157 ダンジョン崩壊
崩壊の兆しが現れた。ドーム型の天井は、重みに耐えきれずに崩れ落ちる。その轟音は、まるで森全体が震えるほどのものだった。巨大な岩塊が地面に叩きつけられ、木々は折れ、草花は散り、モンスターたちも泡となって消えていく。美しく緑豊かな魔境は、瞬く間に灰色に染まり、生命の息吹を失っていった。
「いないな……」
俺たちが戻ると、マイアとニーナは爆発の跡地から逃げ出していた。そして奴隷たちの姿は、どこにも見えなかった。
「どうする?」
ミッシーは恥ずかしそうに抱きついてきたが、マイアたちが消えたことを知ると、すぐに冷静な表情に戻す。
「影魔法がついてってるから、居場所は分かる。もう一度転移するぞ」
そう言うとミッシーは再び俺に抱きついた。細身の彼女だが、胸や腰の曲線はしっかりと感じられる。……だめだめ。今はそんなこと考える余裕はない。
俺とミッシーは密着したまま、二度目の転移に挑んだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
マイアたちはやはり、流刑島ダンジョンから続くトンネルへと進んでいた。影魔法の百体はまるで生きているかのように彼女たちを護っている。スチールゴーレムと同じく、基本的に俺と同じ行動をするので安心だ。
だが、影魔法は俺の魔力から生まれたもの。俺のように魔力が回復するわけではないらしい。それは、マイアたちを障壁で包んで守る影魔法の中に、本当の意味で影が薄くなっているものがいることで明らかだ。
数体だけだが、確かに影が薄い。
俺が転移した場所は、トンネルの入り口。マイアたちからすれば、前方に突然俺たちが現れたことになる。だから転移した瞬間、二人で抱き合っている姿を見られてしまった。
「おい! 無事か!」
そのせいで俺の声に耳を貸さない。マイアとニーナの顔が冷たく硬直し、無言のまま進んでくる。こんな危機的な状況なのに「ふたりとも、何をやっているんだ」と言わんばかりの空気が漂う。
奴隷化された五人は、転移魔法を見たのが初めてなのか、目を見開いて驚愕していた。
「……」
「……」
トンネル前に到着したマイアとニーナたちは、言葉を失ったまま俺を見つめる。女性関係に疎い俺は、彼女らが何を考えているのかさっぱりだ。ただ、四つの瞳の奥に、怒りの兆候は見られない。たぶん。
「ほ、ほら、さっさとトンネルに入れ!」
いつも落ち着いているミッシーが、不自然に慌てている。
というか転移するとき、なんで抱きついてきたんだ?
「転移魔法で、一旦外に出よう。ここが崩れたらトンネルまで影響が出るかもしれない」
影魔法がまだ多数残っているので、多分平気だと思うけど。
と、男の奴隷がナイフを取り出し、俺に襲い掛かってきた。
それに続く残りの奴隷たち。
何で俺?
取りあえずナイフを持つ手を掴み、捻りあげる。
「ぐあっ!?」
肩が脱臼しない程度に痛みを与え、膝をつかせた。
さっきせっかくアキレス腱を治したのに、恩を仇で返された気分だ。
残りの四人は怖じけずに、無手で飛びかかってきた。
あまり時間が無いので、さっさと倒さなきゃ。
奴隷になった人たちは、戦闘に関しては素人だ。
年齢的にも俺と変わらないくらいで、この島生まれかな。
四人とも骨折しない程度に顔面を殴って倒す。
気を失わない程度にしたけど、かなり痛そうである。
四人ともしゃがんだり、四つん這いになって痛みを堪えている。
ミッシー、マイア、ニーナ、三人は傍観を決め込んでいた。
信頼の証だとして、その態度を受け取っておこう。
「なあ……。何で襲ってき――」
最初に腕を捻りあげた男が、また飛びかかってきた。
しつこい。
……ん?
