184 十二刃
北へ向かって空を駆け抜けていくと、やがて目標物が視界に入ってきた。
月明かりに照らされたドミティラ・アウグスタ宮殿と同じ形の建物が、廃墟と化した街並みにぼんやりと浮かび上がっている。ついさっき大将軍に招待された美しい宮殿とは、まるで違う光景だ。
『到着した。そっちから見えてるか?』
とりあえず、バンダースナッチに連絡を入れる。
『ああ、ハッキリ見えている。これから私とファーギが降下するぞ』
『了解だ』
ミッシーとの通話を切って、広大な中庭に降り立った。
周囲を見渡すと、白亜の壁は焼かれたように黒ずんでおり、正面の門は崩れ落ちていた。庭園には、生き物の気配は一つも感じられない。芝生は枯れ果て、むき出しの土に変わっている。乾燥した枯れ木は、ほとんどが根元から折れていた。
本殿は屋根も壁も崩れており、窓もドアも壊されて見る影もない。ただ風が通り抜けるだけの寂しげな廃墟だ。
静寂の中、本殿から漂う闇の血しぶきと、何者かの気配に気付く。
マルコとリリア、二人のバンパイアは、俺が気付く前に接近してきたからなあ。誘っているのか……?
そっと足を進め、ガラスの破片が散らばる玄関をくぐり抜けた。
エントランスホールも、外と同様に荒廃していた。そこを通り抜け、奥の廊下へ進んでいく。
いや、さすがにおかしいだろ。ここははるか昔のドミティラ・アウグスタ宮殿だ。古くなって荒れ果てているが、さっき見た宮殿と何もかも同じなのだ。
カウチやテーブルといった家具、壁に掛けられた絵画、全て同じ位置にあり、作戦会議室と書かれたドアプレートまで同じだった。
違うのは、全てが老朽化し、何者かによって破壊されていることだ。
いま思えば、デーモンの冥界とバンパイアの死者の都は、冥導と闇の血しぶきの違いだけで、他は同じ気がする。
周囲を警戒しつつ廊下を進んでいく。全てのドアプレートが残っているのはありがたい。客室や応接室、食堂や図書室、すべての部屋を確認して、らせん階段に着いた。こんなのあったっけ?
上を見ると暗くて、天井がどこにあるのかわからない。
……ふむう。俺の目でも見えないということは、この階段はとても高いということだ。しかし、俺はつい今しがた、この宮殿を空から見下ろした。記憶している限り、敷地内にこんな高い塔はなかったはずだ。
「ふふっ……。階段を上がってみませんか?」
リリア・ノクスの声が耳元で囁くように聞こえた。さっきと同じ、念話っぽいやつだろう。周囲を見回しても、やはりリリアの姿はない。
罠にはまるのは分かっているが、やってやろうじゃねえか。俺はらせん階段を上がり始めた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
バンパイアになってしまったロイス・クレイトン。彼は大きなホールで一人、破壊された玉座に座っていた。うつむいた顔は暗く沈んでいる。何か考え事をしているのだろうか。
天井はドーム状で、割れたステンドグラスがいくつも見えている。そこから差し込む月光は、弱々しく床を照らしていた。
一つだけの出入り口は、らせん階段。そこを上がってくる気配を感じ、ロイスは顔を上げた。
「……」
ソータが、らせん階段から顔を見せる。ロイスは彼と面識があるはずだが、表情を変えず無言で見つめた。
「シルクハットに、水玉のスーツ。あんた……、バンパイアになっちまったのか」
だだっ広いホールのまん中に、壊れた玉座。そこに座っているのは、バンパイア化したロイスだと確認して、ソータは哀れむ。ロイスから溢れ出る闇の血しぶきは、強力なバンパイアの証し。彼はもう子爵へ変異していた。
「貴様を倒せと命を受けている」
ロイスの声が静かに響く。そこからは何かの葛藤が感じられた。
それに気付いたソータは、何が起こっても対処できるように腰を落とす。
「あんたのスキル〝奴隷紋〟を使えば、もっと上手く立ち回ることができたはずだ……。とりあえず、抗体カクテル治療薬でも浴びとけ」
ロイスの頭上に大きな水球が現われた。
「無駄だ」
