148 壊された安寧の地【アキラ:承】
王都ハイラムには、高級住宅街が存在する。その中でも特筆すべきは、バルガー子爵邸であろう。周囲とは一線を画すその邸宅は、広大な敷地に建ち、富の象徴として名高い。
だが、その美麗な外観に隠された暗い影もまた、黒い噂として民衆の間で囁かれていた。それでも、その噂は国の上層部には届かず、子爵は好き放題に振る舞っていた。
正面の門は堂々としたもので、その両脇には領兵が厳然と立っている。だが、この日の朝はいつもと異なる光景が広がっていた。通りには通行人の姿がまったくなく、門に立つ二人の領兵も首を傾げている。
その原因は、虎の牙の仕業である。彼らは道路工事を装い、馬車同士で事故を起こすなど、さまざまな手法を駆使して、バルガー子爵邸の正門に誰も近づけないように仕向けていた。
そんな門に向かって、堂々と歩いていくアキラ。彼は上流階級の人々が纏う、街一番の仕立屋がこしらえたスーツに身を包んでいる。金髪のヘアウイッグをかぶり、イギリス紳士を思わせるその姿は、落ち着きと品格を兼ね備えていた。
アジア系の顔立ちはこの街では際立つため、アキラはハットを深くかぶり、顔を見せぬように配慮している。
『おはようございます』
『どちら様でしょうか』
身なりのいいアキラに、丁寧な対応をする領兵。
警戒せずに近付いた領兵は、スキル〝身体強化〟を使ったアキラに殴られて昏倒。もう一人の領兵が慌てて反応するも、アキラの強烈なパンチで意識を飛ばされた。
領兵に意識が無いことを確認したアキラは、二人のポケットから門の鍵を探す。彼はすぐに鍵を見つけて、手を振った。
すると、チンピラ風の男たちが十名、路地裏から現れた。虎の牙の二番隊だ。彼らは、アキラがいる門の前に駆け寄ってきた。
『若えのに、見事なもんだ』
その中のひとりが、倒れている領兵を見て呟く。彼ら二番隊は全員アキラより年上で、長年盗賊をやって来た者たちだ。このときアキラは十八歳だった。彼らからすれば、アキラはまだまだ小童である。
バルガー子爵邸の庭園を、風のように駆け抜けていく二番隊。屋敷の者に見つからないよう、ドルフ特製のマントをかぶって全員姿を消している。
しかし様子がおかしい。本来ならいるはずの庭師や馬丁、庭を掃除する使用人、そういった人影が見当たらない。不審に思いつつ先頭のアキラが、重厚な正面玄関を蹴り破って中に飛び込む。
『うっ!?』
濃密な血の臭いと、血に染め上げられたエントランスホールが出迎え、アキラは顔をそむける。次いで入ってきた二番隊の仲間たちも、全員顔をしかめる。血だまりに伏せているのは、子爵家の使用人。ひとりではなく大勢死んでいた。
『――――』
遠くから聞こえる悲鳴で、二番隊が天井を見上げる。次の瞬間、全員で二階へと駆け上がった。
『おい、アキラ、いったい何が起きてやがる』
『知るか! でも皆殺しだぜ……、尋常じゃねえ』
隊員と言葉を交わしながらも、叫び声の主を探して広い屋敷内を走り続ける。殺害された護衛の血が、廊下の絨毯を赤黒く染めている。彼ら二番隊は、それらを跳び越えていく。
二度目の悲鳴が空気を切り裂く。その声に導かれ、二番隊は目当ての部屋を捜し当てた。
アキラがドアを蹴り破って部屋に入る。背後からは二番隊の仲間が続いた。
目に飛び込んできた光景に、彼らは息を呑む。
床に転がった首。
床に横たわる、首の無い骸。
バルガー子爵の遺体だ。
その遺体にしがみ付いて泣いている娘がいる。
悲鳴をあげたのは彼女だろう。
その娘に刀を向けているリョウタ。
彼は娘の首を落とすため、まさに斬り掛からんとするところだった。
――――ギィィィン
娘の白い首筋に届く寸前、リョウタが振り下ろした刀は、アキラの刀と交わり、火花を散らしてはじき飛ばされた。
