188 ナイトメア・タワー
ソータは文官に案内され、宮殿の錬金術施設を歩いて行く。そこには、魔法と科学が融合した見たこともない機械が置いてあり、彼は興味津々で見回す。しかし、彼が錬金術の魅力に浸っている頃、帝都ドミティラから離れた場所で事件が起こっていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ハマン大陸の北方にあるルーベス帝国。この国はバンパイアとの戦いに明け暮れており、国内各所でバンパイアハンターが活躍している。正式な身分は冒険者だが、バンパイアを専門とする者たちがいるのだ。
彼らは数百年もの間、バンパイアと対峙し続けてきた。
そのルーベス帝国の北端に位置する山岳地帯に、大勢のバンパイアが集まっていた。そこは切り立った岩山の中腹にそびえたつ古代遺跡。この塔は呪われているという言い伝えもあって、ニンゲンは近付かない場所である。
その遺跡に向かっている者たちがいた。谷間にある森林地帯の川に沿って進む騎馬隊は、荒れ果てた道を辿ってゆく。先頭の案内人たちは、道をふさいでいるツタや低木の枝を切り払っている。ニンゲンが通らなくなって、ずいぶん経っているのだろう。
両脇から覆い被さるような木々の間から塔が見えてきた。まだ昼間だというのに、その塔は暗い灰色をしていた。まるで死者の魂を呼び寄せるかのように。
「あれがナイトメア・タワーか……」
馬上で呟くのは、フラウィウス・ドミティアヌス・ネロ皇子だ。女帝フラウィア・ドミティラ・ネロの息子である彼は、青い瞳と端正な顔立ちで母と同じ金色の髪を短く切りそろえている。
「ネロ兄様、ようやく見つけましたね。あれがバンパイアの本拠地です。日が暮れる前に、バンパイアハンターたちと会議しますよ」
隣の馬上から声をかけたのは、フラウィア・ドミティラ・ユリア皇女だ。彼女も女帝の子であり、母と同じく金色の髪をふわふわのロングヘアにしていた。青い瞳に可憐な顔立ちの彼女は、兄とは対照的に明るくて快活だった。
兄妹がこんな場所に来たのには訳がある。
兄は二十歳、妹は十八歳。二人とも血気盛んな年頃だ。兄妹は女帝の言いつけを守らずに、父の仇であるバンパイア討伐に来ているのだ。大勢のバンパイアハンターを雇って。
「ユリア……、引き返すなら今だぞ……?」
「いやですっ!」
二人がそんな会話をしていると、近くのバンパイアハンターが声をかけた。
「前から気になってたんですけど、家族名で呼ぶってアリなんです? 氏族名と個人名が似てるから、ややこしいのは分かるんですけど」
皇族の二人は、彼らバンパイアハンターからみれば身分が違いすぎる。しかし彼らは皇族の二人に、臆せず話しかけている。それはネロとユリアが、言葉遣いなんて気にするなと望んだからだった。
鼻持ちならない貴族が多い中、気さくな対応をする兄妹。彼らバンパイアハンターたちは、護衛を受けて二週間が経っている。それは彼らが気安い間柄になるには十分な時間だった。
「アリだ。間違えなくて済むだろ?」
「アリなんです!」
皇族二人がそう言うのならと、バンパイアハンターは「へえ~」と軽く返事しながら前を向く。百名ほどの騎馬隊は長く伸びており、ネロとユリアはまん中辺りを進んでいた。
バンパイアハンターたちは、女神ルサルカに認められた者たち。その証拠に、手の甲に聖印がある。彼らが熱心にバンパイアを狩っていると、とつぜん手の甲に聖印が現われるのだ。
その形は様々で、効果も多岐にわたる。ただひとつ共通するのは、闇のバンパイアや邪悪なデーモンなど、神と敵対する者たちに、絶大な攻撃力や特殊能力を発揮する。
いま話しかけてきたバンパイアハンターの右肩にも、白いタトゥーのような聖印が彫られている。ネロとユリアが安心して任せているのも、この聖印があるからだ。
しばらくすると、前方が騒がしくなった。そして撤退を意味するラッパの音が響き渡る。
「ネロ皇子、ユリア皇子、案内人がバンパイアに襲われたっ!」
騎乗したバンパイアハンターのリーダーが、険しい表情で騎馬隊を逆走してくる。その背後からは、先頭を進んでいたバンパイアハンターたちが必死についてきていた。リーダーが皇子たちの近くまで来ると、隊列の変更を命じ始めた。
