182 シャドウストーム
ゲートを閉じて思案する。この地、死者の都には闇の血しぶきが充満し、闇の力を強く感じる。
バンパイアだったアスカニアスが異常に強かったのは、この世界のおかげだ。そんなことに今さら気付いて苦笑してしまう。
アスカニアスは、三将の一、マルコ・ブラッドペインの配下で、八咬鬼の一員だった。そうなると、他の部下たちも元は地球人だった可能性が高い。
たとえこの世界のニンゲンがバンパイア化していたとしても、元に戻せると分かった以上、簡単に滅ぼすわけにもいかなくなった。
しかし、ニンゲンの寿命を超えた時間をバンパイアとして過ごしていれば、アスカニアス王と同じく、元に戻った途端、急速に老化が進む。そんなバンパイアを単にニンゲンに戻すだけでは、ただ死んでしまうだけだ。それは何としても避けたい。
何かいい方法がないものか。
『ファーギ、ミッシー、マイア、ニーナ、アイミー、ハスミン、ジェス。そっちはどう?』
『おいこらオッサン!! 今の見てたけど、一体何なのさ!?』
念話を使うと、真っ先にハスミンが返事をしてきた。ファーギとミッシーの指揮の下、パーティーの面々が動いている。彼らは近くの建物で息をひそめ、リリス・アップルビーが現れるのを待っていたのだ。
そしてアスカニアス王とのやり取りもコッソリ覗いていたみたいだ。
『今のは八咬鬼っておっかないバンパイアの一員だ。リリスの孫に当たるバンパイアで強かったけど、見ての通りニンゲンに戻すことができた。ただ、彼は地球人だったからさ、俺の国へ送って保護してもらったよ。それより、リリス・アップルビーなんだけど――』
リリスはガレイア連合国へ向かったと話すと、意見が二つに割れた。
これからすぐにリリスを追う。この街を放ってはおけないから、バンパイアの問題を片付けてからリリスを追う。この二つだ。
『ファーギ?』『ファーギさん?』『……』『さいてーだな、クソジジイ。死ね!』『ここの人たちが、王都ハイラムみたいになったらどうすんの? ジジイには良心がないの?』『はぁ、師匠変えようかな? もうついていけないや……』
すぐにリリスを追うと言ったのは、ファーギだけ。彼の効率主義は、Sランク冒険者として正しいと思う。俺もそれには同意だ。ただし、こっちの問題を片付けてからだとミッシーが口火を切ると、他の面々が追随して、クソミソに文句を言い始めた。
ミッシーもSランク冒険者だが、感情論で行動を変化させるのか? うーん。……でも、それはそれでニンゲンとして正しい行動なのだろう。
俺は既にニンゲンでは無くなっている。だからと言って、ヒトの心まで失いたくない……かな。大勢の人が住む街を救えるのなら、何とか頑張ってみよう。
地上から見る死者の都は、廃墟になった街並みだ。この世界がどこまで続くのか分からないので、いったん確認してみよう。その事をミッシーたちに伝え、俺は浮遊魔法を使った。
どんどん高度を上げていくと、死者の都という言葉が間違っていることに気付く。都なんて規模ではなく、惑星全体が死者の都だったのだ。
宇宙に浮かぶ黒くて丸い惑星に、闇の血しぶきが渦巻いていた。気象衛星で可視化された雲のようだ。白ではなく黒だけどね。
となると、死者の都は、異世界とは違う、また別の異世界って事か。冥界も現実世界と似た建物があったから、似ている部分がある。
やはり多世界解釈が一番しっくりくる。
あれは……?
超巨大な竜巻が、地上から宇宙まで達している。そこに多くの闇の血しぶきが吸い寄せられていく。竜巻のてっぺんは、また別空間に繋がっているように見えた。
こんなのが見えるのは、クロノスのおかげだ。肉眼では見えないものが観測できている。
『シャドウストームとでも名付けましょう。闇の血しぶきの渦は、地球に繋がっています』
突然話し始めたクロノス。シャドウストーム? 身もだえしそうになる名付けのセンスは置いといて、あの渦が地球に繋がってる? マジで?
『ぷんぷん! 名付けのセンスは抜群です!!』
『あはは~。それはそうと、あの渦が地球に繋がってるって、どういう事?』
『ソータの目を通しての観測なので、詳細は不明です。ザックリと分かる情報は、死者の都から地球へ向けて、闇の血しぶきが送り込まれているという事です。近付けばもっと色々と分かりますが』
それならば近付いてみよう。
転移魔法で渦の近くへ移動する。もうここは完全に宇宙空間だ。障壁なしでも平気だなんて、色々おかしいと思うけど、いまさらだし。
地上から伸びている竜巻が、目の前でスパッと消えている。その部分から先が、地球なのだろう。
『座標計算が完了しました。この先はスウェーデンの上空で、高さ五百キロメートルほどあります』
『宇宙空間じゃん! てか、ここと同じ高さだな』
足元には闇の血しぶきが渦巻く、死者の都が見えている。
俺はゲートを開いて、地球へ移動した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
宇宙空間に浮かびながら、地球を眺める。とても美しい光景だが、もうすぐ温暖化でニンゲンが住めなくなる。そう思うと、なんか悲しくなるな。
すぐ側に、俺の感傷を邪魔するものがある。何もない宇宙空間から、怒濤の勢いで溢れ出す闇の血しぶきだ。こちらは竜巻状になってなく、闇の血しぶきが地球全体を覆うように広がっている。
これで何がしたいのか、まったく不明だ。ただ、碌でもないことをやろうとしていることは、何となく分かる。空間魔法で閉じてしまおうか?
