181 神話の英雄
帝都ドミティラの上空にて、リアムとメリルは慌ただしくコントロールパネルを操作していた。監視モニターに映し出されていたソータたちが、こつ然と消えたからだ。他の異常は一切なく、朝のインスラ地区は静かに存在していた。
「あっ!?」
「どうしたっすか?」
大声を上げたメリルに驚き、手を止めるリアム。
「ほら、ファーギが言ってた暗黒晶石に切り替えればいいんじゃないの?」
「あっ! そっすそっす!! いま切り替えます!!」
ファーギが開発した暗黒晶石は、魔石と同じような使い方ができる。要は電池代わりだ。しかしながら、その性能は魔石と桁違いなうえ、聖と邪の属性を持たせることが可能だ。
リアムが慌てて、地上を写しているカメラとモニターの動力を、暗黒晶石に切り替える。
「うわぁ……。何これ?」
「な、何すかこれ?」
モニターに映し出されたインスラ地区を見て、その異常な光景に二人はうなり声を上げる。境界となる壁の外では、朝日が差す賑やかな街並みが見えるが、インスラ地区は墨汁を垂らしたような暗闇に包まれていた。
帝都ドミティラでは、これから始まる一日の準備で、人々は大忙しだ。モニター越しに見えている光景、つまり、インスラ地区の異常に気付いているものは誰もいなかった。
「ファーギが急いで取り付けたのは、こうなることを見越してたのね」
「そっすね。さすがファーギ。ほらあそこ」
モニターを指差すリアム。そこには、ファーギを先頭にして進む、パーティーの面々が映っていた。それを確認して、操縦席には安堵の空気が漂う。
『聞こえるかリアム』
モニターの隣にある魔導通信機から、ファーギの声が聞こえてくる。
「はいっす。一体そこはなんなんすか? とりあえずファーギたちは、モニターで追えてるっす」
『それならいい。わしらの周りで何かあったら、すぐに知らせてくれ』
「了解っす!」
ファーギとの通信が終了すると、リアムはパネルを操作し始める。
「まだ早いんじゃない?」
「準備だけしとくっす」
「……それもそうね。即応できるよう、私たちも気を抜けないわ」
上空に浮かぶバンダースナッチから見下ろす映像は、まさに死者の都だった。異なる世界が目に映るのは、暗黒晶石の力によるものであり、それは魔導通信をも可能にしていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
俺はファーギたちと離れ、餌として行動している。暗くなったインスラ地区を一人で歩き回るという、単純な作戦だ。これはもちろん、リリス・アップルビーを誘き出すためである。
ミッシーやファーギたちは、今回は分散せずにひと塊になって動いてもらっている。こういった場合、ばらけると各個撃破されてしまうのがオチなので、それを避けた形だ。
「ふははははははっ!! 貴様はここに何をしに来た?」
前方に霧が集まると、突然ニンゲンが――いや、バンパイアが現れた。スキル〝霧散遁甲〟を使って来たようだ。
早速かかった獲物に、ニヤけそうになる。
「何しにって、リリス・マッスルビーに会いに来たんだけど」
「……あ?」
茶髪色白のバンパイアは、苛立って牙を剥く。こいつらリリスをイジると、過剰反応するなあ……。
「聞こえなかった? リリス・ワックスビーに会いに来たって言ったよね? リリスって、ツルツルーんって滑るの?」
「…………きさま」
マルコ・ブラッドペインと名乗ったバンパイアは、リリスと呼び捨てにしただけで激高する。今回は意図的に名前を間違ってみたが、効果は抜群だ。
目の前の名も知らぬバンパイアは、激しい怒りのせいで身体を震わせ始める。
おや……? 怒っちゃいるけど、それだけじゃない。
怒りの表情はメキメキと音を立てて、顔の形が犬のような獣へ変化していく。身体が肥大化し、内圧に耐えられなくなった服が裂ける。映画みたいですごいな。