「パンパイアがうようよいる。数の確認ができないほどだ。すまねえが、皇族の二人は俺に従ってくれ。テメエら、いったん下がって、さっき昼飯食った広場まで撤退するぞ!」
リーダーが手綱を掴み、ネロとユリアの馬をひき始めた。
バンパイア襲撃の報は、あっという間に最後尾まで届けられ、騎馬隊が全速力で撤退していく。ネロとユリアもバンパイアハンターたちに囲まれて駆けてゆく。
「ちょっとっ! 昼間に動けるバンパイアは少ないって言ってなかった?」
ユリアは口をとがらせて、隣を併走するリーダー文句を言う。
「ああ、少ないと言った。つまり、その少ないバンパイアが来てるって事だ。喋ってると舌噛むぞ!」
「……っ!?」
リーダーの言葉を聞いて、ユリアの顔色が変わった。その表情は怯えと怒りが葛藤し合い、よく分からない変顔になっていた。
妹の心情を察したのか、今度はネロが声をかける。その表情に怯えは無い。
「広場に撤退してどうするつもりだ?」
「隊列が長く伸びてるだろ? 森の中では陣形が取れないからだ。広場で一気に叩く」
リーダーはそう言って、馬の速度を上げた。
ところが、撤退する方向でも異変が起きていた。後方のバンパイアハンターたちが、馬上から攻撃を始めたのだ。黒い影のようなバンパイアに。
それを見てリーダーたちの騎馬が急停止する。
「ちっ! 遅かったか……。てめえらっ、この二人を守れっ!!」
リーダーの言葉で、ネロとユリアはバンパイアハンターたちに囲まれていく。鳥の鳴き声が聞こえなくなり、風が枝葉をゆらす。馬のいななきが不自然なくらい、大きく聞こえた。
バンパイアの襲撃に備えて、バンパイアハンターたちは武器を構える。
「……来るぞ」
リーダーの声がすると、音も気配も無く突如として、深い森の中からバンパイアの群れが姿を現した。数十体ものバンパイアが、騎馬隊に襲いかかる。
「ぐあああっ!?」
しかし、バンパイアたちから白煙が上がり、もだえ苦しみ始めた。彼らは慌てて森の中に撤退していく。バンパイアハンターたちの手には小瓶が握られていた。
「聖水を警戒せずに来るとか、こいつら落伍者か? いやしかし、やつらは日中、動けないはずだが……?」
リーダーが思案していると、第二波の襲撃が始まった。ネロとユリアは囲まれた状況で、バンパイアハンターたちと協力して必死に戦った。ネロは馬上で剣を振るい、鋭い斬撃を繰り出している。ユリアは素早い動きで矢を放ち、一体ずつバンパイアを灰に変えていく。
そろそろ全てのバンパイアが灰になる、そんなタイミングで第三波が始まった。
「うおおっ!? こいつら聖水きかねえぞっ!!」
バンパイアたちは聖水を浴びても苦しむこと無く、平然と襲いかかっていた。バンパイアハンターは、長く伸びた爪で馬ごと真っ二つに斬り割かれた。
ひとり殺られると、騎馬隊の隊列があっという間に崩れた。次々に斬り割かれていくバンパイアハンターたち。その時にはもう、一方的な殺戮となっていた。
「ネロ皇子、ユリア皇女、死ぬ気で逃げてください!」
突如聖水が効かなくなった理由は分からない。そしてリーダーの判断は早かった。彼は必死の形相で、兄妹が乗る馬の尻を引っ叩いた。
「えっ!? おいっ!!」
「きゃぁっ!?」
ネロとユリアは驚きながらも、猛然と駈け始めた馬にしがみ付いた。
彼らが振り返ると、リーダーがバンパイアの爪で真っ二つに斬り割かれるところだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
荒れた道を長時間走った馬は息も絶え絶えでへばってしまった。背後から迫ってくるバンパイアの気配を感じ、ネロとユリアは馬を捨てた。
二人とも、バンパイアの嗅覚が侮れないと知っている。故に彼らは道をそれて、川の浅瀬を走り始めた。
「追い付かれる……。ユリア、息を大きく吸い込め! 潜るぞ!」
「えっ? お兄様?」
ネロはユリアに抱きついて、川の深いところに潜った。二人は川底の大きな石にしがみ付いて、水面を見上げた。そこは流れが緩やかで、空と森の木がハッキリ見えていた。
水の中ではバンパイアも匂いを追うことは出来ない。しかし当然ながら、彼らの息は長く続かなかった。程なくして限界を迎えた二人が、空気を求めて水面に顔を出した。
「くっ!!」
ネロは悔しさのあまり、怒りの表情を浮かべる。
彼らはすでに、バンパイアたちに囲まれていた。
