116 イビルアイ
茶色い森の中を走りながら、思考を巡らせる。必ず上手くいくと思っていた。
たびたび起こる時間が引き延ばされる感覚。あれは基本的な発動条件があって、決まって俺がピンチな時だ。コロンビアでの例外があったにせよ、今回みたいに死ぬかもしれないという場面で発動するスキルだ。
瞬間移動や念動力も同じスキルなので、魔力と神威の影響があるとはいえ実際にそれらは必要としない。この三つを組み合わせれば何とかなる。ふはは。
『なっ!』
『じゃないです!! 発動しなかったら死んでたんですよっ!!』
汎用人工知能がこんなに声を荒らげるのは初めてだ。心配させちゃったかな? いや、俺が死ぬイコール汎用人工知能の死だから、自分の心配してんのか?
『酷い!! 最低!! バカ!! 死ね!!』
『うおおおお!! 心を読むなって言っただろ!?』
いや、俺も言いすぎたかな。言ってないけど。
蒼天と融合したことで、汎用人工知能は、俺のもう一つの人格と言えるほどまで成長している。
竜神オルズもそんな事言ってたし。
それならちゃんと紳士として接していこう。
『紳士じゃないです!! ばーか、ばーか!!』
『……性別を設定した覚えはないんだけど、もしかして』
『ちゃんとレディとして扱って下さい!!』
『はい。失礼しました。ちゃんと女子として接しますので、許して下さい』
『ふむっ! よかろう!』
よしっ! 余計なこと考えずに、切り替えよう!!
『余計なこと……?』
『……いえ、何でもないです』
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ブレナは手持ちの回復薬で、ドリーの蘇生に成功した。喉が潰れて窒息、鼓膜が破れて両耳からの出血、これらはすぐに治った。しかし、ソータが抉り出して握り潰した眼球は、回復薬ではどうにもならなかった。
それに加え、ドリーに憑依しているルミリオの戦意喪失、という事態に陥っている。二つの人格が共存するゴリラ獣人は、茶色い葉っぱで埋め尽くされた地面にボーッと座り込んでいた。
周りに生き物の気配はない。ソータはすでに遠くまで逃げていた。
「ねえ、ブレナ殿、何が起こったんですか?」
「……分からない。マナー違反だけど聞きますね。区長はあんなに早く動けるスキル持ってましたか?」
「いいえ、持ってないわ。あれはルミリオのスキル……。私は〝身体強化〟〝怪力〟〝硬化〟の三つだけよ」
ドリーはブレナを見て喋っているつもりだが、視覚を失ったため少しだけずれた方向を向いていた。それを見たブレナは、自身の心まで折れそうになる。
重苦しい空気の中、バイモンが空から舞い降りてきた。
「私も想定外でした……。ソータくんからは魔力も神威も一切感じなかったのに。ルミリオ、君のスキルより、ソータくんのスキルの方が早かったということです。何か気付きましたか?」
「いえ、……何も」
「ふむ……。仕方がない。スイッチ入れます?」
「はい、お願いします」
「あっ、あたいもお願い!」
「では……」
ここにきて初めて緊張の面持ちを見せたバイモン。彼は呪文を唱え始めた。額に珠のような汗を浮かべながら、長い長い呪文を間違えないよう慎重に詠唱していく。
歌のような呪文の詠唱が終わると、その効果はすぐに現れた。
「見える……! 見えるようになったわ!!」
「凄いっ!! この湧き出るような力は何!!」
「赤いリキッドナノマシンの性能はお伝えしましたよね? 身体の超回復、超加速、保有魔力の増大があります。しかし、その源泉は生命力です。力を振るえば振るうほど老いていき、使いすぎれば死に至る両刃の剣。獣人の生命力は強いと聞きましたが、加減を間違えぬようお気をつけ下さい」
「くどい、あたいたちデーモンの生命力を使えば問題ない」
