171 淵源の吸血鬼
エルミナス城に突然現れたリリス・アップルビー。彼女は勇者のひとりの生命力を奪った。アキラたちの目の前で、勇者は一瞬にして干からびて崩れ去った。
だが、アキラとリーナは機転を利かせ、ヒュギエイアの水をリリスに浴びせかけた。
そのせいでリリスの身体は溶岩のように赤く変色し、その痛みに体を捩じった。黒い岩のように硬くなった肌が剥がれ落ち、彼女は次第に弱体化していく。
エルミナス城の地下深くに潜むリリスは、ソータの光魔法によって大きなダメージを被っていた。その回復を目論んで勇者たちに襲いかかるも、さらなる苦痛を背負わされることとなった。
王都ハイラムを蹂躙したヴァンパイアの姿は、跡形もなく消え去ったように見えた。しかし、瀕死の状況ながらも、リリスは生きていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
月明かりがエルミナス城を包み込み、かすかな輝きを放つ。王都ハイラムに人影はなく、静寂が支配していた。
城内の庭園にも静けさが漂い、人の気配は感じられない。
突如城の片隅で大爆発が起こり、石片や土煙が空高く舞い上がった。
その土煙から飛び出してきたのは、神々の間に生まれた淵源の吸血鬼、リリス・アップルビーである。彼女の姿は、月明かりに照らされたエルミナス城の美しい姿とは対照的に、恐ろしい様相を呈していた。
リリスの顔はヒュギエイアの水を浴びせられたおかげで赤く焼け爛れている。瞳は真っ赤に輝き、その中には光る無数の虫が入っているように見えた。そんな彼女は闇に潜むおぞましい魔物のごとく黒い瘴気を身にまとっていた。
リリスは空中に浮かびながら、土煙に向けて真っ赤な瞳を光らせる。そして静かな口調で怒りを滲ませて言った。
「その水をどこで……?」
「言うわけねえだろ、アホかテメエ」
土煙の中から現れたアキラ。彼は臆することなくリリスと対峙する。背後からリーナや岡田たち勇者も姿を現した。彼らは素早く動いて、リリスを逃さないように取り囲んでいく。
アキラは魔剣ラースを構え、リーナは魔弓銃エンヴィーで狙いを定める。
岡田や三浦たち勇者も各々の武器を構えた。
アキラたちが一斉に攻撃しようとしたその時、リリスがまとう雰囲気が一変した。その邪悪な気配によって、リリスの周囲の者たち全員がたたらを踏む。
「ああ、愚かな勇者たちよ、私を滅ぼせるとでも思ったのか? それくらいの武器で、どうにかできるとでも思ったのか?」
ヒュギエイアの水が掛かった箇所の肌はすでに剥げ落ちていた。その下は真っ白で滑らかな素肌となって完治していた。宙に浮かんだままのリリスは、不敵な笑みを浮かべている。
その姿は夜空に輝く月のように美しく、しかし絶望するほどの恐ろしい気配を放っていた。
「焼けたドレスまで元に戻るって、どういう理屈だよ……。全力で叩くぞっ!!」
アキラの怒号が空を震わせる。その声は物理的な圧力をもって、リリスを一瞬ひるませた。それを機に、勇者たちが一斉に襲いかかった。
リリスの全方位から、剣と槍、魔導銃と弓、様々な死が迫り来る。
しかし次の瞬間、リリスを中心に発生した衝撃波で、アキラたちは吹き飛ばされてしまった。城壁に叩きつけられる者。庭園の木をへし折って飛んでいく者。アキラとリーナを含めた勇者たちは、一瞬で半数以上が意識を失った。
その中でひとりだけ、衝撃波に飛ばされていない者がいた。
「げほっ……。お前だけどうして……?」
アキラは驚いた顔で問いかけた。彼らは障壁を張る間もなく吹き飛ばされたというのに。
アキラは城壁に叩きつけられて内臓にダメージを受けたのか、吐血しながら立ち上がる。そして腰の魔導バッグからヒュギエイアの水が入った小瓶を取り出して、一気に飲み干した。
「障壁張ったからに決まってんじゃん?」
リリスから目を離さず、事もなさげに言う佐々木優希。勇者なのにメガネをかけた彼は、リョウタの魔導銃を作った人物だ。そして、召喚された当初、中学生の頃から彼の性格が変わってしまっていることを、アキラは知らなかった。
「面白そうな奴がいますね……。貴様、名乗れ」
アキラと佐々木のやり取りを見ていたリリスが声をかける。
「おっかないねぇ。名前言ったら操られちゃうパターン? てかさ、あんたこそ誰?」
そう言った佐々木は、右手に持つ魔導銃でリリスに狙いを定める。
「何を無駄なことを。……貴様、何をしている?」
佐々木はリリスから狙いを外し、魔導銃を夜空に向けたのだ。
――ドン
魔導銃が火を吹き、魔力のエネルギー弾が撃ち出される。
リリスの赤い瞳が、チラリと弾道を追った。
