160 ひと月後
ヴィスコンティ家の庭に現れた俺たちに、警備の者たちが剣を向けた。しかし、ルイーズが駆けつけ、警備の者たちを制止した。
「たび重なる騒動を引き起こし申し訳ありません」
「あらあら、気にしないでちょうだい」
おほほほほー、と笑いながら、ルイーズは俺たちを屋敷に招き入れた。
中に入ると、俺が独断専行したことをミッシーたちに咎められた。けれども、終わりよければすべてよし、とも言うし。
最終的に彼女たちは、サーラが無事に帰ってきたことを喜んだ。
俺たちはサーラ救出が完了し、あとは流刑島に彼女を送り届けるだけだ。問題は移動手段。流刑島の巨大結界でゲートも転移魔法も封じられている。海を渡ることも不可能で、移動手段は空艇に限られている。
ファーギの魔導バッグに、彼の空艇が入っているが、それを出す場所もない。
うーむ。以前、弥山やシスターたちを救出したときと同じく、俺が空を飛んで全員運べばいいか。
日は沈み掛け、すでに夕刻だ。窓から差し込む夕日が、食堂を朱色に染め上げていた。
サーラはメイドさんたちと一緒に、別室で遊んでいる。
俺たちは屋敷の食堂に集まって、ルイーズ主導で協議している最中だ。
本来ならば、今回の対価として要求された、ヴィスコンティ家亡命の話になるはずだが……。
勇者の五人がついてきた。あの状況からだったので仕方ないけれど。
アキラはそんな勇者五名を、ヴィスコンティ家と共に亡命させるように要求した。
そのせいで話がややこしくなっている。
ルイーズはここに来た勇者五人の事を知っていた。三浦たちが岡田勇のスキル〝魅了〟をレジストできることも。
だからなのか、ルイーズは彼女たち五人の勇者の同行を快諾した。
しかし、五人の勇者は、それを拒んでいる。
家族を置いて亡命なんてできるはずがないと。
そりゃそうだ。アキラたちは三十年前に召喚された勇者だ。いまは四十代の仕事盛りである。それに結婚もすれば子どももいるだろう。孫がいてもおかしくない年齢だ。
だが、三浦たちが断る理由は、それだけではなさそうだ。ヴィスコンティ家の一族郎党と共に亡命させるのだから、勇者五人分の家族や親戚が加わっても問題はないはずなのに。
アキラと三浦は激しく衝突し、言い争いで終わった。
三浦たちがなぜそこまで拒むのか、理由は分からずじまい。
アキラはアキラで、なぜそこまで亡命させようとするのかも不明。
いまいち事情が飲み込めない。しかし、これ以上首を突っ込みたくないのも事実。彼ら勇者のことは、彼ら勇者に任せよう。
勇者の五人は、結局アキラの提案を拒み、さっさと屋敷を出て行った。
傍観していたルイーズは、立ち去る五人の勇者を引き留めなかった。
「では改めまして、ですわ」
ルイーズは一度立ち上がり、丁寧にお辞儀をした。貴族の所作は面倒だ、と思いながらも、話に耳を傾ける。
「アキラさん」
「はい」
ルイーズが呼びかけると、アキラも礼儀正しく応える。伯爵夫人の前では、さすがのアキラも気を使っているようだ。
「娘さんにお目にかかりたくありませんか? 私どもの条件を受け入れていただければ、お会いできるように準備いたしますわ」
「――――っ!?」
ルイーズの言葉に衝撃を受けるアキラ。
今までのやりとりで、アキラとルイーズは初めて会ったことが判っている。それなのに、ルイーズはまるでアキラの娘の居場所を知っているかのように取り引きを持ちかけた。
「そのお顔はどういった意味で……?」
立ち上がって直立不動になるアキラ。
その顔には疑いと警戒が浮かび上がり、ルイーズに鋭い視線を送っていた。
「どうして知っている。俺の娘の居場所をどうして知っている!!」
そしてアキラは獰猛な笑みを浮かべ、ルイーズに詰め寄っていく。魔導バッグから剣を取り出したところで、間に執事が入った。剣を抜こうとしたアキラの手を押さえるまでの動きは、執事が凡人ではないことを示唆している。
ルンドストロム王国の密偵をやっているだけある。ルイーズは情報収集能力だけではなく、それを遂行するだけの武力も兼ね備えているのだ。
「条件を言え」
アキラは剣ではなく力を抜いた。それを確認した執事が、スッと下がっていく。
「カルヴァン・タウンゼント・デレノアの暗殺をお願い致します」
ルイーズは座り直してアキラにそう言った。
誰だよそれ、と思ったけど、たしかあれだ、この国の国王さま。
執事を含める使用人一同、国王暗殺の話を初めて聞いたようで、ルイーズ・アン・ヴィスコンティ伯爵夫人の言葉に驚きの声が漏れ出る。
ミッシー、マイア、ニーナ、ファーギの四人は、ああ、なるほどといった表情。
アキラとリーナは、頭の上にはてなマークが出ていた。
アキラは二十年前、双子の娘をスザクに託した。その後彼は、勇者たちに拘束され、流刑島送りになっている。
アキラが娘たちに会いたがっているのは火を見るより明らか。それを利用して、国王の暗殺を持ちかけるルイーズ。
ここまでの話で、ルイーズの提示した条件がぶっ飛んでいるとよく分かる。
「分かった。その話、受けよう」
あっさり承諾するアキラを見て、リーナが驚きの声を上げた。
「ちょっとアキラ、バカじゃん? そんなの不可能に決まってんじゃん? ねえ、ルイーズ、あなた何考えてるの?」
「ふふふ、お静かだったのに、急にどうしたのでしょう? 汚れた英雄リーナ・セリリアン殿」
「白々しい! 国王暗殺なんて大それた事、どうしてアキラにやらせるのかって聞いてんのよ!! くだらない理由だったら、許さないわよ!!」
ちびっ子リーナが椅子の上に立ち、たんかを切る。
てか汚れた英雄ってなんだ? ちびっ子リーナの二つ名か?
