172 バンパイア逃走中
灰から蘇った真祖リリス・アップルビー。彼女はゆっくりとあたりを見渡し、目にも留まらない速さで駆け抜けた。
「えっ――」
勇者の一人が声を上げる。その首に一筋の赤い線が走った。
――ベシャリ
次の瞬間、勇者の首が落ちた。
リリスの長い爪が斬ったのだ。
彼女は噴水のように噴き上がる鮮血を浴び、恍惚とした表情を浮かべる。鮮血を身体に塗りたくり、顔にかかった血を舌で舐め取る。その姿は、美しくもおぞましかった。
勇者たちに戦慄が走った。いち早く動いたのはアキラだった。彼はスキルを使い、リリスの目の前に現れた。
――――ギィィン
アキラの剣が、リリスの爪に阻まれる。その音で我に返ったのか、勇者たちは次々とリリスに挑んでいく。
佐々木の神威煌刃、岡田の短槍、三浦の剣、リーナの魔弓銃エンヴィー、様々な攻撃がリリスに迫り来る。
しかし全ての攻撃が空を切った。リリスが霧散してしまったのだ。
城の内庭が静寂に包まれる。次の瞬間、闇がはじけ飛び、月明かりが戻った。
「逃げた……? もう一人のバンパイアもいなくなってんじゃん……」
リーナがぽつりと呟く。血に染まって倒れたはずのヨシミは、どこにもいなかった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
空を飛びながらアキラたちの姿を探していた俺は、突然天から降り注いだ白い光の柱に目を奪われた。驚きのあまり、俺は夜空へと急上昇する。半径百キロメートルに及ぶ神威障壁はまだ解除していないのに、光の柱はそれを超える高さから降ってきていた。神威障壁にはきれいに穴が開いている。
瞬間移動で神威障壁の外へ出て、更に上昇していく。
これは一体……、人工衛星か? おまけにこの神聖な雰囲気は、神威結晶を使ってんのか……。
目の前に浮かぶ物体は、不自然な形をした人工物であり、静止軌道上にぽっかりと浮かんでいる。この人工衛星が神威結晶を使って光を放ったのなら、それが神威障壁に穴を開けるのは何となく分かる。
だが、ここは地上から二百キロメートル以上も離れた位置にある。誰がどうやって、人工衛星なんて打ち上げたんだ……。
勇者しか考えられないなあ。
それはつまり、人工衛星を作り上げて静止軌道に投入できる技術、神威結晶を自在に操れる技術、様々な高度な技術を持つ勇者が存在することを意味する。
そう考えると、神威結晶をどうやって見つけ出したのか、という疑問が湧いてくる。
だが、それらは些細な問題だ。アキラや三浦たち以外の勇者は悪党ばかりだと思っていたが、神聖な神威結晶を扱える者がいると分かった。
そもそも王都ハイラムのバンパイアは、神威を使った光魔法で滅んだという事実がある。それを見た勇者が、この人工衛星を使ったのだろう。
アキラたちと合流して、聞いてみるか。
転移魔法を使って、王都ハイラムの上空へ戻る。空から街を見下ろすと、人影はまばらだった。生き残った人々は、家に引きこもっているのだろう。
エルミナス城の上空に到着すると、内庭にアキラたち勇者の姿が見えた。誰かを探しているみたいだが……。
あれか。
霧のようなものが二つ、凄い速さで城壁から離れていく。
「とっ捕まえたほうがいいかな。……あ、そういえばあの霧、ダンジョンの壁をすり抜けてたな」
神威障壁に閉じ込めようかと思ったけれど、すり抜けられてしまう可能性もあるか。よし、少し様子を見よう。
俺は霧を追って飛び始めた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
街中のバンパイアが滅んでしまったことで、生き延びた人々が外の様子を見るために家から出てきている。深夜にもかかわらず、大通りに面した商店街では、店主たちが店を開け始めていた。
「大聖堂からもらった聖水、こいつは女神ルサルカ様の加護付きだー! バンパイア退治に役立つから、無料で配るぞー!!」
