186 冤罪
リリア・ノクスは周囲の気配を十分に調べて、この場に潜んでいた。しかしファーギに背後を取られ、彼女は動揺していた。
「ドワーフのくせにショットガン?」
「ああそうだ。なんか文句あっか?」
二人の軽い口調は、周囲の空気を一瞬で重くした。
「ふっ……。魔力、神威、冥導、魔法の源泉として、様々な素粒子があるが、あなたたちはバンパイアではない。我らの闇脈魔法は使えません。そんな武器を使っても無駄ですよ」
「闇脈魔法……?」
リリアの言葉に、首を傾げるファーギ。
「ドワーフのSランク冒険者、ファーギ・ヘッシュ。あなた程の人物でも、バンパイアには詳しくないのですね」
「素粒子という考え方はソータから習った。バンパイアが魔法で使う素粒子は、闇の血しぶきだろ?」
「……ぶっ!? 闇の血しぶき!? そんな名前ではありませんよ?」
ファーギの返事を聞いて、リリアは吹き出す。
「ああ、なるほど。闇の血しぶきは、ソータが名付けたから間違っていたって事だな。ということは、その二つは同じものってことか」
納得したファーギは笑みを浮かべる。
「……笑顔になる余裕はないと思いますが。あなた方はどう足掻いても、闇脈魔法に勝てません。この魔法のおかげで、バンパイアは不死身ですから」
「そうか。それじゃあドラゴンブレス弾でも試してみようか」
ファーギが魔導ショットガンを構えると同時に、リリアは霧へ変化した。
それでもなお、ファーギはトリガーを引くと、一瞬だけ静寂が訪れた。
次の瞬間、ドラゴンブレス弾が発射された。
銃口から噴き出す火花は、まるでドラゴンが咆哮するかのようだった。神威結晶と暗黒晶石が反応して出来たペレットが空気で激しく反応し、火花が猛烈に燃えさかりながら、空気を焼いていく。
ファーギが銃口を動かすと、まるで火炎放射器のように周囲を焼き尽くした。炎さえ上がらず、あらゆるものが瞬時に炭化していく。
「ぐわあぁっ!?」
リリアは何もない空間から、はじき飛ばされるように出てきた。ピンクのメイド服と金色の髪の毛は、見るも無惨に焼け焦げていた。
「これでも灰にならないか……。物理攻撃だけで上位バンパイアを倒すのは難しいな。しかし、足止めには成功だ」
ファーギは満足げな表情で、黒焦げのリリアに近付いていく。彼女は灰にこそなっていないが、身体に付着したペレットがいまだ激しく燃焼している。メイド服なんてとうに焼けてしまい、彼女はすでにただの黒い塊となっていた。
リリアの横に立ち、ファーギは口を開く。
「おい、霧になって逃げようとするなよ? 次は出力を上げて、一瞬で灰にする。分かったら返事しろ」
「ぐっ……。その武器は、何でしょうか?」
リリアがまだ喋れる状態であることに驚きつつ、ファーギはその言葉を無視して続ける。
「お前たちが、帝都ドミティラの人々を襲っていないことは分かっている。そこで聞きたいんだが、お前たちは何故、ルーベス帝国から討伐依頼が出てるんだ?」
「その物言い……。あなた方は知った上で、我らバンパイアを襲撃したのではないのですか? 我々はルーベス帝国から冤罪を着せられているんですよ」
「……帝国から冤罪だと?」
「くふふふ……。知っているとは思いますが、我らはこの異世界のニンゲンをバンパイア化しておりません」
「はぁ? お前たちはデレノア王国で騒動を起こしてただろ?」
「ヨシミ・イソエの単独犯です。我らが関与していないとご存じでは?」
「……」
「ヨシミ・イソエは自らリリス様に接触し、バンパイアになることを切望しました。その後は、彼女の暴走によるものです。それと、ソータ・イタガキの無差別攻撃により、リリス様は大きなダメージを受けました。そのせいでリリス様は勇者たちを数名殺害し、回復せざるを得なかった」
「だから何だ! お前たちはさっき、ルーベス帝国の冒険者たちを皆殺しにしたじゃないかっ!!」
「地球では人工血液が開発されています。我らリリス様に従っている者は、ニンゲンの血を必要としないのに、黙って滅びろというのですか? 我らに自衛するなとおっしゃりたいのですか?」
「……」
話しているうちに、リリアの身体は回復していく。黒い炭が剥がれ落ち、中からスベスベの白い肌が現われる。よろりと立ち上がったリリアは、焦げた肌はひとつも無くなっていた。
