195 レクトール
暗く湿った空気が漂う孤独な獄中。冷たい石壁に囲まれた中で、鉄格子越しに白骨が散らばる光景を見つめる。鉄格子にしがみつき辺りを見回すと、暗闇が果てしなく広がっていた。
そこで時が流れるのをひたすら待つと、遠くから足音が聞こえてきた。それは大将軍ルキウスのものだ。息を切らせて走ってきた彼は、無数の束からひとつの鍵を必死に探しながら、焦った声で話しかけてきた。
「すまなかった! ネロ皇子殿下とユリア皇女殿下、ふたりとも既に救出されていたとは! さすがはSランク冒険者と言うべきか!」
彼の顔は汗と灰で汚れている。目には罪悪感と敬意が入り混じる。牢の鍵を開けると、大将軍ルキウスは深く頭を下げた。
「気にしないでください。俺も報告せず戦闘に参加したことをお詫びします」
「……そう言ってもらえると助かる。ソータを牢に入れたことをフラウィア陛下に伝えたら、激怒されてしまってな」
がははと笑う大将軍ルキウス。竹を割ったような性格で、悪い感情は持てない。俺は彼に連れられて、女帝フラウィアの執務室へ足を運んだ。途中、木製ゴーレムたちが、城の中を掃除したり割れた窓を入れ替えたりしていた。
この空間全体が王族専用シェルターだけあって、裏切る可能性のあるニンゲンは入ることができないのだろう。木製ゴーレム以外、ニンゲンはひとりも見かけない。ただし、ニンゲンの微かな気配は感じるので、姿を見せないつもりなのだろう。
執務室へ入ると、さっきとは打って変わって、落ち着いた女帝フラウィアが出迎えた。大きなデスクに向かい、重苦しい威圧感を放っている。
部屋には三体のオブジェがある。ネロ皇子、ユリア皇女、ギルマスのタクルスだ。
「ルキウス、被害はどうだ?」
女帝フラウィアのキリッとした声で、大将軍ルキウスが膝をついて頭を垂れる。俺も倣おうかと思ったけど、タイミングを逃してしまい、立ったままになってしまった。
「はっ! 城門と城壁が破壊されましたので、現在修繕中です。人的被害はなし、ゴーレムがだいぶんやられましたが、予備を出して対処しております」
「そうか……。では、バンパイアどもはどうやってドミティラ・アウグスタ城へ侵入してきた。侵入経路は分かっているか?」
「現在調査中でございます」
「では、すぐに原因究明に取りかかれ」
「承知いたしました!」
「……」
「……」
女帝フラウィアの命を受けた大将軍ルキウスは、膝をついたまま動かない。おかげで妙な間が開いてしまう。てかルキウス何で動かないのさ。
たまらず女帝フラウィアが声をかける。
「どうしたルキウス」
「はっ! 皇子殿下、姫殿下、両名の救出をしたとは言え、ソータ殿とフラウィア陛下を二人にする事は出来ません」
「余の子どもを救出してきた者だ。ルキウスが言いたいことも立場も分かる。しかしいまは、原因究明を先にやれ」
「……了解いたしました」
そんなやり取りがあって、大将軍ルキウスは執務室を出て行った。
窓から差し込む太陽の光は、変わらず部屋の中を明るく照らしている。ここ、たぶん太陽が動いてないな。影がさっきと比べて動いてないし。
「ソータ、先ほどは取り乱してすまなかった」
女帝フラウィアは立ち上がって頭を下げる。ほーん。この姿をルキウスに見せたくなかったってことかな。皇帝という立場だから、そこらの冒険者に頭を下げることなどあってはならないのだろう。
ただ、この女帝が人としての礼儀を兼ね備えているとも感じる。そもそも彼女の悪い噂は聞いたことないからな。
「気にしていません。それより、三人を元に戻したいのですが」
「うむ。頼む」
メインはこっちだ。
「ネロ皇子をここで戻すと危ないです。いったん外に出て治療してきます」
「……頼むぞ」
「はい」
時間が止まったままのネロ皇子。彼の肩に手を置き、上空へ転移する。
「ぐあああああああ!! ……あ?」
上空二千メートル付近で、ネロ皇子の時間停止を解除する。彼はすかさず暴れ始めるが、周囲を確認して焦りの表情へ変わった。彼の記憶は牢の中で止まっているからな。突然空中に投げ出されたように感じたはずだ。
浮遊魔法で浮かびながら、ネロ皇子を念動力で動けないようにする。だが振りほどこうと暴れまくる。錬金術で作られた薬を投薬され、巨大狼のように変貌しているから、ほとんど魔物に近い状態だ。
「なっ!? 何だここは!!」
巨大狼に治療魔法を使うと、すぐ治った。元の姿に戻ったネロ皇子は、今居る場所が空中だと分かり、大慌てだ。念動力は目に見えないので、何かに掴まれていることは察しているようだが。