現れた身体は灰色に変色して、生き物とは思えない色味を帯びていた。
背筋が曲がったかと思うと、背中に一対の大きな羽が現れる。まるでコウモリの被膜だ。両手両足はニンゲンとは思えないくらい長く伸び、刃物のような鋭い爪が鈍く光っていた。
こういう変身って、どんな仕組みなんだろ。細胞とかどうなっているのか興味がある。なんて見当違いの考えを追いやり、足を一歩踏み出す。
先に動いたのは俺だが、バンパイアのほうが早かった。
気付くと目の前に爪が迫っており、慌てて後ろへ飛ぶ。
バンパイアから視線を外した覚えはない。
それなのに、突然目の前に現れたという事は、俺の反応速度よりバンパイアのほうが早いという事だ。
ミッシーたちから聞いたバンパイアは、割と楽に倒せていて、脅威度は低かったはず。
しかし、このバンパイアは空を飛び、俺の目でも追えないくらい速い動きをする。
何か違いがあるはずだが、……そういえば、空を飛ぶとは聞いてなかったな。
「ふははははははっ!! 俺の速さに追いつけてないようだなっ! 反撃もできないかっ!!」
「んなこたねえよ」
こいつの速さの秘密はあとだ。抗体治療薬の球体を作って、その中にバンパイアを閉じ込める。外側に闇の血しぶきを使った障壁を張って、脱出もできないようにする。
バンパイアにしてみれば「いつの間にか突然水の中にいた」という感覚だろう。
「……ほーん」
呼吸してないな。こういった場合ニンゲンならば、口や鼻から空気が漏れ出るはずだ。突如呼吸ができなくなったことで、パニックになるかもしれない。
それなのにこのバンパイア、ただ驚いているだけで、息を吐き出したりパニックになったりしていない。
呼吸をしないって、生きたニンゲンとは言えないよな。バンパイアがニンゲンの範疇に入るのか知らんけど。
色々考えながら、閉じ込められたバンパイアを観察していると、徐々に変化が起き始める。変形した身体がヒトのそれへ戻り、色艶のある肌やニンゲンとしての顔立ちを取り戻していった。
「ごぶっ」
呼吸も取り戻したようだ。抗体治療薬の中で、ニンゲンに戻った男が溺れそうになっている。男から感じていた闇の血しぶきが消え去ると、そこには茶髪イケメンが溺れそうになっているだけとなった。
バンパイア化が完全に治ったと判断していいかな……?
ニンゲンへ戻ったと確認するために障壁を解除すると、辺り一面に抗体治療薬が流れ出す。同時に茶髪イケメンも流れでてきた。
「――――――っ!!」
素っ裸の男は、よろよろと歩きながら殴りかかってくる。そんなヘロヘロパンチで、何がしたいのか。
拳を掴んで突き放すと、大げさなくらい驚いた顔をしながら倒れる。力も弱体化して、人並に戻っているな。さしずめ、自分の非力さに驚いたって所か。
というか、言葉が解らん。さっきまでこっちの言葉を喋っていたんだけど、ニンゲンに戻った途端、不明な言語を使い始めた。
『翻訳が遅れました。彼の言葉は古典ラテン語で、現代の教会ラテン語とは随分違っています。はだかの彼は、何をした貴様、と言ってました』
『古典ラテン語……? うん、ありがとね』
クロノスとの会話を終え、地面に尻餅をついたまま、俺を睨んでいる男と向き合う。素っ裸だけど。
「あんたイタリア人か? 名前は?」
「ぐっ……、クソっ、貴様何をしたっ! 私はアルバ・ロンガの王、アスカニアスである!! そもそも貴様は何だ! アジア人風情が、私にたてつくなどあってはならない暴挙であるっ!!」
アスカニアス? アルバ・ロンガ? なに言ってんのこのヒト……。
『古典ラテン語とアスカニアスと言う名前。それに都市国家のアルバ・ロンガとなれば、彼がローマ神話に登場する伝説の人物、アスカニアスだと推測されます』
『ふぁっ!? マジで?』
『マジです』
