173 捕縛
草原は未だモノクロの世界に包まれていた。だが上空とは違って、温かい風が優しく吹き抜け、草の葉がそっと揺れている。星々は輝きを増して、月は白く朧げに浮かんでいた。遠く東の空は、次第に明るさを増してゆく。
『リリスには気を付けてください』
『ああ、分かってる』
クロノスが注意喚起してくるなんて、いつ以来だろうか。俺はリリスとヨシミと対峙したまま動かない。リリスは無手、ヨシミは杖を構えている。もちろん俺も無手だが、お互いに一歩踏み出せば攻撃できる距離にある。
どれくらい対峙していたのだろうか。やがて空は明るくなり、草原は色鮮やかな色彩に染まってゆく。
「リリス様……? ソータくんが、リリス様のスキルに従ってないとは、どういう意味でしょうか?」
ヨシミは俺から目を離さず、隣に立つリリスへ話しかける。
やはり、リリスはヨシミに、スキル〝絶対服従〟のことを話していなかったようだ。
このまま内輪もめに発展するかと思いきや、リリスのひと睨みでヨシミは黙ってしまった。リリスがスキルを使ったのだろう。
次の瞬間、俺の目の前で大爆発が起きた。
ヨシミの放った爆裂魔法だ。
魔力の動きが速すぎて、障壁を張るのにギリギリのタイミングだった。
「……ほう」
リリスがそんな声を上げる。爆煙が風に流され、俺が無傷だと確認したからだ。
もう一発、ヨシミの爆裂魔法が目の前で爆発した。
それと同時に、障壁を斬り割くリリスの爪が見えた。
「む……」
俺の背後から、リリスの声が聞こえてくる。
リリスは俺の命を奪ったと思ったのだろう。しかし、俺はすでにヨシミの前に瞬間移動で移動している。
「俺が死んだとでも思ったか?」
俺は振り向かず、リリスの苛立つ息遣いに言い放つ。
ヨシミは突然現れた俺に驚いているけれど、君は霧になってたよね……? 俺はヨシミの肩に手を置いて、転移魔法を使った。行き先は宇宙空間だ。
ここならば大気の干渉がなく、直射日光を浴びせることができる。霧化して逃げることも不可能だろう。
……あ、息ができなくて苦しそう。
神威障壁で俺とヨシミを包み込み、風魔法で空気を作り出す。
「ソ、ソータくん、あなたいったい何者なの……?」
ヨシミは全身から煙を吹き出し、苦痛に声を漏らす。彼女は強力なバンパイアかもしれないが、宇宙空間での直射日光には耐えられないようだ。障壁内があっという間に煙っていくので、風魔法でどんどん浄化していく。
「ちょっと色々聞きたいことがある。おとなしく話した方が身のためだぞ」
悪人っぽいセリフだと自覚しながら、俺はヨシミを問いただしていった。
さすがのリリスも、地上から二百キロメートルの上空まで追えなかったのだろう。ヨシミと話している間、リリスは姿を見せることはなかった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
王都ハイラムへ戻ると、こっちは完全に夜が明けていた。エルミナス城の内庭では、バンパイア化を逃れた兵士たちが後片付けをしている。
俺とヨシミがそこに降り立つと、アキラとリーナ、勇者たちが駆け寄ってきた。
「ソータ! ヨシミ先生を捕まえてきたのか?」
アキラが怖い顔で詰め寄ってくる。
「ですね。また霧になって逃げられると困るので、誰か彼女を拘束できるヒトいますか?」
俺はヨシミに余計な真似をさせないために、目隠しをして時間遅延魔法陣とヒッグス粒子を使っている。これで周囲のヒトを惑わすことができなくなり、素早く動けなくなっている。霧化しようものなら、ヒッグス粒子を増やして動けなくするつもりだ。
アキラが勇者たちを紹介して、俺の自己紹介が終わる。そうすると、勇者たちの後ろから、背の低いおじさんが姿を現した。勇者たちと同じ鎧を着ていなければ、不審者だと感じるくらいおどおどしている。気が小さいのかな……?
