194 誤解
ドミティラ・アウグスタ城の豪華な執務室で、女帝フラウィアがひとり静かに座っていた。部屋の中心に位置する細やかな彫り込みのあるデスクに向かい、彼女は片肘をつき、顔に深い疲れを浮かべていた。その顔は女帝ではなく、子を心配する母親のそれだった。
窓から差し込む太陽の光が、執務室の壁に彼女の影を映し出していた。その光は彼女に活力を与えるどころか、むしろ彼女に重圧を与えていた。
その理由は、城の内外から聞こえる戦闘の音。大将軍ルキウスの指揮する木製ゴーレムたちは、城内に侵入してきたバンパイアと熾烈な戦闘を繰り広げていた。
対するバンパイアは、〝変貌術〟を使った、ネロ皇子とユリア皇女が指揮していた。中身はもちろん、始祖のヴィクトル・シルバ、騎士のマキシム・ルイターの二人だ。
女帝フラウィアは空虚な表情でつぶやく。
「あれは……。あれは、我が子たちではない」
そして深くため息をつき、窓の外に広がる無限の青空へ視線を移す。
「こんばん――」
「ひっ!?」
執務室にゲートが開き、中からソータが現われる。前ぶれなく訪れたことで、フラウィアは腰を抜かすほど驚く。
「突然失礼しました。……こっちは太陽が出てるんですね。いったいどんな仕組みなんだろ?」
ソータは月夜の帝都ドミティラから来ているので、何故明るいのか興味津々で窓の外を眺める。
「依頼を出したばかりなのに、何をしに戻ってきた。その様子だと、加勢しに来たのでも無かろう?」
子を心配する母親から、厳格な女帝の顔に戻ったフラウィアは、毅然とした表情で、ソータを問い詰める。
「皇子と皇女、ふたりとも救出してきました。ただ、ネロ皇子のほうが……。あっ!? いやいや、そんな顔しないでください。無事ですから、一応!!」
ソータの言い方が悪かったのか、言葉の途中で女帝フラウィアは泣きそうな顔に変わる。慌てて取り繕ったソータだったが、最後の一言を間違えた。
「一応……?」
「あ……。えっと、見てもらった方が早いです」
ソータは魔導バッグを広げ、中からネロ皇子とユリア皇女を取りだす。二人とも時間が止まった状態なので、ぴくりとも動かない。
「ついでにこっちも」
ソータは冒険者ギルドのマスター、タクルスを取り出す。
執務室に三つのオブジェが現われた。
「これは……」
タクルスはカウチに座ったままの体勢で時間が止まっているので、執務室の床に変な格好で転がる。
ユリア皇女は牢の中で泣き崩れた姿勢のまま、床の上に置かれる。
問題はネロ皇子だ。
彼の姿は面影すらなく、狼のような顔の魔物に変化している。そこに立つ姿は、今にも動き出しそうなくらい躍動感のあるオブジェだ。
「すみません。救出時にはすでにこうなってました。バンパイアが何かの実験をしたようです。ただ、治せると思いま――」
ソータは最後まで言えなかった。
女帝フラウィアは泣き叫んで取り乱し、ネロ皇子の元に駆け寄る。彼は時間が止まっている状態なので、肌や服、髪の毛にいたるまで、全てカチコチの状態だ。
彼女はそんなことお構いなしに、息子を抱きしめて呼びかける。
「ネロ!! どうしてこんな姿にっ!!」
女帝フラウィアは、顔を歪めて悲しみに打ち震える。目からは涙が溢れ、口から絶望が溢れる。彼女は何度も何度もネロ皇子が目を覚ますように声を掛け続けた。
「時間を止めているだけなので、死んでいるわけでは無いです」
「えっ! それなら早く元に戻し――――」
フラウィアの言葉は、部屋の外から聞こえた爆発音にかき消される。執務室は大きく揺れ、本棚が倒れ、サイドボードに置かれたボトルが床に落ちる。まるで地震のような震動だ。
幸いにも三つのオブジェは時間停止の状態なので、全くの無傷。ソータとフラウィアも転ぶことなく耐えた。
ソータは窓に駆け寄り、外を確認する。
「フラウィア陛下、事態の収拾に行って参ります。皇子殿下、皇女殿下、ふたりは後ほど元に戻しますので」
