156 霧のように消えた
いつの間にモンスターに取り囲まれたのだろう? 勇者たちの気配を追って森の奥深くまで侵入していたため、周囲のモンスターの気配が混ざり合って分かりにくかったのも原因だ。
ミッシーたち三人も気づいていなかったようで、腰を落として戦闘態勢に入る。
「気配が薄いな……。何のモンスターか知ってる?」
「森型のダンジョンに現れる、アラクニアという蜘蛛のモンスターだ。厄介だから気を付けろよ、ソータ。そこら中に擬態して隠れている」
「きれいな投網を放ってくるので、触らないようにしてください」
「触ると痺れて動けなくなります」
ミッシー、マイア、ニーナ、三人が俺の疑問に答えてくれた。
暇ができたら、図書館にでも行こうかな、なんて考えていると、俺の足元から蜘蛛が飛び出してきた。五十センチほどの大きさで、絶妙に気持ち悪い。
ミッシーが言った通り、このモンスターは擬態していた。半透明に見えるのは錯覚なのか? しかしその特殊能力で森の地面と一体化し、俺の目でも気づけなかった。
マイアが言った通り、美しい投網を飛ばしてきた。絹糸のように白く艶やかなそれは、ふわりと俺に被さってくる。
これに触ると、ニーナが言ったように痺れて動けなくなる。
なので、魔力を弾けさせて、衝撃波で吹っ飛ばす。
ついでに、俺に噛み付こうとしてるアラクニアも吹っ飛ばす。
蜘蛛の腹部は柔らかく、衝撃波に耐えられない。
破裂して体液が飛び散り、森の地面に茶色い染みを作った。
ミッシーは風の魔法で竜巻を巻き起こし、アラクニアを一網打尽にした。
竜巻は勢いを増し、森の奥深くへと進んでいく。木々が折れ、葉が散り、空には茶色い体液が舞う。
マイアは小盾の力で石を創り出し、自分の周りを衛星のように回転させる。
石は次第に輪を広げ、アラクニアや森の木々を容赦なく打ち砕いていく。
ニーナは小さな短剣から神威の針を伸ばし、剣として振るった。
細い針が触れるものは、まるで豆腐のように切られていく。アラクニアも森の木々も、切断された断面が白く光る。空中には、切り裂かれた木の葉が舞い上がっていた。
俺も衝撃波で吹っ飛ばしているが、数が多すぎてなかなか減らない。
ミッシーたち三人も同じだろう。倒したと思っても、森の奥から新たなアラクニアが現れる。森の木伝いに這ってきたり、地面から飛び出したりと、様々な方向から網を飛ばしてくる。
「これ、いつまで続くの?」
アラクニアに負ける気はしない。ミッシーたち三人もそうだろう。しかし、このままでは時間と体力を消耗するだけだ。
「ダンマスの指示しだいだな」
「私たちを何が何でも殺せという指令なら、果てしなくアラクニアが襲ってきます」
「このダンジョン、たぶんAランクだと思います。ダンマスがその気なら、私たちが死ぬまでこの攻撃は続きます」
ミッシー、マイア、ニーナ、三人とも話す余裕がある。
浮遊魔法で飛んでもいいけど、ダンマスがいるのなら、きっと狙い撃ちにされる。ミッシーの言うとおり、たしかに厄介なモンスターだ。
俺は影魔法で、百体の影を作る。
「うわっ!?」
「きゃっ!?」
「うへぇ!?」
女子三人は恐怖に震える声を上げた。
