166 溢れ出したバンパイア
夜の帳が下りるころ、王都ハイラムは大混乱に陥った。
国王が住まうエルミナス城から溢れ出すヒト種、ドワーフ、エルフ、獣人、オーク、オーガ、様々なニンゲンが、全てバンパイア化していた。
充血した真っ赤な目、黄色い乱ぐい歯、彼らは素早い動きで、ニンゲンの喉元に食らいつく。人々は逃げまどい、衛兵に助けを求めるが、その衛兵もまたバンパイア化していた。
次々と増えていくバンパイアが跳梁跋扈する。
この惨状を引き起こした元凶、磯江良美は城の尖塔でニヤける。
「くっ……ぶはっ!? ぎゃははははははははははははは!」
突如笑い始めたヨシミ。眼下に広がる地獄絵図がたまらなく面白いようだ。
バンパイアには厳格な序列が存在する。
ヨシミは、真祖のリリス・アップルビーから直接血を与えられた、第一位の階級始祖だ。
リリス・アップルビーに次ぐ力を持ち、下位のバンパイアを支配する者である。
噛んだ方が親。噛まれた方が子。子が噛むと孫ができる。今回の件は、ヨシミが国王を子にしたことから始まっている。
彼女は王族を次々と噛んで血の契約を結び、リリスの孫に当たる子爵を増やしていった。その結果が、彼女の眼下に広がる光景なのだ。
「いーっひっひっひっひ……。ふぅ……」
ふと冷めた顔つきになるヨシミ。勇者としてこの地に立った彼女は、のスキルと魔法の力に魅了され、力を求めた。果てにはリリスとの出逢い、彼女は道を踏み外した。
ヨシミはデレノア王国の首脳陣を子にして、思いのままに操る。それはここ数十日間の出来事であった。
ヨシミはデレノア王国の実質的な支配者となり、国費を大量に投入して急激に軍事力を増強させた。ハマン大陸での三十年間の生活は、彼女の価値観を一変させていた。
「戦争って、儲かるんだよねぇ……」
彼女の笑顔は、狂気に満ちた美しくも醜い芸術品だった。
目は下弦の月のように細くて鋭く、その中には冷たくて残酷な光が宿っている。口は上弦の月のように大きく弧を描き、その中には嘲りと殺意が溢れていた。
ヨシミの笑顔は人間離れした美しさで、見る者に恐怖と絶望を与えるものだった。
「でもさ、こうなったのは、あいつのせいだからね……。情報は?」
酔いが覚めたように、スンと素面に戻るヨシミ。表情が無いまま首を動かし、背後の女性に声を掛けた。彼女の名は山田奈津子。流刑島ダンジョンで、ヨシミと共にソータから逃げていた人物である。
「はい。詳細とまでは行きませんでしたが、やはり日本人でした。名前は板垣颯太。獣人自治区の魔石電子励起爆薬を、障壁だけで防いだというウソくさい話も本当でした……」
「そんなチート野郎が、急に現われるなんておかしいわね……。大召喚術を行なえば、噂になるはず。だけどそんな話、ひとつも聞いてないわよね?」
「ええ、確かに。それと別の情報も」
「なに?」
「宮崎健太郎くんと、竹内剛志くんが行方不明に……」
「ちっ……。田島涼太も藤原紗江も、アキラに殺された。そのうえ勇者二人が行方不明……? おまけに、板垣のせいで、マラフ共和国へ攻め入ることもできなくなった……。だからバンパイアを放ったんだけどね」
ヨシミの行動は腹いせなのか、あるいはハマン大陸統一への第一歩なのか。
「それと、板垣はデレノア王国に潜入している可能性があります」
「なんで?」
「佐々木優希くんの防空網に、二度ほど反応があったみたいです。ドローンの映像にひとコマだけ映ってただけなので、板垣の潜入はあくまで推測に過ぎませんが」
「んー、まあいいわ。板垣が来たら来たで、マラフ共和国侵攻を潰した仕返しをしなきゃね。眷属にするなんて勿体ないわ。体液を全て吸い尽くしてやる……くっ! ふふふふ、あはははははっ!!」
再度笑い始めたヨシミに、奈津子がビクつきながら話しかける。
「……先生、どうしますか?」
「そうねぇ……。山田奈津子。あなたを含めて、勇者十名で、板垣の捜索をお願い。殺さないであたしの前に連れてきて」