リリアは一糸まとわぬ裸体で、堂々と立ち上がる。彼女は焼けていない手袋で、ソル・エクセクトルを握りしめていた。ファーギはその様子を見て、目を伏せながら話す。
「では、リリア・ノクス。お前が言う冤罪とは何だ? それが証明出来ないのなら、ここで滅ぼす。どうせまた甦るんだろうがな……」
「証明は出来ません。それ故に、我らはデレノア王国とルーベス帝国の冒険者ギルドに追われているのです」
今回のリリス・アップルビー討伐は、ルイーズ・アン・ヴィスコンティの個人依頼である。冒険者ギルドは通していない。ファーギはその小さな齟齬を見逃さなかった。
「デレノア王国? ワシらが受けた依頼に、国は関与していない」
「ほう……。では個人依頼ですね」
ファーギが口を滑らせたことで、リリアはスッと眼を細くした。
「……」
しまった。そんな顔でファーギは黙り込む。
「個人依頼の受注は、冒険者ギルドの規約違反では?」
正論パンチで、ファーギは顔を背ける。それを見たリリアは続ける。
「ガッカリですね。片方の言い分だけ信じて疑わないとは。それでは、こちらからも個人依頼を出します。デレノア王国で依頼を出した人物と、ルーベス帝国の上層部、この二つを調べて下さい。報酬は――――」
リリアが話している途中で、本殿の壁が内部から爆発した。ものすごい速さの瓦礫が飛び散るが、リリアとファーギは全て避けていく。しかし、二人とも吹き出した黒煙に包まれてしまった。
「では、個人依頼の件、頼みましたよ」
リリアの声がファーギの耳もとで聞こえる。それを最後に、彼女の気配は煙のように消えてしまった。
見通しのきかない黒煙の中、ファーギは腕を組んで考え込む。そうしていると、風魔法で発生した竜巻が黒煙を払っていった。
魔法を使ったのはミッシーだった。彼女は立ち尽くすファーギを見つけて駈け寄る。
「ファーギ!? こっちにマルコが来なかったか?」
「来てないな……。おそらく、また逃げたはずだ」
「逃げた……?」
ミッシーはハッとした顔で、宮殿へ視線を向けた。そこからは誰の気配も感じられない。それを確認したミッシーは、ファーギに詰め寄る。
「ソータは?」
「うぉい、近い近い」
ファーギは、ぐっと顔を近づけたミッシーから逃げるように離れる。そして二人は本殿内部へと駆け込んでいった。
誰もいなくなった中庭では、風魔法で巻き上げられた煤が黒い雪のように降りそそいでいた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「なかなかの暴れっぷりだな……、ミッシー」
ファーギは呆れながら、本殿の奥へと進む。壁には無数の穴が開き、太い柱が半分に折れている。もともと荒廃していた本殿は、ミッシーとマルコの激しい戦闘の爪痕で、さらに荒れ果てていた。
「これでも手加減した……」
ミッシーはそう言って、心配そうに辺りを見回す。ソータはどこに行ったんだろう。彼女の顔にその思いが浮かんでいる。ファーギはからかう気にもならず、黙ってついていく。
本殿内部は静まり返っている。何者の気配も感じられない。二人の足音だけがやけに大きく響いていた。
「らせん階段か」
ファーギは顔を上に向けて気配を探る。ミッシーは黙って耳を澄ました。
「……」
この宮殿内部は誰の気配も無い。ミッシーは悲痛な表情で唇をかみしめた。彼女が声に出そうとしても、喉からは虚しく空気が漏れるだけだった。
ソータは確かにこの宮殿へ入っていったはずだ。彼がここから出ていけば、それを確認したバンダースナッチから連絡が入る。しかし、魔導通信機は無言のままだった。
「何だあれは?」
ファーギの声でミッシーは我に返った。彼はゴーグルをかけて見上げている。何か見えているのだろうか。そう思ったミッシーは、ファーギからゴーグルを奪い取った。
「おいっ!? いま見てるってのに、何を――」
声を荒らげるファーギは、ミッシーの真剣な眼差しに言葉を飲み込んだ。
「空間が歪んでる……。ファーギ、これどう思う?」
ミッシーの目には、空間にひび割れが走っているように見えた。
「空間を切り裂いた跡だな。いまは閉じているみたいだが、不安定で危険な状態だ」
「空間魔法……? まさかソータがそこに……」
ミッシーの顔色が一段と青ざめた。そして彼女は躊躇いもせずに、空間魔法を発動させた。
