155 雄叫び
竹内剛志は目を見ひらいて驚いていた。自身のグランウォールが、簡単に破られたからだ。彼の視線の先には、宙に浮かぶファーギとリーナが見えている。彼の頭の中には、マラフ共和国侵攻作戦を中止し、撤退することが浮かんでいた。
「チッ! あのドワーフ、知ってるぞ。やつが何でこの島に。――ちょっと考え直した方がいいかもな……、侵攻作戦」
竹内は、アキラがリョウタの首をはね飛ばす場面を見た。そして事の結末を見届けたとばかりに、苦々しい顔のまま隊列へ戻っていく。元クラスメイトたちが殺し合うという、残酷な現実を受け止められないのか、彼の背中には苛立ちの気配が溢れ出ていた。
一方で、ミリアーノ組は熱狂の一幕であった。一年前、リョウタの手により、彼らの仲間が百名近く命を落とした。以来、彼の傍若無人な振る舞いは組員たちの怒りの対象となっていた。
リョウタの死を知り、歓喜に溢れる彼らの中で、一人の男がぽつりと口にした。
「え、まてまて!? リョウタが死んだら、サーラちゃん、ヤバいんじゃね? 組長まで死んでたら、取り返す交渉も何もできねえぞ!?」
組員たちの表情が一変し、ジルベルト組長の姿を探し始める。リョウタが引き起こした爆発で、小屋は跡形もなく消えてしまっている。この場所はダンジョンであり、建物の基礎工事などは行われていない。そのため、建物の土台は存在せず、床に直接置かれているだけだった。
かつて小屋があった場所には、ダンジョンの冷たく白い床に無骨な鉄の扉だけが残されていた。
「あっ! オヤジ、あそこに隠れてるかも?」
ヒト族の組員が慌てて駆け寄り、床のドアを開ける。
「お、おやじ!」
爆発の衝撃で物が散乱し、足を踏み入れる場所もない食料貯蔵庫。ジルベルトと護衛のオーク二人は、無意識のまま横たわっていた。ダンジョンコアが作り出した地下食料庫自体は無傷だったが、棚が倒れ、保存食や酒瓶が散乱し、三人はその下敷きになっていた。
「おい! 大変だ! オヤジを引きずり出すから、手伝ってくれ!!」
三人とも、床に散らばった食料に埋もれている。食料の上には血が広がっており、彼らの命が危ないことを示している。組員たちは急いで周囲の物をどかして、組長と護衛のオークを助け出そうとした。
食糧貯蔵庫の入口には、組員たちがたくさん集まっていた。組長と護衛のオークを助け出そうと頑張っているのだ。
「どいてくれ」
そんな彼らを押し退けてきたアキラ。顔や身体にリョウタの血がべっとり付いているが、気にもしていない。ジルベルトの安否が気になっているのだろう。しかし、その表情は暗い。彼はリョウタを殺したことで、胸の奥に深い罪悪感があるのだろう。
妻を殺した相手だとしても。
「致命傷じゃねえか……」
アキラは食糧貯蔵庫の中に入り、狭い空間で穀物袋や保存食がめちゃくちゃになっている中、三人の姿を見て呟いた。ジルベルトの頭部が大きく凹んで、そこから出血している。今すぐにでも死んでおかしくない状態であった。
アキラは躊躇いなく、ファーギ特製の水を掛ける。ジルベルトを守るように倒れている、オークの護衛にも水をかけた。
「……」
ジルベルトが目を開けた。同時に護衛のオークたちも目を覚まし、起き上がった。彼ら三人の命は跡絶える寸前だったと、ミリアーノ組の者たちはわかっていた。しかし、アキラが使った水で、瀕死の三人があっという間に回復した様を見て、歓声を上げる。
重苦しい空気はその声で吹き飛ばされ、外にいる組員たちは抱き合って喜び始めた。
「ど、……どうなった?」
ジルベルトは立ち上がって、不安げな声を発する。身体は完全に回復したものの、着ている服装は血まみれである。護衛の二人も怪我が治り、血を拭いながら立ち上がった。
食糧貯蔵庫から出ると、暗い顔でアキラが答えた。
「……すまん。リョウタを殺した」
彼の瞳には、許されない罪を犯したという自覚が滲んでいた。それと同時に、この結果が、サーラ・ミリアーノの命に関わる問題だと、重く受け止めているのだ。
「殺っちまったもんは、仕方がない。俺の娘も大事だが、顔を上げてしっかり前を見てみろ」
アキラが視線を上げると、ミリアーノ組の者たちが涙を流しながら喜び合っている。
リョウタはミリアーノ組の者を百名近く殺害している。結果的にではあるが、アキラは彼らの仇討ちをしたことになるのだ。
そんな彼らを見ても、アキラの顔は晴れなかった。
「サーラの居場所が分からなくなった……。手がかりが死んじまったし……」
この場に、リョウタの仲間はいない。遠く離れた場所で移動するデレノア軍は、こちらの騒動に関与してこない。ツヨシのグランウォールが、彼らと物理的に隔てているという状況もその一因であろう。