「ぐああぁぁっ!?」
その声はリリス。彼女はへその辺りから、輪斬りにされていた。
やったのは佐々木だ。魔導銃から吹き出す白い閃光が剣となっている。彼がリリスの脇を駆け抜けた速さは目で追えるものではなかった。
リリスは佐々木のフェイントにまんまと引っかかったのだ。
「おのれっ!!」
憤怒の声を上げるリリス。彼女は上半身が離れないように両手で腰を固定すると、驚くべき速さで傷が癒え、胴体がつながり、再び元通りとなった。そして、切り裂かれたドレスまで元に戻るという、理不尽な光景が見られた。
「神威結晶を使った神威煌刃でも死なないとか、あんた人外すぎんだろ……。おーいアキラ、さっきの水は、たくさん持ってるか? いまのうちにぶっ掛けて倒しちまおう――っと!?」
佐々木がアキラに声をかけたその時、リリスの反撃が始まった。
リリスは空気を切り裂くような音を立てて、佐々木の前に現れた。
彼女の長く鋭い爪が、佐々木の胸を斬りつける。
佐々木も負けていない。白く輝く神威の剣で爪を受け止めた。
火花が散り、白い稲妻が走る。
目にも留まらぬ速さで、佐々木の剣とリリスの爪が交錯していく。
佐々木の剣は、神威結晶のエネルギーを連続で放射している。
だがリリスはそれをものともせず、攻撃を続ける。彼女は冷酷な笑みを浮かべ、佐々木を追い詰めていく。
佐々木はリリスの爪をさばくので精一杯なのか、少しずつ後退し始めた。
佐々木とリリスは、アキラたち勇者から離れていく。
「なかなか強えな。ほれっ!」
佐々木がヒュギエイアの水を取り出して、リリスに浴びせた。彼はどうやら、精一杯の振りをしているだけのようだ。
「くっ!! 貴様っ!!」
大ダメージを与えるような水の量ではない。
数滴かかる程度では、リリスへのダメージは微々たるものだ。
しかし、リリスを苛立たせるには十分の量である。
「アキラちゃん……? 手助けしなくていいの?」
リーナがそばに来て聞いた。彼女も吹き飛ばされていたが、ヒュギエイアの水を飲んで回復済みだ。
「……」
アキラはリーナの瞳を見つめ、無言で首を振る。それは、黙っていろ、という合図だ。アキラは佐々木が何か企んでいると感じ取っているのだろう。
「……そういえば」
リーナは辺りを見渡す。まだ気を失ったままの勇者もいるが、起きて回復済みの勇者たちは、佐々木を助けに行こうとしない。彼らも何かを察している。
佐々木とリリスは、すでに庭園のまん中まで移動していた。
「これで最後っと!!」
佐々木はヒュギエイアの水を一瓶丸ごとリリスに浴びせかけた。
「ぐあっ!?」
リリスが両手で顔を覆う。ヒュギエイアの水は彼女の目に入ったのだ。
斬るならいま。
そんなタイミングで、佐々木の姿がかき消えた。
「よっしゃ、あのつよつよバンパイアを滅ぼすぞ」
佐々木はアキラたちの近くに姿を見せ、夜空を仰ぎながら言う。
すると天から一筋の光が舞い降り、リリスを中心に直径十メートルほどの円を描いた。
「ぎいゃあぁあぁぁぁぁ!!」
リリスはその光に身を焼かれ、悲鳴を轟かせた。全身が炎に包まれ、次第に炭化してゆく。
その光は佐々木が打ち上げた人工衛星、神の目からの攻撃だ。元々は対デーモン用の兵器として創られた。それは、王都ハイラムのはるか上空の静止軌道にあり、現在も稼働中である。
「なっ!? ……んだ、あれは」
「秘密だ」
驚きの声を上げるアキラに、つれない態度の佐々木。彼はこの世界に来て、スキル〝創造〟が発現し、様々なものが創れるようになった。彼が世に送り出している魔道具は、このスキルによるものである。
その気になれば、完成品の自動車を創り出すことができるという、とんでもチートスキルだ。佐々木はそのスキルを使い、噂で聞いた神威結晶をも生み出していた。
王都ハイラムのはるか上空の静止軌道にある人工衛星は、神威結晶を動力源にしている。
リリスは既に木炭のようになって、声を上げることも、動くこともできない。それでも光の柱は消えない。佐々木はここでリリスにとどめを刺すつもりだ。
城の庭園に黒煙と焦げ付く臭いが漂う。そよ風が吹くと、リリスの形をした炭が崩れ落ちていく。
「油断するなよ……。あのバンパイア、普通じゃないだろ?」
アキラたちのそばに来た岡田が声をかける。他の勇者たちも全員目を覚まし、リーナが配ったヒュギエイアの水で完全回復していた。集まった勇者たちは光の柱を遠巻きに見守り、リリスが滅ぶことを願った。
城の庭全体が、まるで昼間のように明るく照らされている。その光は当然、影を生み出す。庭の木が作った影から、白い霧がにじみ出してきた。