「はい、了解しました」
山田はその言葉を遺し、姿を消した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
『大丈夫か? ソータ』
『こっちは平気。そっちは?』
ミッシーから突然の念話に驚いた。これくらいの距離だと、問題なく話せるみたいだ。
『ヴィスコンティ家の屋敷がバンパイアに襲われているが、ヒュギエイアの水を使えば、簡単にバンパイアが滅びる。それに、ヒュギエイアの水を飲んでおけば、噛まれてもバンパイア化しないぞ』
『おおっ! ありがとな! というかそれ、誰が試したの?』
『屋敷を守っている、ヴィスコンティ家の警備の者たちだ。彼らにファーギがヒュギエイアの水を渡して、その効果が確認できた』
ヴィスコンティ家の屋敷は、王都ハイラムの高級住宅街にある。周囲は屋敷だらけで、金持ちの家ばかり。当然、通行人も少ないはずだ。そこまでバンパイアが来ているとなると、すでにこの街全体にバンパイアが蔓延っているかもしれない。
ミッシーとの念話を終え、クロノスに相談だ。
『はーい!』
『さっきの要領で、街全体の人々をニンゲンに戻せる?』
『不可能です』
『……さっきできたのに?』
『フェイルとアリシアは、完全に変異する前でした。そのためニンゲンに戻すことに成功しただけです。しかし、金子やミッシーの話から判断すると、バンパイア化が完了したニンゲンはDNAが変異していると推測できます。ゆで卵が元の生卵に戻らない事と同じで、ニンゲンに戻すことは不可能です』
『そっか……』
クロノスとの会話を終え、地下室を見わたす。
アキラとリーナが、三浦と金子に話をしている。内容は、国王カルヴァン・タウンゼント・デレノア暗殺計画の詳細だ。ここには国王の息子と娘がいるというのに。
その話を聞いていたフェイルが口を開く。
「俺はその案に賛成だ。バンパイアの元凶である国王を討てば、君たちを含め俺も国民の支持を得られるだろう。もちろん、その後の混乱は長く続くはずだ。しかし、俺が国王に即位すれば、やがて王国は平和になる」
「お兄様……。決起されるおつもりですか……」
妹のアリシア公爵夫人が声をかける。
「ここで立ち上がらなければ、デレノア王国の未来は救われない」
「そうですか……。幸いにもブラックウッド公爵家は、王家や勇者と距離を取っています。わたくしのほうから、お兄様の支援を取り付けて見せますわ」
この二人はバンパイア化しかけて、若返っているという事実があるのに大丈夫かな?
二人とも三十代半ばだと聞いているが、いまは十代後半の若々しい姿に変わっている。彼らを見た国民がどう感じるだろうか。本当に支持を得られるのだろうか……。
どう転ぶにせよ、俺がやることはひとつ。リリス・アップルビーの殺害だ。デレノア王国の国王がバンパイア化したのも、おそらく彼女が一枚噛んでいるはずだ。
リリス・アップルビーはおそらく、実在する死神の過激派だ。獣人自治区の住人をアラスカへ逃したのはいいことだと思う。しかし、獣人たちがアラスカに住む人々を大勢殺すことも予見できたはずだ。
それを放置した事実から、リリス・アップルビーがどのようなバンパイアなのかだいたい予想できる。
何にせよ俺はリリス・アップルビーの先にいる、エリス・バークワースの情報を得なければならない。
「フェイル王子殿下! あたしたちは殿下の悲願を叶えるべく、全力を尽くします!!」
三浦たち五人の勇者が、フェイルにひざまずいて忠誠の意を表す。彼女たちが、なぜここまでフェイルに忠誠を誓うのか分からないが、三十年間もこの国で暮らしていれば、この国の国民としての自覚が芽生えているのかもしれない。
だが、国王を討つというフェイルの思惑に賛同するのなら、アキラとリーナは願ったり叶ったりだろう。たった二人で挑むより、五人の勇者が協力者になれば百人力だ。
