158 ヴィスコンティ伯爵夫人
ルイーズ・アン・ヴィスコンティ。彼女は鮮やかなドレスに身を包み、食堂に現れた。服装は洗練され華麗で、伯爵夫人の威厳を漂わせていた。佇まいは気品に満ち、教養の深さを感じさせる。食堂にいる執事やメイドたちが、彼女を敬慕していることが伝わってきた。
ルイーズはこの世界のニンゲンだ。容姿も立場も周りの評価も、全てそれを裏付けている。
それなのに、なぜ日本語が話せるのだろう?
「あ、勇者たちに日本語習ったんですね」
そういうことだろう。三十年前、アキラたちはこの国に大召喚術で呼び出されているし。だから日本語で訊ね返した。
しかしルイーズはニッコリ微笑んだまま話を打ち切り、次の話題へ移った。
「ミッシー、旧交を温めるのは後にして、実務的なお話をしますわよ?」
「その知らない言葉は、ソータの世界の言葉だと思うのだが……。密談はもういいのか?」
「あらやだ、密談だなんて! 勇者に教えてもらった日本語ですわ。ソータさんの容姿は勇者たちと似ているのよー!」
きゃぴっとする三十六歳。十代に見えるから、違和感はない。けれど、したたかさは花丸満点だ。
ミッシーはため息をひとつ。ルイーズに先を促した。
彼女が俺の存在に気付いたのは、獣人自治区制圧戦の風聞が、この国の耳にも届いたからだという。
噂になるようなことはやってないと思うんだけどなぁ。
ルイーズはその噂を根拠に、俺とミッシーに対価を求めてきた。
「ソータさん、ミッシーさん、この屋敷を探索の拠点としてお使いになるのですね? わたくしはあなたたちの手助けをいたします。ただ、その見返りとして、ヴィスコンティ家とその忠実な家臣、働き者の使用人とその家族すべて、ルンドストロム王国への亡命を手伝っていただけませんでしょうか?」
――は?
「……は?」
俺の心の奥で呟いた言葉が、ミッシーの唇からこぼれ落ちた。マイアとニーナも目を見開いて驚愕の色を浮かべていた。
だが、冷静に考えてみれば、理解できる部分もある。
伯爵家の奥様が、勇者の手に落ちた奴隷を匿い、勇者がさらったサーラ・ミリアーノを救出するための協力を申し出る。その対価は亡命だ。
執事やメイドが見守る食堂で、そんな話を平然とするわけがないもんな。亡命の話は、すでに周知されているのだろう。
ルイーズの話は続く。エルフの国へ亡命するという話は、現在進行形で進められており、ルンドストロム王国の女王、アストリッド・ラーソン・ルンドストロム・クレイトンからも許諾が得られているそうだ。
「今は本国に連絡しようがない。しかし、私もかつてルイーズに恩を受けた。亡命の件、お手伝いさせてもらおう」
当然のことながら、俺は口を挟む余地がない。エルフの国にデレノア王国の貴族が亡命するという大事な話だから。
だが、貴族の一族郎党全てが亡命するというのは、果たして現実に可能なのだろうか?
俺が巨大ゲートを開くことで解決できる話ではない。
この屋敷にいる者だけでなく、ヴィスコンティ伯爵の領地にも多くの亡命希望者がいるはずだからだ。しかも俺は、ルンドストロム王国がどこに位置するのか、大雑把な方向しか知らない。
ゲートを開くためには、その場所を俺が知っている必要がある。
窓の外はすでに夜明けの空が広がっている。流刑島に来た初日だというのに、波乱の連続で疲れた。けれども、後でルンドストロム王国の場所を探しに行こうと決心する。
音速の三十倍くらいで飛べば、あっという間に見つけられるはずだ。
そう思いながら待っていると、ミッシーとルイーズの細部にわたる打ち合わせがようやく終わった。
簡単に言うと、俺たちは指名依頼を受けているので、サーラ・ミリアーノ救出を最優先にする。王都ハイラムにいるヴィスコンティ家の人々が、俺たちのバックアップをする。
その後で、俺たちはヴィスコンティ家の亡命の手助けをすることになった。
王都の伯爵家の者は、少人数に分かれて移動し、船に乗り込んで出港するという。
「あのさ、ミッシー」
話がまとまる前に伝えておかなくちゃ。
「どうした?」
「後でルンドストロム王国の場所を探しに行くから、大体でいいから目印になるものを教えておいて。そうすれば、この屋敷でも、ヴィスコンティ伯爵の領地でも、どこからでもゲートを開けられるからさ」