神話の人物か……。実在していたとしても、全然知らん名前だからピンとこないな。申し訳ないけど。
しかしそうだとするなら、アスカニアスという人物はバンパイア化して、現代まで生きていた、という事になる。そのバンパイア化が解けたのなら……。
「おっ、おい!! 貴様っ!! 何をしたと聞いている! 答えろ――」
慌てふためくアスカニアスは、みるみるうちに老化していく。全身に皺が増えて皮膚がたるみ、背骨が曲がってヨボヨボのおじいちゃんになる。アスカニアスは、俺を睨んだまま力なく倒れた。
呆気ない末路だな……。バンパイアになって、ヒトの血を吸って生き長らえてきたのだ。ニンゲンに戻れば、それまで止まっていた身体の時計が一気に動き出し、早送りしたように年を取ったのだろう。
「お……、おい。助けてくれ」
アスカニアスは地べたに這いつくばり、顔も上げることができなくなった。彼の命乞いに答える義務はない。長い年月をかけて、大勢の命を奪ってきたバンパイアだし。
しかし、このまま滅んでしまっては勿体ない。長い間バンパイアだったのなら、リリスの情報もよく知っているはずだ。
「死にたくないか、アスカニアス」
「……も、もちろんだ」
だいぶ弱ってるな……。老衰で逝ってしまうまであとわずかだろう。
「あんたさ、もうバンパイアではないって自覚してるか?」
「じ、自覚している。何だ、この問答は。さっさと助けろ」
言葉じりは強いけど、弱々しくて細い声なので、迫力がないし恐くもない。
「このままだと、老衰で死んでしまうな。あー、どうしようかな~。リリスどこに居るか知ってるヒトいないかな~?」
「ぐぅぅ……。リリスは、この地を離れている。地球からの入植者を、お前たちから守るために」
「……間違いない?」
俺たちから守るためって、どういう事だ? ああ、そっか。リリスは実在する死神の幹部なので、俺を敵対視してるって事か。
「……ああ」
肯定したか……。死の淵に立たされた者が、自身の命を救うために虚言を吐くこともある。だが、アスカニアスの瞳は真実を告げているように感じた。
このまま続けると、アスカニアスにまさしく死が訪れてしまうだろう。彼を救うために神威を使いたいが、バンパイア化の影響が残っていれば、と考えると、ためらわざるを得ない。
……しかしこのままでは。うむー、ちょびっと試してみるか。
俺はほんの一瞬、神威を使った回復魔法を試みた。すると、アスカニアスの乱れた呼吸が、わずかに落ち着いた。
実験成功だ。んじゃ次いこう。魔導バッグから小瓶を取りだして、アスカニアスに一滴かける。中身はヒュギエイアの水だ。
うむむ。効果は絶大。たった一滴で老化が止まるどころか、少し若返った。神威結晶を触媒にして、回復魔法、治療魔法、解毒魔法、再生魔法、四つの効果がある水だからな。
次は一瓶まるごとアスカニアスにぶっ掛けてみる。
「おおっ!?」
アスカニアスが驚いて声を上げる。ヒュギエイアの水の効果がすぐに現れた。彼の身体が発光し、しわしわの老人から、若々しい青年へと若返ってゆく。
アスカニアスは飛び起きて、手を見て腕を見る。そして顔を下に向ける。腹から足まで、自分の目で確認し、ヒュギエイアの水の効果で若返っていることを確認していた。
その表情は憑き物が落ちたように清々しく、暗い街中でも希望に満ちた瞳が明るく輝いていた。
「アスカニアス王、あなたは、バンパイアだったときの記憶は残っていますか? 良ければ協力を仰ぎたいのですが」
「ああ、記憶は残っているさ。私は八咬鬼と呼ばれるバンパイアで、三将の一、マルコブラッド・ベインの配下だった。リリス・アップルビーから見ると、私は孫に当たる存在だ。ソータ・イタガキ、貴様の態度は気に入らんが、協力するとしよう」
アスカニアスはこの街で起きていることの詳細を話し始めた。