「俺は騎士のマキシムだ。まさか皇子と皇女がノコノコ現われるなんてな。お前ら頭悪いだろ?」
ネロとユリアに声をかけた男――マキシムが残忍な笑みを浮かべる。白い肌に青い瞳、赤い髪の毛が太陽の光を浴びて燃えように輝いていた。
筋肉質で逞しい身体には、赤い革ジャケットに赤いズボン、黒いスカーフを着用している。
数十人いるバンパイアの中で、どうやら彼がリーダーらしい。そう当たりを付けたネロは余裕の笑みを浮かべる。隣に立つユリアも、特段恐れることも無く平然としていた。二人の兄妹は、ようやくバンパイアを見つけたという喜びに満ちていた。
「ははっ! ノコノコ現われたのはどっちだよ!」
「まさかわたくしたちが何の対策もせず、この場に居ると思っているのですか?」
兄妹共に啖呵を切って、魔導バッグから紫色の小瓶を取りだした。
コルクの栓を素早く取ると、中の液体が発光し始めた。
その光量は、周囲の風景を紫に変えてしまうほどであった。
それは錬金術で作り出されたもので、空気と反応すると強烈な紫外線を発生させる化学物質だった。
「そんな危ねえもん持ってたのか。でもよ、それだけじゃどうにもなんねえ」
マキシムの言葉と同時に、兄妹の背後に二人のバンパイアが現われた。ネロもユリアもそのバンパイアに反応できず、身体を拘束される。そして二人とも、魔導バッグと紫外線照射液が入った小瓶を取り上げられてしまった。
「くそっ! 離せっ!!」
「いやあっ!!」
二人は何とか逃れようと暴れるも、バンパイアの強烈な力で羽交い締めにされて身動きが取れない。剣や弓も取り上げられて、武装解除されてゆく。
一段落ついたところでマキシムが歩み寄り、ネロとユリアの顔をのぞきこむ。
「……」
「……」
すると二人は、意識を失ったかのように力が抜け、寝息を立て始めてしまった。
「その二人に傷一つ付けるな。ではナイトメア・タワーに戻る」
マキシムの言葉で、周囲のバンパイアたちが一斉に動き始めた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ナイトメア・タワー。ここは、かつてリリス・アップルビーと決別したバンパイアたちの拠点である。
切り立った岩山の中腹にそびえる高さ三百メートルの塔は、古代遺跡の名残である。灰色の石で造られた塔には、古代文字や魔法陣が数多く刻まれ、不可思議な力が宿っていた。
塔の最上階にある玉座の間には、四人の始祖が君臨している。そこには四つの玉座が並んで、そこに三人のバンパイアが座っていた。大きな窓から差し込むオレンジ色の光が、その空間を暖かくしていた。
そこへ駆け込んできたマキシムが、玉座の前で片ひざをつく。
「ネロ皇子、ユリア皇女、二名とも地下牢に閉じ込めてきました」
「度し難いな、あの二人は。しかし好都合でもある。宰相ユリウスに続き、第二、第三の矢で穿つとしよう」
報告を聞いて、始祖のひとりが声をかける。紫色の瞳と金髪のショートカットが特徴的な白肌の戦士、ヴィクトル・シルバである。
「はっ! ヴィクトル様、具体的にはいかが致しましょう」
女性の始祖二人は会話に入ってこず、ただ傍観している。その表情からは、何を考えているのか分からない。
「そうだな……。俺とお前で、ネロ皇子とユリア皇女に変貌していくか?」
「はっ! かしこまりました」
「では、地下牢にいる二人の顔を確認しに行こう」
玉座から立ち上がったヴィクトルは、マキシムの肩を抱く。よくやったと言わんばかりに背中をなでながら、二人とも玉座の間を出ていった。
残された始祖の二人は顔を見合わせる。
「計画に無い行動ですね……。どうでもいいけど」
始祖のセレスティア・ムーンは、吐き捨てるように言い放った。
「お兄様に知らせた方がいいでしょうか?」
レオナルドの妹であるエレナ・ヴァレンタインも始祖である。
「勝手にしてください」
セレスティアは再度、言葉を吐き捨てた。
二人の女性バンパイアから、少しだけ不協和音が鳴り響いていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
レオナルド・ヴァレンタイン。彼は宰相ユリウスとして、帝都ドミティラで内部から破壊工作中である。
エレナ・ヴァレンタインは、レオナルドの実の妹。
セレスティア・ムーン。彼女はレオナルドの婚約者だ。
