168 デイ・ウォーカー
尖塔の頂上に腰掛けて、欠伸をひとつする磯江良美。彼女の視界には、炎と煙と血で染まった地獄絵図が広がっていたが、もはやそれに驚きも興奮も感じてはいない様子だ。
「だいぶん落伍者が多いけど、制御に失敗しちゃったのかな?」
「はい、申し訳ありません」
ヨシミの隣で佇むのは、国王カルヴァン・タウンゼント・デレノア。六十代半ばという年齢を感じさせないほど、バンパイア化によって若々しく美しい顔をしている。その美貌は、ニンゲンとは一線を画す異形の者であると物語っていた。
身体は引き締まって細身だが、勇者を凌駕する力と速さを備えている。黒を基調とした服は、彼の気品と神秘を際立たせていた。
神と神の間に生まれた子、淵源の吸血鬼リリス・アップルビーの子である磯江良美。
彼女は、勇者の力に加え、リリス・アップルビーの力を受け継いでいる。
王もまた、リリス・アップルビーの孫として、その力の一端を受け継いでいるのだ。
ヨシミは強大なバンパイアを次々と生み出し、勇者たちとの均衡を崩していた。長年連れ添ってきた生徒たちは恐怖に震え、一部を除いて彼女と距離を取り始めていた。
「失敗したならそれでもいい。劣化したバンパイアは、太陽が昇れば灰になるわ。あたしの孫くらいまでなら、夜が明けても生き残れるかしら?」
「ひ孫くらいまでなら日の光でも、なんとか耐えると思います。それ以降で知能が残っている者は、闇に潜ませておきますので。……その後は予定通り、ハマン大陸の掌握のため、……各国へ散るように指示しています」
三十年前の勇者たちは、自制心が未熟でまだ若すぎた。それを導いたのが、生徒たちよりも力に酔いしれた磯江良美と、クラス委員長の岡田勇である。
彼女たち二人は率先してデレノア王国に協力し、デーモンが発生した国を次々に滅ぼした。しかしそれは始まりに過ぎなかった。
国王カルヴァン・タウンゼント・デレノアは勇者の力を此処ぞとばかりに使った。彼の命により、勇者たちはデーモンが発生していない国々まで滅ぼし、デレノア王国はその版図を広げていった。
しかしまだ落とせていない国がいくつかある。
デレノア王国の支配地域は、縦に長いハマン大陸の中腹だ。
ハマン大陸の南端にあるゼノア教国は、アンジェルス教の総本山がある大国である。ハマン大陸において唯一、専守防衛に務めており、その国境線は長い間変わっていない。
デレノア王国の北部には、四カ国が残っている。ガレイア連合国、ルーベス帝国、ロニクス共和国、アリウス部族連合国だ。
「カルヴァン・タウンゼント・デレノア、あなたに命令します。全軍を以てアリウス部族連合国を落としてください」
「分かりました。……全力を尽くします」
「さっきから何? その間は何を意図しているの?」
「いえ……。全軍というと、王都ハイラムの軍となります。この街が圧倒的な戦力不足となりますので、地方の貴族にも協力を仰いだ方が良いかと」
「あー、そうなの?」
ヨシミは戦争の指揮には不慣れだ。三十年間、目の前の男の命令に従って、デレノア王国の領土を広げてきただけ。局地戦では勇者として無類の力を見せるが、戦略的な考え方は未熟だった。
「はい。それに加え、南部の防衛を怠れば、ゼノア教国が専守防衛をやめて侵攻してくる可能性があり、北西方面のルーベス帝国も黙ってはいないでしょう」
デレノア王国の北部には、アリウス部族連合国とルーベス帝国が国境を接している。ガレイア連合国とロニクス共和国は、さらに北にある。
「南は勇者たちに任せるのはどう? それにね、ルーベス帝国はリリス様がおられるから心配ないわ。あの方はつい最近目覚めて、私を咬んでくださったの……」
右手を胸に押し当て、左手を首に添え、うっとりとした表情を浮かべるヨシミ。その瞳には盲信と狂気が渦巻いていた。彼女はまだ、リリス・アップルビーが魔術結社実在する死神の一員であることを知らないようだ。
「承知しました。王都ハイラムの兵はほとんどバンパイア化が終わっていますので、アリウス部族連合国を一気に突破して見せましょう。……ただし、最近の勇者たちは私に対して反抗的でございます。南の方はヨシミ様にお任せしてもよろしいでしょうか?」
「……はぁ~。あいつら最近ビクビクしちゃって、距離を置かれてるのよね。勇者だから、咬む気はないけど……。まっ、仕方ないわね。南のゼノア教国は任せて」
「……仰せのままに」
「ちょっとー、なによその態度――――っ!?」
ヨシミが口をとがらせてカルヴァン・タウンゼント・デレノアに文句を言っていると、辺りの雰囲気が急変した。
