189 皇子と皇女
翌朝、俺は宮殿内の豪華な一室で朝食を摂っていた。ここは宿屋ではなく、ドミティラ・アウグスタ宮殿の一室である。こうなったのは、宰相ユリウスのふりをしているバンパイアが、しつこく泊まれと言ってきたからだ。どうやら薬が完成するまで泊まらせるつもりらしい。
あのバンパイアが何者か分からないけれど、ワクチンや治療薬を作らせたいという意思は本物みたいだ。俺に対して疑いの目すらない。俺は彼にとって、ただの優秀な錬金術師という位置づけなんだろう。
それはこの部屋からも伝わってくる。一人で寝泊まりするには広すぎるのだ。寝室には巨大なベッドがあって、天幕がかかっている。ゲストルームも同じくらい広く、今居るリビングなんて百平方メートルくらいあるんじゃないかな。内装は豪華絢爛で、備品も最高級のものばかりだ。
どうでもいい馬の骨に、こんないい部屋を使わせるわけがないからな。
食べ終わった食器を、執事が片付けていく。至れり尽くせりだが、もちろん油断できない。
錬金術施設に行くため、いつもの黒いコートを仕舞って、シャツとパンツ姿に着替える。冒険者の格好で宮殿内を歩けば、目立つだろうしね。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
本殿の離れにある錬金術施設は、様々な魔法陣で守られている。秘薬とかもあるみたいだから当然だ。ここは宮殿の敷地内で、最も警戒が厳重な施設だ。俺は特別に出入り自由の許可を得ているが、それでも衛兵たちからは厳しくチェックされる。それは仕方がないことだろう。
昨日はざっと眺めた程度だったが、今日は本格的に見て回ろう。俺は錬金術で薬を作るつもりはない。だが、魔法陣の応用方法など知識として身につけておこう。
施設内では多くの錬金術師が働いている。そして様々な種族がいた。ヒト族が大半を占めているのはどこでも同じだが、エルフやドワーフもかなり多い。
錬金術師たちが使っている機器は、ドワーフの機械工学や魔法陣と組み合わせて作られており、地球の最先端技術を凌駕している。顕微鏡は光魔法、遠心機は回転魔法陣、様々な機器が魔法と魔法陣の応用で動かされていると分かる。
けれど、電気泳動装置や高速液体クロマトグラフィー、フローサイトメーターや質量分析計などは、どんな魔法陣で動いているのか見当もつかない。分解してみればクロノスが解析してくれるだろうが、そんなことをしたら怒られること間違いなしだ。
部屋を抜けて、工場みたいに高い天井がある区画へ進む。
そこにはビール工場と見紛うような巨大なタンクがずらりと並んでいた。これらはアンジェルス教の聖水を大量生産するためのものだという。聖水なんて簡単に作れると思っていたが、こんなにも規模が大きいとは驚きだ。一体どれだけの需要があるのだろうか?
その聖水は、バンパイア退治用のアイテムとして販売されている。効果も証明済みで、帝都民には広く知られているそうだ。
そして目玉の施設。ワクチンと抗体治療薬の作成装置だ。昨日は大きなタンクが壊れて薬品が漏れ出たあとだったが、きれいに修繕されていた。
この区画は、昨日のうちに俺が独占するように頼んでおいた。宰相ユリウスにお願いすると、ついでに錬金術の技術を見たいと言ってごね始めた。
けれど俺は無理だと断った。
俺がやるのは錬金術でも何でもないからな。クロノスが水魔法を改変して、抗体カクテル治療薬を作り出しているだけだし。だからこそ、その様子を見られるわけにはいかない。
タンクは十五メートルもの高さがあるので、階段を上っていく。
は? 蓋が開いてんじゃん。修理したやつらが閉め忘れたのか? ありえないぞ、薬品を入れるタンクの蓋を開け放っておくなんて。不純物や細菌が混入するだろ。
急いで水魔法でタンクを満たし、中身を漂白剤並みにアルカリ化する。鼻にツンとくる匂いを我慢しながら、蓋を閉めてタンクから降りる。レバーを引いてアルカリ溶液を一気に排出する。タンクに触れてもう一度水を作り出し、解毒魔法で浄化する。最後にもう一度排出して洗浄完了だ。
本当はもっと丁寧にやらなきゃいけないんだろうけど、薬を作るわけじゃないからな。タンクに手を当てて、中に抗体カクテル治療薬を充填する。その上で再び解毒魔法をかける。もう一つのタンクにも同じことを繰り返してワクチンを作る。
よし、依頼完了だ。
さて、ここからが問題だ。
リリス・アップルビーの冤罪疑惑を調べなくてはならない。
疑わしいのは大将軍ルキウスだ。彼こそがリリス・アップルビー討伐の依頼主だからな。あれほど壮大に『バンパイアの首を差し出せ』『リリス・アップルビーを滅ぼせ』と煽っていたのだから。
だが、大将軍ルキウスがわざと、リリス・アップルビーに罪を着せたとは考えにくくなった。宰相ユリウスがバンパイアだと判明したからだ。
あの宰相、一体何が目的なんだ……? 彼がバンパイアであることは間違いないが、なぜワクチンと抗体治療薬の開発に協力しているのか。ないとは思うけど、バンパイアになった自分自身を治療したがっているとか? まさかねー。