そう言ったロイスは座ったまま動こうとしない。頭から抗体カクテル治療薬を浴びても、何も変わらなかった。
「赤い障壁か……」
ロイスの周りに、闇の血しぶきの障壁が現われていた。それは抗体カクテル治療薬をはじいて、ただの一滴すらロイスにかかることはなかった。
ゆらりと立ち上がるロイス。その瞳はソータを見つめたままだ。しかしその表情は一変していた。
「クソガキィ、わしはな、貴様のせいで全ての財産を失った。貴様のせいで、わしはバンパイアになり、クソみたいな始祖に従うことになった!!」
ロイスは感情が爆発したように声を張り上げる。身体から炎のように闇の血しぶきが吹き上がり、彼はソータへ向かって歩き始めた。
そんなロイスを興味深く見守るソータ。序列に厳格なバンパイアが、上に逆らうような発言をしたことに注目しているようだ。
「だがなぁ……、今回だけは感謝する!! 貴様への怒りが、血の契約を上回った!! ふははははははっ!!」
ロイスの笑い声と共に、ホールの床に従属魔法陣が浮かび上がった。そしてそれは、オレンジの光を放ちながら回転していく。
ソータは浮遊魔法で従属魔法陣から離れ、ロイスを注意深く観察していた。そして彼は呟く。
「血の契約って、かなり強力なスキルで、バンパイアの上下関係を作る。ウイルス自体も上下関係をつくるから、バンパイアの序列は確固たるものだと思ってた。しかし、ロイスの意思が、あるいは俺への復讐心がスキルの効果を上回ったのか?」
魔法陣が回転しながら床から離れ、浮かび上がってくる。その中心にいるのはロイス・クレイトン。彼はいままさに、血の契約の効果を打ち破ろうとしている。すなわち彼は。自分自身を自分に従属させるため、従属魔法陣を使っているのだ。
「おいクソガキ!」
「なんだ」
「わしは貴様のおかげで、ニンゲンの意識を取り戻せた。今すぐにでも貴様を亡き者にしたいが、今回は特別だ。借りにしといてやる!!」
バンパイアの呪縛から解き放たれた子爵は、スキル〝霧散遁甲〟を使って姿を消した。
そこに残されたのは、ソータだけとなってしまった。
「貸した覚えはないんだけど……。つか、なんでそんなに恨まれてんの? 俺は奴隷にされそうになって、逃げただけだぞ? 他の奴らも全員に逃がしたけどさ……。しかし、従属魔法陣か。やべぇなこの魔法」
その言葉は誰にも聞こえない小さな声だった。ロイスが自分自身を血の契約から解放した魔法は、当然クロノスの解析で、ソータが使えるようになっている。
そして、ソータの独り言が尻すぼみに小さくなったのには理由がある。
「おいおい、あの太っちょ水玉野郎、どうなってんだ?」
「さあな? しかし、獲物はかかったままだ。このままやっちまおう」
これまで何も無かった場所に霧が発生し、ソータを囲むように十二人のバンパイアが現われた。ソータを含め、全員が宙に浮かんでいる。
それを見たソータは、極めて冷静な口調で話しかけた。
「あんたらが十二刃か……。親分のラリ・ルレロはどこ行った?」
「貴様、それはリリア・ノクス様のことを言っているのか?」
「そうそう、パピプ・ペポのことだ」
子爵の十二刃は、始祖のリリア・ノクスを馬鹿にされたことで激高した。彼らは牙を剥き、長くなった爪を構える。そして十二刃たちの身体が灰色に変わり、背中から一対の羽が現われた。
「変身して身体能力上げるってか? すまんな空気読めなくて」
ソータが言葉を発した直後、変身中の十二刃たちが硬直したように動かなくなり、叫び声を上げた。
「ぐああっ!? 貴様っ、何だこの力は!!」
十二人のバンパイアは、ソータの念動力で拘束され、宙に浮かんだまま身動きが取れなくなった。
見えない手の中でもがくバンパイアたちの頭に、抗体カクテル治療薬がぶっ掛けられた。その直後、ヒュギエイアの水が浴びせられる。
「さすが子爵。その赤い障壁、なかなか頑丈だよね」
念動力で拘束されながらも、バンパイアたちは障壁を張って水をかぶらないように防御した。そして彼らもまた、スキル〝霧散遁甲〟で霧になった。