バイモンの注意事項に文句を言うキーノ。それを聞いたバイモンは、面を貼り付けたような笑顔を見せる。
冥界からニンゲンの世界へ出ると、神々に討たれる可能性があるので、誰かに憑依しなければならないという制約があるとしても、デーモンは悠久の時を生きる種族だ。レブラン十二柱という大物たちが、どれだけの能力を発揮できるのか、バイモンは楽しみでならない。
「わかりました。では、ソータくんの元へ行き、今回は魔法を中心に戦いましょう。前回の肉弾戦のような結果にならないよう、私も参加しますので」
「いらないわ、バイモン殿」
「送ってくれるだけでいい」
ドリーとブレナは、バイモンの加勢を断る。これは私たちの戦いだ、と言わんばかりに。戦意喪失中だったドリーとルミリオは鼻息荒く応じた。赤いリキッドナノマシンのおかげで自信を取り戻し、やる気に満ちているのだ。ブレナとキーノも同じくやる気があるように見える。ただ、その表情にある微細な陰りを、バイモンは見逃さなかった。
「わかりました。では、転移します、こちらへ来てもらえますか?」
三人が集まると、バイモンは無詠唱で転移魔法を使った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
茶色い空に姿を現した三人。ドリーとブレナはそもそも浮遊魔法なんて使えなかったが、赤いリキッドナノマシンのおかげで、ある程度の魔法が使えるようになっていた。今回はその赤いリキッドナノマシンの性能を最大限引き出すようにスイッチを入れた状態だ。
突如空に現れた強大な魔力。ソータは三人を見つけた途端、またしても逃げ出す。
「ルミリオ殿、身体の主導権を渡しますわ」
「キーノ……。お願い」
ルミリオ、キーノとなった獣人の二人は、枯れ木を縫うように走るソータの姿を見て、急降下していく。
バイモンは、ドリーとブレナから「手伝わなくていい」という言質を取ったので、静観する構えだ。
「ルミリオ、あんた序列六位なんでしょ? あたいより一つ上なんだから、さっきみたいに情けない姿は見せないで!」
語気を強めて言い放つキーノ。陰りのある表情を見せていたのは、ブレナのもの。いまは身体の主導権をキーノに渡しているため、その表情は狩りに出るデーモンの表情であった。
「わかってるわよっ! ソータ殿のスキルが凄くても、遠距離からの攻撃なら仕留める事が出来るわ!」
「いい感じに戻ったわね。あのヒト族、焼き殺すよっ!」
キーノの声で、二人は爆裂火球を連射し始める。目標はもちろん地べたを走るソータだ。
その集中砲火は、周囲の枯れ木を燃え上がらせる。
乾燥した葉っぱや木の枝が舞い上がり、高熱の爆煙で火がつく。
空から見る森は、さながら火の海の如く荒れ狂う。
「あの鈍足では逃げ切れないわね」
「そろそろ止めないと、食べる部位が無くなっちゃう」
ルミリオとキーノは、やり過ぎてしまったと感じ、爆裂火球の連射を一旦止めた。
「火を消すわ」
そう言ったキーノは水魔法を使い、土砂降りの雨を降らせた。
燃え盛る炎はあっという間に鎮火していき、黒焦げになった森の跡地が見えてきた。枯れた木はことごとく爆裂火球で吹き飛ばされ、そこには穴だらけの黒い大地が広がっている。
「これじゃ探すのも一苦労ね。ソータ殿、バラバラになってないかしら……」
ルミリオはそう言いつつ身体をくねらせ、焼けたソータの肉を喰らえることに期待を膨らませる。
二人のデーモンは高度を下げ、ソータが走っていた辺りを目視で確認していく。当然、辺りに生き物の気配はない。
空をゆっくり漂いながら、デーモンの二人がソータを探していると、背後から声が掛かった。
「お二人とも、ソータくんは別の場所にいます。これだけ広範囲に攻撃したのに、彼は、またスキルを使ったのでしょう。まるで転移魔法のように気配が飛びました」