黒い影が、アラクニアを容赦なく打ち砕いていく。茶色い体液が飛び散る、その光景はまるで悪夢のようだった。すぐに泡となって消えていくとしても。
彼女たちには、申し訳ないと思う。でも、ここで足止めされるわけにはいかない。周囲のアラクニアを一掃するために、影魔法で一気に殲滅した。
「すまん。先を急ごう」
彼女たちに一言謝ってから、俺は先頭に立って走り出す。
また変な魔法を使ったからなのか、背中にじっとりした視線が突き刺さる。しかし、振り返るわけにはいかない。追っている二人組の気配が、次第に遠のいていく。
時折襲ってくるアラクニアは、すべて影魔法で潰していく。他にも、フォレストワームという大人しい魔物がモンスターとして襲ってきたり、巨大なヒルのモンスターが巨木から落ちてきたり、ダンマスの嫌がらせが続いた。
だが、百体の影魔法はなかなか優秀で、全てのモンスターを泡と化す。
影魔法なのに、俺が指示を出さずとも勝手に最適な動きをする。五感が俺と共有されていることを考慮しても、その卓越した能力には驚嘆せざるを得ない。
しばらくすると、放射状に倒された森の木々が広がる広場へと辿り着いた。おそらくミッシーの矢が着弾し、爆発が起こった場所だ。通常であれば、このような広範囲のダメージを受けると、ダンジョンは直ちに回復するはずである。
なのに回復できていないのは、神威の矢だったからだろう。
爆心地の近くに、五人の奴隷が血まみれで横たわっていた。彼らの傷は爆発の影響ではなく、五人とも刃物でアキレス腱を切られていた。
逃げている二人の仕業に違いない。奴らは俺たちが奴隷を放っておけないと知っての行動だろう。
反吐が出るな。こんなクソみてえなやり方。
走る速度を落とさずに、奴隷たちに向けて魔法を使う。回復と治療、あと解毒魔法の三つだ。
かなり出血していたけれど、とりあえずは大丈夫だろう。
「おいっ!! ソータ!!」
「そこの奴隷は、もう回復させた!! 三人で守ってやってくれ」
「あっ! ――私も行くぞっ!!」
「解りましたっ!」
「ご無事でっ!!」
ん? ミッシー張り切ってるなあ。彼女だけついてきた。まあ、奴隷の五人は治したし、マイアとニーナの二人で大丈夫かな。……いや、ちょっと不安だから、影魔法の百体は置いていこう。
それからしばらくの間、深い森の中で追いかけっこが続く。ダンマスは逃げている勇者の仲間だ。おそらく召喚された勇者の一人のはず。でなければ、俺とミッシーだけに、こんなにもモンスターが襲い掛かってくるはずがない。
けれども、それは些細な出来事に過ぎない。俺は念動力で、全てのモンスターを一撃で屠っていく。アラクニアは出てこなくなり、今は熊や狼といった動物のモンスターが現われている。
ミッシーも負けていない。走りながら矢を放ち、確実に仕留めている。
「追い付くぞ」
「任せろ!」
森の中を駆け抜ける二人の背中が、やっと視界に入ってきた。俺とミッシーは走る速度を上げていく。
二人とも女性で、髪の毛は黒。チラリとこちらを見た顔は日本人だった。大召喚術で呼び出された日本人にしちゃ若いのがいる。親子くらい年が離れているので、おそらくは娘、なのか……?