「え、ちょっと待って。息子と娘を先に戻して……」
もう女帝の威厳も何もない。彼女は母親の顔でソータにすがりつく。止めどなく溢れる涙は、悲哀の表れだ。
「申し訳ありません陛下。時間停止を解除すると、ネロ皇子が暴れ出すと思います。現状はそれに対処する時間がありません。心痛お察しいたしますが、いましばらくお待ちください」
丁寧な言葉でピシャリと言い放ち、ソータはゲートをくぐっていく。
「ううっ……」
嘆きながらソータの背中を見送る女帝フラウィア。抱きしめたネロ皇子を、そっと床に寝かせる。ユリア皇女とギルマスのタクルスを見つめて、涙をこぼす。
彼女はハッとした表情になって、窓に駆け寄る。
「あれはいったい……」
城の中庭に木製ゴーレムが立ち並び、バンパイアたちの攻撃をものともせず討ち滅ぼす。大将軍ルキウスはゴーレムたちをうまく指揮し、バンパイアたちを圧倒していた。
しかし、一カ所だけ城壁が破壊され、崩れている。そこにいるのは、体長五十メートルを超えるフォレストワームだ。口と鼻はあるが目はない。嗅覚で周囲を知覚しているのだ。
フォレストワームは、一体だけではない。城壁の外に数え切れないほど見えている。それらは巨躯を感じさせない軽やかさで、ドミティラ・アウグスタ城を目指していた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
城壁の上に出た俺は、中庭と外を見比べる。木製の城壁だが、押し寄せるバンパイアを防いでいる。ただ、門を破られて中庭に入り込まれている。中庭では木製ゴーレムとバンパイアの戦闘が起きているが、大将軍ルキウスの采配で持ちこたえている。
当面は大丈夫そうだけど、問題は外だ。あのでかいやつ、なんなの? 流刑島で見たやつと似てるけど、あんなにでかくなかったような……。
『あれはフォレストワームです。本来は森の掃除屋として認識されている魔物ですが、落伍者に変貌したうえ、巨大化していますね。ヴェネノルンの血で、知能以外の能力が向上しています』
クロノスが話しかけてきた。思考を読むなと言っているのに、お構いなしだ。もう慣れたけどね。
『情報あんがとね』
とはいえ、闇脈を、闇の血しぶきと名付けたからなあ。
『たまに間違ってもいいじゃないですかっ!』
『そりゃそうだ。ごめんごめん』
『ならよしっ!!』
なんて軽口を叩きながら、フォレストワームを見つめる。立ち昇る闇脈はバンパイアの証し。その中に混じる聖なる気配は、ヴェネノルンの血を飲んでいる証し。つまりあのでかいミミズは、土着バンパイアが操っていると考えていいだろう。
……いやいや、操れてないかも?
俺はさっきの爆発現場へ目をやる。爆発したのはおそらく、魔石の格納庫だ。その近くでフォレストワームがめちゃくちゃに暴れていた。やっぱ制御不可能っぽいな……。爆発の原因はおそらくフォレストワームだ。
フォレストワームは、バンパイアも木製ゴーレムも関係なく、口から吐き出す強酸で溶かしている。再び吐き出した強酸が、城壁を溶かす。木材と軽金属で建てられた城壁は強酸に対して無防備だ。
瞬く間に木材を分解し、二酸化炭素や水蒸気を放出する。軽金属は水素の泡を吹き出しながら、簡単に溶けていく。
んー。あの強酸は濃硫酸で、城壁の金属はアルミニウムか。
周囲の状況を把握していると、一体の木製ゴーレムが近付いてきた。そして、身振り手振りで何か伝えようとする。
「何となく分かるよ。フォレストワームが押し寄せて来たら、ここはもう持たないって言いたいんだろ?」
コクコクと頷く木製ゴーレム。鎧を着て槍を持っているが、あの巨大ミミズに太刀打ちできるとは思えない。例えバンパイアに対抗できたとしても。
とりあえず、バンパイアとフォレストワームを何とかしなければならない。
ファイアボール連射で焼き尽くそうか。