『ハセさんんんんんん!!』
『なんだい?』
レスポンスの良さは相変わらずだ。俺の念話にすぐに返事があったので、リリス・アップルビーの動向を聞いてみた。しかし、返事は素っ気なかった。
リリスは電子機器を徹底的に避け、魔術やスキルを多用して、姿を隠している。ハセさんの情報網にも引っかからないという徹底ぶりだ。
『んじゃさ、最近地球でバンパイアが現われた、なんてニュースはない?』
『ないよ。わっしはその辺も情報収集してるからね。でもね、気になる情報はあるよ?』
『教えてハセさん!!』
『ネイト・バイモン・フラッシュはハマン大陸への入植を諦めて、大魔大陸に移住することにした。でもね、ネイトとは別の派閥が、新たに加入した実在する死神をハマン大陸へ入植させている』
『つまり、その派閥のトップが、リリス・アップルビーだと?』
『推測の域は出ない。しかし、リリス・アップルビーの担当地区であるスウェーデンでゲートを開いて、ハマン大陸に人々を送り込んでいること。どれだけ調べても、そこの担当者トップの名前が出てこないこと。この二つだけでも、リリス・アップルビーの煽動によるものと推測はできるんだ』
スウェーデンかぁ……。なんかヤバい魔女が山奥にいたな。
『リリスの件は了解した。ハマン大陸の、どの辺りに入植してるか分かる?』
『さすがに異世界の位置情報は把握できてないね……。そっちで何か起きてるの?』
『バンパイアウイルスがパンデミック起こしてるんだ。たぶんリリス・アップルビーの仕業だと思うんだけどさ』
『バンパイアウイルス……? こっちのものと同じかなぁ……? あ、そうそう、わっし、そろそろホムンクルスになって、実体を持つことができるみたい』
『おお……ぉ? ホムンクルス? 錬金術で創り出す生命体ってやつ?』
『そそ。わっしを地球に置いていくと、ネイトが困るみたいでさ。前々から魔術を使って、ホムンクルス制作に励んでたのさ』
『んじゃ量子コンピュータのハセさんでなくて、人間のハセさんに会えるわけだね!』
『きみと同じで、人間じゃないけどね』
『俺は人間……じゃないか……。まあでも、いつか会える日を楽しみにしてるよ!!』
部屋の隅っこでハセさんと話していると、アキラとリーナ、三浦と金子、フェイルとアリシア、六人の話し合いが終わったようだ。
金子は山下梓、森大樹、原田久美子の四人と共に、フェイルとアリシアを王都ハイラムから脱出させる。
彼らはこの前会ったルイーズの屋敷から出た後、家族や親戚を既に王都から脱出させているそうだ。
アキラとリーナ、三浦と俺で、エルミナス城にいるカルヴァン・タウンゼント・デレノアの暗殺に向かう。三浦がついてくるのは、城の中を熟知しているからだ。
「さて、そうと決まれば、さっさと動こうか」
パンパンと手を叩き、フェイルが行動を促す。
しかし、このまま皆を外に出すわけにもいかない。
「あ、すいません。ちょっとお渡ししたいものがあるので、手を出してもらえますか?」
「ソータと言ったか。何を渡すつもりだ?」
今まで黙っていた俺に、フェイルが少しばかし警戒の色を示す。さっきバンパイア化を止めたのは俺なんだけどな……。
「ええっと……。バンパイアを滅ぼすために、ヒュギエイアの水が有効である可能性があります。また、ヒュギエイアの水を飲んでおけば、噛まれてもバンパイア化しない可能性もあります」
「ほう、ヒュギエイアの水だと……? ドワーフの秘薬だと聞いたことがあるが、何故貴様がそんな話をする。アキラの息子にしては博学だな」
ちげえよ。と言いそうになって堪える。俺はアキラの娘たちと同い年だし、そう見られてもおかしくはないけれど。
「とりあえず、こちらを」
土魔法でミスリルの板を創り出す。そこに俺の脳神経模倣魔法陣、回復魔法陣、治療魔法陣、解毒魔法陣、再生魔法陣を刻み、切った爪程度の神威結晶を埋め込む。
コップの形に成形して、フェイルに渡す。