バイモンだ。彼は遠く離れ、冷静にソータの気配を追っていたのだ。
爆裂火球を放つことに夢中になっていたデーモンの二人は、ソータの気配まで気にしていなかった。
「私も攻撃に参加しま――」
「断る!」
「いらないわ!」
ルミリオとキーノは牙を剥きだし、バイモンを威嚇する。
「レブラン十二柱のプライドをかけて、ソータを討つ」
野太い声でルミリオが宣言した。
キーノは宙に浮いたまま目を閉じて、周囲の気配を探る。
「見つけた! あっちよ!」
キーノが指を差す。
「冥導を使うわよ」
ルミリオの声にキーノが頷き、ソータの気配目がけて飛んでいった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ふう……、なまじ力を持つと、ああまで変わるものですかね……」
赤いリキッドナノマシンの性能、地球の悪魔の前で恥をかきたくないという、レブラン十二柱としてのプライド。
この二つがルミリオとキーノに、後には引けないという執念を植え付けていた。
茶色い空に黒い冥導の塊が二つ膨れ上がってゆく。
その中心に居るのはルミリオとキーノ。
その二人から、投網のように格子状になった黒い冥導が現れる。
その投網は薄く広がり、直径五キロメートルの球状へ変わった。
「これでソータ殿は終わり。魂すら残さず滅んでしまうわ」
「冥導魔法イビルアイから逃れた者は、……誰一人いないからね。視界に入ったものは、冥導のおかげで魔法もスキルも使えなくなるし」
ルミリオとキーノの言葉が終わると、球状になった黒い冥導が縦に裂け、黒い空間が現れた。
茶色い空の風向きが変わる。
風向きは、イビルアイの縦に裂けた黒い空間へと向かっている。
それを確認したルミリオとキーノは、その場から離れていく。
冥界の風に変化はない。
しかし、枯れた森に生息する様々なデーモンが舞い上げられ、イビルアイの黒い空間の中へ消えてゆく。
指定されたもののみを亜空間に捨て去ってしまう、それが冥導魔法イビルアイだ。目玉が向いた方向にある指定されたものは、その呪縛から逃れることができない。
ルミリオとキーノは生き物を指定した。
イビルアイの視線は、すでにソータを捉えている。
ソータ自身は、すでにイビルアイの呪縛に絡め取られている事に気付かず、必死で走り続ける。しかしイビルアイから吸い込まれそうになって、時折身体が浮かび上がっていた。
「ソータ殿見つけた、あそこにいるわ」
ソータは走るのを諦め、枯れ木にしがみ付き、イビルアイに吸い込まれないよう耐えている。それを見て、ルミリオはニンマリ。これで地球の悪魔に見下されることもないだろうと考えていた。
地球の冥界、第五層に住む、魔物、デーモン、様々なものが吸い上げられていく一方、ソータは枯れ木にしがみ付いて耐え抜く。イビルアイは意思を持つかのように吸い込む力を増大させていく。
すると、ソータがしがみ付いている枯れ木ごと引き抜かれ、空へ投げ出された。
「キーノ! これで私たちのメンツが保たれたわ!!」
満面の笑みを浮かべて振り返るルミリオ。
視線の先には、もちろんキーノの姿がある。
「えっ!? どうしたのその顔!?」
ルミリオが驚いた理由は、キーノが老婆のような姿になっていたからだ。
「ドリーと替わって。あなたも同じように、お爺さんになってるわ……」
キーノはすでにブレナに身体の主導権を奪われている。ブレナの言葉でドリーは驚き、身体の主導権を取り戻す。
赤いリキッドナノマシンの能力を使う対価は生命力。今回はルミリオとキーノの生命力を使ったはずなのに、どうしてこうなってしまったのだろう。
ドリーとブレナは顔を見合わせ、バイモンがどこに居るのか探し始めた。