……農地も一緒に燃えてしまうな。そんな事になったら、大将軍ルキウスと女帝フラウィア、両名からこっぴどく叱られそうだ。
ウインドカッターにしよう。風の刃を作るとき、高圧にしない。核融合が起きないように。
『調整は任せてください』
『ファイアボールでダンジョン壊したけどなー』
『むきー! もう大丈夫ですっ!!』
『マジで頼む』
浮遊魔法で城の尖塔へ移動する。海は凪いで魔物やバンパイアの気配は無い。標的は、畑を荒らしながらこちらへ向かってくるバンパイアとフォレストワーム。
目を閉じて集中する。
できるだけ周囲に被害がないように。
ひとつひとつの気配を全て把握し、周囲の敵に向けてウインドカッターを放つ。
同時にヒュギエイアの水と抗体カクテル治療薬の混合液を打ち上げて、雨を降らせる。
バンパイアたちは次々と真っ二つになっていく。フォレストワームは、ウインドカッターをいくつか飛ばして、みじん切りにする。
灰と化したバンパイアとフォレストワームに、ヒュギエイアの水と抗体カクテル治療薬の雨が降りそそぐ。
これでもう甦ることはできまい。
荒れた畑の肥料にでもなってくれ。
城壁の外は全て片付いた。
あとは城内へ入り込んでる奴らだ。
視線を移す。まだ木製ゴーレムとバンパイアの戦いが続いている。
こっちに手を付けなかったのには訳がある。
城壁の影にひっそりと立つ、ネロ皇子とユリア皇女。この二人を捕獲するためだ。
こいつら気配を消しているが、豪華な鎧や白いドレスせいで目立っている。そのせいで女帝フラウィアが気付いたんだけどな。
これが女帝フラウィアに気付かせるための策だとすれば、悪質極まりない。彼女の狼狽ぶりを見れば、子どもをどれだけ愛しているのか一目瞭然だし。
とりあえず、庭で暴れているフォレストワームを、ウインドカッターで灰に変える。そこにヒュギエイアの水と抗体カクテル治療薬の混合液を飛ばす。
その状況を見て、ネロ皇子とユリア皇女が俺に気付く。
奴らとの距離はだいぶん離れているが、水球の弾道で居場所が分かったのだろう。
「なんだ貴様は。我は皇子、フラウィウス・ドミティアヌス・ネロであるぞ。母君の救出を邪魔をするでない」
ふと気付くと、ネロ皇子とユリア皇女が、俺の前にいた。二人とも浮遊魔法で、少しだけ浮いている。
「邪魔をするなって、なに言ってんの? バンパイアがこの城を攻めているようにしか見えないんだけどさ」
二人とも俺を睨み付けながら、スキル〝魂の鎖〟をバシバシ使ってくる。しかし、その効果がないと分かると、ユリア皇女が、何か思い出したような顔へ変わった。
「ヴィクトル様、この者は、演説中に見かけた男です」
ネロ皇子が、ヴィクトルって名前なのか。ユリア皇女の喋り方からすると、ヴィクトルが親に当たる存在だろう。
「む……。貴様、名を何と申す」
「ソータ・イタガキ。ちょっと聞きたいんだけどさ……」
ヴィクトルは始祖だろう。闇脈の量が桁違いに多い。
とりあえずユリア皇女を闇脈の障壁に閉じ込め、獄舎の炎で灰に変える。悲鳴すらあげさせなかった。
そのあと、障壁の中にヒュギエイアの水と抗体カクテル治療薬を充填して完了。
それを見たヴィクトルは、すぐさま霧に変わる。滅ぼされると思って逃走しようとしたのだ。
だかしかし、逃がさん。
ヴィクトルも闇脈の障壁に閉じ込める。
「あんたたちさ、国を作るとか言ってるけど、ちょっと舐めすぎじゃない?」
「リリス様の――」
ヴィクトルは霧のままで姿を現さない。声だけ聞こえてくる例の不思議現象が起きている。
「それは大義名分にならんよ。そもそもさ、ニンゲンの造り上げた国を乗っ取ろうなんて、虫がよすぎじゃね?」
中のヴィクトルは水蒸気になって、完全に見えなくなった。闇脈たれ流しなので、逃げてないのは分かる。
「喋りにくいんだよ。姿を見せたらどうだ?」
「……」
今度はだんまりか。隙を見て逃げ出すつもりだ。