雑貨屋の店主が大声を上げると、多くの人々が集まってきた。店主は聖水が入った小瓶を次々に渡していく。
そこへ迫り来る白い霧が二つあった。それは商店街の人々を縫うように進み、突如二人の女性――リリスとヨシミに変化した。
「ひっ!?」
それを目の当たりにした街の男性が短い悲鳴を上げた。白いドレス姿のリリスと、首から血を流すヨシミ。ふたりの赤い瞳が爛々と輝き、口元から牙が光っている。その異様な光景を見て、街の人々は一斉に逃げ出し始めた。
「ヨシミ、いまのうちに回復してきなさい」
「はい。お手を煩わせて申し訳ありません」
尊大な態度のリリスに恭しく従うヨシミ。彼女は赤い目を輝かせ、逃げまどう人々に襲いかかった。
ヨシミは男の肩に手を置き、力強く引寄せる。
「くふっ……」
恐怖に歪んだ男の顔を見て、ヨシミは恍惚とした表情を浮かべる。口を大きく開けると、無数に生えた茶色い乱ぐい歯が見えた。彼女の口は耳まで裂け、あり得ないほどのよだれが滴っていた。
ヨシミは勢いよく男の首筋に咬み付こうとした。
――ドン
しかし、男の目の前でヨシミが消え去った。その男は理由も分からず、脱兎のごとく逃げ出した。。その後には、石畳に広がる黒い血と、押し潰された肉塊が残っている。その中心には、上から鉄の玉でも落としたかのような窪みができていた。
次の瞬間、血と肉塊が消え、霧と化す。それは人の形へと変化し、ヨシミの姿へと戻った。
――ガフッ!?
血反吐を吐くヨシミ。少なくないダメージを受けているようだ。彼女は、身体をくの字に曲げて苦しむ。
「いったい何が……」
白い顔が黒い血で染まり、赤い瞳で周りを見渡すヨシミ。何らかの攻撃を受けたのは確実だ。しかし視界に入るのは、逃げまどう人々だけ。
「何かいるわ。気を付けなさい……」
リリスはヨシミの元へ駆け寄って声をかけた。
――ドン
リリスが右手を上げ、透明な何かを防いだ。彼女はその衝撃で、腰辺りまで地面に埋まっている。ヨシミは防ぐことができずに、頭から血を流して倒れた。
「リ、リリス様……」
ヨシミは意識がもうろうとしているのか、焦点が定まっていない。
「これは念動力ね。ヨシミ〝霧散遁甲〟を使いなさい。一旦退却しましょう」
「は、はい」
その声で、リリスとヨシミは霧と化する。その直後、石畳が丸く凹み、辺りに鈍い音が響いた。
そのあと、半透明の球体が現れ、リリスとヨシミの霧を閉じ込めた。しかし何も効果が無かったようだ。霧は半透明の球体をするりと抜け出し、ものすごい速さで移動を始めた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
俺は王都ハイラムの上空二千メートル付近から、バンパイアの二人に攻撃を仕掛けた。実体化していれば、念動力での攻撃は有効だったが、霧になると突然手応えが無くなった。慌てて神威障壁に閉じ込めてみたけど、それも無駄だった。
こんな上空から夜の街を移動する白い霧を追えているのは、俺の視界をクロノスが望遠レンズのように拡大しているからだ。
白い霧は、王都ハイラムを出て、街道を西へ進み始めた。
『解析が完了しました。あれはスキル〝霧散遁甲〟です。改良して最適化が完了。いつでも霧に変化できます』
『やっぱスキルかぁ。さんきゅー』
『どういたしまして~』
さっきの会話から、白いドレスを着た方がリリス・アップルビーだと分かった。
霧の状態でも魔力量の差は歴然としていた。リリスの霧は圧倒的な魔力を放っていたが、もうひとつの霧はアキラたち勇者と同程度だった。リリスに様と呼びかけていたことから、彼女が配下であることが分かる。アキラや三浦の話からすると、首から血を流していた方が、磯江良美だと分かる。
『しかし、めちゃくちゃ速いな、あのバンパイアたち』
『そうですね~。何らかのスキルですが、解析に時間がかかっています』