その霧は徐々にヒトの形を取り始め、磯江良美へと変化した。彼女はリリスの眷属であり、リリスに忠誠を誓っている。それがリリスによるまやかしだとしても。
一方で、佐々木は光の柱の中に入り、崩れた炭が激しい炎を上げて燃え尽きてゆく様子をじっと観察していた。
「こんなもんかな……?」
炭が燃え尽きて灰に変わると、佐々木は天から降りそそぐ光の柱を停止させた。
雨上がりの庭に、灰が滲んでいく。
そよ風が吹いた。
――――ギィィン
アキラの剣と、ヨシミの剣が交わった。
「ぬおおっ!?」
咄嗟に剣を抜いたものの、アキラの体勢は不十分で、ヨシミの剣に押された。彼女が持つ剣は、魔剣紅烏流刃。リリスから賜ったものである。
その魔剣は、血に染まったカラスのように黒く光り、血を吸うことで力を増す特性を持っていた。
彼女は鎧も身につけていた。その鎧は、黒と赤の色で飾られ、火の魔法に対する耐性を高めるという効果がある。その鎧を着ることで、自分の魔法の反動や敵の炎に備えているのだ。
「ヨシミ先生、あんた剣なんて使えなかっただろ……?」
剣の腕前はアキラの方が上である。対してヨシミの方は、魔法使いよりだ。二十年前も、杖で魔法の効果を高めていた。
ヨシミはアキラの声を無視して、力任せに剣を振るう。その力は凄まじく、アキラは受け流すことで精一杯となっていた。
だが、ここに居るのはアキラだけではない。
「アキラ、そのままそのまま!」
岡田からそんな声が飛んだ。その傍らでは、佐々木がメガネ越しに夜空を見つめている。
ヨシミが振るう力任せの剣を必死に耐えているアキラ。そこに天から一筋の光が差し込んだ。
「よし」
佐々木の声がすると、アキラが天からの光に包まれた。神の目からの攻撃だ。アキラ以外の勇者たちは、この光で多くのデーモンを滅ぼしてきた。その実績は揺るぎない自信として存在している。
しかし、ヨシミもまた、神の目を何度も見てきている。
アキラと自分自身が光に包まれた瞬間、彼女は霧と化した。
「くそっ! どこへ逃げやがった!?」
アキラは怒号を発しながらも、城壁へ向かって行く白い霧を見つけた。
「そこかっ!!」
アキラはスキル〝声〟を霧に浴びせ、追加で〝身体強化〟〝加速〟〝超加速〟も使う。彼は瞬時に音速を突破し、魔剣ラースで霧を斬った。
「……手応え無し?」
剣を振り下ろして、不審な顔をするアキラ。残心をしている最中に、アキラはハッとして表情が変わった。魔剣ラースは、アキラの怒りに比例して能力が上がってゆく。
アキラは妻の敵を討ち、娘たちと会えた。そのことで、長年とぐろを巻いていた怒りが消え去っている。完全に満たされたわけではない。しかし、以前のように怒りによる能力の向上は、もはや望むことはできなくなっていた。
――――ギイィ
アキラの背後で剣戟が響く。振り返ってみると、ヨシミの剣が岡田の短槍をはじき飛ばすところだった。他の勇者たちも攻撃を開始するも、霧と化すヨシミにダメージを与えることは叶わなかった。
そんな中、一本の矢が霧に突き刺さった。本来ならあり得ない光景だ。しかし、リーナの持つ魔弓銃エンヴィーの矢は、あり得ない事を成し遂げた。
「ぐっ!?」
背中に矢が突き刺さった状態で実体化するヨシミ。その隙を勇者たちは逃さなかった。彼女は四方八方から攻撃され、黒い血を流す。一般的なニンゲンであれば、即死するだけの攻撃だ。
しかしそれでもヨシミは倒れなかった。槍を引き抜き、剣を掴む。彼女はバラバラと落ちる指を気にせず、よろよろと歩き始めた。
それを見た岡田が声をかける。
「ヨシミせんせー? あんたの悪事はもう分かってんだ。これまでの付き合いもあるし、ひと思いに逝かせてやる。おとなしく――っ!? おいっ! 何やってんだ?」
ヨシミは魔剣紅烏流刃を首に当てる。
自らの命を絶とうとしているのか。
そして次の瞬間、彼女は自らの剣で首を斬り割いた。
「自害するとは……」
呆れた声を出す岡田。他の勇者たちも似たような反応である。
首から黒い血を吹き出しながら、よろよろと歩いて行くヨシミ。
「岡田……。ヨシミ先生がバンパイア化してるなら、首を斬ったくらいで死なないんじゃね? 神の目食らわせとくか?」
ヨシミにとどめを刺そうとする佐々木の声で、ハッとする岡田。
「おいっ! あいつを止めなきゃ――――」
ヨシミは既に、リリスが朽ちた灰の近くまで進んでいた。
庭の芝生にボタボタと血が落ちる。それはリリス・アップルビーの灰の上。
すると突然、月明かりが消え、城の内庭が闇に包まれた。
勇者たちが慌てて魔導ランプを取り出すと、その明かりの先に悠然と立ち上がるリリス・アップルビーの姿が目に写った。