男の虹彩に、一瞬だけ黒いモヤが見えた。
取りあえず顎パンチで意識を飛ばしておく。
残りの四人は、まだ痛みで立ち上がれない。
そういえば、奴隷化されているんだよな、この五人は。ということは、あの逃げた二人が、俺を襲うように指示していたのか。
主人からアキレス腱を切られて置いてけぼり。
それでもなお、俺を襲えという命令を聞かねばならないのか。奴隷って難儀だな。……ん?
「なあ、奴隷ってさ、どこまでの命令を聞くの? 死ねと言われて死ぬわけないよね?」
地球のロボットは、人間に危害を加えないように、様々な原則に従っている。その原則の一つに、人間を救うために、ロボットが自らを犠牲にする、というのがある。
こいつらロボットかよ。奴隷化すると、命よりも命令を優先するのか……?
「いえ、そんなこと聞く奴隷なんていませんよ?」
「……そうか」
物知りマイアが答えてくれる。それなら何でこいつらは……。
「とりあえず脱出しよう」
ダンジョンはもはや崩壊が避けられない。ドーム状の屋根が重みに耐え切れずに砕け散り、周囲に響く轟音は、絶望が押し寄せるように感じられた。まるで地獄の門が開かれたかのような光景だった。地獄の門なんて見たことないけど。
「おーい、転移するから全員集合!」
俺の声で、ミッシー、マイア、ニーナ、が近付いてくる。彼女たちは俺を頼りにしているが、俺もまた彼女たちの存在に支えられている。
もちろん奴隷たちを置いていくつもりはない。だけど、奴隷五人と女子三人、合わせて八人が俺の肌に触れておかねばならない。
奴隷たちはまだやる気が残ってそう。変なことされるとまた面倒くさいので、念動力で、奴隷たちを寄せ集める。ミッシーたち三人が、俺の手を握り、奴隷たちは、俺の足首を掴ませた。
「んじゃいくぞ」
俺は影魔法を全て消し、外界へ転移した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「……どこここ?」
予定していた場所とは全く違う、見慣れない街に転移してしまった。周りを見回しても、さっぱり見当が付かない。しかし、ミッシーだけは違って、驚きの声をあげた。
「ここは、デレノア王国の王都ハイラムだ」
「えっ?」
「おそらく、崩壊したダンジョンが、私たちの方向感覚や距離感を狂わせたんだろう」
周囲はまだ暗い。それでも人々は早起きして、仕事の準備をしていた。もうすぐ夜が明けて、街は活気に満ちるだろう。
滑らかな石畳は、馬車が走る車道と歩道に分かれている。魔石ランプの街灯が並び、信号機まであった。これは多分、勇者たちがこの国に持ち込んだアイデアだろう。
がっしりとした石造りの建物が、ビル街のように建ち並んでいる。ミゼルファート帝国の石造建築に負けず劣らずの、立派な建物ばかりだ。
辺りをキョロキョロしていた俺たち。街の人たちの視線は、不審者として俺たちを睨んでいた。彼らの目は、鋭い刃物のように俺たちの肌を切り裂き、疑いと警戒の感情を伝えてきた。
そりゃそうだ。俺たちは街の人々の服装とは違い、防具を着込んで武器を持っている。さらにダンジョンの崩壊で、顔も身体も粉塵で汚れている。
ここにいたら、絶対に騒ぎになる。衛兵が来る前に逃げよう。
「もう一回転移するぞ。流刑島は結界があるから無理だよね? 適当にどこかへ――」
「待て、ソータ」
ミッシーが俺の肩をつかんで顔を寄せる。近い近い。
「どうした?」
「依頼を忘れてないか?」
「忘れていないけど、このままだと拙くない? 奴隷たちもいるし、このままだと俺たちまとめてお縄になっちゃうよ?」
「この街のはずれに、ルンドストロム王国の密偵がいる。まずはそこへ行こう」
「お、おう」