山を越え谷を越えクロノスとの会話にふけりながら空を翔けていると、神威障壁の果てが見えてきた。バンパイアの二人はそれを物ともせずにすり抜け、更に速度を上げていく。
神威障壁が意味を成さないことはハッキリした。俺は神威障壁を解除して、速度を上げた。どこまで逃げるつもりなのか知らないけれど、ここまで来たのなら徹底的に追いかけてやる。
「むおっ!?」
ひとつ霧が消えたと思ったら、俺の目の前にリリスが現われた。反射的に急停止してしまい、リリスと対峙することとなった。
「はじめまして。私はリリス・アップルビーと申します」
金色の髪を風になびかせ、礼儀正しく頭を下げる吸血鬼。その身から溢れる黒く淀んだ空気が無ければ、俺もちゃんとあいさつを返したと思う。
「……」
「失礼ですが、あなたが私の眷属を滅ぼした方でしょうか?」
「……たぶんね」
俺の言葉で、リリスの態度が一変し、傲慢な口調に変わってしまった。
「……ウソをつくな。貴様からは、ほとんど魔力を感じないのに、そんな事出来るはずが無いだろう? 眷属を滅ぼしたのが誰か知っているのなら、早いうちに喋った方が身のためだ。いまなら貴様を眷属にしてやる――」
あ、勘違いされてらっしゃる。俺は保有する魔力を隠してるからなあ。魔力だけじゃない、神威や冥導、それにアイテールまでたれ流しにしていたら、誰も俺をニンゲンだと思ってくれなくなるし。
「……なに?」
思わずそんな声が漏れ出た。眷属にしてやる、のくだりで、彼女の動きが止まっているからだ。正確には、リリスが俺の目を見つめて、何かのスキルを使っているように感じる。
俺の聞き返した言葉が予想外だったのか、リリスは驚いた表情を浮かべている。
『解析と改善が完了しました。スキル〝絶対服従〟は、リリス・アップルビーの固有スキルです。効果は対象人物を絶対服従状態にする、大変危険なものです。ソータがバンパイア化すれば使用可能ですが――』
『使用しませんっ! てか阻んでくれたんだよね? さんきゅー』
『……どういたしまして~』
リリスのスキル〝絶対服従〟は、俺を屈服させるために一段階強くなった。よし、スキルにかかった振りをしよう。
俺は一流俳優、俺は一流俳優、俺は――。
俺はぼんやりした顔を作り、リリスに笑顔を向ける。
「……よろしい」
そう言ったリリスは俺の両肩を掴み、口を大きく開けて首筋に食らいつこうとした。しめしめ、リキッドナノマシンを飲んだら、どんな顔するのかな、なんて思っていると、俺の背後から声が掛かった。
「リリス様、その男は何者でしょうか……? 姿形を見ると、日本人のように見えますが……」
「ヨシミ、何が言いたい?」
「いえ、その年齢の日本人がこの世界にいるという事は、北のアリウス部族連合国、あるいは南のゼノア教国が呼び出した勇者の可能性があります」
ヨシミの見当違いがすごい。森のダンジョンで追いかけていたとき、俺の顔を確認してないのも詰めが甘い。
しかし俺が勇者だと? そういえば、アキラも勘違いしてたな。ハマン大陸には、この世界と地球がゲートで繋がっているという情報が無いのか。そして、リリスはその情報を隠しているって事だ。
リリスは俺の肩を掴んだまま、背後にいるヨシミと話し始めた。
「勇者、……かも知れないわね。それならなおさら、このニンゲンを眷属にしておいた方がいい。ヨシミ、あなたはデレノア王国の勇者を、私の眷属にしたくないのでしょう?」
「……ええ。そうですね」
「それよりもヨシミ……。あなたは何故、王都ハイラムをバンパイアまみれにしたのかしら?」
「……すみません。マラフ共和国へ攻め込む予定が大きく狂ってしまい、ソータなる人物を誘き出すために――――」
「ソータ・イタガキはこの子よ?」
「えっ!?」
リリスとヨシミは、俺が支配下にあると思っている。リリスの言葉で、ヨシミが俺に牙を剥いた。しかし、リリスに諭されて、すぐにおとなしくなった。おそらくスキル〝絶対服従〟を使ったのだろう。
