131 再会、ベルサダンジョン256階層
漁村ベルサに突如現れたダンジョン。その入り口には、ミッシーが乗っていた馬型ゴーレムが繋いであった。
「こんな所にダンジョンなんてあったかしら……?」
修道騎士団クインテットのアイヴィー・ディユアメルは、短い白髪から飛び出た長めの耳をピクピクと動かす。意図的にでは無く無意識でやっているようだ。
彼女は三つ叉の短槍を持ち、胸当て、手袋、革靴からなる白い戦闘服に、魔法陣が刺繍された修道騎士団の正装を身にまとっていた。
「アイヴィー様! ベルサ内をくまなく捜索しましたが、人っ子一人いません!!」
「そうですか……。ではやはりダンジョンに侵入しているとみて間違いなさそうですね。ステラはどう思う?」
「はいっ! アイヴィー様のおっしゃる通りかと!」
アイヴィーが話しているのは、修道騎士団クインテットの序列十一位のステラ・ピングストン。アイヴィー直属の部下である。
「そう。それじゃあ整列しましょうか」
アイヴィーが指示を出すと、ステラが笛を吹いた。すると村のあちこちから、同じ装備の修道騎士団の面々が集まってきた。ハーフエルフのアイヴィー以外、全てヒト族の女性で、総勢十名となった。
全員軽装なのは、魔導バッグに武器や防具、食糧や寝具、様々なものを仕舞い込んでいるからだ。
「えーと、もう一度確認しておきますね」
九名の部下が「はい」と答えると、アイヴィーが喋り始めた。
「仲間だと思っていた、グレイス・バーンズの裏切り。それと、奴隷落ちという憂き目に遭われた、第二王子のテッド様。先日この件がバーンズ公爵家の策略であったと発覚しましたね」
頷く部下たち。それを見たアイヴィーは続ける。
バーンズ公爵家が謀反を起こすのは、もう時間の問題。表立っての動きは無いが、水面下で王族側とバーンズ公爵家側の貴族間で、暗殺が横行している状態である。
「こんな場所で申し訳ないのですが、周りに人がいないので丁度いいです。重要なので傾聴してください。我々修道騎士団は王家につく。大教皇猊下から沙汰が下りました」
アイヴィーは部下たちをゆっくりと見渡す。その表情を見るために。
「わたくしの部隊には、わたくしを含め、家族や親族の中に、貴族に名を連ねる者や、貴族の使用人である者は誰もいません。だからこそ、貴族のしがらみに捕らわれず、イーデン教の修道騎士団クインテットとして、しっかり聖務を果たしていきましょう」
部下からの返事を聞き、アイヴィーはこれからの行動を伝える。
「サンルカル王国が政情不安定な中、エルフのSランク冒険者がこの漁村に潜入しました。証拠はそこに居る馬型ゴーレム。名はミッシー・デシルバ・エリオット。彼女はルンドストロム王国の、王家に名を連ねる者です。この機に乗じて、何か企んでいる可能性があるので、ダンジョン内を捜索して捕獲します。……よろしくお願いしますね。特に新人のエマさん、足を引っ張らないように」
「はいっ! 全力で頑張ります!!」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「あれから三十日……。わたくしたちは間違っていたのでしょうか……?」
アイヴィーは弱音を漏らしてしまい、慌てて周りを見る。しかし剣戟と魔法の破裂音が、そんな声など消し飛ばしていた。
現在はダンジョンの二百五十五層。その通路は、ぬかるんだ湿地になっている。修道騎士団はそんな場所で、半魚人の小隊と交戦中であった。
ダンジョンのモンスターは、外敵を排除するために突如現れるので、こういった遭遇戦が多発する。
半魚人の装備は立派な物で、修道騎士団の物と比べて見劣りしない。その身体能力や、使用してくるスキルと魔法も、修道騎士団と拮抗している。
「アイヴィー様、申し訳ありません……」
魔力を使い果たして下がってきたステラ。アイヴィーの回復時間はここで終了だ。
この通路は、とても幅が広い。しかし十人が横一列になって戦うと、少しばかり狭いくらいの幅なのだ。そのためアイヴィーは、前衛に九名、後衛で回復する者が一名と、ローテーションを組んでいた。
後衛で回復するのは自分だけでなく、もちろん前衛九名の回復も担っている。