そしてヴィクトル・シルバ。たったいま玉座の間から出ていった。
この四人は、リリス・アップルビーが地球へ渡る際、始祖としてバンパイアをまとめ上げるように指示を出し、ナイトメア・タワーに残していった。
ヴィクトルは、階段を降りながらぼやく。
「リリス様が帰還されているのは確実だ。では何故、我らに連絡が無いのだ……」
「分かりません……が、何かお考えがあるのでしょう」
後ろのマキシムが応じた。
「あの野心家め、我らの計画を乱すとは許せん。宰相ユリウスに化けて、ルーベス帝国を好き勝手にしている。ただ私腹を肥やすだけの行為など、我らの権限を超えている。我らの使命は、ルーベス帝国を滅ぼし、リリス様がお帰りになる国を新たに作ることだ」
「レオナルド・ヴァレンタイン様ですか……」
「様など付けなくていい! お前は俺の孫だろう?」
「はっ! 失礼致しました」
長い長い階段を降りながら会話が続いている。四人の始祖のひとり、レオナルド・ヴァレンタインは、宰相ユリウスに変貌して帝都ドミティラへ潜入している。
対等である始祖だが、時が経てばその能力によって多少の上下関係が生まれる。知略に長けるレオナルドは、始祖のリーダー的な存在となっていた。
その彼が行なっている作戦は、リリス・アップルビー帰還にあわせて、ルーベス帝国を彼女の住みやすい国へ作り変えるというもの。
その壮大な計画の第一歩として、レオナルド本人がルーベス帝国の宰相として潜入しているのだ。
しかし、ヴィクトル・シルバは、ルーベス帝国を滅ぼし、バンパイアの国を興そうと考えている。
レオナルドとヴィクトルは、些細な意見の違いから大きく対立するまで発展していた。
二人は一階のエントランスホールからさらに階段を降りていく。彼らは錬金術のフロアを通り過ぎ、さらに階下にある牢の入り口についた。
門番のバンパイアが丁寧にお辞儀をして、ドアのカギを開ける。そこからは腐臭が溢れ出した。ヴィクトルとマキシムは鼻を押さえながら、中へ入っていく。
両側に石壁と鉄格子があり、牢に閉じ込められた人々のうめき声が聞こえてくる。そこの衛生環境は悪く、病で動けないものもいる。そんな通路を二人は進んでいると、声が掛かった。
「おいっ!! 何故こんな所に閉じ込めるっ!! 殺すならさっさと殺せ!!」
ネロ皇子だ。彼は鉄格子を掴んで、必死に声を張り上げた。同じ牢の中には、泣き伏せるユリア皇女の姿がある。
バンパイアの二人は少し離れた場所で彼らの顔をよく見た後、その場を立ち去った。ネロ皇子の問い掛けは完全に無視したままで。
彼らが次に立ち寄ったのは、ナイトメア・タワーの二階にある宿泊施設。豪華な装飾で飾られた廊下には、数え切れないほどのドアがあった。まるで一流ホテルのような雰囲気である。
ヴィクトルは立ち止まり、ひとつのドアをノックした。
しばらくするとドアが開いた。
「どうしました? お二人とも、お入りになってください」
部屋にいた老齢の紳士は、ゆったりしたガウンに身を包み、バンパイアの二人を招き入れる。
「宰相ユリウス、少しばかり計画の変更をしたい。それで相談に来た」
その部屋にいたのは、ドミティラ・アウグスタ宮殿にいた宰相ユリウスとまったく同じ姿の人物だった。彼からは闇脈が漏れ出ていないので、こちらが本物の宰相ユリウスである。
「変更とは……? レオナルド様は完璧に私と同じ姿で、完璧に計画を進めてらっしゃると聞いておりますが」
宰相ユリウスは二人に座るように勧めながら話す。
「いやなに、ネロ皇子とユリア皇女を捕まえたからな。俺たちも潜入しよう」
「……計画の変更は、始祖四人の同意が必要だと聞いておりますが?」
「その計画自体、俺は承知してない。計画の変更以前の問題だ。何にせよ、俺はレオナルドの好きにさせる気は毛頭無い。そこでだ、ドミティラ・アウグスタ宮殿の内部を知りたい。地図を書いてくれないか?」
「それでいったい何をするつもり――――それはスキル〝変貌術〟!? まさか、あなたたちも使えたとは!!」
ヴィクトルとマキシムの姿が、ネロ皇子とユリア皇女へ変化した。宰相ユリウスは、二人の兄妹を子どもの頃から知っている。それ故に、彼は驚きを隠せなかった。
「この姿で潜入する。レオナルドは何か企んでいるはずだ! さっさと地図を書いてもらおうか!」
ヴィクトルは、ネロ皇子と同じ声で宣言した。