ネロ皇子は俺に視線を飛ばす。
「き、貴様は牢に入ってきた冒険者……。いや待て。あれからどうなった……?」
途中まで記憶があるみたいだ。もう一回治療魔法を使ってみよう。
「……お、俺は魔物に変えられていたのか」
「その通りです、ネロ皇子殿下。ナイトメア・タワーから救出し、いまはドミティラ・アウグスタ城へ戻っています。フラウィア陛下がお待ちになっていますので、これから向かいます」
「あ、ああ……」
皇子はまだ混乱している。落ち着くのは、母親と会った後にしてもらおう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ユリア皇女の時間停止を解除して、治療魔法で傷を癒やす。彼女は彼女で、牢の中から突然執務室に来たように感じて大慌て。けれど、女帝フラウィアの顔を見てようやく落ち着く。
皇子、皇女、これで二人とも元通り。救出依頼達成だ。
女帝フラウィアは、子どもたち二人をみて、改めて俺に頭を下げる。ネロ皇子、ユリア皇女、二人も俺に礼を言う。
彼らは皇族だ。それを考えると、これはかなり異例なことなのだろう。だけど、ずっと頭を下げられていると、逆に気まずくなってくる。
「とりあえず、頭を上げてください。もうひとつの問題がありますから……」
ギルマスのタクルスだ。彼は土着バンパイアに噛まれてしまったので、人間に戻せない。だからといって放置するわけにもいかない。どうしたらいいのだろう……。
「これは時間が止まっていると言っていたが、どれくらい持つ?」
女帝フラウィアが尋ねる。彼女たち三人は、ギルマスのタクルスに触れて、反応を確かめる。
「わかりません……。試したことはありませんが、ずっと時間が止まっていると思います」
多分魔法だと思っているようだ。魔法陣を使っていると言ったら、教えろと言われるのは目に見えているので黙っておく。
「ふむ……」
パンパンと手を叩くフラウィア。その音を聞いた木製ゴーレムが、ノックして部屋に入ってくる。
「こやつを牢に入れておけ」
口の無い木製ゴーレムは敬礼をし、ギルマスのタクルスを抱えて出て行く。時間停止が解けても、対処できるようにしておきたいのだろう。
「ソータ」
「はい」
「君はバンパイア化を治した。その実績をもってしても、彼を治すことは出来ないと申すか?」
「はい」
出来るかもしれないけど、あやふやなことは言わないほうがいい。
「では、大将軍ルキウスと相談し、このシェルターへの侵入経路を探れ。そこを塞いだのち、帝都ドミティラの様子を探るように」
「……はい」
おーい。俺はあんたの部下じゃないぞー。という軽口をたたけない重苦しい空気だ。子どもたちが無事に帰ってきたとはいえ、女帝フラウィアは王族専用シェルターへ逃げ込まなければならない状況にあるのだから。
冒険者としての依頼じゃないけど、依頼の後始末と思ってやっておこう。
「俺も連れて行け」
「わたくしも行きますわ」
ネロ皇子とユリア皇女は、無理を言ってついて来ようとする。若くて元気なのはいいことだ。でも彼らは、自分たちの行動が原因でバンパイアに囚われた。ネロ皇子に到っては、錬金術の実験までされていたというのに。
思わずジト目で二人を見つめてしまう。
失礼かなと思っていると、女帝フラウィアが彼らを叱り始めた。曰わく、これ以上迷惑をかけるな。曰わく、王族は狙われやすいと分からないのか。などなど。
「では行って参ります」
「ああ、頼む」
親子げんかに発展しそうなので、さっさと退散することにした。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「む……。あやつ、ゲート魔法に加え、転移魔法まで使えるのか」
こつ然と消えたソータ。それを見た女帝フラウィアは驚きの声を上げる。ネロ皇子とユリア皇女も、驚きを隠せないでいる。
しかしソータの転移のおかげで、親御げんかに発展しないで済みそうな空気となった。
突然ドアがノックされる。それが木製ゴーレムだと察した女帝フラウィアは声をかけた。
「入れ」
ドアが開くと、複数の木製ゴーレムが何かを抱えて立っていた。
「それは宰相ユリウスか……? なぜ時間が止まっている」
木製ゴーレムたちが持ってきたのは、ナイトメア・タワーから送られた本物の宰相ユリウス。ソータが現地で拘束し、この城の庭に放り込んだままだった。