当然ではあるが、前衛で戦うと、神経をすり減らして体力を使い、魔法やスキルを多用してしまうため、後方から回復するより消耗が激しい。
アイヴィーはイーデン教特製の魔力回復薬を飲み干し、ステラが抜けた穴を塞ぐべく走っていく。
その手には、魔導バッグから取出した三つ矛の短槍が握られている。アイヴィーは前線に到着すると同時に、スキル〝百連撃〟を繰り出し、半魚人の小隊をあっという間に壊滅させた。
ダンジョンの二百五十五層とはいえ、彼女は修道騎士団クインテットの序列二位。その実力は部下よりはるかに高い。
そのため、先陣を切って移動し、遭遇戦の一番槍を務めていた。よって、一番消耗しているのはアイヴィーであった。
「大丈夫ですか?」
倒れた半魚人たちが泡となって消えゆく中、アイヴィーは足をもつらせ倒れそうになった。倒れる前に両脇の部下から支えられたが、アイヴィーは疲労困憊の容相である。
「階段がありました! 様子を見てきます!」
部下の言葉にアイヴィーは声も出せずに頷く。他の隊員たちも心配そうな表情を浮かべている。魔力の使いすぎによる疲労は、回復魔法で癒すことができない。
そのため、しっかり時間をかけて休む必要がある。
「小部屋がありました! そこまでの通路と、小部屋への入り口が狭いので、モンスターに見つかっても篭城しやすいと思います。アイヴィー様! 如何なさいますか?」
「……そこへ行きましょう。みなには負担を掛けてしまいますが、しばし休ませていただきます」
よろりと立ち上がったアイヴィーは、そこで気を失ってしまった。
彼女は部下が見つけた小部屋に到着するまで、ステラにおんぶされて運び込まれた。
幸いにも、この階層の床はぬかるみではなく、木製の床である。
小部屋に入ったステラは、アイヴィーが完全に意識を失っていることを確認し、少し雑に床に寝かせた。
部下として、日頃の鬱憤でもたまっているのだろうか。
「ちょっと来てくれ」
寝息を立てるアイヴィーを見下ろし、部屋に入ってきた隊員たちに声を掛けるステラ。この小隊では二番手なので、現時点での指揮権は彼女にある。
なので、部下の八名は、部屋を出ていくステラを追いかけた。
「さて、ここまで付き合ってどう思う?」
ステラは部下の八名に問いかけた。
「ダメですね……」「寝返らないと思います」「バーンズ家より、アスクレピウス様にご熱心ですものね……」「やーねえ、あたしもアスクレピウス様を信仰してますわ」
何やらおだやかでない話になっている。アイヴィーが眠っている小部屋は、細い通路の先で行き止まり。ステラたちが居るのは通路が広くなっている場所で、話し声でアイヴィーが起きることは無い。
ここにいる九名の修道騎士団は、すでにバーンズ家に懐柔された一派なのだろうか。
「では、事故という事で処理します……」
ダンジョン内で何が起こったのかなんて、当事者にしか分からない。彼女たちは、ダンジョンに入ってからずっと、バーンズ家の正当性をそれとなく話し続けていた。しかし、アイヴィーはそれを冗談だと受け止め、笑い飛ばすばかり。
彼女たちはミッシーのことなどまるで気にしていない。気にしているのは暗殺など不可能に近い強さを持つアイヴィー。彼女をバーンズ陣営に取り込むことだけ。
それが上手く行かなかった場合、ダンジョン内で疲れさせて暗殺してしまおうという計画だった。
九名の修道騎士団員がきゅっと顔を引き締める。これまで苦楽を共にしてきた仲間を討つのだ。バーンズ家が正当な王家であるという大義があっても、気が引けるのだろう。
小部屋に向かって踏み出す一歩が中々前に出ない。
「――――モンスターがポップ!」
団員の一人が声を上げる。
残りの団員が振り向くと、青い雲がひとつ浮かんでいた。
修道騎士団が、何だこれは、という雰囲気になる中、ステラだけはそのモンスターを知っていた。
「トロイダル……? これは拙い!! 厄介なモンスターだから逃げるぞ!!」
そう言ってステラが駆け出そうとすると、その方向を塞ぐようにトロイダルが移動した。反応できなかった残りの団員が逆方向へ動くと、ものすごい早さで移動して行き先を塞いだ。ステラの指示で、色々なパターンでその場を離れようとしていると、もう一体のトロイダルがポップ。