一瞬で工程を済ませたので、俺の手から突然現われた手品のように見えただろう。
「何だこれは?」
「ヒュギエイアの水を生み出す、インテリジェンスアイテムです。水と念じるだけで、本人の魔力でヒュギエイアの水を生み出せます。それをバンパイアに浴びせかけて滅ぼす、自分で飲んでバンパイア化を防ぐ、怪我人にかけて治してあげる、様々な使い方ができます」
「……」
信じられないという顔で、フェイルの動きが止まった。
「それともう一点、注意事項があります。そのコップは、本人以外が触ると、使用できなくなるのでお気をつけください。……はい、他の人にも配りますよ」
ゴチャゴチャ聞かれる前に、アリシア、アキラ、リーナ、三浦、金子、全員にミスリルのコップを配る。ここまでするのは、非常に不利な状況だからだ。
この地下室から出れば、バンパイアたちが大勢いると強く予想される。
それに加え、他の勇者たちの存在がある。彼らが敵として立ち塞がる可能性は高い。
故に、ヒュギエイアの杯を渡したのは、皆が生き残る確率を少しでも上げるための策である。もちろんリバースエンジニアリング対策も施し、かつ倫理観を持つように脳神経模倣魔法陣で指示を出している。
「おい、ソータ! いったい何なんだこれは? お前が言うとおりなら、ヒュギエイアの杯を創り出したことになるんだぞ?」
さっそく食って掛かってきたアキラ。
「それはまた今度で。今は最速で動き、正確に目標を達成する。この事だけを考えて動きましょう」
「くっ!? ……それもそうだな」
あからさまに話を逸らしたけれど、正論パンチでアキラがひるんだ。他の面子も同様だ。今まさに、王都ハイラムはバンパイアで溢れかえっているだろう。
「あ、ソータくん待って。密偵が来たみたい」
部屋を出ようとしたところ、三浦の声で立ち止まる。地上には狂ったような気配が渦巻いていたが、その中にまともな気配が一つある。その気配はこの宿屋に入り、地下室に降りてきた。
その気配はノックもせず、部屋に入ってきた。年配の男がツバを飛ばしながら悪態を飛ばして、尻つぼみに声が小さくなった。フェイルの姿を確認したからだ。
「ミウラ! 訳の分からん念話とばしやがって! おいこら! 外はバンパイアだらけで、来るのも大変だったんだぞ? あっ、…………えと、この状況は?」
「ケインさん、念話でもう一度説明するわ。今は動く方が先!」
三浦たちは念話で密偵と連絡を取り合っていたみたいだ。おそらく金子と一緒にフェイルたち王族を連れて、王都ハイラムから脱出する話でもしていたのだろう。
彼らが落ち着くのを見計らって、俺はヒュギエイアの杯を渡そうとして、手を止めた。
「ケインといったか?」
「なんだテメエ、見ない顔だな」
「ソータ・イタガキ。はじめまして、ケイン」
「あ? ガタガタ言ってないで、さっさと脱出するぞ」
「いやいや、あんた首に噛まれた傷があるんだけど?」
ケインはハッとして首を押さえた。
こいつ、三浦たちの密偵なんだろうけど、既に完全にバンパイア化している。ヒト族で中年男性。バンパイアだと思えないくらいニンゲンの姿だ。
「誰に言われてここへ来た」
ここは秘密のアジト。密偵がバンパイア化しているのなら、この場所の情報が漏れているって事だ。
「ぎゃああああああああああああああああっ!?」
俺が情報を引き出そうと試みる中、フェイルは自らのヒュギエイアの杯を振りかざし水を浴びせた。その効果は即座に現れ、ケインの顔が溶け始め、すぐに全身が崩壊していった。
どろりとした液体が床に広がり、べしゃりと音を立てる。
室内は静寂に包まれた。
「……」
「……いや、バンパイアを滅ぼしたんだ。そんな顔をされたくないぞ」
フェイルは俺のジト目に反論した。彼は決断が早いのだろう。
脱出するしかないな。
「ソータ、さっさと脱出するぞ」
アキラの声に促され、俺たちは急いで部屋を後にした。