「中村陽介です。よろしくお願いします!」
ぺこりと頭を下げた彼から、ほんの少しだけ魔力が動く。すると、ヨシミが磨りガラスのような白い立方体に閉じ込められてしまった。同時に俺が使っている魔法陣と素粒子の効果が切れた。
『時空間魔法を確認しました。あの立方体の中と外では、時間と空間が断裂しています。おそらく、脱出不可能な檻として使用したのでしょう』
『ほーん。そんな使い方があるんだ……』
『ソータは既に魔法を創造することができますので、固定観念に捕らわれず、自由な発想を持ってください!!』
『……はい』
クロノスに叱られてしまった。
内庭での立ち話もアレだという事で、俺たちは城内の大広間へと移動した。
目を見張るほど豪華な部屋に案内されたが、壁には大きな穴が開いていた。昨夜、リリスの襲撃を受けたときに、この部屋で激しい戦闘があったらしい。勇者二人が命を落とすほど壮絶な戦いだったという。ここにいるのは、生き延びた者たちだ。
席についた俺に、佐々木優希と名乗った勇者がつらつらと説明していく。あのメガネ……、神威が漏れ出てんだよなあ。
『なんだろ?』
『魔道具でしょうね~』
人工衛星を打ち上げたのは彼だろう。クロノスとの短い脳内会議を終え、佐々木の話を聞く。
王都ハイラムのバンパイアは、まだ生き残りがいるらしい。この場にはいない岡田勇率いる軍が捜索し、滅ぼして回っている最中だそうだ。万単位で現れたバンパイアを滅ぼした光魔法は、誰が使ったのか不明らしい。
罪に問われているわけではないので、わざわざ名乗り出ることでもない。だから俺は沈黙を選んだ。アキラとリーナからの視線がチクチク痛いけれど。
「ところでさ、ソータくんってどこから来たの?」
「俺は冒険者で、サンルカル王国から来ました。えっ!?」
日本語で話しかけられて、思わず日本語で返事してしまった。弥山を引っかけるときは上手くいったのに、まさか俺が引っかかるとは。
「ほほーん……、ネイティブな日本語だねぇ。大召喚術で呼ばれた勇者っぽくないし、ヨシミ先生を拘束した腕前といい、色々と疑問がつきない人物だ。ところでさ、いまの日本はどうなってる?」
俺をじっと見つめて視線を外さない佐々木。アキラの方を見ると、彼も聞きたそうにしている。室内にいる勇者たちからも、日本から来たのは分かったから、さっさと話せ、と無言の圧をかけてくる。
彼らはもうこっちの世界に地盤を作っているので、あまり患わせたくなかったのだけど、仕方がないか。
「隠すつもりはなかったんですが――」
俺はこれまでのことを端的に伝えていく。地球温暖化で、人類が滅亡に瀕している。異世界とのゲートが開き、この世界への移住計画が進んでいる。実在する死神の暗躍、デーモンの暗躍。等々だ。
話し終える頃には、お昼の時間になっていた。
勇者たちは、怒り、悲しみ、驚き、絶望、諦め、決意など、様々な感情を表に出した。だがひとつだけ彼らには共通する感情があった。それは、残してきた家族への想いである。
そんな彼らを見て、俺は日本へのゲートを繋げようかと提案したが、キッパリ断られてしまった。三十年前に消えた人物が突然現れても、残された家族は混乱するだけ、という言い分だ。
そんなもんなのだろうか……? 俺はじーちゃんが育ての親で、両親がいないし、子どももいない。だから、親の気持ちなんてさっぱり分からない、ってのが正直なところだ。
だけど、親からすれば「生きてるよ」くらい連絡が欲しいんじゃないかな?