にしては、魔力量が多いな、あの若いの。変な魔力も混じってるし。
「ミッシー。俺があいつらの前に出る。挟撃するぞ」
「ああ、分かった」
ミッシーは鈴のような声で美しく答える。その声音に違和感を覚え、釘を刺しておく。
「殺すなよ?」
「……」
殺す気だとバレバレだから注意したんだけど、あからさまに残念そうな顔するなよ……。
「よっ! お前ら日本人だよな」
逃げる女性二人の前に、瞬間移動で移動する。
「むおっ!?」
年配の女性が、短剣を振り下ろしてきた。髪は耳よりも短く切られており、小さな顔はしわだらけだった。黒い服は森の影に溶け込むように作られて、動きも素早く俊敏で、彼女はまるで忍者のようだった。
当然ながら、短剣の攻撃は避ける。斬られても死なないと思うけれど、リキッドナノマシンが露見すると色々と面倒だし。
「っ!? 日本人!?」
俺の顔を見て、驚きの声を上げる中年女性。その言葉は、たどたどしい日本語だった。アキラと同じく、三十年前に大召喚術で呼び出された勇者の一人だろう。
「ちょっと眠っててくれ」
忍者みたいな女性は、俺の瞬発力には追いつけず、顎に繰り出した一撃で意識を失い、膝が折れ落ちるように倒れた。
俺は振り返り、もう一人の敵に目を向けた。ミッシーが若き女性と対峙していた。彼女は銀色に輝くレイピアを構え、女性は素手で立ち向かう。無手であることから、おそらくは格闘技に熟練しているのだろう。
ミッシーはじわじわと距離を詰めていく。レイピアを構える彼女の方が、間合いは広いはずだ。だが、その女性は余裕の表情を浮かべていた。仲間が俺に倒されたというのに、一体どうして……?
その答えは直ぐに判明した。ミッシーと対峙する女性が、まるで霧のように変化してしまった。俺の足元で気絶している女性も同じように霧となった。
何だこりゃ? 魔法か? 霧に変化する魔法なんて、聞いたことがない。あるいはスキルか? ミッシーも初めてのことらしく、俺と同じように驚きの眼差しを向けていた。
だが、霧に変わっただけで、気配は完全に消えていない。二つの気配が、ふわりと離れていく。俺はその気配を、障壁の中に閉じ込めた。
「お……?」
障壁をすり抜けやがった。霧に変化した女性が、俺たちの目の前から消えていく。それだけならまだやりようはあるが、霧は森の地下へ染みこむように消えていった。
気配まで分からなくなり、追跡のしようがなくなってしまった。クソッ、神威障壁にすればよかった。
「あの技で、ダンジョンの壁をすり抜けていたんだろう。思い出したよ、ソータ。あれはスキル〝霧散遁甲〟。バンパイアが使うものだ」
思い出したようにミッシーが言う。
「バンパイア?」
「そう、バンパイアだ。……何だ、その驚いた顔は?」
「あ、いや……この世界にもバンパイアが存在するとは思わなかった。てことは、あの二人のうちの一人は勇者じゃないのか?」
「勇者かどうかは関係ない。問題は、あの二人がどこに消えたかだ。気配が完全に途絶えてしまったぞ」
「確かにそうだな。追跡は出来ないけどさ、ここがダンジョンなら、まだやりようはある」
AだかSだか知らんけど、このダンジョンを破壊すれば、ダンジョンコアは降伏せざるを得ないだろう。ダンジョンマスターが存在していたとしても。
『クロノス』
『はーい!』
『ロックバレット使うから、あの光速の何パーセントの速度ってのやめてね?』
『ダンジョン壊すなら、そんなことしなくても平気だよ?』
『うん、分かってる。適切な威力に調整してね?』
『はーい!』
質量のある物体が光速に近づくと、その質量が無限に増大すると言われているが、これはよくある誤解だ。相対性理論で言われているのは相対質量であり、物体の本質的な質量は増加しない。
そして、質量のある物体が光速で進むことは不可能である。
しかし、クロノスはその法則を無視して、光速に匹敵する速度を出せると豪語していた。それが本当ならば、どんな恐ろしい結果を招くのだろうか。
運動エネルギーは無限大となり、惑星一つくらい簡単に吹き飛ばしてしまうだろう。
――チュドーン
「うおおおっ!?」
俺が放ったロックバレットは、遠く離れたダンジョンの天井に命中し、その破壊力は想像をはるかに上回っていた。
「何をやっている、ソータ!!」
ミッシーが憤慨して詰め寄ってくる。俺はできるだけ平静を装い、彼女を見返す。
「いや、ロックバレットをさ――」
「ロックバレットごときが、ダンジョンの壁を壊すはずがないだろっ!」
ロックバレットはその名の通り、石の弾丸。通常ならば、ダンジョンの壁はびくともしない。
「……そう言われましても」
ダンジョンの天井に穴が開き、無数の岩片が森に降りそそぐ。
その光景はまるで核爆発のようだった。見たことないけれど。
あそこに誰かがいたら、生きては帰れないだろう。
ミッシーから鋭い視線を感じる。彼女からピリついた空気が漂ってくる。
また何か言われそうだけど、もう慣れた。でも、目を合わせたくない。
「ソータ」
「はい」
「やり過ぎだ。あの辺りにダンジョンコアがあったら、ダンジョンが死んで崩れてしまっていたところだ」
「うん……」
ミッシーの非難に、素直に頷く。自分でもやり過ぎたと思っている。でも、おかしいな。
『クロノス?』
『はーい?』
『やり過ぎじゃね?』
『いえいえ。一発でダンジョンコアをビビらせることが出来ました~』
ビビらせる……?