「お、おいっ!? なんの跡なのか分からないんだ。無理矢理開けると何が起きるか分からんぞ!!」
慌ててファーギが止めるも、ミッシーの空間魔法は発動してしまった。するとそこに、黒い深淵の裂け目が現われ、恐ろしい吸引力で周囲のものを飲み込み始めた。
近くにあった破れた絵画や割れた花瓶は、あっという間に黒い穴の中へ消え去った。そして、ミッシーとファーギまで吸い込まれそうになる。
危険を感じた二人は、転移魔法でその場を離れた。
「……」
「……」
黒い裂け目から十分な距離を取り、二人は言葉も無く見つめる。黒い裂け目の吸引力は衰えを知らず、それどころかみるみるうちに強力になっていく。
「あれはいったい……」
唖然とするミッシーにファーギが応えた。
「あの裂け目はおそらく、リリア・ノクスが持っていた短剣が作ったものだ。あれはバンパイアが簡単に持てるものじゃない。聖なる気配を発していたから、たぶん神器だと思う」
「バンパイアが神器?」
「ああ、そうだ。頑丈な手袋を付けてたから、持ててたんだろうな」
「ということは、あの裂け目にソータが吸い込まれたかも知れないと?」
ミッシーとファーギは、黒い裂け目に吸い込まれないよう離れている。万が一に備え、いつでも転移出来るように準備していた。周りの物はそんなのお構いなしに、轟々と吸い込まれていく。
「しかしこの状況、どうすればいい?」
ミッシーがファーギへ問いかけると、黒い裂け目が大きく広がった。
――――ズドン
石床の割れる音が鳴り響く。同時に吸い込まれていた空気がピタリと止んだ。ミッシーとファーギはハッとして、音がした方を向く。
「ミッシー、ファーギ、あなたたち二人は、ソータを心配して来ていたのですね」
そこにはソータの姿をした別の人物が立っていた。顔かたちは同じだが、瞳の色が銀色に変化している。それだけでも異常なのに、ソータの言葉は、自分自身を他人事のように話した。
違和感どころでは無い。ミッシーとファーギはすかさず戦闘態勢を取る。
ところが次の瞬間、ソータに似た誰かの気配は消え去り、彼の瞳は黒に戻った。
ソータは自分の手を見つめ、そして周囲を見渡す。
「お? ……おお?」
太陽の中心部に転移したソータは、一度死亡している。しかしクロノスがデストロイモードへ移行したことで、彼の魂を肉体に縛り付けていた。その後は、クロノスはソータの能力を十全に使いこなし、太陽の中心部からの脱出経路を探っていた。
クロノスがそうしているうちに、ミッシーの空間魔法が死者の都への通路を開いた。高重力下で座標の特定が出来なかったクロノスは、ようやく帰り道を見つけて、そこへ飛び込んだのだ。
そこに立っている人物がソータだと確信したミッシーは、すごい勢いで走り出す。彼女は減速せずにソータに抱きついて、顔をうずめた。
「……おう、ミッシー。いまいち状況が掴めてない――――。あ、大丈夫。つか、心配かけたみたいで、申し訳ない」
ソータがふと全てを理解したような態度は、クロノスから状況説明を聞いたからだろう。
ミッシーは抱きついたまま離れない。ソータは戸惑いながら、彼女をギュッと抱きしめた。
「心配どころじゃない……。あなたがいなくなったら私は生きていけないと思った。もうこんな思いはしたくない」
「……ほんとごめん」
二人はそっと離れて、お互いの瞳を見つめ合う。そこでソータはやっと気付いた。ミッシーが涙ぐんでいることに。
ミッシーはいつもキリッとして、凜々しい態度を崩さない。それなのに今回、一時的にとはいえソータが行方不明になったことで、いつもの彼女ではなくなっていた。こういった経験がないソータは、どうしていいのか分からずに、オロオロし始める。
「ごーほん。ごほほん」
ファーギのわざとらしい咳払いで、二人とも我に返る。
「ソ、ソータ! 次からは気を付けるんだぞ!」
涙を流していることに気付き、ミッシーは顔を赤らめながら、ソータからスッと離れた。
「あ、ああ。気を付けるよ。しかし――」
ソータは気持を切り替えたのか、目を閉じで周囲の気配を探り始めた。
「誰もおらんよ……。リリア・ノクス、マルコ・ブラッドベイン、二人とも姿を消した。それと、二人に話がある」
ファーギがそういった事で、三人ともいったんバンダースナッチへ戻ることにした。




