165 バンパイア化
夜の帳が下りた瞬間、俺たちは行動を開始した。アキラとリーナの後に、俺は付いて行く。アキラはまず、勇者の一人である三浦たちの隠れ家に向かうそうだ。
アキラはどうしても、第一王子のフェイル・レックス・デレノアの安否を確認したいという。三浦たちがフェイルを匿っている隠れ家は、ルイーズが教えてくれた。
彼女はデレノア王国の情報屋だと聞いているが、俺が想像していた以上に情報網が広い。ルイーズってマジで何者なんだろう……。
夕暮れが訪れても、王都ハイラムの賑わいはまだ衰えていない。魔石ランプの柔らかな光が街灯や信号機を照らし出し、人々は笑顔で行き交っている。彼らの服装はこの世界では一般的なもので、多くの者が学生服に似た服を身に着けており、これは勇者たちの影響に違いない。
俺たちも街の人々と同じような格好をしているので、特に怪しまれた様子は見受けられなかった。
「……こっちだ」
街の様子に見とれていると、かすれた声でアキラが俺を呼ぶ。大通りから脇道へ入り、さらに路地裏に入って行く。両側を石造りの建物で挟まれた小路だ。そこを真っ直ぐ進むと、行き止まりになっていた。
クロノスがサイレントアップデートを行ったおかげで、突き当たりに隠蔽魔法がかかっていることに気付く。まるで霧に包まれたような不透明さだ。それをアキラが解除すると、木製の頑丈そうなドアが現れた。
アキラがノックすると、ドアの小窓が開く。中からこちらを見る目が二つ現れた。
「……っ!?」
アキラの顔を確認して、ものすごく驚いたようだ。小窓が閉じられると、すぐにドアが開いた。
そこに立っていたのは、一昨日会った三浦麗奈だった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
隠蔽魔法で隠されていたのは、宿屋の裏口だった。三浦は急いで俺たちを招き入れ、地下へと案内する。壁には色々と魔法陣が描かれており、外からはここに人がいると気づかれないように工夫されていた。通路は暗くて湿っぽく、息苦しい空気が漂っていた。
地下に宿屋の客は見当たらない。降りてこないように、何か策を講じているのだろう。
三浦がドアを開けて、部屋の中へ通す。ここはこれまでと違い、魔石ランプで明るく照らされていた。宿屋で使い古したものがたくさん置かれ、倉庫のような感じがする。奥にもうひとつ扉があり、その中から二人分の気配を感じた。
部屋の真ん中にはテーブルが置かれていた。俺、アキラ、リーナ、それと三浦で向かい合って座る。
「さて、ここなら話せるわ。あなたたちがここに来たという事は、ルイーズの情報で動いていると認識していいかしら?」
三浦は挨拶もそこそこに本題へ入る。彼女の視線はアキラへ向いていた。
「そうだ」
「一応ルイーズ夫人から、アキラが来るかもしれないって連絡はあったわ。奥の部屋に二人ともいるから、五体満足なのを確認しなさい。あ、間違ってもドアを開けないで、小窓から覗く程度にしてね……」
「協力的で助かるよ……」
アキラは立ち上がって、奥のドアの小窓を覗き込む。同時にアキラの背中から驚きの気配が伝わってきた。
「おいおい、こいつら二人とも拘束してるって、どういうことだ……?」
「こいつら……? 不敬な言い方はやめて。中に居るのは、フェイル・レックス・デレノア第一王子殿下と、妹殿下のアリシア・デレノア・ブラックウッド公爵夫人よ。拘束しているのは、彼らがバンパイア化するかもしれないから……」
俺も小窓から覗いてみると、二人とも縛られてベッドの上に横たわっていた。彼らの顔は青白くて血色が悪く、目がうつろ……いや、寝てるなあれは。二人とも首筋に噛まれた痕が残っており、呼吸が苦しそうにしている。
その様子は、バンパイアに変化することを拒んでいるようにも見えた。
前に聞いた話では、フェイル・レックス・デレノアだけが、城から逃げ出したと聞いていたが、妹も一緒に逃げ出していたのか。それに、二人ともバンパイアに噛まれている。
『どう思う?』
クロノスに聞いてみる。
『視診だけでの推測ですが、おそらくウイルスによる空気感染はありません。しかし患者二名は、バンパイアウイルスに感染していると思われます。発症のメカニズムまで特定するなら、ソータが患者に触れてください。私が解析します』
空気感染の可能性がないと聞いて、胸をなでおろした。
「アキラさん、三浦さん、ドアを開けてもらっていいですか? ちょっと診察するので」
「ダメに決まってるでしょ? バンパイア化したら、人間ではなくなるのよ。それに、あなたは日本人だって聞いたけど、医者の資格はあるの?」