尖塔から見る光景は変わりない。ずっと地獄絵が続いている。
しかし闇が深まり風がやんだ。
それを不審に感じたヨシミは夜空を仰ぐ。
「なによあれ……?」
尖塔のはるか上空に、黒い魔力の固まりが複数浮かんでいた。それはひとつだけではなく、王都ハイラムのあちこちに点在し、遠く離れた夜空にも浮かんでいた。
「痛っ!? な、なに?」
急に気圧が高くなり、ヨシミは両耳を塞いだ。
そばにいる国王も同じく、しかめっ面をして耳を押さえていた。
「ヨシミ様、これは何かの大規模な術式です。魔法の発動まで時間がかかりますので、同胞避難されてくださ――」
カルヴァン・タウンゼント・デレノアの言葉は、途中でかき消えた。
王都ハイラムの上空に浮かんだ魔力の塊が、太陽のごとく光を放ったのだ。
その光を浴びた瞬間、カルヴァン・タウンゼント・デレノアは灰に変わって散ってしまった。
「ぐうぅぅぅっ……。いったい何が…………」
ヨシミは辛うじて上空の熾烈な光に耐えていた。しかしながら、その顔は痛々しく焼けただれ、身体のあらゆる部分から煙が立ち上がっていた。その光景は、彼女の苦悶を如実に表していた。
全身を火傷したヨシミはたまらず、スキル〝霧散遁甲〟を使って、自身を霧と化す。そしてその霧は上空の光から逃げるように、尖塔から降りていく。
『カルヴァンはデイ・ウォーカーなのに! くそっ、くそっ、くそっ!!』
それは全方位に響き渡る、怒りの念話だった。
太陽の光にも耐えると思っていたヨシミの子が、一瞬で灰になってしまった事への怒りなのか。
はたまた、王都ハイラムの劣化バンパイアが、一瞬で灰になったことへの怒りなのか。
霧と化したヨシミは、這々の体で下水道へ逃げ込んでいった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
俺はいま王都ハイラムの上空一万メートルに浮かんでいる。気圧も気温も低いけれど、何ともない自分自身に少し呆れている。アイテール化してニンゲンでなくなったとはいえ、人外過ぎるのもどうかと思う。
あの日以来、魔力、神威、冥導、この三つがジワジワと増えている。
「深く考えてもしゃーない。なるようにしかならない」
眼下に広がる煌びやかな大都市、王都ハイラム。この街はもう終わりなのかもしれない。
異形のゾンビのようなバンパイアたちは、街の人々の抵抗を容易く突破している。防御魔法陣を壊し、バリケードを軽々と乗り越えていく。
必死に抵抗する住人たちは、次々に襲われ、次々にバンパイアに変化していく。まさにネズミ算のような増え方をしていた。
そのため、バンパイアがどれだけの範囲に散らばっているのか見当もつかない。
俺はバンパイアの拡散を防ぐために、王都ハイラムを中心に、半径百キロメートルの神威障壁で覆い尽くす。
神威障壁内にいるバンパイアを滅ぼすため、魔力の塊を次々と放っていく。
一気にやらないと、逃げられてしまうからな……。
障壁内部に十分な魔力の塊を行き渡らせたところで、発光するようにイメージする。
『光魔法として使用しますか?』
クロノスの声がする。というか光魔法なんてあったんだな。
『うん、そうしてくれ』
目指したのは真夏の太陽。それくらいでなければ、バンパイア以外のニンゲンまで傷つけてしまうからだ。
王都ハイラム上空で、魔力の塊が光を放った。
ちょっと眩しいけど、効果は絶大。地上にいるバンパイアたちが、あっという間に灰と化した。
だけど、これだけで済ませる気はない。上空からの光だけでは、必ず暗がりが生じる。そこにバンパイアが潜んでいれば、全て滅ぼすことはできない。
今度は魔力を使わず、広範囲に神威をばら撒いていく。魔法はまだ発動させない。
障壁内部に神威が十分に満ちたところで、光魔法を発動させた。
魔力、神威、冥導、これらは素粒子だ。家屋の中であろうと下水道の中であろうと、まんべんなく擬似的な太陽の光を発した。
太陽を直接見た眩しさを覚え、目の前が真っ白になる。痛みを感じるほどの光量で、目を閉じるしかない。
「ふう……」
アイテール化したからと言って調子に乗ってると、またぶっ倒れてしまう。しかしこれで、ほとんどのバンパイアは消え去ったはずだ。あとは、アキラたちに任せよう。
ミッシーたちが気になるので、俺はヴィスコンティ伯爵邸へ向かうことにした。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