二体のトロイダルが現れたことで、彼女たち九名の逃げ道は完全になくなってしまった。
「ウヴォッ」
すると団員の一人が突然嘔吐した。それが発端となり、次々と嘔吐していく団員たち。中には痙攣しているものまでいる。
ステラはそこまでではないが、激しい頭痛と目まいで、立っているのもやっとの状態になっていた。
「くっ……。この意味不明な攻撃で、以前大勢死んだ。全滅する前に、アイヴィーを始末するんだ。誰でもいい、早く行け!!」
立っていられなくなって片ひざをつくステラ。顔には玉のような汗が浮いて滝のように流れている。
そこでステラは気付いた。立っている者が、一人だけいると。それは最近修道騎士団に入団した新人だった。しかも、トロイダルの攻撃を平然とした顔で避けている。
「エマ……、さっさとアイヴィーを殺してこい、うぼっぉぉお」
ステラもとうとう嘔吐し始めた。それでもステラは、血走った眼でエマに視線を送る。
「え、やだ」
エマの返事は、あまりにも軽かった。ステラはその言葉に混乱したまま意識を失った。
「なーんで、わたしが人殺ししなきゃいけないのよー。でも困ったなー、逃げることもできないじゃない」
エマはそう言って、アイヴィーが眠る小部屋に向かって、スタスタと歩き始めた。
それを見たトロイダルは、エマを追うためにフワリと動いた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
修道騎士団に妙な感じがしていたので、俺はここまでの成り行きを見守っていた。もちろん姿を消したままでだ。
トロイダルと呼ばれたモンスターは、生きた青い雲のように見え、攻撃方法がエグかった。
『磁力魔法の解析と改良が終了しました。現時点で二体のトロイダルを中心に、千テスラを超える磁場が発生しています。彼女たちはそれに曝露され、体内のイオンや電気分子が大きく変化し、生体機能に深刻な障害を引き起こしています。具体的には、心臓の拍動が乱れ、呼吸困難、吐き気、めまい、けいれん、視覚障害、頭痛、意識障害、記憶障害などの症状が現れています。また、これ以上に高強度の磁場になると、脳や神経系、筋肉などの機能にも影響を与える可能性があり、極端な場合には死亡する可能性もあります。実験のため使用しま――』
『使用しませんっ。なんか久々に聞いた気がするけど、だーめ』
『ちぇーっ』
ほっとくと死にそうなので、倒れている八人に回復、治療、再生、三つの魔法を使っておく。ヘモグロビンとか、鉄系の体内物質が片方に集まっているはずだから、結構な重症だ。
魔法をかけ終わって、アイヴィーがいる小部屋の方へ移動する。
人狼のエマ・ランペール。なぜ修道騎士団になっているのか知らないが、ようやく腹をくくったな。
狼に変身し、トロイダルに襲い掛かったのだ。
というか、あれ雲だぞ? 綿菓子じゃないぞ?
あ、マジで食ってる……。美味しそうな顔で……。
千テスラの磁界でも平然としていたし、ルー・ガルーって種族は頑丈なんだな。弱点も無いのか、……いや、銀のアレルギーだって聞いたことがあるから、今度ユーゴで試してみるか。人狼は銀の弾丸で殺せるなんて物語の話だけど、真実は小説より奇なりって言葉もあるしね。
さて……、お腹いっぱいになったあとは、どうするのかな?
ヒト族の姿に戻ったエマが、アイヴィーに近づいていく。
これでもし、アイヴィーに手をかけるようなら、やめさせてボコってしまおう。
「……アイヴィー、起きて」
「……」
「アイヴィー!」
「……はっ! ごめんなさい! 熟睡してましたわ! ……え?」
小部屋の中で、エマと二人っきり。彼女の記憶はもっと前で途切れているので、急に場面が切り替わったように思えてビックリしたのだろう。キョロキョロしてどこなのか確認している。
「アイヴィー、あなたはここに来る途中、気を失ったの」
「……ああ、そうでしたね! 思い出しました。けど……、ステラたちは何処に?」
「…………言いにくいんだけどさ」
エマがこれまでのことを包み隠さず話していくと、アイヴィーはポロポロと涙を流し始めた。
もう少しオブラートに包む方がよくない? あと、エマが人狼だって事は包み隠したね?