「三浦、こいつに任せてくれないか?」
「あ、えっと……、うんいいわよ」
三浦は俺に対して冷淡に接していたが、アキラの一言で顔色が変わった。彼女はアキラの言葉で、頬を染めたのだ。この二人には何かあるんだろうけど、今はそんなことを気にしている場合ではない。
ゲスい考えを追い払っていると、三浦がドアを開けた。それと共に部屋の中から熱気と臭気が溢れ出してくる。鼻が曲がりそうだ。
フェイルとアリシアはそれぞれ別のベッドに横たわり、手足を鎖で縛られていた。バンパイア化しても襲えないように、という予防措置だろう。
俺はフェイルのそばにある椅子に座り、手首に触れる。もちろん俺に触診などできない。ウイルスの情報をクロノスに解析させるためだ。医者らしく振舞わないと、三浦に疑われるかもしれないからな。
『このウイルスは初めて見るタイプです。ウイルスは宿主の上位者、つまり噛んだバンパイアを認識し、完全に服従するようにプログラムされています。ウイルスの自己保存本能としては、不自然すぎる仕組みです。何者かの意図が隠されていると考えられます』
『空気や飛沫や接触感染は?』
『ありません。いえ誤りです。少々お待ちください……。再解析が完了しました。バンパイアの唾液が感染源です。ウイルスの性質上、血を吸った方が上位者となり、下級のバンパイアが生まれます。その際、バンパイア化するしないは、上位者の決定次第となります。倫理観のないバンパイアが生まれると、ネズミ算式に増えていくことになり、パンデミックに繋がる可能性も――』
『あー、その辺で。これってさ、治せる?』
『はい、可能です。上位者に気づかれずに、かつ体内のバンパイアウイルスを滅ぼせば完治します』
『ん? どうすんの?』
『患者に神威を使った光魔法を使ってください。出力の調整はこちらでやりますので』
出力調整をクロノスに任せる? は? 流刑島の地下にあった森型ダンジョンひとつ潰しておきながら、よくもそんなことを言えたもんだ……。
それにさ、光魔法なんてバンパイアが滅ぶ定番というかなんというか。
『アップデートしたので大丈夫ですっ!』
あ、忘れてた。クロノスは、俺の心を読むんだった。
んじゃま、とりあえず軽く光魔法を使ってみるか……。聖属性魔法とかの方が効果的かも?
色々と思案しながらも、俺は手首を握りしめたまま光魔法を使う。刃を出すとか、爆発させるとか、そんなイメージは無し。目の前のフェイルが治るように念じる。
すると、フェイルの手首から光が溢れ出し、やがて全身を包んでいく。
「……おおぉ?」
そんな微妙な声を上げたのは三浦だ。驚いているのか、疑問に思っているのか分からない。アキラは黙って俺がやることを見ている。
バンパイアウイルスだけが滅んでいくのが、何となーく伝わってくるな。クロノスのフィードバックだろうけど。
フェイル・レックス・デレノア。彼の顔はとても魅力的であった。髪は漆黒。身体は細く筋肉質で引き締まっていた。痩せ細っていると言った方がいいか。
イケメン王子か……。年齢は俺より十くらい上かな。
「ぐうぅぅっ……」
苦しそうな声を上げ、フェイルが目を覚ました。彼の目に最初に映ったのは俺だ。
「貴様っ!! 何者だ!! レナはどこ……だ……?」
そうなるよな……。目が覚めて、知らんやつが手を握ってたら、俺だって恐怖だもん。
しかし、その顔は時の流れに逆らうかのように若々しく、その瞳は深い闇に秘められた光を放ち、気品と力強さを物語っていた。
「王子殿下。私はここに」
三浦がサッと近寄り、片ひざをつく。
「アリシアはどこだ? ――そこかっ!!」
「お待ちください、王子殿下!!」
光魔法でウイルスの除去は成功したようだ。しかし、フェイルは寝たきりで、ろくに食事を摂っていなかったのだろう。体力が落ちた状態で、急にベッドから起き上がって体勢を崩した。
四肢を鎖で拘束されているというのに。
ベッドから落ちたフェイルは、左手首の骨折と左肩の脱臼という、大怪我を負ってしまった。
しかし、三浦がすぐに回復魔法と治療魔法を使い、骨折と脱臼は完治。事なきを得た。
さて、お姫様を起こしますか……。
アリシアにも光魔法を使って、バンパイアウイルスを滅ぼした。それで彼女も目を覚ましたのだが、思いっきり引っ叩かれてしまった。
平民が高貴な方の手を握っていたから、というのもあるけど、納得いかん。
彼女は兄よりずっと若く見えて、その瞳は青くて澄んでいた。髪は茶色くてふわふわで、耳にかけると可愛らしさと知性が際立っていた。
二人とも三十代だが十代に見える。バンパイアウイルスのせいなのか……?