移動先が分からないと、ゲート魔法は使えない。
しかし、ミッシーは重苦しい視線を向けて、ため息をこぼす。
「ルンドストロム王国は、この星の裏側だぞ? そんな距離をどうやって……」
そこまで言って思い出したようだ。俺がこっちとあっちを、ゲートで行き来できることを。
文鎮になっているマイアとニーナも「そういえば」と言葉をこぼす。
そして、ルイーズ・アン・ヴィスコンティは、少しだけ口角を上げた。
この人、やっぱ抜け目がないなぁ。
俺がそんなこと出来ると、知っていた節がある。まあ、エルフの国の密偵をやっているくらいだ。ヴィスコンティ家の情報網は他国にも及んでいるのだろう。
「じゃあミッシー、後で教えてくれよ。ヴィスコンティー伯爵夫人も、領地の大体の方向と目印を教えてください」
「あらあら! そんなに固い呼び方はやめてください。ルイーズで結構ですよ! それから、心から感謝していますわ、ソータさん」
そうして俺は、ルンドストロム王国と、ヴィスコンティ伯爵領の場所を探しに行くこととなった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
姿を隠して、異世界の空を飛び回ったのは六時間ほどだった。ルンドストロム王国の王都シルヴァリスを見つけた後、ヴィスコンティ伯爵領も発見した。
そして、今に至る。
「お帰りなさいませ。お早いですこと!」
屋敷の扉を開けると、ルイーズが優雅に微笑んで迎えてくれた。彼女の表情には驚きの色はない。やはりある程度は俺の能力を知っているのだろう。
「無事に戻ってきました。ゲートはいつでも用意できますよ」
「それはありがたいですわ。ソータさんが出かけてから、ミッシーたちと少しお話をしていました。今はお休みになられていますの」
無理もない。あの三人は俺と違い、生身の身体だ。
「彼女たち疲れてると思うんで、ゆっくり寝かせてください。ところで――」
「こちらをどうぞ」
ルイーズはさっと紙を手渡した。それは王都ハイラムの地図で、勇者たちの関係する場所が赤く印されていた。自宅や拠点、訓練場や隠れ家、さまざまな情報が詳細に記されている。
俺が空を飛んでいる間に作ったものではない。こんなに詳細な情報を調べる時間はなかっただろうし、元々持っていた情報を整理したのだろう。彼女の情報網は、恐ろしいほどに広くて深い。仕事が早くて舌を巻く。
「目星はついていたんですね?」
「ええ……。ジルベルト・ミリアーノの娘がさらわれたという話は、耳に入っていました。ソータさんが出かけている間、怪しいところを調べさせましたので、情報は確かだと思いますわ。大きな赤丸がそうです」
出かけてる間に調べた? またまたー、なんて思いながら、地図を眺める。俺は王都ハイラムを空からみたので、この地図は寸分違わず正確なものだと分かった。
ふむ……。
この地図は誰が描いた? 印刷ではなく手書きだ。
ルイーズに目をやると、ニッコリ笑顔で微笑んでいる。
三十年前の大召喚術でアキラたちはこの国に持ち込んだ技術なのか。
いや、当時の彼らはまだ中学生だ。測量技術など、……いや、なにか特殊なスキルでも授かっているのかもしれない。
まあいいや。
「ありがとうございます。さっそく探しに行って参ります」
「お気をつけ下さいませ」
ルイーズが礼儀正しく頭を垂れる。うーん。やっぱおかしいな、この人。貴族は平民に頭を下げないものじゃなかったっけ? 俺の勝手な思い込みかもしれないけど。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ルイーズから借りたこの街の一般的な服で、俺は目立たないように街中を歩いている。地図は頭に叩き込んだので、勇者たちの自宅や拠点はすべて把握している。
彼女が怪しいと指摘した大きな赤丸は、王都ハイラムに三カ所あった。すでに二カ所は空振りに終わっている。
三カ所目に到着した。スラム街の一角にある屋敷は、廃墟のように朽ち果てていた。ただ、入り口の格子門はがっちりと閉ざされているし、奥の庭は雑草が生い茂っていた。