リリスは、この死者の都に、実在する死神の人員を大勢入植させていたそうだ。ただ、入植者をバンパイア化させていないので、とこしえの闇の世界はとても不評だったらしい。
入植者たちの反乱が起きる寸前まで治安が悪化したところで、俺たちの存在が分かり、リリスは死者の都の放棄を決断した。彼女は入植者を引き連れ、北にあるガレイア連合国へ向かったそうだ。
入植者たちをバンパイア化すれば、死者の都でも不満が出ないのでは? とアスカニアスに問うと、リリスはあくまで実在する死神としての活動を優先し、構成員に手をかけることはなかったという。
変なとこで義理堅いのな……。
そこを聞くと、アスカニアスは自信を持って答えた。リリスはバンパイアの頂点に立つ存在真祖であるが故に、配下の始祖、子爵、騎士、一般、そして落伍者に対し、常に規範となる行動を取らなければならないという。
ほむ……。
真祖だからと言って、鶴の一声で従わせるって訳じゃないんだな。
ヨシミは恋する乙女のように、リリスを盲信していた。あれはスキル〝絶対服従〟の影響か? そう考えると腑に落ちた。
スキル〝絶対服従〟で、ほぼほぼ絶対服従になるけれど、その効果が永続するわけではない。ちょいちょい上書きして、効果を持続させなきゃならないってことだ。
そんなスキルを、配下のバンパイア全てに使うわけにもいかないだろう。手間がかかってしょうがないし。
そうなると、配下のバンパイアから信頼を得るために、真祖として相応しい振る舞いをしなければならない。でなければ、バンパイアたちが序列の枠を超えて反乱を起こす可能性もある。という事か?
真祖とか始祖とか、仰々しい序列があっても、絶対では無いのだろう。
部下に突き上げられる上司かよ。
ちょっとだけ身近に感じるも、リリスは長い年月を生き抜いてきたバンパイアだ。起こりうることを思慮深く計算し、先の先を読みきった計画を持ってそうだ。油断しないでいこう。
目の前のアスカニアスは、不安げな顔で俺を見つめている。ニンゲンに戻ってしまえば、もうリリスの配下ではない。八咬鬼とか言ってたけど、そこへ戻ることも不可能だろう。
「アスカニアス王、あなたがここに留まれば、おそらく命は無いでしょう。それは分かってますよね? 行く当てはありますか?」
「私はこの世界に来て間も無い。知り合いも居なければ、住む場所も無い。……しかし、自分で何とかしよう。これもまた、私がバンパイアになって罪を犯したことに対する罰なのだろう……」
自分で何とかしようって、裸一貫でやり直すつもりか? ほんとに裸だけどさ。
インスラ地区で逃げ遅れた人々がいれば、保護して闘技場へ送ることになっている。けれど、アスカニアスの場合、この世界のニンゲンじゃないからなあ……。困ったな。どうしよう。
あっ!
『おはようございます』
『板垣くんっ!? 君はいったい何をやっているんだね? 松本総理から連絡があったけど、もう少し詳しく教えてくれないか? それと、ドラゴン大陸がすごいことになってるんだけど、見に来ないのかい? あと――――』
岩崎一翁陸将補に、念話の電話が繋がると、彼はせきを切ったように話し始めた。随分話してないので、俺の知らないところで色々と動きがあったみたいだ。
『岩崎さん落ち着いて。ちょっと保護してもらいたい人物がいるので、そっちに送ります。古典ラテン語を話すので、翻訳が必要になります。よろしくお願いしますね』
『はあ? 何を言って――』
念話の電話を切ってアスカニアスに向き直る。
「これから日本へ送ります。悪い人たちじゃないので、おとなしくしてくださいね」
俺の言葉に目を剥くアスカニアス。彼はバンパイアとして生きてきたので、現在の地球の状況も知っているはずだ。
「やはり貴様は日本人だったのか……」
「そうですよー」
陸上自衛隊統合情報部が管轄する地下施設、六義園にゲートを開き、そこに向けてアスカニアス王の尻を蹴飛ばした。