エルフの国も、裏で様々な策略を巡らしているようだ。ミッシーがどうしてそんなことを知っているのかは一旦置いて、俺たちは早急に移動する必要があった。
素早く路地裏に潜り込み、身を隠した。街中にいたままでは、不審者として捕まってしまう。
「ゲートを開くぞ」
周囲に敵の気配がないか確かめながら、ミッシーがそう宣言した。彼女の手から魔力が溢れ出し、ゆっくりと空間に裂け目が広がっていく。その裂け目は別の場所へ繋がり、緑色の芝生が見えた。
「さあ、急ごう。ここにいると、厄介なことになる」
ミッシーが促す。俺たちは頷き、次々とゲートの中へと飛び込んだ。みんな通り抜けたことを確認し、最後に俺とミッシーがゲートをくぐった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
目を疑った。緑の絨毯のような芝生の向こうに、壮麗な屋敷が姿を現した。白い壁は純潔の象徴のように輝き、赤い屋根は情熱の色彩を放った。大きな窓からは花々の香りが漂い、まるで夢幻の世界に迷い込んだかのようだった。
ルンドストム王国の密偵って話だったから、秘密裏に活動するスパイのようなイメージがあったが、ここはまるで貴族の邸宅だ。というか貴族の邸宅だろうね。
その思いも束の間だった。屋敷の奥から、鎧を着込んだ男たちが続々と現れた。彼らは俺たちを取り囲み、剣を向ける。
当然だろう。ここは明らかに私有地で、立派な庭園が邸宅を取り囲んでいる。不審者が現れれば、警備が瞬時に駆けつけるに決まっている。
「お前たち! 何の手段を用いてここに入り込んだ!?」
俺、ミッシー、マイア、ニーナ、そして奴隷たち五人、あわせて九人もいる。俺たちは彼らから見て、明らかな侵入者であった。彼らが声を荒げるのも無理はない。
どうするつもりなのかと思いながらミッシーを見ると、申し訳なさそうに話し始めた。
「ルイーズ・アン・ヴィスコンティはまだ起きてないのか?」
「貴様!! ここがヴィスコンティ伯爵家の屋敷だと知っての暴挙か!!」
警備の若い男がミッシーに剣を向ける。てか、やっぱ貴族のお屋敷だったし。
「いや、私は友人なのだ。名をミッシー・デシルバ・エリオットという。緊急事態でやむを得ず避難させてもらった。すまない、ルイーズに確認を取ってもらえないか?」
ミッシーが自分の名前を明かした途端、剣を向けている若い警備の者が仰天する。それだけではなく、警備の者たちは全員一歩引いて、片膝をついた。
「は、早く確認してほしいのだが……」
ミッシーが戸惑う。警備の者たちの豹変ぶりに驚いたのだろう。
いったいミッシーは何者なのだろうか……? これまでにも何度も驚かされたが、ここまで露骨に見せつけられると、ミッシーは族長というよりも、エルフの貴族の血筋なのではないかと疑わざるを得ない。
俺の内心とは裏腹に、警備の者が屋敷へ走る。しばらくすると、執事っぽい人が出てきて、屋敷の中へ案内してくれた。五人の奴隷が余計なことをしないように、念動力で拘束したまま、俺たちは中に入る。
広々としたエントランスホールが迎えてくれ、華やかな装飾品が目を引く。それだけでなく、絵画や彫刻が並んでいた。屋敷の主人は芸術がお好きなようだ。
「ミッシー様、こちらへお願いします」
「様はいらない。それに、この三人も一緒に通してくれないか?」
礼儀正しく案内しようとした執事に、苦笑しながら言うミッシー。このやり取りって、前にどこかで見たな。
「……承知いたしました。ではお連れの方もこちらへどうぞ」
俺たちも執事に従って歩いていく。マイアとニーナは不安そうに周りを見回している。奴隷の五人は、エントランスホールで待機だ。警備の人たちが居るから安心だと思うけど、念のため念動力の拘束は解かないでおく。