ただし、彼らはロイスのように逃げるためではない。念動力から抜け出して、ソータに攻撃するための行動だった。リリア・ノクスからの命令に従う。それは長年子爵を務めてきた、彼らの矜持でもあった。
実体化したバンパイアたちは、再度ソータを取り囲む。
しかし彼らは既に、ソータに太刀打ちできないと悟っていた。
十二刃は先日、神威の武器で一度滅びている。
そしてソータから立ち昇る莫大な光は、その神威だった。
「どうした? ニンゲンに戻りたくないのか?」
ソータの言葉で怯むバンパイアたち。滅んでも復活できるとは言え、死の恐怖は拭えない。それでも彼らは必死の形相で留まる。
「黙ってちゃ分かんねえな。んじゃ、質問いいか?」
宙に浮いたまま自然体で語りかけるソータ。力を抜いて話しているが、ソータに一分の隙もない。
十二刃が攻撃を仕掛けようとすると、先を読んだようにふらりとソータが動く。
「リリスの行き先を教えろ。……だよな、……知ってても言わないか」
ノリツッコミのような質問をして、思案するソータ。次は何を聞こうかと考えているように見える。
そうこうしていると、天井から差し込む月の光が赤く染まった。
不審に思ったソータが天井を見上げる。その状況は、バンパイアたちにとっても不測の事態だったようだ。彼らもソータと同じく天井を見上げた。
「おい、バンパイアども。あの赤い光は何だ? ……あ、やっぱいいや」
上を向いたままのソータは、またしても一人芝居のような行動を取る。どうやらクロノスと話しているようだ。
そして次の瞬間、大ホールが赤く染まった。それは地上から吹き出した闇の血しぶき。一瞬で水に浸かったように濃密で、呼吸すら困難になるほどだ。
呼吸をしない子爵でさえ、あまりにも濃い闇の血しぶきで、苦しそうにしていた。
そんな中、平然とその現象を観察するソータ。
「うほっ、すっごいなこれ。……ん? 待てよ? これって、シャドウストームの中? ヤッベ!?」
その声を最後に、ソータと十二刃の姿が消え去った。
猛威を振るっていた闇の血しぶきが収まると、そこを静寂が支配した。
誰もいなくなった大ホールに霧が現われ、ニンゲンの形を取る。そこに現われたのは、リリア・ノクスだった。
「ソータ・イタガキ一人に、ここまでの犠牲が出るとは……。さようなら十二刃」
ボソリと呟くリリア。
宮殿は闇の血しぶきが流れる地脈の上にあり、この塔はシャドウストームを発生させるための装置。
リリア・ノクスはそれを悟られないように、ロイス・クレイトンをけしかけた。ところが彼は、自力で血の契約を破って逃走した。
慌てて十二刃を送り込むも、足止めすらできない始末。
しかし、ぎりぎりでシャドウストームを発生させることが出来て、十二刃もろともソータを滅ぼした。
彼女はそう信じて疑わなかった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
シャドウストームの奔流に飲み込まれ、俺は宇宙に放り出された。さっき行き先を調べててよかった。あの経験があったから、突然真空になっても割と平気だった。
だが十二刃たちはパニックになっていた。宇宙空間でクルクル回りながら、太陽の光をもろに浴びている。このままじゃすぐに灰になってしまうだろう。俺は彼らを生かすために、光を通さない三重の神威障壁に閉じ込めた。
障壁内部を励起させて発光させる。風魔法で空気を作って充填すれば、そこは安全な空間となった。
「あんたらまで宇宙に放り出されるとは聞いてなかったってツラだな……」
宇宙に浮かぶ球体の中で、十二刃に問いかけた。彼らの表情は暗い。俺に挑んでくることもなく、ただただうつむいて黙っている。
親であるリリア・ノクスに裏切られ、ショックを受けているのだろうか。
バンパイアの血の契約は非常に強固だ。しかし、ロイス・クレイトンのように強い意思があれば、呪縛から逃れることも可能だと分かった。
では、十二刃がニンゲンに戻れば、血の契約の効果も切れるのか? 今は彼らの忠義心が揺らいでいる状態で、隙だらけ。
よし、やってみよう。