その刀はクルクル舞いながら、天井に深々と突き刺さる。
『テメエ!! こんなところで何やってんだ!!』
アキラは剣をはじき飛ばした勢いのまま、リョウタに体当たり。リョウタを部屋の隅っこまで吹っ飛ばした。
『へっ……、お前ら虎の牙は仕舞いだ』
鼻血を拭いながら、よろりと立ち上がるリョウタ。嘲笑しながらの言葉に、彼の思惑が込められていた。
バルガー子爵邸を襲撃したのは虎の牙。
そこで起こった大量殺戮。
第三者はその話を聞いて、誰が犯人だと思うのか。
真っ先に疑われるのは虎の牙だ。
義賊と呼ばれた虎の牙は、冷酷無比な殺戮集団へ成り下がる。
彼らは人々から恐れられ、憎悪を買うだろう。
『リョウタああ!!』
アキラはリョウタの企みに気付き、激高して斬りかかる。
しかしリョウタは相手にせず、窓を破って外へ脱出した。
『クソッ!!』
リョウタを追いかけるため、アキラも窓から飛び降りようとすると、背後から怒号が響いた。
『撤退だ!』
部屋の入り口に立つ、一番隊隊長のスザクだ。
彼はここに来るまでの惨状を見た。そして、この部屋で殺害されたバルガー子爵を見て、撤退だと判断を下した。その目には「もうどうにもならない」という意志が強く込められていた。
『おい、お前はバルガー子爵の娘、マリエル・ハートネット・バルガーだな?』
彼女はバルガー家の次女だ。歳は十六で、箱入り娘。父親の悪行は知らず、蝶よ花よと育てられてきた。特異な才を持つが故に。
太陽の光を受けて金色に煌めく髪は、風に揺れて彼女の美しさを際立たせていた。だが、その髪の下に隠れたスカイブルーの瞳は、深い悲しみに濡れていた。
『いや……』
スザクの顔がよほど怖かったのか、マリエルはお漏らしをして、座ったまま後ずさりをしていく。それを見たスザクは頭を抱える。自前の顔とはいえ、ここまで怖がられるとさすがに傷つくようだ。
『傷つける気はないんだがな……。アキラ、その娘をつれて帰るぞ。色々聞かなきゃならん』
マリエルは驚き戦き、目を見開く。この世の終わりのような表情で。
『マリエルさん、何にもしねえから、おとなしく付いてこい。……あっ』
マリエルに近付き、真っ直ぐ目を見て話すアキラ。しかし、足元の床が濡れていることに気付いて視線を下げた。
――――パン
アキラがしゃがみ込んで床を調べようとすると、マリエルに平手打ちを食らってしまった。マリエル本人は父親が目の前で殺されパニック状態。それでもお漏らししたことは知られたくなかったのだろう。
アキラは目を丸くして驚いている。痛いからではなく、避けられなかったからだ。
『嫌よ! あなたたちが仲間割れしようが、知ったことではないわ!! 今すぐ殺しなさい! でなければ、あたしはあなたたちを地獄の底まで追い詰めるわよ!!』
『いや、仲間割れじゃねえし。窓から逃げたやつは、大召喚術で召喚された勇者のひとり。俺たちは真逆の存在、虎の牙だ。王都に住んでいるなら、勇者も虎の牙も、聞いたことくらいあるだろ?』
『えっ!?』
『この部屋に来るまで、大勢死んでいた。彼らを殺したのは誰だ?』
『…………さっきのヒト』
『そこに俺たちがいたか?』
『…………いなかった』
『ここに残れば、あんたは口封じで間違いなく殺される。俺に付いてこい。生き延びたいのなら』
『……わかった』
マリエルは現状を理解するのが早かった。ポロポロと涙を流しながらも。
部屋で亡くなった父を残し、廊下で亡くなっている母を残し、亡くなった家族、亡くなった屋敷の使用人、全て残してマリエルは屋敷を後にする。
彼女はアキラたち虎の牙と共に、王都ハイラムのスラム街へ去って行った。
その後、虎の牙はリョウタの思惑通りとなった。