「アキラちゃん? ソータちゃんに依頼出したの忘れちゃったの?」
アキラが振り向くと、そこにリーナとファーギが立っていた。
ダンジョンコアを通じて、アキラは指名依頼を出している。それは、サーラ・ミリアーノの救出。アキラはリョウタとの戦いでそのことを失念していたようだ。
ファーギは叱咤する。
「グズグズするな、アキラ。ソータたちも動いてるし、ワシも依頼を受けてんだ。さっさとサーラ嬢を助けに行くぞ」
アキラが閉じ込められていたキューブ状のグランウォールを破壊したのは、ファーギの魔導ライフルだった。あのライフルがなければ、アキラはキューブごと海に沈んでいたかもしれない。結果の善し悪しは別にして、ファーギの行動が、この結果を導いたとも言える。
だからなのか、ファーギの表情には焦りが見える。
その気持ちはジルベルトも同じだろう。娘のサーラを助けるため、ジルベルトは大声で指示を出す。
「お前たち!! すまん、この通りだ!!」
ジルベルトは土下座をして頭を下げた。そして、歯を食いしばりながら続けた。
「サーラを助けてくれ!! ――うぼぉぉっ!?」
ジルベルトが組員にお願いをすると、アキラがすぐに動いた。土下座中のジルベルトを蹴り飛ばしたのだ。
「冒険者ギルドが、サーラの捜索依頼を出してんだよ! お前はこれ以上仲間の命を危険にさらすな!!」
ヒュギエイアの水でせっかく治ったのに、ジルベルトは鼻血をまき散らしながら地面に叩きつけられた。意識もない。組長がぶちのめされて、本来なら組員たちは報復し始めるだろう。しかし、彼らはただ、その場で戸惑っていた。
相手はアキラだ。挨拶代わりに手が出る暴力主義のギルドマスターである。
そして、彼の目は、俺たちに任せろと物語っていた。
「アキラ!! テメエふざけたこと言ってんじゃねえ!!」「ああん? 俺たちの命を危険にさらすな? テメエ誰に向かって抜かしてやがんだ!!」「ゴルァ!! そこのドワーフ!! 髭ちぎんぞ!!」「リーナ! テメエがクソ英雄だとしても、俺らを甘くみるんじゃねえ!!」
アキラの言葉は、彼らミリアーノ組を焚き付けただけだった。
「ぐっ……ぅぅぅ」
ジルベルトの慟哭が聞こえてきた。組員たちを百名も殺害したのは確かにリョウタだ。しかし、その状況でもジルベルトはリョウタの要求に応えなかった。
彼が首を縦に振ったのは、娘のサーラを人質に取られたから。
ジルベルトが身勝手な決定を下しても、彼の部下たちは文句ひとつ言わずに従った。彼らはジルベルトに忠実で、ジルベルトも部下たちを家族のように扱っていた。だから彼らはジルベルトを信じて疑わなかった。
そして今も、彼らは命を投げ打ってでも、サーラを助けに行こうとしている。その覚悟に満ちた様子が、彼らの瞳に宿っていた。
ジルベルトは、とてつもない罪悪感と、底抜けに仲間思いの手下たちに感極まっていた。彼の瞳からは涙が止めどなく流れ、胸の内で渦巻く葛藤が垣間見えた。
「組長! 俺らもサーラお嬢の救出にいきます!」
一人の組員が力強く言葉をかけた。
ジルベルトは、頷きながら感謝の言葉をつぶやく。
「本当にすまない。心から感謝する。俺も全力でサーラを取り戻すために戦う。そして、死んでいった仲間たちの無念を晴らしてやる!!」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、ジルベルトは力強く誓う。
彼らは組長の決意に心を打たれ、仲間と手を取り合ってサーラ救出のための作戦を練った。彼らはミリアーノ組という名の家族であり、圧倒的な力を持つデレノア王国の勇者たちにも恐れはしなかった。
その瞬間、彼らはただの組員ではなく、ひとつの目標に向かって進む勇者たちとなったのだ。彼らの胸には、死んでいった仲間たちの想いと、生き残った仲間たちの絆が燃えていた。
「どうすんの、アキラちゃん」
「盛り上がってるし、勝手にやらせるか……。絶対に俺の言うこと聞かなさそうだし」
少し離れた場所で、リーナとアキラはお手上げ状態。
「アキラ、ミリアーノ組が心配なら、ワシらが先にサーラ・ミリアーノを助け出せばいいだろ? さっさといくぞ」
「だな……」
ファーギの声に応えるアキラ。
ミリアーノ組が落ち着きを取り戻す頃、アキラたちの姿は消えていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