とりあえず事の顛末はある程度把握出来た。
俺はここに居る十人と一緒に、地上へ転移した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
あれ? 馬はいるけど他に誰もいない。
もう夕方か。晩飯の準備でもやってるのかもしれない。
「お前なあ……、これだけの人数をどうすれば転移出来るんだ? まあ、そんな事だろうと思って、マイアがみんな連れて村の探検に行ってるが」
「ひょっ! ……なんだファーギか」
ツタだらけの民家から、にゅっと顔を出したファーギ。橙色の夕日を浴びて、真っ赤な顔になっている。
アイヴィーとエマは、何が起こったのか分からず呆けている。
他の八人はまだ気を失ったままなので、魔導バッグからロープを取りだして、ささっと拘束しておく。
「エマ、こいつはファーギ。ファーギ、こいつはエマ。アイヴィーは二人とも面識があるよな。何があったのか、ちょっと話を共有しといて」
「あ、おい丸投げすんな」
「いやいやファーギ、大丈夫だと思ってたけど、ミッシーがヤバそうで時間が無い。ちょっと行ってくる」
影魔法からの情報を元に、俺はベルサダンジョン三百五十階層へ転移した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
転移してみると、床も壁も天井も、この通路は全てザラザラした白い石で造られていた。
「……」
「……」
「……」
俺がいきなり姿を見せたので、ミッシーとスリオン、三人でお見合い状態になっている。
「ほう、……このフロアには、聖なる気配を漂わせるモンスターがポップするのかっ!!」
スリオンが喋り終わると同時に、距離を詰められ斬り付けられた。もちろん避けるけど。だが、その一撃では終わらず、次々に一撃必殺の太刀が舞う。
考え無しに転移して、俺がダンジョンにポップしたモンスターだと勘違いされたのは仕方がない。悪かったと思う。でもさ、俺の姿を見てヒトだと分からんのか、この御仁は……。
スリオンは白髪のロン毛で、右耳が切り落とされている。エルフという種族でイケメンには違いないが、年齢的なものなのか顔全体に皺が目立っていた。
細身の身体に、魔法陣か刺繍された革製のパンツとシャツに、ミスリルの鎖帷子を着込んでいる。
手に持つ大剣は、銘があるのだろうか。神々しい雰囲気のある美しい剣だった。
「おーい、ミッシー! 久し振りー!!」
スリオンの斬撃を避けながら下がっているので、ミッシーから随分と離れてしまった。彼女は彼女で、ぼんやりしたまま俺を見て動こうとしない。
この二人に危険が迫っているのは、影魔法で確認済みだ。なので色々すっ飛ばして姿を見せたんだけど、それが裏目に出てしまったな。
これ以上ミッシーと離れるわけにもいかない。スリオンを念動力で拘束し、俺はミッシーに向かって駆け出した。
「ソータ……、どうしてここに……?」
「え、ここちょっとヤバいと思って助けに来た。ミッシーの捜索依頼も受けてるし」
「それだけ……?」
「え、あ、ああ、それ以外に何があるっての」
いや、ウソだ。俺はミッシーに会いたかった。
彼女が姿を消して、今日でちょうど六十日。その間、色々働きながらも、ふとした拍子にミッシーを思い出す。彼女はSランク冒険者で、自立した立派な女性だと言い聞かせてきた。しかしそれでも、会いたいと想う気持ちは消えなかった。
ミッシーは俺にとって、かけがえのない存在だ。単なる冒険者仲間というだけでなく、心を通わせられる大切な友人なのだ。
だからこそ、ミッシーが危険な目に遭っていると知り、駆けつけずにはいられなかった。
ただ、気持ちを伝えるのが怖かった。もし友情を壊してしまったら、と考えると躊躇してしまう。
情けない。
「……どうして泣いているの?」
黙って突っ立ったままの俺に、ぐっと顔を寄せてくるミッシー。ダンジョンの深部だというのに、緑髪から漂う花のような香りが鼻腔をくすぐる。その緑眼には、涙がこぼれ落ちる俺の顔が写っていた。
どうした俺、悩むことがあっても、迷うことは無いだろ。
「こんな場所で悪いんだけど、伝えたいことがある」
「……」
「ミッシー。俺は……」
ミッシーのことを大切な友達だと思っている、という言葉が出てこない。
やらないで後悔するより、やって後悔した方がいい、なんて聞いたことがある。
でもね、たいていの人は、この言葉に騙されて失敗する。
「……」
黙って俺を見つめるミッシー。その沈黙が永劫の時間に思えた。