アキラとリーナは、街角の影から影へ移動し、バンパイアたちの様子を探っていた。
「ねえ、アキラちゃん。あのソータってやつバカじゃん?」
リーナはハンカチで口と鼻を押さえ、眼を細めながら不満を漏らす。ソータが放った光魔法の第二波で、街中のバンパイアが灰になり、辺りは灰塵まみれになっていた。
「出鱈目なやつだが、効果的にバンパイアを滅ぼしてるからな。別にいいんじゃね? それより、三浦たちは上手くやってんのかな……?」
アキラたちはソータの作戦に同意し、いままさに王都ハイラムのエルミナス城へ侵入しようとしていた。三浦たち五人の勇者は、フェイル第一王子の意を汲んで、国王陛下暗殺に加担することにしたのだ。
「エルミナス城の正門で騒ぎを起こすって、安直だけどいまなら効果的よ。大丈夫だと思う」
リーナはエルミナス城を見上げながら、楽観的な言葉を発する。アキラとリーナは現在、城の裏門の様子を窺っていた。
彼らの標的である、カルヴァン・タウンゼント・デレノアは既に滅んでいるというのに、二人は知らない。
石垣に守られたエルミナス城は、月光が照り返す大きなお堀に囲まれ、息をのむほどの美しさを持つ。周囲の街並みは古の趣を残しながらも、石畳の通りや色とりどりの花々が彩りを添えて、まるで童話の中に迷い込んだかのような幻想的な雰囲気が漂っていた。
「雨か……?」
アキラは手の甲を見つめて呟く。ぽつりぽつりと落ちてきた水滴は、またたく間に激しい雨へ変わっていった。
「いやあ……、雨に見えるけど、雲ひとつないじゃん。灰が飛ばないように、あの化け物が、水魔法を使ったんだと思うよ?」
リーナが雲のない夜空を見ながら答えていると、城の反対側から爆音が響いた。
「よし、始まったな」
「早いとこ終わらせるわよ」
城の裏門には衛兵などいない。バンパイア化して、街中で滅んだのだろう。建物の影からアキラとリーナが足を踏み出したその時、彼らに向けて明るい声がかかった。
「おいおい、ほんとに脱走してやがったのか! 久しぶりだな、アキラ!」
外套のフードを深くかぶった声の主は、土砂降りで黒髪が濡れそぼち、その表情は見えない。
アキラとリーナは、目の前に立ちはだかる男が何者か分からなかった。
アキラを知っていそうな男は、話を続ける。
「そっちのちびっ子が、オーステル公国で捕まった殺人犯か……?」
「……そうだけど、あんた誰さ」
リーナは不審な男に問いかける。彼女の過去まで知っていると匂わせたからだ。そのせいで彼女は少し怒った表情をしている。
彼女は自分の過去をアキラに話していない。目の前の男が、自分の過去を暴露してしまうと感じたのだろう。
リーナの苛立った空気を感じ取ったのか、アキラが声を荒らげる。
「てめえ、いったい誰なんだ!?」
スキルを使ったのだろう。アキラは目にも留まらぬ速さで動き、男のフードを引き剥がした。
あらわになった顔は、岡田勇。
二十年前、リョウタやヨシミと共に、アキラを追い詰めた男だ。その顔は当時の面影を残しながら、二十年の歳月を刻んだ壮年の男性となっていた。
「岡田……」
アキラは当時のことを思い出したのか、フードを剥がしたまま動きが止まっていた。その表情は静かに怒りに満ち、内から湧き出るマグマのような感情を必死に抑えているように見えた。
岡田はあの海岸までアキラを追ってきたが、結果的に誰も傷つけてはいない。マリエル・ハートネット・バルガーを殺害したのは、田島涼太である。
「いやあ、あんときゃすまんかった! これでも反省してんだぜ? ところでよっ、ちいっとばかし手伝って欲しいんだけどさ? いいかな?」
「今さら友人面するってのか? テメエが何やったのか覚えてねえのか?」
「まあまあ、落ち着けって。いまはそれどころじゃねえんだ。王都にバンパイアが溢れ出たのは、ヨシミ先生のせいだって知ってるか? アキラ、お前が奥さんのかたき討ちができたことは知っている。それなのに、こんなとこまで何しに来たんだ? 俺が思うに、バンパイア騒動を鎮静化させるために来たんだろ?」
「……そうだ。だが、磯江良美が、この騒動を引き起こしてるって、どういう意味だ?」
土砂降りの中、岡田勇は丁寧にそつなく、これまでの経緯を話していく。
それはアンチエイジングの魔法で若返ったと言っていた磯江良美がウソをついていたというもの。いつの間にかバンパイアに変化していた彼女は、王侯貴族を次々にバンパイア化させていった。
アキラとリーナは、雨粒が叩く音も忘れ、岡田の話に聞き入っていた。
スキル〝魅了〟を使用されていることも気付かずに。