クロノスは、何言ってんだろう。
『もしもしっ!?』
「うおっ?」
「きゃっ!」
大音量の念話が聞こえてきた。ミッシーのかわいい叫び声も聞こえたが、今はそんなことに気を取られる場合ではない。
『声でかいよ。誰だ?』
『ダンジョンコアだよ!』
再び大音量の念話が響く。スクー・グスローたちの念話攻撃に似ている。
だから、もう一発、ロックバレットを撃った。
『やめて!』
『念話がうるさいんだよ!』
もう一発、ロックバレットを撃つ。
『ゴメンナサイ』
『よし。ダンジョンマスターの権限を寄越せ。でなければ、即このダンジョンを潰す』
『……わかりました』
『よろしい。では、最初の指示を出す。ダンジョンの修復と、さっき逃げた二人を捕獲しろ』
『了解しま――――――――っ!!』
なんだ? 急に念話が途絶えたぞ。ダンジョンコアは俺の言うことを聞く気だったはずだ。それが分かるくらい、俺に服従する感情がダンジョンコアから伝わってきたんだけど。
「ダンジョンコアが割られたな……」
ミッシーが慌てた声で伝えてくる。ダンジョンの修復という、俺の指示は実行されず、天井が大きく崩れ始めていた。
「ダンマスは、マスタールームにいたんだろうね。権限を奪われたから、そいつがダンジョンコアを割った。そういうことかな?」
俺の推測にミッシーが頷く。
「だな……。マイアたちと合流して、ここから脱出するぞ」
「わかった。急ごう」
俺はミッシーに手を差し出す。
「……え!? 今、そんなことしてる場合じゃないでしょ!?」
「いや、転移魔法を使うんだ。手を繋がないと一緒に行けない」
あれ……? 触れてないと一緒に転移出来なかったような。違ったっけ?
「ま、紛らわしいことするなっ!」
「……そう言われましても」
俺はそう言って、ミッシーの手を引き寄せる。ミッシーは顔を赤らめて、俺に身を寄せてきた。というか、抱きつかなくても……。
あっ!? 思い出した! 離れた場所の他の物質も転移できるんだった。つまり触れてなくても……。それでミッシーは驚いたのかな? あー、いや、やっぱだめだ。触れてなければ、運動エネルギーが……。
例えば、小石を一メートル転移させると、実質光速を超える。小石が転移先に現れた瞬間爆散するだろう。爆散しないかもしれない。まだ実験してないから分からない。
手を繋いで転移するつもりの行動が、抱き合う形になった。
俺の胸に触れる彼女の柔らかさに、心臓が高鳴ってしまった。
彼女も同じ気持ちなのだろうか? それとも、ただ怖くて寄り添っているだけなのだろうか? 俺は彼女の瞳を見つめようとしたが、彼女は恥ずかしそうに目をそらした。
俺は何も言えなかった。不謹慎にも、この瞬間が永遠に続けばいいと思ってしまったから。