しかし、うーむ。……隙だらけだし、二人とも捕獲できるか試してみよう。
『ちょっと待ってください』
『ほい? どしたんクロノス』
『解析と改良が終了しました。リリス・アップルビーから溢れ出ている黒い瘴気は、アイテールと似た素粒子です。これまで通り、魔法に応用できるようになりました』
またしても新たな素粒子の発見か。これまでの標準理論だと、素粒子は十七種類しかないとされていた。しかし、地球には魔素という隠された存在があったため、その枠組みは崩れてしまった。
標準理論に基づく実験では、矛盾のない結果が得られている。しかし、重力や暗黒物質を説明できないため、元から不完全な理論なのだ。
『どんな素粒子なの?』
『生命力をエネルギー変換する素粒子なので、闇の血しぶきとでも名付けましょうか。リリスがバンパイアの真祖であるのなら、ぴったりのネーミングだと思いませんか?』
ぐぬぬぬ……。アイテール化して俺とクロノスは一体化している。その影響が悪い方向で出てしまったみたいだ。
『素粒子の名前に、闇の血しぶきって、黒歴史をほじくり返される気がして、ムズムズするんだけど?』
『かっこいいじゃないですかっ!』
『あー、うん。かっこいいねー。呼び名はそれにしようかー』
変える気は無さそうだ。
『へへへ、ありがと~』
しかし、闇の血しぶきを使った魔法かあ。冥導のときよりもヤバい気がするから、使うのは実験してからだな。
俺がクロノスと会話しているうちに、リリスとヨシミの会話も終わったようだ。リリスが俺の手を引いて空を移動し始める。
「リリス様っ!? 私がこやつを連れて行きます!!」
ヨシミがリリスと俺の間に割って入り、手を引き剥がす。そしてヨシミがが俺の手を引き始めた。何か嫉妬している風にみえる。一ミリも理解出来ないな。
だからと言って抵抗するわけにもいかない。俺はヨシミに手を引かれ、夜の空を移動し始めた。
ルイーズ・アン・ヴィスコンティからの依頼は、リリス・アップルビーを葬ることだ。そしてアラスカの件を考えると、リリスとエリスが何らかのつながりを持っていることは明らかだ。
それゆえに、俺は考えを切り替えた。彼女たちに同行し、少しでも情報を掴んだ方が得策だと。
リリスが進む方向は、次第に北へと変わっていった。東の空は、徐々に明るくなっていく。不思議なことにバンパイアの二人は、太陽の光を恐れていない。
どうしてだろうか。空を翔る彼女たちの姿は、美しくも儚げに見えた。
「どうしたの、ソータくん?」
俺の視線に気付いたヨシミが声をかけてきた。さっきまでプリプリ怒っていたのに、リリスのひと睨みで収まっている。あのスキルのヤバさが際立つ変わり様だ。
「俺は仲間にしてくれないんですか?」
咬まないのかと聞いてみると、ヨシミは笑い始めた。ひとしきり笑った後、彼女は言う。
「ソータくん、あなたはもう仲間よ。リリス様の魅力で、虜になっているでしょ?」
「はあ……。んじゃ、今はどこへ向かってるんですか?」
「リリス様のお膝元、ルーベス帝国よっ!」
ヨシミはリリスのスキル〝絶対服従〟を知らないみたいだ。自分自身に使われていることも。操り人形とまではいかなくても、ここまで盲信するくらい強力なスキルだから、わざわざ俺を咬む必要は無いのだろう。
目先の情報である行き先は分かったし、どうしようかと考え事をしながら飛んでいると、高度が下がり始めた。町や村があるわけでも無く、所々に岩があるだだっ広い草原だ。
三人でそこに降り立つと、リリスが口を開いた。
「ソータとやら、貴様が私のスキルに従っていないことは丸分かりだ。稽古もしない大根役者が、私を騙せるとでも思ったのか?」
美しくておぞましい笑顔を浮かべるリリスに、俺の視線は釘付けになった。心を奪われそうな程に。
――――スキルか!? あっぶね!? 俺は思わず飛び退いた。
ああ、誰だよ、俺が一流の役者とか言ったのは。