「ぐああああああああああああああああああああっ!?」
神威ではなく魔力を使った、獄舎の炎で、障壁内部を焼く。そうすると障壁の底にたまった灰からヴィクトルが甦ってくる。ゆっくりしたものではない。瞬時に元の姿へ戻った。
「で、お前らここに何しに来た」
「女帝フラウィアの暗殺だ。ぐああああああああああああああああ!?」
もう一度灰に変える。けどすぐ元に戻る。
「それくらい分かる。舐めんなボケが。何をしに来た」
「く、国を乗っ取り、バンパイアの国にするため――ぐあああああああああ!?」
知ってる話ばかりだ。なんて考えていると、また元に戻る。
「我らは復活するが、痛みは感じる。やめてくれ。すべて話すから」
「上っ面の話はいいんだよ。リリスと不仲なのはなんでだ? ヴェネノルンの血を飲んだからか?」
「は、はい。そうです。しかし、ヴェネノルンの血を飲めば、本来のバンパイアより能力が強化されます。バンパイアの国を作るためには、必須の力なのです。そのため四人の始祖が協力して、ヴェネノルンの血を飲んだバンパイアを増やしているところです」
「ぎゃああああああああああああああああああ!?」
「その四人の名前を言え」
「宰相ユリウスの姿をした、レオナルド・ヴァレンタイン。それと、女帝フラウィアの姿をしたエレナ・ヴァレンタイン、大司祭ルキアの姿をしたセレスティア・ムーンが、帝都ドミティラに向かっております――ぐあああああああああ!?」
「お前を入れて四人て事か?」
「はいっ、その通りでございます!! うぎゃあああああああああああ!!」
「その話は本当か?」
「ソ、ソータ様。私が言っていることは本当です――ぎゃあああああああ!?」
あと十回燃やして、色々な情報を得た。
リリスの配下、三将のなんとかって奴らと敵対しているのもこいつら率いるバンパイアだ。
倒すべき相手は、土着バンパイアだ。そうなると、ルイーズは、何故リリスと倒せという依頼を出したんだ? 個人的に怨みでもあるのかな?
障壁の中に炎を発生させ、再びヴィクトルを灰に変える。そのあとヒュギエイアの水と抗体カクテル治療薬を満たす。これで二体のバンパイアは復活できない。討伐完了だ。
城の庭に目をやると、一進一退の攻防が続いていた。
木製ゴーレムの槍で貫かれたバンパイアは、すぐに灰と化す。
しかしその灰は、その場で甦って戦列へ戻る。
パンパイアは木製ゴーレムに噛み付いて眷属化しようとしているけど、ゴーレムに血は流れていない。振り払われて、他のゴーレムに突き刺される。
木製ゴーレムは魔法も使っているが、武の達人のように洗練された動きだ。あのバンパイアたちの動きは素人。数で圧倒できていない。
魔法と魔法、爪と槍、それに数と技で、膠着していた。
とりあえず雨降らせておこう。
すると一気に形勢が傾いた。灰から蘇れなくなったバンパイアたちは、木製ゴーレムの槍で次々に滅ぼされていく。庭に雪崩れ込んでいたパンパイアが全滅するまで、さして時間はかからなかった。
俺が色々やったことはバレていると思うが、知らん顔して大将軍ルキウスの前に顔を出す。怪我こそしていないが、大変お疲れのようだ。肩で息をして汗だくになっている。
「助太刀に来ました」
「貴様……、いったい何をやった」
「奥の手を使っただけですよ。冒険者ですし」
「奥の手? そんなもんじゃなかったぞ……」
雨はまだ降りそそいでいる。バンパイアの灰は浄化され、もはや視認できなくなっていた。大将軍ルキウスは俺に疑いの眼差しを向けた。
「あははー。俺も頑張って城の防衛に参加したんですよ」
「貴様はフラウィア陛下の命で、ネロ皇子とユリア皇女を探しに行ったのではないか? こんなところに居るという事は、依頼を放棄して戻ってきた。あるいは――今回の襲撃は貴様が仕組んだことか?」
誤解だ、と言う前に、木製ゴーレムに囲まれ、俺は槍を突きつけられた。