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
テーブルの部屋に戻った俺は、フェイル・レックス・デレノア第一王子と、アリシア・デレノア・ブラックウッド公爵夫人から頭を下げられていた。
王侯貴族は、頭を下げないという先入観は簡単に崩れ去る。
「本当に助かった。感謝の言葉も足りないくらいだ。いや、それどころではないな。俺が王を倒したら、そなたに騎士爵の位を授けよう」
フェイルが突然俺に向かって、妙なことを言い始めた。
「お兄様? 騎士爵なら今すぐにでも受章式ができますわ。でもお兄様……、私たちを助けてくださったのに、騎士爵なんて安いもので済ませず、男爵でも子爵でも授けてあげればいいのに」
それに乗っかるアリシア。俺がこの国で爵位なんてもったら、デレノア王国に忠誠を誓え、なんて事を言われかねない。
「大変申し訳ありませんが、受章など私にはおこがましいことです。お断りさせていただきます」
キッパリ断った。貴族やってる場合じゃねえんだよ。
俺の顔を見て、本気で断っていると察したようだ。フェイルはすぐに引き下がり、これからどうするのか話し始める。
声の漏れない地下室に六人。初めて会った俺やアキラやリーナにも構わず、フェイルはこれまでの経緯を話し始めた。
国王のカルヴァン・タウンゼント・デレノアがバンパイア化したことに気付いたとき、フェイルは既に詰んでいたそうだ。城の中の執事やメイド、家臣やその家族、警備する衛兵から近衛兵にいたるまで、全てがバンパイア化していたという。
先日フェイルが這々の体で城から逃げ出す際、彼はバンパイア化した王妃殿下から噛まれてしまったそうだ。たまたま城を訪れていた妹のアリシアと共に。
旧知の仲である三浦に助けを求めたのが二十日前。フェイルとアリシアの具合が悪くなったのが十日前。三浦はその間、様々な方法でバンパイア化を食い止める方法を探していたらしい。
「そこでだ……、ソータ、貴様の力を貸してほしい。バンパイアウイルスの拡散を止めるためには、貴様の光魔法が必要となる」
通常はバンパイアに光魔法なんて使ったら、灰になってしまうそうだ。
……またか。創作ものと話が似ている。ここまで来ると、地球上にある色々な話は、この世界をモデルにした誰かが居るのかもしれない。そう思えるほど、色々な点で話が一致する。
「俺が手を貸さずとも、勇者に任せればいいのでは?」
「おほほっ、貴族に向かってその物言いは、あまり感心しませんよ?」
「気にしないでいい。こいつは命の恩人だぞ?」
俺の言葉に注意したアリシア。そのアリシアに注意するフェイル。貴族だからどうのこうのって価値観は理解出来ない。
俺はあくまでリリス・アップルビーの討伐を優先する。アキラとリーナの手伝いは、その過程に過ぎない。だからフェイルの言う、バンパイアウイルスの拡散を止める結果は得られるはずだ。
さっきポロッと、王を殺すなんてこと言ってたし。
フェイルの話を受けても受けなくても、結果はそんなに変わらないはずだ。
じっと俺を見つめるアリシア。目力が強くて気圧されてしまいそうになる。
するとドアの外に突然人間の気配が現れた。
四人も居る。気配消すの上手いな……。
三浦がドアを開けると、そこに立っていたのは金子雄大だった。彼は三浦と共に行動している勇者の一人で、この前顔合わせは済んでいる。
あとの三人、山下梓、森大樹、原田久美子も部屋の中へ入ってきた。
「うおっ!? 失礼しました」
俺とアキラの姿を見て驚き、フェイルとアリシアの元気な姿を見てさらに驚き、そして金子たち四人は片ひざをついた。
面倒くさいな、このやり取り。
「まだ交代の時間じゃないでしょ? 四人とも来るなんて、何かあったの?」
「フェイル王子殿下、アリシア公爵夫人、お二人ともご無事でよかったです。それと三浦、ヤベーことになってるぞ?」
金子は、緊急事態を知らせるべく口を開いた。
城から溢れ出したバンパイアが、街の住人を襲い始めたという。フェイルたちのように潜伏期間があるわけでもなく、噛まれてすぐバンパイア化し、周囲の人々を襲っているという。
そんな話を聞いてうんざり。俺はため息を堪えるので精一杯だった。