木製ゴーレムたちは、ソータから宰相ユリウスを受け取り、女帝フラウィアの元へ届けるよう指示を受けていた。しかし、バンパイアが攻め込んできたため、後回しになっていたのだ。
一体の木製ゴーレムがペンを取り、文字を書いていく。それを女帝フラウィアに渡すと、彼女の顔色が変わった。
「ユリウスがナイトメア・タワーにいただと? つまりこいつは、バンパイアと繋がっていたということか……」
彼女はがっくりうな垂れる。そんな様子を見て、ネロ皇子とユリア皇女は、怒りの表情を浮かべる。そして彼らは、怒りに任せて時間の止まった宰相ユリウスに剣と短剣を振り下ろした。
もちろん時間の止まった宰相ユリウスには傷ひとつ入らず、短剣の切っ先が書けるだけに留まった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
城の上空に転移し、冷たい風と静寂を全身で感じる。澄んだ空気で心地よくなりつつ、周囲を見渡しながら気配を探っていく。
馬型ゴーレムに乗った大将軍ルキウスが、同じく馬型ゴーレムに乗った木製ゴーレムを引き連れ、青々とした麦畑を風のように駆け抜ける。騎馬の音が空気を揺らすほど大人数での行軍だが、城のほうが手薄になっているわけではない。むしろ来たときよりも木製ゴーレムが増えている。
――木製ゴーレムの気配? ひときわ強く感じるそれに、俺は思考を巡らせる。ああ、これは中に精霊が入っているのかもしれないな。
大将軍ルキウスがどこへ向かっているのかは置いておく。
思考を鋭く集中させ、彼らの気配をどけて、新たな気配を探り始める。
様々な生命の気配が感じられる。鳥、獣、魔物、虫、それぞれが持つ生き生きとした気配。しかし、その中に怪しいものはない。それら全てを排除し、さらに探索範囲を広げていく。
しかし、いくら経っても怪しい気配はない。
この空間に突入してきたのは、ネロ皇子とユリア皇女だった。そのふたりを滅ぼす前に、どこから入ってきたのか確認しておけばよかったと、後悔が頭をよぎる。
その時、遠くの海からぼんやりとした気配を捉えた。
ニンゲンか魔物か分からない、ぐにゃっとした気配。水中の生き物だ。
念動力の腕を伸ばし、その気配の主を持ち上げる。
「タコ?」
大きな影を海面から引き上げると、通常のタコよりもずっと大きい。頭からうねうね動く足まで体長三十メートルの巨大タコだった。
タコを海に戻してから再び探知範囲を広げると、別の気配を感じた。
それは城から離れることおよそ五キロメートル。
森の奥に向かって馬を走らせる大将軍ルキウス。彼はただ闇雲に向かっていたわけではなく、確かな手掛かりを持っていたのだろう。
微かに感じるバンパイアの気配。見過ごせないな。俺はそこを目指して転移した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
昼下がりにも関わらず、冷たい闇が森を覆いつくす。その奥深くには、異界への扉がひっそりと隠されていた。それは帝都ドミティラへと続くゲートだ。そこから現れたのは、法の執行機関を統率する大法官マルキアだった。
彼女は土着バンパイア、レオナルド・ヴァレンタインに噛まれ、バンパイアの血を引く者となった。その結果、彼女の姿は以前とは比べ物にならないほど妖艶で魅力的に変貌した。肌は白く透き通り、冷たさが感じられるほど滑らかだ。赤いドレスに黒いローブをまとい、堂々とした姿で立つ。
低木が生い茂る森の中には、すでに法の執行機関教師が待機していた。彼らの服装は一見目立たないが、裏地には様々な魔法陣が刺繍されており、一般的な鎧よりも強固な防御力を誇る。腰に下げた短剣にも魔法陣が刻まれており、その攻撃力は通常のものを遥かに超えていた。
そんな教師たちは、大法官マルキアに向かって膝をついた。
「ネロ皇子とユリア皇女の要請で、バンパイア化した女帝フラウィアを討ちに来ましたが、一人残らず全滅しました」
そう聞いた大法官マルキアは眉をぴくりと跳ね上げた。
「冗談を言っている場合ではないのです。バンパイアのフラウィアを討てたのでしょうか?」
大法官マルキアはバンパイア化しているが、教師はニンゲンのままだ。彼女は自分がバンパイアであることを隠しながら、教師に指示を出す。
ゆえに教師たちは、彼女の指示で王族専用シェルターへ攻め込んだ。そのため彼らは、ネロ皇子とユリア皇女がバンパイアであることを知らなかった。
――しかし。
「大法官マルキア様、その前のご報告が……」