障壁内部に抗体カクテル治療薬とヒュギエイアの水を、雨のように降らせる。十二刃は赤い障壁を張ることもなく、ずぶ濡れになっていく。
彼らはどうやらリリアを見限り、ニンゲンに戻ることを受け入れたようだ。
俺はしばらく観察して、彼らに声をかけた。
「ちょっと質問いいか?」
十二人の男女が、ぼんやりと顔を上げる。彼らはもうニンゲンに戻っていた。
「あんたたちは、地球生まれだよな。ってことはさ、地球が温暖化で滅びるまで、時間がないことは知っているよね? また異世界に行く? 生活基盤とかある?」
「……」
彼らの表情は暗いままで、誰も返事しない。……そりゃそうか。彼らからすれば、急にニンゲンに戻って、まだ混乱している最中だろうし。それに、俺が勝手に彼らの身の振り方を決めていい話でもないか。
だからと言って、ここで時間をかけるわけにもいかない。俺の仲間たちはまだ、死者の都で作戦行動中だし。
「えっ!? ソータさん!? えっ!?」
障壁内に現われたのは、シビル・ゴードン。実在する死神の当主で、異世界から追放された魔女だ。俺は召喚魔法で、彼女を呼び出した。
そしてここは無重力。シビルは障壁の中で、驚いた顔のままクルクル回っている。
「……急にすまない。一回連絡すればよかったかな」
おそらく風呂上がりだったのだろう。バスタオルを巻いたシビルから、水滴が飛んでいる。
「い、いえ。それはいいのですが、彼らはいったい……?」
さすがシビル。彼女は風魔法で上手いこと回転を止め、障壁内部に足をつく。俺は彼女に事情を説明し、元バンパイアの彼らを預かってほしいと頼んだ。落ち着いたら、彼らの好きにしてもらうという条件を付けて。
シビルは理解が早い。地球の状況を考えると、元バンパイアの彼らを衆目に晒すわけにもいかないという。そこで彼女は、彼らを月面基地へ連れて行くと提案してきた。
「助かる。んじゃゲート開くね」
「ソータさんはどうされるつもりですか?」
月面基地内部にゲートを開くと、シビルが心配そうな顔で聞いてきた。みんなでゲートをくぐり抜け、月面基地へ移動する。
「リリス・アップルビー討伐のついでに、異世界でバンパイア退治やってるとこ」
「……リリスがいったい何を?」
「えっと、異世界でパンパイアを増やし……? 増やしては無いか。騒ぎを起こしたのはヨシミだったし。あれ?」
ヒューマノイドが出迎えに来て、元十二刃たちを案内していく。彼らは月面基地に来たことでめちゃくちゃ驚いているが、特に抵抗することもなく従っていた。俺とシビルはその場で話を続ける。
「リリス・アップルビーは、実在する死神の幹部として動いています。無駄にバンパイアを増やさず、地球人の避難を率先して行なっています」
「それは確かか? 裏でコッソリ悪いことやってるって事はない?」
「ええ、それはもう。リリスの眷属は欧州連合と協力し、ヨーロッパの人々を安全に避難させています。彼女の行動にブレがあるように見えるのは、おそらくエリス・バークワースの影響です」
「……ほーん。エリスの居場所分かる?」
「いえ……。我々実在する死神は、エリス・バークワースと、マリア・フリーマン、この二人を、人類に仇なす者として指名手配しています。しかし……、二人の所在は分かっていません」
「え? ちょ、あれからそんなに時間経ってないはずだけど、色々と変わってきてるね。詳しく教えてほしい」
「ええ、しっかり情報交換しましょうか。お互いの認識がだいぶ違っているみたいですし」
俺とシビルは立ったまま情報交換を始めた。そして、シビルの言う真面目なリリスと、俺が感じている悪のリリス、二つの意見がぶつかり合った。
そして魔女マリア・フリーマン。彼女はある意味、実在する死神を裏切っていることも判明した。
シビルの言うには、捜索網に引っかからず逃げおおせているので、リリス・アップルビーとマリア・フリーマンの両名は、少なくとも地球上には居ない線が濃厚だそうだ。
ハセさんも見つけられないって言ってたな……。
色々と情報交換が終わると、シビルからお茶に誘われた。俺は時間がないことを伝え、死者の都へのゲートを開いた。