とりあえず姿を隠して、宮殿内を探索してみるか? でもなあ……、あれ割と見つかっているし、やめておこう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
本殿に戻ってうろうろしていると、エントランスホールが騒がしくなった。宮殿のヒトたちが、ヒソヒソと話しているので聞き耳を立てる。しばらくすると、だいたいの状況が分かった。
女帝の反対を押し切って、バンパイア討伐に向かっていた皇子と皇女が帰還したというものだ。しかし、彼らのバンパイア討伐は叶わず、逃げ帰ってきたらしい。
つまり、インスラ地区以外にもバンパイアがいるってことだ。そのバンパイアがリリスと敵対している可能性もあるな。しかし可能性の話で確証はない。
「どうしたソータ?」
エントランスホールで野次馬していると、大将軍ルキウスが声をかけてきた。
「足りない材料を仕入れようと思いまして。しかしあの騒ぎは何ですか?」
「ああ、貴様は冒険者だったな。帝都民ならだいたい知っているんだが――」
以前、この国の皇帝が暗殺され、犯人がバンパイアであると特定された後、皇后が女帝として跡を継いだそうだ。その後、バンパイアの討伐命令が発令され、国内の兵士や冒険者、特にバンパイアハンターと呼ばれる者たちが大勢で皇帝の殺害犯を追っていた。
しかし、皇帝を殺害したバンパイアは見つからなかった。
そこで業を煮やしたのが、皇子と皇女の二人だった。彼らは国内のバンパイアハンターを大勢雇い、北方にあるバンパイアの拠点を目指していたそうだ。帝都ドミティラで盛大に行われた出陣式で、バンパイア討伐を帝都民全員が知ることとなった。
ふむ……ナイトメア・タワーか。バンパイアらしい名を冠したその拠点は、古代遺跡に築かれているという。数百年も昔から存在しているらしい。
つまり、そこに住むバンパイアたちはリリス一派ではないと見ていいだろう。少なくとも、リリスが異世界に入植を始めたのはここ数年のことだから。
宮殿の衛兵たちに囲まれた一団が見えてきた。その人混みの中に、皇子と皇女がいるはずだ。
「ソータ、すまないが少し離れていてくれ」
大将軍ルキウスが俺を手で制してきた。俺は部外者なので、当たり前の行動だ。だから素直に窓際によって、皇子たちの一団を眺める。
「……はぁ」
思わずため息が漏れた。金髪の若い男女、あいつらが皇子と皇女のはずだが、闇脈をダダ漏れさせているバンパイアじゃないか。
この国はいったいどうなってんだ?
おん? 何だこの、針で刺すような気配は。
一瞬だけで、誰の気配か分からん。
皇子の一団はドカドカと奥へ進んでいき、大将軍ルキウスはそのあとをついて行った。エントランスホールに残るは、数名だけだが……。
うーん、こっちを見ているあの女性かな。
金色の髪は編み込まれて後ろにまとめられ、頭には白いベールがかかっていた。顔立ちは小さくて可憐であり、青い目は清らかで優しい光を放っていた。
白いシルクのローブに青い刺繍が施された祭服を身にまとっている。ローブの裾は床にひらひらと揺れ、胸元には水滴の形をした神威結晶が輝いていた。
神威結晶!? しかも割と大きいぞ! 一目で聖職者だと分かるけど、神威結晶はどこで手に入れたんだ。
彼女は俺の視線に気づくと、微笑みを浮かべて手招きをする。
ナンパではない。笑顔の裏には冷たさがある。
だが、バンパイアでないことも確かだ。
足を踏み出すと、彼女も移動していく。
一定の距離を保ちながらしばらくついていくと、宮殿敷地内の教会に到着した。彼女はそこへ入ってゆく。
これってアンジェルス教の教会かな。水色の屋根と白い壁が特徴的な建物だ。正面には、水滴の形をした大きな窓があり、その中央にはたぶんだけど、女神ルサルカの姿が描かれていた。女神ルサルカは、見たことないから分からん。
中へ入ると、窓からは青い光が差し込み、教会内に神聖な雰囲気を満たしていた。
そこは広くて清潔であり、白い石畳と水色の絨毯が敷かれていた。壁には天使や水の生き物の絵画や彫刻が飾られており、天井には水晶のシャンデリアが吊るされていた。教会の奥には祭壇があり、そこに女神の大きな像が立っていた。
祭壇の前には木製のベンチが並び、信者たちが座って祈りを捧げていた。
そこに立つ一人の女性。俺が追ってきた人物だ。
彼女は信者の目を避けたいのか、奥の方へ視線を飛ばす。
あとをついて行くと、執務室のような部屋に通された。ドアが閉められると、そこでようやく彼女は口を開いた。
「初めましてソータ・イタガキ様。わたしはルキア・クラウディア・オクタウィア。帝都ドミティラで、アンジェルス教の大司祭を任されております。ルキアと呼んでくださいね」
ほーん……? 大司祭ってことは、アンジェルス教のトップか? まだ三十代くらいなので、優秀なのだろう。
「初めまして。ソータ・イタガキと申します。一介の冒険者ですが、今回の指名依頼で、宮殿の中をうろつかせてもらってます。ソータって呼んでください」
自己紹介が終わると、窓の外で揺れる木々のざわめき、薄い壁から聞こえてくる信者の祈り、そんな音がふっと消えた。音波遮断魔法陣か?