バルガー子爵家の一族から使用人に到るまで、全ての人々を殺害したとして、虎の牙は賞金首となったのだ。
冒険者ギルドで、虎の牙の生死は問わない、とする捕獲依頼が張り出された。依頼人はデレノア王国で、報酬は破格。子爵家が皆殺しにされたことで、国が動いたのだ。
真犯人のリョウタは疑われることもなく、素知らぬ顔でアキラたちを追い続けていた。
一方、クラスメイトたちは勇者として、国境警備の任に当たっていた。大召喚術で得た能力は余すことなく発揮され、彼らはデーモンの侵攻を軽々と食い止めているのだ。
アキラたち虎の牙は、リョウタの熾烈な追撃で次々と数を減らし壊滅状態となっていった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
クラス召喚から、十年の月日が流れた。アキラたちが辿り着いたのは、ニンゲンが来ないデレノア王国の辺境。森と砂浜が交わる小さな入り江だ。彼らは木々を伐り、自分たちの住まいを作り上げ、人目に触れぬようひっそりと暮らしていた。
生き残ったのは、四人だけ。虎獣人のスザク、ドワーフのドルフ、アキラ、そして子爵家の次女、マリエル・ハートネット・バルガーのみだった。
波の音に混じって、双子の女の子たちの声が響く。海岸線を走り回り、水しぶきをあげては笑い合う。彼女たちは太陽の光に照らされて、幸せな時間を過ごしていた。
『抜け抜けええええええ!!』
『抜けたあああああ!!』
その子たちは、釣道具を持って現れたスザクによじ登り、薄くなってきた髪の毛を引っこ抜き始めた。
アキラとマリエルの、双子の娘たちだ。
活発なおてんばさんで、今年で六歳になる。アキラとマリエルは、娘たちがどちらに似たのか、ここ一年ほどかけて議論中である。だが、結論は出ていない。
海から離れた場所にある割と広めの畑は、ドルフの魔道具を使って開墾したものだ。もちろんアキラとスザクも手伝った。畑には様々な野菜や穀物が育てられている。だが、畜産をする余裕はなく、肉はもっぱら狩りで調達していた。
今日の狩り当番はアキラ。彼は早朝から。森の奥深くへ入っている。
『おい、マリー!! いい加減、このクソガキ共を何とかしろ!!』
言い草も表情も怖いスザク。だけどマリエルは、髪の毛を抜かれるスザクを見て笑うばかり。双子たちも、スザクの怖い顔なんてへっちゃらだ。
髪の毛に飽きた双子は、頭の上にあるスザクの耳にぶら下がり始めた。筋骨隆々の虎獣人でもさすがに痛すぎたのか、砂浜で四つん這いになって双子を降ろす。
『おーい! 大物を仕留めたぞー!』
太陽が真上に昇った頃、森の中からアキラの声が響いた。彼の声は、とても遠くまで届く。砂浜から防風林を抜け、畑の向こうにある森まで、少なくとも一キロメートルは離れているのに。
とにかく大きな声が出せる、スキル〝呼号〟。本来であれば、戦闘時のフェイントなどに使うものだ。しかしアキラは、獲物を持ち帰ったことを知らせるために使っていた。
マリエルは大物を仕留めたと聞き、まだ遠くにいるアキラをじっと見つめる。
『おおーっ、本当に大物ねっ!』
彼はなんと、軽トラックほどの大きさがあるワイルドボアを引きずっていた。血抜きをして内臓を抜き、洗浄を済ませて氷魔法で冷やしてあるので、下処理は完璧だ。
スザクから離れ、満面の笑顔でアキラの方へ走っていく双子たち。
すると、釣りに出ていたドルフの声も聞こえてきた。警告するかのように。
『おいっ!!』
今日の釣果はどうだ。そんな顔でスザクとマリエルがドルフの方を向く。
『いやっ!! どうしてこんなとこまで追ってくるの!!』
『俺はドルフを助ける! マリーは早く娘たちを!!』
リョウタ・タジマ。彼に捕まったドルフが、こちらに向かって砂浜を歩いていた。