あまり長い間立ち止まると、怪しまれるだろう。スラム街とはいえ、人通りはある。ここにサーラ・ミリアーノが監禁されているのならば、勇者たちの一派が警備しているはずだし。
「いよぅ、にーちゃん。その屋敷に興味あるんか?」
「おかしいよな、スラム街に屋敷があるなんてよぅ」
「ちーっとツラ貸せや」
なんて考えていると、チンピラ風の男三人に声を掛けられた。だがその動きは武芸を嗜む者のそれだ。視線や足運びが洗練されている。チンピラを装ったひとりが、俺の肩に手を回し、脇腹にナイフを突きつける。
この時点で明らかだ。スラム街の住人に分からないように、ナイフで脅すのだから。このチンピラ風味の奴らは、リョウタの手の者。だとすれば、今度こそ当たりだろう。
俺は肩に手を回されたまま抵抗せず、無言で彼らに従う。
路地裏の奥に連れて行かれると、俺は壁に押しつけられた。もちろん周りに人気はなく、周囲の住宅も寂れている。
ただし、こちらに近付いてくる三人の気配を感じた。
それに気付かず、彼らは尋問を始めた。
「てめぇ、この辺のもんじゃねぇな?」
「あの屋敷は、スラム街のニンゲンなら近付かねえからなぁ」
「で? テメエどこの手のもんだ?」
「冒険者だよ」
「冒険者だと? それなら、あの屋敷に近付かないように周知されてるはずだが?」
「アニキ、面倒くせえから、殺っちまいましょう」
「死体はいつものアレで処理しやしょうぜ」
ただ屋敷の前に立ち止まっただけなのに、命を奪おうとするまでに至るその短絡的な思考には、呆れを禁じ得ない。
アニキは子分二人の意見に賛成のようだ。汚らしい笑みを浮かべ、ナイフをふりかざした。
さてどうしよう。こいつらを締め上げて、情報を聞き出すか。あるいは、こっちに近付いてくるファーギたちに任せようか、と迷っているうちに、チンピラ三人が倒れ伏した。
「けひょ!?」
「がっ!?」
「おぶっ!?」
「ソータちゃん、大丈夫?」
チンピラ三人の頭を、針のような細さのレイピアで突き刺したのは、ちびっ子リーナであった。
彼女の瞬時に放たれる剣技は、まるで閃光のごとく、三人の命を奪った。即死した彼らの額には、出血もなく、静かに瞳が閉じられていた。リーナの持つその妖しいレイピアは、魔道具、いや魔剣なのだろう。
「大丈夫だけどさ、殺さなくてもいいんじゃ?」
それにしても相変わらずというか、簡単に人を殺す世界だ。
「そんな事言ってたら、この世界で生きていけないわよ?」
後から駆け付けたアキラとファーギも、当然だろうと言わんばかりに頷いている。
「うん、まあ気を付けるよ。ところでさ、ハマン大陸までどうやって来たの?」
俺が三人に訊ねると、ファーギが口を開いた。
「そうそう、その件でちょっと聞きたいんだが……。ダンジョンが崩壊して、通路が塞がった。流刑島とハマン大陸で、もう行き来できなくなっている。ソータ、お前ダンジョンで何かしでかしたか?」
疑惑の眼差しを向けられる。横にいるアキラも同じく、ダンジョン崩落が俺のせいだと思っているようだ。やったの俺だけどねっ!!
「うん……、色々あってさ。森型のダンジョンがあったでしょ。そのダンジョンコアを、ダンマスが割ったんだと思う」
何とか誤魔化そうとすると、アキラから突っ込みが入る。
「ほう……。その色々あった話を聞きたいんだが?」
「色々あったんですよっ! こんなとこで駄弁ってないで、さっさとサーラ・ミリアーノを探しに行きますよっ!」
ロックバレットがダンジョン崩壊のきっかけになった、なんて言ったら、また色々と問い詰められそうだ。俺は話をそこで打ち切って歩き出した。
慌ててついてくる三人。というか、すごく気になるな。ファーギたち三人は、どうやってここを捜し当てたのか。
人気のない裏手に回り、ボロ屋敷の前に到着。そこで俺は聞いてみた。
「なんでこの屋敷だと思ったの?」
ファーギたち三人に訊くと、アキラが答えた。
「俺はギルマスだ。流刑島の情報だけじゃなく、他国の情報も入ってくるからな」
ギルマスだからってのは、誤魔化していると思う。アキラも元勇者だから、なんか色々特殊能力があるのだろう。
アキラからルイーズとはまた違う、薄ら寒さを覚えながら、俺たちはボロ屋敷に侵入した。