俺はアビソルス伝いに、サーラ・ミリアーノを救出してくれと指名依頼を受けた。ジルベルトはきちんとアキラに伝えたようだ。その依頼は、ミッシー、マイア、ニーナ、三人とも賛成だった。
「しかし、そのサーラって娘を、どうやって探すつもりだ? いま追ってる奴らにも追いつけないのに」
ミッシーの言うとおりだ。俺たち四人は、奴隷を連れて逃げる女二人に追いつけないでいる。白く冷たく固い通路は一本道。曲がっていて姿が見えなくとも、一応気配で追えているが。
足はこちらが速いはずなのに、追いつけないのには訳がある。アビソルスに、通路を塞ぐようにお願いしても、そこをすり抜けていくという、奇妙な方法で逃げているのだ。奴隷も数多く連れているというのに。
転移魔法やゲート魔法といった、高度な魔法を使って逃げているのだろうか。そんな魔法は簡単に使えるものではないはずだが、あいつらは大召喚術でこの世界に呼ばれた日本人の勇者達だ。彼らにとっては、そんな魔法も容易く使えるのかもしれない。
「ここから先は、別のダンジョンってことかな?」
先の方に岩肌の露出した洞窟が見えていた。このダンジョンの白い材質とはまるで違っている。
「はい……。あそこが境界線で、その先は別のダンジョンです」
マイアが答えた。俺はもっとこの世界のことを知らなきゃいけない。
「進むしかないな……。でも、ダンジョンがつながってるなんて、よくあるの?」
「いえ、ダンジョンマスター同士で意図的にやっているのでしょう。ダンジョンが自然に繋がるなんて、聞いたことがありません」
ニーナが言った。彼女もマイアも、修道騎士団のメンバーだ。十八歳と若いのに、色々と知識が豊富なんだよな。
色々話を聞きながら、洞窟ダンジョンを進んでいく。モンスターが現れないのは、このダンジョンのランクが低いからだそうだ。フェッチみたいに、面倒くさいモンスターが出てこなくて良かった。
しばらく進んでいると、追っている気配がまったく違う方向へ向かい始めた。
「また壁をすり抜けて逃げた。気配の動きが妙だ」
「どうするんだ?」
「ミッシーは壁抜けできる?」
「出来るわけないだろ」
「だよね……。いや、俺たちは壁抜けできないからさ、ここに穴を開けよう」
土魔法で、洞窟の壁に穴を開ける。
落盤を避けるために、丁寧に円形に掘っていく。
トンネルをイメージして、どんどん延ばしていく。
しばらくすると、なめらかな土色の通路が出来上がった。
そこを覗くと、暗い通路の先に、別の空間が見えた。
この洞窟とは異なるダンジョンに繋がっている。
「進むぞ」
三人は驚きのあまり言葉を失っていた。俺の魔法の使い方について、また、ああでもないこうでもないと言われるのは必至だ。だから俺は、逃げるように通路を進んでいく。
トンネルを抜けると、そこは森だった。壁から出てすぐに、木々が密集して生えている。まだダンジョンから出たわけではない。白いドーム型の天井が頭上に見えているのだ。それに、外に出たのならば、深夜で暗いはず。
天井に埋め込まれた魔石が輝いて、昼間のように明るい。この天井の規模だと、流刑島ダンジョンに匹敵する広さがありそうだ。ダンジョンの調整や閉鎖空間の影響で、蒸し暑く湿っぽい空気が充満していた。
「あの逃げてる奴らさ、気付いてるよな? 俺たちが追ってると」
「おそらく。……足を止めさせるぞ」
ミッシーが立ち止まって、祓魔弓ルーグを構えた。狙いは少し上で、逃げている気配がある方向だ。弦のない弓に矢をつがえる動作を取ると、光り輝く矢が現れる。
どういう仕組みなのかさっぱり解らない。あの弓が凄いのか、ミッシーが凄いのか、多分どちらもだろう。というのも、光の矢は神々しい気配を放つ、神威で出来ているからだ。前回はただの光の矢だったけれど、今回は本気出したってところかな?
マイアとニーナは息を飲む。神威の矢が次第に太く長くなり、圧倒的な威力を秘めていることが伝わってくる。
そして、矢が放たれた。
眩く美しい光跡を残し、放物線を描いて飛んでいく。
矢が見えなくなると、森の奥で大爆発が起きた。
大丈夫かな……? 奴隷がたくさんいるはずだけど。
いや、うまくいったみたいだ。逃げている気配二名の動きが止まった。もちろん奴隷たちもだ。
「逃げてる奴らはデレノア王国の勇者だから、油断せずにいこう」
俺の言葉に三人とも頷く。
さて、行こうか。というタイミングで、周囲にたくさんの気配を感じた。
ベナマオ大森林ほどではないが、この森にも様々な生き物が息づいている。
……いや、モンスターか。
俺たちは気づかないうちに、そのモンスターたちに包囲されてしまっていた。
気配はすれど、姿は見えぬ。何なの、このモンスター?




