛び上がった。
「なに!? なにが起こったの!?」
大司祭ルキアは息を呑んで叫んだ。目の前に広がる教会の惨状に、彼女の心は激しく動揺した。
「私も知らないわ。誰かが教会を襲ったのかしら? うーん、もしかすると、あそこのバンパイアが何かしたんじゃない?」
セレスティアは、スキル〝魂の鎖〟の使用を諦め、次の策に移った。彼女はニヤニヤしながら、インスラ地区のほうに指を差す。
それに釣られて、大司祭ルキアはインスラ地区のほうへ視線を移した。
セレスティアはその隙を突いた。浮遊魔法で一瞬のうちにルキアに迫り、鋭く光る爪を彼女の首元へと振り下ろした。
しかしその時、大司祭ルキアの神威結晶が光を放ち、セレスティアの爪をはじき飛ばした。
神威結晶のおかげか、あるいは女神ルサルカの加護か。白い障壁に包まれた大司祭ルキア。彼女は宙に浮かんだまま、セレスティアを睨み付ける。
「……やっぱりバンパイアでしたか。いまの闇脈もあなたから感じました。わたしと入れ替わると言った言葉、しっかり思い出しました!」
彼女は大きく息を吸い込み、セレスティアに宣言した。
「あなたを滅ぼします!!」
その言葉を受け、始祖のセレスティア・ムーンは、にっこりと笑みを浮かべた。