彼ら勇者は、三十年前に行方不明になったままだ。勇者の親たちは、今でも心に傷を抱えているかもしれないから。
「今すぐって話でもないので、考えておいてください。アキラさん伝いに連絡をもらえれば、いつでも参上しますので」
そう言うと、部屋の中が少し騒がしくなった。そんな簡単に帰れるのか。いまからでも帰れるの。アキラ伝いじゃ無くて直で連絡取れないのか。等々。
やっぱ気にはなっているんだろうな……。
「ところで、さっきの女バンパイアはどうするの?」
リーナの声で、俺たちが現実に戻される。俺が日本へ帰れるなんて言ったせいで、話が逸れていた。
「ヨ、ヨシミ先生は僕が尋問するよ。佐々木、アキラ、手伝ってくれないかな?」
中村陽介が口を開いた。おどおどしているけれど、彼の時空間魔法はかなり強力だ。
佐々木が合図をすると、城の兵士が白い立方体を運び込んできた。
「……」
それに手を充てて、目を閉じる中村。時空間魔法で、中にいるヨシミと話しているのだろう。
「えらくペラペラ喋るけど、何かあったのかな……?」
中村は顎に手を充てて首を傾げる。アキラとリーナの視線が俺に突き刺さる。チラリと見ると、ヨシミに何をやったんだ、という顔で俺を見つめていた。
と言うか、俺は宇宙に連れて行ってちょっと脅しただけだ。尋問に応じろなんて言ってないぞ。
「――マジで!?」
中村の声が響き渡る。彼がヨシミから聞き出した話は、信じがたいものだった。バンパイアに堕ちたこの国の王、カルヴァン・タウンゼント・デレノアは、昨夜の光魔法によって灰となってしまったらしい。
アキラとリーナの視線が、俺の背中に槍のように突き刺さる。アキラがルイーズから受けた依頼は、カルヴァン・タウンゼント・デレノアの暗殺だ。俺がそれをやってしまったことになる。
「……」
アキラが俺をガン見しながら、無言で近付いてくる。そして俺の両肩を掴んだ。
「結果よければ全てよし!! だろ?」
口元をひくつかせながら、アキラが言い放った。俺とリーナ、三浦たち以外は、何のことだか分かっていない。
「で、ですよねー。お、俺はお口にチャックしておきます」
とりあえず目を逸らしながら、アキラに同意しておく。ルイーズに知れたら、難癖付けられそうだし、だまっておくに超したことはない。
「お前はどうするつもりだ?」
ヴィスコンティ伯爵邸に向かうと、ここで口にしない方が良さそうだ。アキラの口ぶりから何となく察することができる。
「一旦ファーギたちと合流します」
「そうか。俺とリーナもあとで向かうよ」
「了解です」
リリスの行き先はだいたい分かった。奴を追う前にルイーズから情報を得ておきたい。ヨシミのことは勇者に任せ、俺はエルミナス城を後にした。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
デレノア王国の北西に隣接するルーベス帝国。その中心には、白亜の城壁に囲まれた人口百万人を超える帝都ドミティラがある。
この大都市ではリリス・アップルビーが地球からの入植者を密かに集め、五年前からバンパイアのコミュニティを作っていた。ただし、リリスは実在する死神として活動しているので、彼女の眷属によるバンパイアの騒ぎはない。逆にリリスの眷属が、秩序を守っているのだ。
そんな中、帝都ドミティラの宮殿で、会議が行なわれていた。女帝フラウィア・ドミティラ・ネロの前に集っているのは大将軍、宰相、大司祭、財務官、大法官の五名である。
「バンパイア件はどうなった?」
女帝フラウィアが大将軍に尋ねる。執務室のテーブルは重苦しい空気で悲鳴をあげている。
彼女は夫であり皇帝だったアウレリウス・ルキウス・ネロの死後、帝位を継いだ。アウレリウス・ルキウス・ネロが死んだのはバンパイアの仕業だった。
「はっ、昨晩アジトを襲撃しましたが、取り逃がしたと報告を受けております」
大将軍のルキウス・アントニウス・スカエウォラが、申し訳なさそうに頭を下げる。
「そうか……。神威結晶はどうなっている?」
「えーっと……、昨晩のお祈りで、女神ルサルカ様からもらった神威結晶はこんだけあるよっ!」
大司祭のルキア・クラウディア・オクタウィアが、布袋に入った神威結晶をテーブルの上に乗せる。口を閉じていなかったため、小指の先ほどの大きさの神威結晶がテーブルの上に広がった。
「かなり多いな……。でかしたぞ」
女帝ドミティラが感嘆の声を上げる。そしてその瞳は、復讐の炎で燃えさかっていた。ドミティラは神威結晶から目を離さず手を叩く。するとひとりの男がドアから入ってきた。
「紹介しよう。今回のバンパイア対策で、こやつを雇った」
ドミティラが招き入れたのは、団子っ鼻の男。
「皆様初めまして。ロイス・クレイトンと申します」
奴隷商人はいい笑顔でサムズアップした。