『待ってください。これは経過観察したほうがいいと思います』
『おん? どういう事?』
『この量の闇の血しぶきが拡散したとしても、地球に与える影響は軽微です。バンパイアの力が極端に増すようになるまで、数世紀はかかるでしょう。故に今すぐ対処するよりも、この現象を起こしている者が誰なのか探って、目的を突き止めるほうがいいと思います。自然現象という可能性も捨てきれませんし』
クロノスがそこまで言うのなら、やめておこう。
しかし謎だな。あと三年もしないうちに、人類は地球に住めなくなるというのに。数世紀後、そこでバンパイアが強くなっても、獲物はもういないんだぞ?
そうなると自然現象と考えた方が無難かな。とりあえず戻るか……。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
死者の都の埃っぽい地面に降り立つと、テイマーズの三人からすごい勢いで問い詰められた。地球に行くって言ったからだろう。またアラスカに行きたいと騒いでいる。悪いけど、そんな暇はない。
しかしここでの目的が変わってしまった。リリス・アップルビー討伐ではなく、帝都ドミティラの住民を救うという、正義の味方っぽいことをやるハメになったのだ。
あまり前向きになれないのは何故だろう。
その答えは分かっている。アイテール化したことで、俺の感情が平坦になっているからだ。最近の俺は、意識して自分を盛り上げないと、感情が消えてしまいそうな漠然とした不安がある。
『大丈夫です。あたしがついてますから!』
『おう、頼もしいな、相棒』
『相棒っ!? それは伴侶としての意味ですか?』
『クロノス、君は相棒と伴侶の区別もつかないポンコツだったのかな?』
『まさかあ~。でもソータ、少しは元気になったでしょ?』
『そうだな。助かるよ、マジで』
さあ、気持ちを切り替えよう。
『おーい、隊列組んで進むぞー』
念話でパーティーの皆に伝える。俺が餌となる必要はなくなったからね。これ以降は、安全面を重視しよう。みんな手の届く距離にいれば、何が起きても助け合うことができるし。
ゾロゾロと現れた仲間たち。その中で、ふてくされたファーギが口を開く。
「どうするつもりだ?」
「リリスの討伐は後回し。ただ、ここにはリリスの側近がいるみたいだから、そいつらを叩こう」
「滅ぼすつもり?」
心配そうな顔でミッシーが口を開く。
「見ての通り、抗体治療薬でバンパイア化が治る。ただし、ニンゲンに戻った途端、寿命で死んでしまう可能性があるからね。その場合、ヒュギエイアの水で老化を止めることができるから、それで対処しよう。みんな持ってるよね?」
みんなさっき見ているはずだけど、確認しておく。手順は簡単だけど、慌てて死なせてしまったら取り返しがつかない。
全員持ち物の確認を済ませ、俺を先頭にして大通りを進んでいく。後ろにはマイアとニーナ。その後ろにテイマーズの三人と、スライムたち。最後尾にファーギとミッシーだ。
しばらく進んでも、何も起こらない。ここに来て感じた気配は、アスカニアスだけだ。つまり、俺たちより先に来ている冒険者たちの気配が無いので、何かが起きていることは確かだ。
そしてようやく動きがあった。
この大通りの先に、大勢の気配がある。ドミティラ・アウグスタ宮殿に集まった冒険者たちだ。そこから切迫した気配がひしひしと伝わってきた。
「ソータさん、あれって戦ってますよね?」
背後からマイアの声がする。
「たぶん」
そう答えると、足元に微細な振動が伝わり、同時に大きな爆発音が聞こえてきた。
正面に大きな火柱が立ち昇り、黒煙がキノコの形へ変わっていく。だいぶん離れた場所だ。
「ソータ! 急ごう!!」
ミッシーが焦った声をかけてきた。あの火柱付近で、大きな戦闘が起こっているのは確かだろう。ただ、少しだけ違和感がある。それが何なのか分からない。そしてそれが気になって、少し迷ってしまった。行くべきか、行かざるべきかと。
「ソータさん、急ぎますよ!」
マイアがせっついてくる。俺の違和感だけで、隊列を崩すわけにも行かないな。
「よし、急ごうか!」
俺たちは急いで駆け始めた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
踏み固められた土の路には、骨が散乱していた。腐敗した死体からは、呪いの言葉が紡がれている。道沿いには、焼け落ちた家屋、崩れた壁が立ち並んでいる。ひしめき合う様々な建物は、今にも崩れ落ちそうなものばかりだった。