『防音結界を確認しました。魔法の一つです。……解析と最適化が完了しました。これ以降ソータにも使用可能となります』
『おおー、さんきゅ!』
クロノスが、防音結界を可視化してくれた。それでも見えにくいな。限りなく透明な結界は、障壁と似た形だ。半球状になっており、俺とルキアはその中に入っている。
「前ぶれなく防音結界を張ってしまい、申し訳ありません……。とりあえずおかけになってください」
俺はクロノスとの会話で、ぼんやりしていたみたいだ。ルキアは頭を下げて、カウチに座るように勧めてきた。
「単刀直入に聞きます。ソータ様、あなたは皇子たちがバンパイアに変貌していると見破っていましたね?」
お互いに向かい合って座ると、ルキアがド直球の質問をしてきた。
「ええ、闇脈が漏れてましたので」
隠す必要は特にない。
「やはり闇脈を感知していたのですね……」
「そうですね。その口ぶりだと、ルキアさんも分かっているみたいですね。では、宰相ユリウスのことも?」
「はい、知っています。ただ、バンパイアが発する闇の魔力、闇脈を感知できるニンゲンは少ないです。図々しいようですがソータ様、わたしと協力してバンパイア退治しませんか?」
「はい、喜んで」
「……」
何でそこで驚く。誘ったのは君でしょ?
ルキアは、面食らった顔のまま動かなくなった。
「……あ、はは。随分あっさり承諾されるんですね。冒険者だと聞いていたので……、その……、報酬はあまり出せませんがっ!」
「ああ、そういうことですか。俺は報酬より、アンジェルス教の大司祭とコネができることで十分です。ただ、俺はこの国では新参者です。この宮殿のこともよく分かってませんし、宰相ユリウスや皇子たち、彼らが何故バンパイアになってしまったのか、見当も付きません」
「よろしければ、わたしの知っていることをお伝えしますが」
「はい、よろしくお願いします」
話を聞いていくと、色々と分かってきた。
大司祭ルキアは女帝の従妹であり、先代皇帝の妹でもあると明かした。胸にかかる神威結晶は、女神ルサルカから授かったものらしい。
少しの会話で、彼女の教養と倫理観、共に高水準だと分かった。
大司祭ルキアとの会話は弾み、いつの間にかお昼を迎えていた。
彼女はカウチに座り直し、俺に親しげな目を向けた。だいぶん打ち解けてきたし、そろそろかな。
「ルキアさん、この際だから言っちゃいますけど……。あんたさ、自分でやんなくて、なんで俺にやらせようとするんだ? 大司祭という立場で、動けないとかじゃないよな」
途中で敬語をやめて、素の口調で話してみた。
彼女はカウチに深く座り直し、テーブルを見つめる。視線を俺に戻すと、彼女の瞳は鋭く冷たく変わっていた。
「ふんっ、冒険者風情が! わたしと話せただけでも、ありがたく思いなさい。あなたには情報を与えました。結果が出なければ、どうなるか分かってますね……? さっさとバンパイアを滅ぼしてきなさい」
大司祭ルキアの態度が一変したのには驚いた。そんな感じしなかったけどなあ……。とりあえず言われたとおり立ち去ろうとする。彼女から聞き出せることは聞き出せたし、残りは自分の力で解決するしかない。
彼女の言葉は荒っぽいが、バンパイアを何とかしたいという思いは本物だろう。それが分かれば、もう十分だ。
「では、朗報をお待ちください」
「早く出て行きなさいっ!」
彼女の怒鳴り声とともに、防音結界が消えた。
ドアに手をかけると、後ろから声がした。
「ちょっと、本当に行くんですか?」
うわぁ、駆け引きだったのかよ。クソ面倒くせえ。
「ルキアさん……。まだ話したいことがあるようですね。しっかり調べますから、小出しにせず全部教えてください」
「うぅ……。分かったわ! そこに座りなさい! 宰相ユリウスとネロ皇子、ユリア皇女のことを話してあげるわ!」
大司祭ルキアはカウチを指さして、俺に座るように促す。そして再び、防音結界が張られた。