執事に案内されながら屋敷の奥へと進んでいく。廊下にはヴィスコンティ家の歴史や、栄光を物語る肖像画がずらりと並んでいた。やがて俺たちは、ルイーズ・アン・ヴィスコンティの部屋の前に辿り着いた。
執事はノックして、そっとドアを開ける。部屋の中では、金髪の美女が寝床でうとうとしていた。彼女こそが、ルイーズ・アン・ヴィスコンティだろう。執事は優しく声をかけて、彼女を起こした。
「お目覚めになりましたか、奥様? お友達のミッシーさんが、お見えになりました。緊急事態で避難する必要があったとのことでございます」
ルイーズは目をこすりながらベッドから起き上がり、ミッシーを見つけると、驚いた顔をして、すぐに笑顔に変わった。
「ミッシー! 本当にお久しぶりですわ。こんな時間にどうされましたの? あっ! お着替えして、食堂へ行きますわ。先にいっててください」
ベッドに座って、俺たちに笑顔を向けるルイーズ。
彼女の髪は金色でふわふわとしており、寝癖がついているのが可愛らしかった。青い瞳と白い肌は、寝起きでも美しさを損なわない。彼女はまさに傾城の佳人だった。
しかし、何かが違うと感じる。なんだ、この違和感。
執事に導かれて、俺たちは華麗な食堂へと足を踏み入れた。
食堂は金色と白色で彩られており、まるで太陽の光を映し出すかのように輝いている。壁には絵画や彫刻が飾られており、テーブルには花や果物が並んでいた。
俺たちはそんな食堂で、ルイーズを待っていた。やがて彼女が現れると、メイドさんたちがさっと動き出し、テーブルにお茶を並べていく。
「ルイーズ、早朝から済まない。流刑島で色々あってな……。こっちが冒険者のソータ。女性の二人は、修道騎士団クインテットで、マイアとニーナだ」
ミッシーが俺たちを紹介するとき、ルイーズの視線が俺の黒髪に引き寄せられた。一瞬だけだったが、彼女の目に好奇心と驚きが浮かんだ。
お互いに軽く自己紹介を済ませると、ルイーズが三十六歳で子どもが三人いると分かり、びっくり仰天。彼女は十代に見えるほど若々しい。
彼女が王都ハイラムに住んでいるのは子育てのためらしい。伯爵であるグウィリム・アン・ヴィスコンティは、領地住まいだという。
そのあとミッシーが事の成り行きを説明すると、奴隷の五人はヴィスコンティ伯爵家が預かることになった。彼らが勇者たちの手に渡ると、戦争の最前線に送り込まれ、肉の壁にされるという。
あの胸糞悪い話は本当だったんだな。
ここで救われた彼らが、どんな未来を迎えるのか。それは分からない。ルイーズは彼らの奴隷紋を解除し、自由にするという。しかし彼らは流刑島生まれの流刑島育ち。この屋敷で奉公し、デレノア王国のことを学ぶもよし。すぐにでも屋敷を出て行くというのなら、見舞金を渡して送り出すという。
ルイーズが示した新たな二つの選択肢は、肉の壁となる未来を斬り割り、別の未来への道を切り開いた。
ミッシーとルイーズの話が一段落すると、アキラからの指名依頼を受けるために、ここを拠点としても構わないという了解を得た。
ここは王都ハイラムに構える、ヴィスコンティ伯爵家の屋敷だ。勇者であろうと、易々と手を出せる場所ではない。
サーラ・ミリアーノの居場所はまだ分からないけれど、ひとまず安全で快適な場所が確保できた。ミッシー様々だ。ふははは。
「板垣颯太さんとおっしゃいましたか? あなたも日本人ですね?」
ルイーズがそう言うと、ミッシー、マイア、ニーナ、三人はキョトンとする。
俺が日本人だと、彼女が知っていたからではない。
「はい、――は? ええ、そうです……けど?」
ミッシーたちは、ルイーズの話した日本語が解らなかっただけだった。