「デレノア王国の未来のために、ですわ。子息のフェイル・レックス・デレノアを、新しい国王として即位させます。国王の暗殺が難しいのは百も承知。その報酬として、アキラさんが生き別れた娘さんたちと会えるのなら、取り引きとして悪くないと思いますが……」
そう言ってルイーズがチラリとアキラを見る。アキラはやる気満々で立っていた。それを見たリーナはため息をつく。
「別にアキラちゃん一人でやんなくてもいいんでしょ?」
「ええ、もちろん」
「アキラ! あたしも手伝うわ!!」
ルイーズの言葉を聞き、リーナはアキラに宣言した。
その様子を見て、ルイーズの口元がわずかに弛んだ。
はあ……。このお貴族様、とんでもねえやつだ。アキラがやるというのなら、リーナもセットになると見越していたのだろう。
だけど、大事なことがまだ示されていない。
「あー、質問いいですか?」
俺は手を挙げた。
「どうぞ、ソータさん」
ルイーズに許可を取って発言する。
「なんで国王を暗殺したいんですか?」
「それは――――」
バンパイアウィルスの蔓延を止めるため、だそうだ。
そういや、崩壊したダンジョンで逃げていた女二人は、バンパイアのスキルを使っていた。あの二人は勇者のはずだが、勇者がバンパイア化している筋もあるのか……?
ルイーズが、ウィルスを知っていても不思議ではない。この世界の技術は、魔法と魔道具で地球のそれを上回っているからだ。
俺はおとなしく、ルイーズの独白を聞き入る。
三年ほど前、国王のカルヴァン・タウンゼント・デレノアと、その周辺に居る側近たちの様子がおかしくなったらしい。
ルイーズが調べると、王都ハイラムに住む王族と国王派閥の貴族が、バンパイア化していたそうだ。どうしてそうなったのかは、心当たりがあるらしい。
さらに調べていくと国王の子息である、フェイル・レックス・デレノアだけがバンパイア化していないと判明する。
フェイルは命の危機を感じ、王城から脱走する。そして、三浦たち五人の勇者に助けを求めた。いまは彼女たちが密かにフェイルを匿っているという。
なるほど……。三浦たち五人の勇者は、ジルベルトの娘サーラも匿っていた。アキラが突然口にした、ルンドストロム王国への亡命という荒唐無稽な話に耳を貸さなかったのは、この件があるからだろう。
アキラはあんぐりと口を開いている。
がんばれアキラ。俺はこれ以上面倒くさい話に関わらないからな。
だが彼らの行く先は険しいだろう。
現状アキラとリーナは、流刑島から脱走しているという立場だし。この件が発覚すれば、拙いことになるだろう。
アキラを流刑島送りにした勇者たちが、また躍起になって捕らえに来るはずだから。
それでもアキラは、やると言った。
俺にはその心中を察することができない。娘がいる親の気持ちが分からない。ロジックが理解できたとて、親の深い愛を理解できなかった。
話し合いが終盤に差し掛かると、ルイーズが要点を整理していく。
俺たちは全員でサーラを流刑島に届ける必要がある。
アキラとリーナは、まずジルベルトの元へ娘のサーラを送り届ける。
ただし、アキラはルイーズとの取り引きに応じたため、流刑島から再びこの地へ戻る義務がある。
ルイーズの依頼をこなすため、どれほどの時間を要するのか未知数。
そのためアキラは冒険者ギルドを辞めて、後任に業務を引き継ぐ。
そう聞いてアキラは難しい顔になる。つまりは流刑島から脱走することになるのだから。
「……後任のギルマスは、ジルベルト・ミリアーノにお願いする」
腹は決まったようだ。
俺たち五人も、一度流刑島へ戻り、リアムと合流しなければならない。メリルやテイマーズの三人をサンルカル王国で降ろし、流刑島に戻ってくると言ってたし。
それらが済んだ後、ヴィスコンティ家亡命の手引きをするという計画になった。
「ところで、ソータさん」
「はい……?」
ルイーズが優しく微笑んで声をかけてきた。その顔はわずかに口元を緩め、笑みを抑えるのに苦労しているように見えた。
「松本首相が心配されてますよ?」