大将軍、ルキウス・アントニウス・スカエウォラの依頼で集まった冒険者たちは、およそ九十名にのぼる。
そのなかの八十名近い荒くれ者の冒険者をまとめ上げたのは、帝都ドミティラで活躍するレギオン狐火の団長、カーラ・フラウィア・ヴルペスだ。
狐獣人の彼女は、その卓越した指揮能力で、若いながらも冒険者たちから一目置かれる存在だった。
彼女たちは今まさに、バンパイアたちを追い詰めていた。大きな広場に大勢の冒険者が集まり、バンパイアたちと対峙している。
――――ギィン
不気味な静けさと闇を斬り割く、かん高い金属音が響く。冒険者のひとりが、バンパイアに斬りかかり、爪ではじかれたのだ。
八十名の冒険者に対するバンパイアはおよそ三十名。人数で圧倒する冒険者たちは、バンパイアの討伐にさほど時間はかからないだろうと踏んでいた。
「あんたたちっ! リリス・アップルビーはどこにいるの?」
狐獣人カーラの声が響き渡るも、バンパイアに答えるものはいない。
冒険者たちは数の少ないバンパイアを取り囲み、じわじわと追い詰めていく。
逃げ場のないバンパイアたちは、窮地に陥っているはずだ。だが、彼らの顔には驚きも恐怖もなかった。むしろ、冷静であるかのように見えた。
「ふふふっ」
「何がおかしいっ!!」
バンパイアのひとりが、我慢できないといった表情で笑い声を上げ、冒険者がいらついた声を浴びせる。
「我らは一般だ。キサマらから見れば、さして強くはないだろう。しかし、我らにはキサマらにできない能力がある」
追い詰められてひと塊になったバンパイアの目が赤く輝いた。
「う、うわあぁっ!?」
冒険者のひとりが悲鳴をあげて、尻もちをつく。突然なんだという顔で周りの冒険者が見ると、尻もちをついた冒険者の足首を、地面から生え出た手がガッシリと掴んでいた。
その手を踏み付けようとした冒険者が、つんのめって倒れる。その冒険者もまた、地面から出た手に足首を掴まれていた。
ここに居る冒険者たちは、帝都ドミティラで活躍する有名どころが集まっている。だからだろう。彼らの対応は素早かった。
次々と地面から現れる手を踏み潰し、ファイアボールで焼いていく。
だがしかし、地面から生え出る手の数は、それを上回っていた。
冒険者たちは次々と地面に転ばされ、すぐ側に生えた別の手に掴まれる。
大勢いた冒険者たちは、さほど時間もかからず、地面に伏すこととなった。
「くっ!? いったん引くよっ!!」
踏みつけても魔法を放っても、焼け石に水だと悟った狐獣人カーラ。彼女の判断は間違っていない。しかし、そのタイミングがあまりにも遅かった。
半数以上の冒険者たちが、地面から生えた手に掴まれて、身動きが取れない。
それだけなら、まだ良かった。
冒険者たちを掴む手が紫色に変化し、鋭い爪がぐんと伸びる。そしてその爪が、次々と冒険者たちを突き刺さっていった。
悲鳴をあげる冒険者たちの顔に、網の目のように血管が浮かび上がり、破裂して血が噴き出す。爪の毒は冒険者の身体をむしばみ、流れでる血は紫に変色していた。
「追い詰めたつもりだったのに……」
狐獣人カーラは顔をしかめながら声を絞り出す。バンパイアがいた場所から離れる際、仲間の冒険者たちは次々と地面から生えた手に捕まっていた。
そして、立っているのは、狐獣人カーラだけになった。
「ごめんなさい……。あたしも逃げられないと思うわ。でも、クソバンパイアのひとりくらい道連れにしてやるっ!!」
カーラは遠く離れたバンパイアに向けて、爆裂魔法を放った。
狐獣人カーラが放った爆裂魔法は、三十人のバンパイアを一瞬で焼き尽くした。瞬時に灰と化したバンパイアは、爆風と共に暗い夜空へ立ち昇ってゆく。
「ふふっ、ざまあみろ」
火柱の炎に照らされ、赤く染まった顔で笑顔になるカーラ。彼女は既に、地面から生え出た手に足首を掴まれていた。それだけではなく、幾本もの手が地面から伸びて、カーラの身体を掴んでいく。
「死ぬときって、急なんだね。心構えも何もあったもんじゃないわ。分かってたけどさ……」
カーラはかぶりを振って、押し寄せる死の予感を振り払う。しかし、足首に突き刺さる爪の感触のあと、全身に激しい痛みが走り、彼女は大声で泣き叫ぶしかなかった。
雲のない夜空から雨が落ちてくる。その水滴が地面から伸びた手に触れると、白煙を上げ始める。口の無い手が、まるで叫び声を上げているように痙攣し、地中へと逃げ帰っていく。
もうろうとする意識の中、カーラは誰かの腕に抱かれていることを感じていた。