「何でしょうか?」
「それが――――」
教師たちは、ドミティラ・アウグスタ城攻略に参加していない。彼らは森の中で待機し、ゲートを守っていた。それだけでなく、戦況を把握するために数名の教師が森の外へ偵察に出ていた。
偵察から戻った教師は、驚愕の事実を報告する。ネロ皇子とユリア皇女が、バンパイアを率いていた。それどころか、見たことも無い大きさのフォレストワームと共闘していたと。
そしてバンパイアたちは、帝都ドミティラの住民たちだったという。
「……そうですか。では、我ら法の執行機関教師として、あなた方に問います。バンパイア化した女帝フラウィアに、ルーベス帝国を任せることができるのかと」
バンパイア化している大法官マルキアは、いけしゃあしゃあと嘘をつく。彼女は始祖のヴィクトルに噛まれた子爵だ。
彼女は大法官という立場ではなく、バンパイアに利するための行動を取っているのだ。
大法官マルキアの厳しい視線に耐えながら、教師たちは、自分たちの考えと、彼女の命令との間で揺れ動く。
静まり返る森の中。葉擦れの音が聞こえると同時に、ひとりの教師が呟く。
「バンパイアがネロ皇子たちに従うわけがない」
「そうだな……」
「ユリア皇女を双眼鏡で見たが、目が赤くて牙が生えてたぞ」
「ネロ皇子もおなじだった」
「あれはネロ皇子とユリア皇女ではなく、バンパイアなのでは?」
一人が呟いたことで、次々と疑問を口にし始める教師たち。その声はだんだん大きくなり、答えを求めて大法官マルキアへの質問へと変わっていく。
彼女はバンパイアになってまだ日が浅い。始祖に噛まれ子爵の能力を持ったとしても、悪巧みは苦手のようだ。
大法官マルキアは自身がバンパイアであることを隠したいが為に、噛むことをためらう。本来であれば、教師を全員噛んで、騎士にすべきなのだ。
「大法官マルキア様! お答えください!」
「いったい何が起きているのですか?」
「そもそもここは何処なんですか?」
教師は大法官マルキアの直属の部下だ。常日頃から会話をしているし、その距離も近い。教師たちは、ぐいぐい詰め寄っていく。
教師たちは、いつものように大法官マルキアが詳細を説明してくれると疑わなかった。
マルキアは目を閉じて下を向き、何かブツブツ呟き始め、次の瞬間顔を上げて真っ赤な目を見ひらいた。
――――バシャッ
桶の水をぶちまけたような音がする。
ひとりの教師がまき散らす血の音だ。
彼は胴体から輪切りになっていた。
そこから冗談のように血が噴き出す。
「えっ……?」
輪切りにされた教師は、疑問の表情のまま地面に滑り落ちた。下半身は未だに立ったままだった。
「大法官マルキア様がご乱心だ!!」
「いや、あの爪を見ろっ!! バンパイア化してるぞ!!」
ひとりの犠牲者が出たことで、教師たちは一斉に飛び退く。
その中心にいるのは、大法官マルキアと、身体がふたつに分れた教師の亡き骸だけ。
「ふふ…………。あはははっ!! ニンゲンの振りなんて、もう面倒くさいわっ!」
爪が伸び、牙が伸びた大法官マルキア。彼女は突然、何かに吹っ切れたように笑い始めた。
その様子を見た教師たちは、彼女からさらに距離を取る。
「あなたたちもバンパイアにしてあげる。わたくしは子爵だから、あなたたちは騎士になれるわ。永遠の命を手にすることが出来るの」
大法官マルキアは血の海に沈む教師の頭を踏み潰し、耳まで裂けた大きな口を広げる。
「ほら、こうすればいいのよ」
彼女は四つん這いになり、地面に薄く広がる血をすすり始める。途端に恍惚とした表情になる大法官マルキア。彼女は血をすするのに夢中になった。
教師たちは大法官マルキアからどんどん離れていくが、完全に逃走しようとしない。彼らは自分たちがどこにいるのか把握できていなかった。帝都ドミティラへ戻るには、大法官マルキアの傍にあるゲートを通らねばならないのだ。
――――ズドン
四つん這いになっている大法官マルキアの頭がとつじょ踏み潰された。空から落ちてきたソータの両足によって。
突如現れたソータに、教師たちは驚愕の表情を浮かべる。誰も声を発することができない。
ソータは大法官マルキアの頭を踏み潰したまま、周囲を見回す。
「みなさん、お邪魔しまーす」
彼の軽やかな挨拶に、教師たちは言葉を失う。目の前で起きた惨劇と、突然現れた謎の男。状況が飲み込めない彼らは、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。