また日本語か……。それに今回は、俺と松本総理の関係性を知っているような口振りだ。
「はぁ、そういえば最近、連絡してませんね……。それよりヴィスコンティ伯爵夫人、少々伺ってもよろしいですか?」
「ええ、もちろん」
「あなた、何者ですか?」
しんと静まり返る食堂。俺の言葉のせいではなく、ルイーズが黙り込んだからだ。そもそもここに日本語が分かる者はいない。
「おほほ……」
超の付く美人が笑顔になった。けれど、目が笑っていない……。やべぇくらい不気味だな。そんな笑顔で逃げようとするヴィスコンティ。しかし、ここまで匂わせておきながら、しらばっくれるなんて許さん。
「いやあ、俺もまだまだ井の中の蛙ですね。ヴィスコンティ家の情報網を甘く見てました。そのすごい情報収集能力は、ヴィスコンティ家に代々伝わってるんですか?」
「お……おほほ。わたくしが構築したものですわ」
「ルイーズ伯爵夫人の笑顔は、一笑千金で恐れ入ります! しかし……、この情報収集能力を他国が知れば、驚天動地の大事件となりますね」
「まさかまさか、こんなおばさんの顔にそんな価値はありませんよ? それに、わたくしたちの情報収集能力なんて、たかが知れています」
「ご謙遜ですかー? あはははっ!」
「おほほほ……」
ふむふむ……。日本語で会話しながら、難解な四字熟語を散りばめてみると、ルイーズはそれらの意味を理解していることが分かった。彼女は、勇者たちから日本語を学んだと言っていたが、そこまで深く教えてもらえるものなのだろうか?
『言語魔法ってある?』
『ありますよ。いまなら簡単に作れます』
『お買い得ですよ、みたいな言い方やめろ。ってかニーナの言語魔法しれっと解析してたんだろ?』
『あはは~』
『だと思ったよ。しかし、……うーん』
ルイーズの魔力は動いていない。つまり彼女は言語魔法を使っていない。
ただ、さっきのボロ屋敷で、隠蔽魔法が見えなかった。俺以外にも魔力の使用効率が百パーセントの者が居ると分かった以上、この眼を信用することはできない。
『アップデートしたので、もう見えます~』
『え、そうなの?』
『はーい!』
『サイレントアップデートはやめてくれ』
『えー、驚かそうと思ってたのに!』
んー、クロノスの言うとおりなら、ルイーズが言語魔法で日本語を話しているなら分かるはず。
スキルか……?
「ソータさん?」
「は、はい」
「少し確認してもよろしいでしょうか?」
「はい、もちろんです」
「ルンドストロム王国へ通じるゲートは、すぐにでも設置できますか?」
「ええ、この屋敷からと、ヴィスコンティ伯爵領からですよね。これから設置しますか?」
「いえ、ゲートの設置はもう少し後にしてください。こんなに早くゲートを開けるとは思っていなかったので、まだ使用人たちの準備やヴィスコンティ伯爵領の準備ができていません」
「そうですか。いつ頃がよろしいでしょう? 半年後? いや、そんなにかからないかな……。一ヶ月後くらいですか?」
「そうですね。まったく準備していないわけでもないので、一ヶ月もあれば十分でしょう。よろしいですか?」
「もちろんです」
はい、引っかかった。こっちの世界に、「一ヶ月」という時間の概念はない。一日や十日という呼び方をするからな。この世界特有の呼び方がある可能性もあるが。
勇者が日本語を教えていたとしても、それは三十年前のこと。現在も「一ヶ月」という単位を使い続けているとは思えない。彼ら勇者も、郷に入れば郷に従うはずだ。
そうなると、ルイーズは何者なんだって話になるけど……、さっぱり分からないな。割とどうでもいいけど。
「そこで今回、別件の取り引きを提案します」
「はあ?」
いけねっ! 素が出てしまいそうになった。
「わたくしが実在する死神幹部の動向をお知らせ致します。もちろん、その中には、エリス・バークワースの所在地も含まれます。その対価としてソータさん、あなたには淵源の吸血鬼、リリス・アップルビーを討ってもらいます。お受けしますか?」
「はい、受けます」
俺は即答した。




